2008/01/31

寒い時期には恋しい

寒い時期に恋しくなるのがあたたかい食べ物。
米国にいる身としてはおでんなんかが恋しいのだ。
コンビニでも売っているので、日本にいるときもよく寒い夜にちょっと買って食べたりしてたんだよね。
年末に日本人関係者で集まった忘年会パーティではおでんを作ってきてくれた人がいて、ひさびさでおいしかったのだ。

おでんは極めて珍しい煮物で、普通は煮物は自分の家で作るか、お総菜屋さんで買うかくらいしか選択肢がないんだけど、ファースト・フード的にコンビニや駄菓子屋なんかでも売っているんだよね。
それだけに日本人には身近な食べ物となっているのだ。
おでんの「でん」は田楽の「でん」で、田楽には串に刺した焼き田楽と(今でもこんにゃくや豆腐で作るよね。)、煮込み田楽があって、その煮込み田楽が発展したもののようなのだ。
女房言葉で田楽の「でん」に「お」がつけられ、「おでん」となったみたい。

田楽はみそをつけて焼いたり、みそで煮込むものだけど、江戸時代になって濃口しょうゆが発明されると、江戸近辺ではしょうゆ味で煮込んだおでんが作られるようになり、それが関西に伝わったそうなのだ。
それで関西ではおでんのことを「関東炊き」なんて言うんだよね(中国の煮込み料理に由来する「広東炊き」から発展したという節もあるらしいのだ。)。
で、関西では昆布の出しをきかせて濃口しょうゆではなくて薄口しょうゆを使うようになって、より透明感のある汁になったのだ。
でも、なぜか関東ではその後廃れてしまって、濃口しょうゆの濃い色のおでんはいったん姿を消してしまったそうだよ。
それが関東大震災の後、関西から来た救援の人たちが関東炊きを振る舞って、東京でもおでんが復活したんだって。
なので、今では関東でも汁の色は薄めなのだ。
濃い色のおでんは一部で残っていたり、当時の味が再現されたりしているらしいけど、ボクは薄い色の出しのきいたスープが好きなのだ。

おでんは軍隊のメニューに取り入れられたこともあてその後全国展開をとげるのだ(これはカレーや肉じゃがが広まったのと同じだね。)。
で、各地でいろんなアレンジが加えられるようになり、具も共通で入っているようなものだけでなく、地域色のあるものが使われるようになったのだ。
やっぱり関東ではしょうゆをきかせるので少し汁の色が濃いし、愛知では八丁みそが入っていたりするのだ。
関東近辺のおでんのみで見られる具は小麦粉を塩と水で練ってから蒸して作る「ちくわぶ」。
それ自体は味が全くないものだけど、汁を吸わせてやわらかくなったところを食べるのだ。
ボクなんかも好きだけど、他の地域の人にはあんまり知られていないんだよね。
それと、むかしはなるとも入れていたらしいのだ(静岡の焼津では今でも標準で入っているらしいけど。)。
おそ松くんに出てくるチビ太のおでんの一番下の部分はもともとはなるとらしいよ。

一方、関西では牛すじなんかが入っていて、より濃厚なスープになっていたりするのだ。
静岡では名物の黒はんぺんを入れたりするけど、おでんに「だし粉」と言われるイワシの削り節をかけたりするんだよね。
愛知では味噌味なので同じ具でもまた味がかなり違うのだ。
沖縄では豚足なんかも入れるらしいよ。
でも、こうなるともう何が標準のおでんかはわからなくなっていて、こんにゃくや大根、玉子などの具をだしをきかせたスープで煮込んだ料理としか言いようがないのだ。
それでも、これは「おでん」だとなんとなく認識できるから不思議だよね。
きっと海外の人には同じ料理とは思われないだろうけど。

