2012/12/29

きっちり納めましてございます。

昨日で官公庁は御用納め。
原則として、12月29日~1月3日が年末年始のお休みなのだ。
三が日が明ければ御用始めで、また新たな年のお仕事が始まるんだよね。
欧米人がクリスマス休暇だと言って12月をほぼまるまる休むのに比べると、日本人は謙虚だよね・・・。

官公庁の休みは、行政機関の休日に関する法律(昭和63年法律第91号)で定められていて、土曜日曜、祝祭日に加え、第1条第1項第3号で「十二月二十九日から翌年の一月三日までの日(前号に掲げる日を除く。) 」と別に定められているのだ。
ちなみに、わざわざ括弧書きがあるのは、1月1日の元旦は国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)で定められている祝日なので、すでに休みであることが規定されているため、重複を防ぐために入っているのだ。
ややこしいね(>o<)
なお、今後天皇誕生日がこの期間中に入り込むことがあれば、その日も除外されることになるよ。

一般企業については、普通に仕事納め・仕事始めと言われるよね。
大概は官公庁の休みに合わせているところが多いけど、銀行なんかは年末は12月30日まで窓口が開いているし、おもちゃ屋さんなんかはお年だめ目当てで元日から営業していたりするよね。
ま、最近では年中無休でそもそも年末年始に休みがないコンビニやスーパーなんかも多いけど。
金融業界、特に証券取引所だと、これが大納会・大発会になるのだ。
大納会では手締めの様子がニュース映像で流れるし、大発会では女性が着物姿で取引所で働いているよね。
昭和の時代は仕事始めの日は実際には集まるだけで通常モードの仕事はなしで、女性職員は着物で出社したりもしたらしいけど、平成の御時世ではもういきなり通常のお仕事が始まってしまうので、そういうのもなくなってしまったよね(ToT)

大掃除はもともと煤払いと呼ばれる年中行事で、1年間の間に積もりに積もった煤を払い、家を清めて歳神を迎えるためのものだったのだ。
門松は歳神の依代、鏡餅は歳神への供え物だよ。
で、江戸時代なんかは基本的に徒歩で帰省する必要があるので、今のように年が押し迫ってから大掃除をするのではなく、旧暦の12月13日に行われるのが一般的だったのだ。
つまり、そこでもう年内の商売は締めてしまって、地方から出てきている手代や丁稚が帰省して故郷でお正月を迎えられるようにしたものなのだ。
今ならもう国内なら1日あればたいていのところには帰れるから、もうそんなに長い休みは取れないね・・・。

年が明けての年中行事は初売や初荷。
消防関係者の出初式なんてのもあるのだ。
デパートの初売、中でも福袋はもはや風物詩となっているよね。
今では正月2日からが当たり前なのだ。
かつては官公庁と一緒で、三が日は休むのが当たり前で、下手すると松が明けるまで休み(=7日まで休み)も多かったのに、最近では元日しか休まないことも多いのだ。
便利だけど、正月らしいゆったりとした雰囲気はもうなくなりつつあるよねorz

郵便業界は年賀状の配達があるから、元旦の朝早くから配達出発式というのをやっているのだ。
実際には大晦日から徹夜で準備しているんだろうけどね(笑)
その代わり、郵便関係は2日がお休みなんだよね。
年賀状は元日の次は3日に届くのだ。
2日は何曜日だろうと、いくらポストを見張っていても年賀状は入ってこないよ(笑)

2012/12/19

世界はまだ、生きているか?

とうとうやってきたのだ!
その名も「イヤー・ゼロ」。
なんでも、マヤ暦では、2012年12月21日で暦が終わるとしていて、地球の滅亡を予言しているんだそうだよ。
いやあ、まいったなぁ(笑)
1999年の年末も、ノストラダムスの予言だとか、コンピュータの2000年問題だとかいろいろあったけど(その組み合わせで、コンピュータの誤作動で全面核戦争に、なんてのもあったっけ。)、今回も世界中で騒いでいる人がいたみたいだね・・・。