2008/01/30

政府の基本方針

昨晩、両院合同会議の場でブッシュ大統領による最後の一般教書演説(State of the Union Address)が行われたのだ。
これは大統領(行政府)から議会への予算要求である予算教書(米国は予算案の作成権は議会しか持っていないので、あくまでも行政府はこうしたい、というものに過ぎないのだ。政府が予算案を作れる日本とは仕組みが少し違うんだよね。)と、大統領が議会に経済報告を行う経済教書と並んで三大教書と呼ばれるものなんだよね。
その中でも、政府の抱える主要な政策課題とその対処方針を述べる一般教書演説は特に注目が集まるものなのだ。
今年の場合、ブッシュ政権では最後となる一般教書演説だったんだけど、大統領選の候補選びの方が盛り上がっていて、あんまり注目されていないんだけどね・・・。

合衆国憲法の規定では、米国の大統領は議会への出席権を持たないんだけど、その代わりに文書(message)の形で議会に意見を表明することができることになっているんだって。
それに基づいて上下両院の特別な招待のもとに大統領が招かれて、口頭で演説するのが慣習化したのが一般教書演説のようなのだ。
なので、別に必ず演説しなきゃ行けないというものではないみたい。
一般的には1月の最後の火曜日に行われることが多いそうだよ。

なんと、初代大統領のジョージ・ワシントンさんの時代からの慣習だということなのだ。
でも、1801年から1913年までは憲法の規定どおりに文書で意見表明するだけになっていたんだって。
それを第28代のウッドロウ・ウィルソン大統領が復活させ、第30代のカルビン・クーリッジ大統領からはラジオ放送が、第33代ハリー・トルーマン大統領からはテレビ放送が行われるようになったんだって。
こうして一般の人の目にも触れやすくなったからより注目されるようになったんだよね。

で、この一般教書演説は上下両院の議員の前で行われるんだけど、副大統領もその他の政府の要人もみんな出席するのだ。
でも、そうするともしその場をテロか何かで攻撃されたときに大統領継承権を持つ人がみんな死んでしまう可能性があるので、継承順位第3位の上院仮議長(上院の名目上の議長は副大統領で、実質的に議長職を務めるのが仮議長なのだ。)は安全な場所に待機していることになっているんだよ。
大統領継承権のある政府高官(○○省長官)も同じように待機組で、最近では両院の各党の議員が一人ずつ「指定生存者」として欠席し、やっぱり待機しているんだとか。
日本の場合は国会に全員が集まっているときに国会議事堂がテロにあったらどうするのかな?

大統領による一般教書演説はプレスリリースでもわかるとおり、大統領の政策に賛成する場合は拍手が起こるのだ(それが「applause」の部分だよ。)。
でも、反対するときは拍手を控えるだけで、日本の国会のようにヤジを飛ばしたりはしないみたい。
入場の時も拍手で迎えるなどかなり友好的な雰囲気なんだって。
なんだかそういうところって日本の国会も見習うべきだよね。
日本では国会の開会の時は天皇陛下が臨席するからという理由で社民党や共産党は出席するのを拒否しているし、基本的には野党は欠席する慣習だけど、それとは大違いだね(笑)

これとにたようなものが、日本の内閣総理大臣による施政方針演説。
通常国会の開会の時に両院でそれぞれ行われ、後日、各会派の代表者1名ずつから代表質問がなされるのだ。
この施政方針演説の後には外務大臣による外交演説、財務大臣による財務演説、経済財政政策担当大臣による経済演説が続いて四大演説なんて呼ばれるんだよね。
代表質問はこの4つの演説で述べられた政府の1年の基本的な政策の方針に対してなされるんだよ。

日本の場合は憲法や国会法に明確な規定はなくて、本当に慣習としてのみやっているみたい。
でも、明治23年(1890年)に開かれた第1回帝国議会で山縣有朋首相が行って以来の慣習らしいので、本当に最初期から行われているものなのだ。
トラブルがあったり例外もあるらしいけど、これまでずっとやってきていて、ここが与党と野党の政策を戦わせる一番重要な場ともなっているんだよね。
ヤジを飛ばしたり怒鳴ったりと米国に比べてかなり野蛮なところもあるんだけど。

2008/01/29

麺を焼く

うちのはお好み焼きが食べたくなって買ったソースが置いてあるのだ。
米国では「揚げ物用ソース(Stir Fry Sauce)」として売られていて、日本のものよりちょっと酸味が強いかも。
で、ときどきこのソースを使って、パスタを炒めた焼きそばもどきを作るのだ。
そんなに違和感はないんだよね。
それなりのあじになるんだよ。
紅ショウガと青のりがないのがさみしいくらいなのだ。

焼きそばはもともと中国の炒麺が五目焼きそばとして日本に導入され、さらにそれが日本風にアレンジされてできたようなのだ。
中国の麺を炒める料理の炒麺はそれこそバリエーションがたくさんあっていろんなものがあるらしいのだ。
これは日本以外にも広まっていて、ベトナムや台湾の焼きビーフン、タイのナシゴレンなどはみんな焼きそばの仲間だよね。
日本のそばやうどんは汁物にするか、つゆにつけて食べるかしてなくて、汁がないけどあたたかい炒めた麺という発想はなかったんだよね。
なので、改めて中国の炒麺が導入されたわけ。

いわゆる五目焼きそばには2種類あって、普通にゆでた麺を炒めて具入りのあんをかけているものと、揚げた麺に具入りのあんをかけているものがあるのだ(あんかけでなくて、具と一緒に炒めているようなものもあるけどね。)。
後者の場合は一般にはかた焼きそばと言われるよね。
長崎の皿うどんは麺がかなり細いけど、このかた焼きそばに近い焼きそばなのだ。
なぜかチャンポン麺を揚げたものではないんだよね。
ボクはかりかりのかた焼きそばが上からかけたあんで少しふやけているのが好きなんだよね。

これが日本風にアレンジされて簡便に作られるようになったのがいわゆる焼きそば。
現在の一般的なイメージだと、キャベツともやしが入っていて、それに麺を加えてウスターソースで味付けしてあるものが思い浮かぶよね。
でも、もともと関東ではしょうゆ味の焼きそばが主流で、ソース焼きそばは関西のものだったんだって。
それがいつの間にかソース味が全国的に広まって、焼きそばというとソース味になったようなのだ(ソース味じゃない焼きそばがなければソース焼きそばとは呼ばれないよね。)。
でも、いまだにソース焼きそばとも言うことがあるから、名残は残っているんだけどね。
最近ではこれがさらに日本風にアレンジされて、うどん玉を使った焼きうどんもあるよね。
焼きうどんの場合はまだしょうゆ味がかなり残っているのだ。
ボクはしょうゆ味の焼きうどんが好きで、熱々のうちに鰹節をかけるのが好み。

で、焼きそばといえば静岡の富士宮。
静岡の名物はもはや、清水港の「お茶の香りと男伊達」や、みかん、干物なんかだけじゃないんだよ。
最近では富士宮焼きそばと焼津の黒はんぺんが加わるのだ!
ちなみに、焼津では伝統的におでんになるとが入っていることでも有名だよ。
この富士宮焼きそばの特徴はなんと言っても麺で、いわゆるゆで麺じゃなくて、蒸した後に油でコーティングする蒸麺法という製法で作られてものだそうだよ。
とにかく強いコシが魅力ということなのだ。

もともと富士宮ではこの焼きそばが広く食べられていたんだけど、注目をされるようになったのは90年代。
何か町おこしにつながるものはないかと探していたところ、富士宮出身の人は他の地域の焼きそばがおいしくないと感じていることがわかって、さらに、どうも富士宮は焼きそばの消費量がものすごく多いことがわかったそうなのだ。
で、これは使えると宣伝をするようになったわけ。
2006年にはB級グルメで争われるB-1グランプリで優勝し、一気に全国区に名をとどろかしたのだ。
ボクは母方の実家が静岡なので静岡にはそれこそ何度も行っているし、富士宮も何回か行ったことがあるんだけど、まだこのやkそばは食べたことがないんだよね・・・。
今度機会があったら挑戦してみないと!