マヤ文明は、中米に栄えていた文明のひとつで、巨石建築で知られるのだ。
チチェン=イツァーの遺跡なんかは世界遺産にも登録されているよね。
その特徴は、青銅器や鉄器などの金属器を持たず、太陽信仰に基づく生け贄の儀式が盛んに行われていたこと。
そして、それより注目したいのは、天文学と数学が発達していて、かなり正確な暦を作っていたということなのだ!
一時期はグレゴリオ暦より正確、なんて話もあったけど、実際にはそこまでではなかったみたい。
でも、肉眼で太陽と星を観測するだけで暦と実際の季節のずれを相当正確に計算していたみたい。
これが都市伝説のもとにもなっているんだよね。

マヤ文明については、あまり文書は残っていないものの、遺跡にたくさんの石碑があって、そこから歴史や文化を知ることができるのだ。
暦のことがわかったのもそれで、石碑の文を解読して、マヤの人々が暦年をどこまで正確にはあくしていたかが判明したんだよ。
で、それを読み解く中で、マヤの暦には地球の公転(太陽の運行)をもとにした約360日周期のほかに、儀式などに関係する13と20を組み合わせた暦が存在していたようなのだ。
太陽暦の方はハアブ、儀式暦(神聖暦)の方はツォルキンと言うんだって。

さらに、紀元前3114年に置かれた基準日から、この太陽暦と儀式暦を組み合わせたさらなる長周期の暦が考えられていて、それは長期暦と呼ばれているのだ。
マヤ文明で歴史的なことを記述するのに使われていたようで、石碑や壁画などに現れるんだ。
これのおかげでマヤ文明の年代決定はけっこう簡単にできるみたいだよ。
この長期暦は20進法になっていて、1日=1キン、20キン=1ウィナル(20日)、18ウィナル=1トゥン(~1年)、20トゥン=カトゥン(~19.7年)、20カトゥン=1バクトゥン(~394.3年)、20バクトゥン=1ピクトゥン(~7885年)、・・・となっているんだ。
(太陽年と合わせる関係で途中で1回だけ20進法から外れるところがあるのだ。)

これは単なる時間の数え方に過ぎないんだけど、マヤの現存している暦では、「第五の太陽」(今の時代)は、13バクトゥン(5125年あまり)続く、となっているんだって。
これがどこから数えるかよくわからないんだけど、さっきの長期暦の基準日から計算すると、だいたい2012年の冬至付近(12月21日~22日)になるそうなのだ。
で、ここから、マヤ暦では、これ以降の歴史を想定していない=>世界が終わる、ということにつながっていったみたい。
実際には、ずれた日付で計算されている例もあるんだけどね(2011年10月28日だから、もうとっくに過ぎているけど。)。
もともとある終末論と合わさって変な感じになっているけど、マヤ文明では一切世界が終わる予言はしていなくて、マヤ文明の末裔とされるホピ族の予言なんて言われているけど、それも眉唾みたい・・・。
ま、ノストラダムスの予言と同じように、終末論大好きな人が世界が滅亡するようにしたかっただけなんじゃないかな。
さらに、最新の研究の結果、マヤ人は少なくとも20バクトゥン=1ピクトゥン=約7885年くらいの暦は計算していたようなので、まさしく基準日から5000年程度で終わるとは考えていなかったこともわかっているのだ。

というわけで、まだ世界は続きそうだね(笑)
ちなみに、かの高名な雑誌「ムー」でもこのマヤ暦の特集をしてあおっていたけど、しっかり来年号の宣伝もしているから、きっと大丈夫だよ。
きっとオカルト関係者は次の終末論を探しているのだ。

2012/12/15

たたいて、耳を澄ませば

中央道の笹子トンネルの崩落事故は大きな波紋を生み出しているね。
同じくらいの時期に行われた公共工事全体の健全性や、その胃jきかんりの安全性疑問が持たれているのだ・・・。
建設ラッシュになったバブル期の質の悪いコンクリートには海砂が使われているのでもろくこわれやすい、なんていうけど、多少コストはかかっても、人命優先できちんと調べ直してほしいものだよ。
検査自体が「ずさん」に行われていた、なんていう疑惑もあるのだけど・・・。