2008/01/28

完熟ガス

ボクは毎朝バナナを食べているんだけど、真っ黄色に完熟した甘く、とろりとしたものよりも、まだちょっとかたさが残っていて、少し酸味があるような青いものが好きなのだ。
でも、バナナって放っておくと黄色くなって、さらに置いておくと茶色くなっちゃうよね。
これは別に腐っているわけじゃなくて、熟成が進んでいるのだ。
バナナは通常青いうちに収穫して低温の倉庫で保管しておくんだけど、それがお店屋さんに並んで常温にさらされると、徐々に熟れてくるという仕組みなのだ。
※日本では特に検疫上の理由から未成熟のバナナしか輸入できないので、必ず後で成熟させるのだ。

で、この時に活躍しているのがエチレンガス。
エチレンガスはH2C=CH2という化学式の単純な物質だけど、これが植物の世界ではホルモンとして使われているんだよね。
工業的には石油由来の炭化水素を高温で熱分解して作るんだけど、植物の中では硫黄を含むアミノ酸のメチオニンから作られるようなのだ。
植物の中では一般に成長促進ホルモンとして使われていて、花芽の形成なんかを促すそうだよ。
で、バナナなどの果実の成熟(色づきや軟化)も促すのだ。
この作用はエチレンが細胞壁を壊すセルラーゼという酵素に関与していて、細胞壁が壊されることで実がやわらかくなって、葉緑素も破壊されて緑色から別の色素の色(赤とか黄色)になるようなんだ。

バナナは自分でエチレンガスを出していて、これは低温にすると放出が抑制できるので、出荷する前は低温にした倉庫で保管するのだ。
むかしは真っ青なバナナを収穫して、それを船で運んでいる間に熟成させたみたいだけどね。
今では出荷前にエチレンガスをかけて、おいしく熟れたところを出荷するんだって。
これを追熟というのだ。
追熟させないで自然に熟成したものはあんまりおいしくないんだそうだよ(>_<)
で、果物の中で多くのエチレンガスを放出するので有名なのがリンゴ。
リンゴの近くにバナナを置いておくとすぐに黄色く熟れてやわらかくなってしまうのだ。
でも、じゃがいもなんかに対しては目が出るのを抑える働きもあるみたいだよ。
リンゴを置いておくときは、バナナからは離して、じゃがいもの近くに置くべきなんだね。

で、バナナを長期間保存したいときは、実はエチレンが重合したポリエチレンの袋に入れておくとよいらしいのだ。
バナナは房ごと保管すると自ら出すエチレンでどんどん熟れていってしまうので、一本ずつ分けてポリエチレンの袋に入れ、空気を抜いておくのがよいらしいよ。
でも、房ごと入れてしまうと、かえってエチレンガスが大量にこもってしまうので早く成熟してしまうのだ。
ま、青いバナナを早く食べ頃にしたいときはそれを使うとよいのかもしれないけどね。
ちなみに、ポリエチレンの袋に入れることとエチレンガスの関係はあまりないみたいで、ポリエチレンの袋からエチレンガスが出ていたり、逆にエチレンガスを吸収するというわけではないみたい。
ただ単に房で隣り合っているバナナから出ているエチレンガスを遮蔽しているだけのようなのだ。

単分子だと成熟させる作用があるのに、やっぱり重合して合成樹脂になってしまうとそういう作用はなくなるんだね。
逆にポリエチレンからエチレンが出ているようだとどんどんポリエチレンが壊れていくということだから、そういうものだったら今のようには使われていないよね。
よい意味でも悪い意味でも分解しづらく丈夫なのがポリエチレンの特徴だからね。

2008/01/27

寒い時期には魅力的だけど・・・

DCは東京よりはるかに寒くて、もともと夏の土用の生まれで寒さが苦手なボクにはつらいのだ(>_<)
上半身はいくらでも着込めるのでましなんだけど、顔は冷気にさらされているので寒いというより痛いくらいになるし、下半身も基本的には下着とズボンと靴下だけで、それ以上は身につけていないので寒いのだ。
こんな時にふと頭をよぎるのが「ももひき」の存在。
なんだかももひきをはくようになると一線を越えておじさん街道まっしぐらになりそうで抵抗感があるのだ・・・。
まだスキー用のタイツくらいだったらイメージがよいんだけどね(笑)