今回話題になった検査が「打音検査」。
非破壊検査のひとつで、専用のハンマーでたたいて、その反響音で見えない内部の様子を探る手法なのだ。
ニュースなんかで試しにやっていたけど、音が違うな、というのはわかっても、それがどういう理由でそうなっているのかがわかるようになるまでには熟練がいるだろうね。
実はトンネルだけじゃなく、橋梁や建造物など、非破壊で内部の様子を知りたい場合によく使われているみたいなのだ。

たたいて調べる、といううのでボクがすぐに思いつくのは缶詰の工場。
「打検士」という特殊なスキルを持った職人さんたちがいて、パチンコ玉大の金属の玉がついた棒で缶詰をたたいて、不良品を見分けているのだ。
昭和51年以降は資格試験が実施されていないので、どんどん減ってきているらしいけど・・・。
缶詰の場合は、ベルトコンベアーにX線による非破壊検査を入れればいいので、今はそっちにシフトしてきているんだろうね。
でも、今でもたたいて調べている工場もあるのだ。

缶詰の場合、中に大きな空隙があったり、異物が混入していたりすると、たたいたときの反響音が変わってくるのだ。
その原理はいいし、おそらく、素人でも時間をかけて何度もたたいて音を比べてみればわかるのかもそれないけど、プロはベルトコンベアの上を流れて来る缶詰を次々とたたいて、「異音」がする缶詰だけを除いていくのだ。
実際に開けてみると、果たして、中身が半分しか入っていなかったり、異物が混入していたり、実がなくて液だけだったりするみたい。
X線だと画像で見られるので、便利は便利だよね。
ただし、魚群探知や海底の地形把握にも音波の反響音をソナーで見ているんだけど、これは画像化できているから、自動でたたいて反響音で分析するような装置を作れば、缶詰の打検も画像化できないわけじゃないはずなのだ。
ま、無理してやる必要がないだけだろうけど(笑)
(缶詰の中身が放射線の影響を受けるようなものの場合なら需要はあるかな?)

で、トンネルなんかの打検も原理は同じで、たたいてみると、ボルトが緩んでいたり、中でボルトが割れていたり、あるいはコンクリート内部に亀裂が入っていたりすると反響音が変わってくるんだって。
一般に、健全な状態だと高くすんだ音がするけど、中に異常があると鈍く低い音がするそうだよ。
ま、そんなこと言っても、これは経験を積んで覚えるしかないわけだけど。
げんりてきには、X線や電磁波(遠赤外線とマイクロ波の間のテラヘルツ波など)、中性子線などを使って非破壊検査をすることもできるけど、ポータブルなよい機会がないことが問題。
人の手でやると、人が潜り込めるスペースがあれば検査できるのが魅力だよね。

反響音については、イメージ的に管楽器を思い浮かべるとよいのだ。
管に穴が開いていて、その穴をふさぐことで音の高低を変えられるよね。
誰もが通る道であるリコーダーで考えると、穴を全部ふさぐと低い「ド」の音になって、最上部の裏と表の2つの穴だけふさぐと「シ」の音になるのだ。
これは穴をふさぐことで「共鳴管」の長さを変えているんだよね。
共鳴管が長くなると、共鳴波長が長くなる(共鳴周波数が低くなる)のでより低い音になるし、共鳴管が短くなると逆に高い音になるのだ。

おそらく、打音検査も同じで、内部に亀裂が入っていたりすると、通常許容されている隙間より大きな隙間がコンクリート内部に発生していて、共鳴する空間が広くなるから、より低い音で共鳴するはずなのだ。
ボルトも、緩んでいるとその分ボルト穴に隙間ができて、共鳴空間が広くなるんだよね。
トロンボーンのように共鳴管が長くなって低い音がするのだ。
その他、均一な構造ならしないはずの雑音も発生するはずだよね。

原理的にはよくわかるんだけど、実際にトンネル内で作業していて音を聞き分けるのはまた難しいんだろうなぁ。
どれくらいのポイント数で調べればいいかという問題もあるしね。
なかなか奥が深いのだ。
これも熟練の技だろうから、しっかり検査を継続しつつ、後継者を育てていかないと。

2012/12/08

太陽系を越えて、無限大の彼方へ

最近ニュースで知ったんだけど、米国の探査機ボイジャー1号が太陽系の「へり」を航行していて、まもなく太陽系を脱出するらしいのだ。
ここで言う「太陽系」というのは、太陽風の影響が及ぶ範囲のことで、その外側に行くと星間物質のみで構成される宇宙空間になるよ!
これこそまさに未踏のフロンティアなんだけど、そもそもどこまで太陽風が来ているのかもわかっておらず、思ったより太陽系が広くってまだ出られていない、っていうのが米国航空宇宙局(NASA)の発表なんだよね(笑)

ボイジャー1号が現在飛んでいるあたりはへリオポーズと呼ばれる領域。
ここは太陽風(太陽から出ている超高温で電離したプラズマ)と星間物質が混じり合っている領域で、境界面にあたるそうなんだ。
身近な例で言うと、河口付近の汽水域みたいなものかな?
太陽から発せられる太陽風は、外側に行けば行くほど薄まって弱まっていくけど、星間物質と衝突したり、星間地場で減速されたりして、やがて速度がゼロになる=太陽風が止まる地点があるのだ。
そこが末端衝撃波面。
そこから先は星間物質と太陽風が混ざり合う領域のヘリオシース。
完全に混ざり合って均一な状態になっているのが今いるへリオポーズ。

へリオポーズは太陽の周りにあって、太陽と一緒に銀河の中を公転しているんだけど、このへリオポーズが公転する際に星間物質と衝突して、バウショックと呼ばれる衝撃波面が形成されるのだ。
これが正真正銘の太陽系の境界面で、この先に行くと、太陽からの磁場の影響がなくなり、星間物質からの磁場の影響のみを受けるようになるので、磁力線の向きが変わるはずなのだ。
なので、その時点で太陽系を脱出したかどうかがわかるらしいよ。
ただし、バウショック自体も100~1000kmくらいの厚さがあると考えられているので、ある一瞬を越えるといきなり磁場の向きが変わるということではないみたい。
いずれにせよ、ボイジャー1号は太陽から最も遠いところにある人工物なのだ!

もともとボイジャー計画は惑星探査計画であるマリナー計画の一部として始まったもので、たまたま惑星の配置がよく、木星・土星に行くついでに天王星、海王星にも寄れる可能性があったことから、より遠くの外惑星を探査することも視野に入れて計画されたのだ。
後にも先にも天王星や海王星の画像を撮ったのはボイジャーだけだよ。
この計画では、マリナー計画に引き続き、惑星の重力をうまく使ってか減速するスイングバイ航法が採用されていて、それによって木星を越えてさらに航行することが可能となっているのだ。
ボイジャー計画では、1号と2号の2つの探査機が昭和52年(1977年)に打ち上げられ、以来ずっと宇宙を旅しているんだよ。
両方とも750kgくらいの大きさだから、はやぶさとあんまり変わらないんだね。

でも、はやぶさの場合は太陽電池搭載で、太陽光発電で電力をまかなっていたけど、ボイジャーはそうではないのだ。
通常太陽光発電で電力がまかなえるのは火星と木星の間の小惑星帯くらいまで。
がんばれば木星あたりでもいけるらしいけど、その先の土星となるともう光が弱くなってしまってだめなのだ(>o<)
そこで、さらに遠くに行くボイジャーに採用されているのは原子力電池。
プルトニウムが熱源として搭載されていて、アルファ崩壊するときに出てくるアルファ線が吸収されるときに出てくる熱を熱電変換素子で電気に変えているのだ。
発電効率は悪いのだけど、長期間にわたって安定的に電力を供給できるんだよね。
どうしても火星より先に探査機を飛ばそうとすると必要な技術なのだ。

この電池は、打上げが失敗すると放射性物質がばらまかれるおそれがある、という大きなリスクがあるのだけど、電源としては優れもので、ボイジャーも2020年くらいまでは観測したデータを地球に送るくらいの電気がまかなえるらしいのだ。
ということは、50年くらいもつんだね。
ちなみに、地球から一番遠いところ、太陽から約180億km離れたところにいるのだ。
すると、地球と通信するだけで片道13時間超。
実は、携帯電話より弱いくらいの電波を出しているだけで、地上の超大型アンテナでその微弱な通信電波を補足しているんだとか。
ちなみに、太陽から最も近いとされる恒星はケンタウルス座のアルファ星で、太陽から約4.37光年の距離なんだけど、今のスピードで飛び続けても、ボイジャーが到達するには8万年以上かかるらしい・・・。
宇宙って広い!

現在は太陽系脱出ミッションになりつつあるボイジャーだけど、もともとは外惑星探査ミッションで、初めて天王星や海王星の鮮明な画像を撮ったり、木星・土星の新しい衛星を発見したりと大活躍。
それが、ろくにコンピュータもない、1970年代に開発されているんだからすごいよね・・・。
2号の方はトラブルもあったみたいだけど、まだ現役でデータを送っているんだからすごいよ。
日本ではちゃんと帰ってきて「おつかい」を果たしたはやぶさが人気だけど、ボイジャーも別次元ですごいのだ!
太陽系の外側がどうなっているのか、ボイジャーが教えてくれる日も近いよ♪

2012/12/01

命がけの交流

最近、井上靖作「天平の甍」を読み始めたのだ。
入唐した留学僧が、日本に正式に戒壇を設置し、戒律を伝えるために、鑑真和上を招来した話だよ。
淡々と書かれているんだけど、これがなかなか興味深いのだ。
鑑真和上の渡日以降、日本でも正式に受戒が行えるようになり、仏教がさらに交流していくことになるのだ。
その後、戒壇院設立でもめて頼豪阿闍梨が妖怪の鉄鼠になった、なんて話も出てくるのだけど・・・。

遣唐使は、遣隋使に引き続き、大和朝廷が大唐帝国に国使として使者を送るとともに、留学生を送り込んで最新の技術や文化を学ばせるためのものだったわけだけど、中国側からはあくまでも「朝貢」とみなしていたんだよね。
日本は対等の立場で国使をやりとりしていた、というスタンスだったのかもしれないけど。
で、通常朝貢は年1回が原則なんだけど、日本の場合は海を隔てていて遠いこともあり、20年に1度で言い、と言われていたのだ。
ただ、日本側としてはパイプも作っておきたいし、最新の情報もほしいので、それより高い頻度で送っていたみたい。
数え方はいろいろあるようだけど、だいたい十数年に1回の頻度。
これだと少ないようにも思えるけど、実際には身命を賭した航海が必要だったし、莫大な費用もかかるので、けっこうすごいことだと思うよ。

遣唐使船として使われていたのは、西洋式の竜骨が中央にある船ではなくて、東洋式の「ジャンク船」と呼ばれる船に似た箱形の船だったようなのだ。
大きな箱が海に浮かんでいるイメージ。
非常に不安定な船で、強風や波浪に弱かったと考えられているのだ。
宋代以降のジャンク船は技術も発達し、同時代の西洋船舶より優れたところもあったんだけどね・・・。
この当時の日本では、百済から伝わったと思われる技術で独自の様式で作っていたようなのだ。

大きさは、幅7~9m、長さ30mほどの船で、通常は100~150名が乗り込んで、4隻で出港したのだ(当初は1~2隻だったみたいだけど。)。
造船技術の問題もあるけど、航海技術も未熟ということもあって、すべてでなくてもどの船かが到着できればいい、というリスク回避の意味もあるのだ。
乗り込んでいたのは、国使であるところの大使や副使などの官僚のほか、船を航行させる技術者や水夫(かこ)、訳語(通事)、船大工、医師・薬師、陰陽師(主に吉凶の占いを担当)、鋳物師・画師などの職工などが乗り込み、留学生や留学僧が加わっていたみたい。

留学組で有名どころだと、阿倍仲麻呂、吉備真備、空海、最澄なんかだけど、歌人としてもメジャーな山上憶良も行ったことがあるみたい。

遣唐使の派遣が決まると、派遣する人(留学生・留学僧を含む。)を決めるとともに、大型船の建造が始まるんだよね。
朝廷が命令して各国に作らせるので、大きさと形状はだいたい同じでも、船自体は4隻ともばらばらだったようなのだ。
この準備に数年かけ、いよいよ出港となるわけだけど、中国側からは「朝貢」と見なされていることもあり、年賀(旧暦)の祝賀に参加するべく、夏前に出港することが多かったようなのだ。
2~3ヶ月かけて海路を行くんだけど、まさに台風シーズン。
基本は暴風雨に見舞われることになるんだよね・・・。
もともと、もっと多くの人を連れて行きたい、もっと多くのものを持ち帰りたいと積載オーバー気味だったこともあり、転覆しやすかったようなのだ。
まさに命がけで渡っていったんだよね。

もともと遣唐使船は、大阪の難波津を出た後、瀬戸内海を航行し、福岡から朝鮮半島西側沿岸を通って遼東半島・山東半島に向かっていたらしいんだけど、任那日本府が消滅し、新羅が朝鮮半島を統一してからは日本はまったく半島に足がかりがなくなったので、この航路がとれなくなったのだ。
この北路だと途中で何度も朝鮮半島沿岸部で碇泊・補給できるし、安全なルートだったんだけどね・・・。
そこで考え出されたのが危険な南路。
福岡から五島列島に出て、そのまま東シナ海を横断、中国の蘇州当たりを目指す、というものなのだ。

東シナ海は、春夏に西南の風、秋冬に北東の風が季節風として吹くので、通常は秋冬に大陸に向かい、春夏に帰ってくるのがよいのだ。
帰りは対馬海流もあるので、順風であればわりと安全に航行できるはず。
ところが、出発が夏前なので、まさに逆風の中を進むことになっていたんだ。
順風や凪になるまで碇泊し、ちょこっと航行して、暴風雨や強い波浪に耐えながら中国まで漂着する、という感じだったみたい。
風向きが悪いと、更に南の奄美諸島を通ったルートもあったみたい。
当時は羅針盤もなく、星を見て方角を定めているだけだし、航海技術も未熟なので、ねらった港に行き着くことはほぼ不可能で、なんとか近辺にたどり着ければ御の字だったのだ。
場合によっては、もっと南のヴェトナム(チャンパ)やインドネシアに行ってしまうこともあったみたい。
なので、中国にうまく辿り着けた場合は、その地の役人に自分が国使であることを伝え(長汀からの信書などを見せる等々)、陸路で長安又は洛陽に向かったようなのだ。

平城遷都1300年記念の時には平城京跡に遣唐使船が復元されたみたいだし、上海万博に併せて、実際に海を航行する遣唐使船が復元されるプロジェクトもあったみたいだよ。
ボクもちょうどそのころ、ゴールデンウィークを活用して大阪に遊びに行っていて、天保山のアリーナに碇泊している遣唐使船を見ていたのだ!
この船は日本国内は自分で航行し、最後は貨物船に引かれながらだけど上海まで行ったみたい。

この遣唐使を終わらせたのは菅原道真さんだけど、実は最後の遣唐使大使に任命されているんだよね。
命の危険があるにもかかわらず、当時の唐は衰退し始めていて、すでに危険を冒してまで施設を送る必要はないのではないか、ということで終わらせたのだ。
きっと自分も行き着く気がしなかったんじゃないかな?
全船が往復できることはまずなく、行きや帰りで何名も亡くなっているからね・・・。
それに、文化・技術の交流という点では、すでに民間ベースの交易もあったみたいだし(こっちは季節風をうまく使って行き来できるので比較的安全。)、わざわざ国の使節として送る必要性は乏しくなっていたんだろうけど。

それにしても、当時のことを考えると、感慨深いよ。
中国大陸は文明の頂点にあって、そこに技術と情報を求めて命がけで人々が渡り、日本に持ち帰ったのだ!
今の日中関係はというと、なんだかなぁ、というところだよねorz
でも、中国には潜在力があるはずで、今は政治状況の問題もあっていろいろ難しいけど、やっぱりアジアを代表する大国だから、日本との関係は続いていくはずなのだ。
遣唐使を廃止したときのように、今現在も中国とのこれからのつきあい方を考えていかないといけないターニングポイントに来ているような気がするのだ。