「ももひき」はもともと「ももはばき」という言葉から転じたもので、「はばき(脛穿)」というのはすねに巻き付けてひもを結んで脚を保護するものなのだ。
いわゆる後世の脚絆(きゃはん)に当たるもので、つけていると歩行時の動作が楽になるんだそうだよ。
で、すねではなくて布をももに巻き付けるので「ももはばき」となったようなのだ。
江戸時代には時代劇で見るように商人や職人ははんてんを上着にして脚部が細くなったズボンのようなものをはいていたわけだけど(おしりの上で左右の股上が重なるようになっているのだ。)、これがまさに「ももひき」で、その後ズボンの下にはく男性用下着になったようなのだ。
むかしは下着ではなくて下衣=ズボンだったのだ!
洋服が普及するようになって下衣としては使われなくなったけど、防寒具として生き残ったというのはすごいことだと思うよ。

ももひきというとラクダのももひきが有名だけど、なんと、これは本当にラクダの毛を使っているものがあるんだって。
ボクはてっきり濃いベージュの色がラクダのような色だからラクダのももひきというのだと思っていたのだ。
ラクダの子どもの毛はとても柔らかくて保温性・保湿性に富んでいて、身につけていて気持ちいいらしいよ。
カシミアなみの毛織物になるそうなのだ。
ただ、ラクダの毛はあまりとれないので高級品で、流通しているのは羊毛(ウール)でラクダ色のものが主流のようだけど。

ももひきと同じようにズボン下としてはかれるのがステテコ。
バカボンのパパなんかはステテコだけで歩いているけど(笑)、本来は下着なんだよね。
ステテコは綿の平織りで、あまり肌に密着しないようにするのだ。
そうすることで通気性をよくして、涼しく感じるんだよ。
高温多湿な夏用の下着なのだ。
確かに脚に大量の汗をかくとズボンがくっついてしまって気持ち悪いけど、ステテコがあるとそれが防げるのだ。
ももひきと似たようなものだけど、防寒具ではなくて涼を求めるためのものなのだ。
でもでも、どちらにしてもまだまだ若者の仲間でいたいボクにはまだちょっと敷居が高いよ(笑)

2008/01/26

速効だよ

注射薬の場合は薬剤を直接静脈の中に投入するので効きが早いんだけど、それに匹敵するくらい早いのが座薬(坐剤)なのだ。
よく子どもが高熱を出すと解熱剤の座薬が処方されるけど、これは即効性があって、しかも、吐き気などの症状があっても大丈夫だからなのだ。
さすがに大人になると痔の薬以外ではおしりに使う薬はほとんど使わないけど(笑)、それでも口から飲む経口薬より効きがよかったりするので使われることもあるのだ。

経口薬の場合は、(食後に飲む薬の場合は)食べ物などと一緒に胃に入って、そこから小腸まで吸収されるのだ。
そもそも胃から小腸に行くまでにそれなりに時間がかかるので、即効性はないんだよね。
しかも、小腸で吸収された栄養や薬はいったん門脈という特殊な静脈によって肝臓に行くのだ。
肝臓では薬や毒の代謝を行っていて、せっかくの有効成分も肝臓で一部代謝されてしまって有効成分が少なくなるのだ(これを肝初回通過効果と言うんだよ。)。
酸に弱い物質だと胃酸でだめになってしまわないように工夫しないといけないし、経口薬は作るのがけっこう大変なんだよね。
でも、一番使いやすい形態なので、多くの薬はなんとか経口薬に使用とするのだ。

一方、坐剤の場合は直接肛門から直腸に入れるわけだけど、大腸では吸収された栄養や薬は直接静脈に載って全身をめぐるのだ。
肝臓も通らないので、初回通過効果もないんだよね。
大腸で坐剤が溶け始めて薬の成分が吸収されるまでのタイムラグはあるけど、注射薬には勝てないまでも経口薬よりは格段に早く効くのだ。
経口薬でも徐々に薬の成分が溶け出していく徐放剤というのがあるけど、坐剤だと溶けていく速度をコントロールするだけなので経口薬より簡単に徐放剤が作れるのだ。
強い吐き気があってものが飲み込めない状態だったり、味や臭いが悪すぎてとうてい口に入れられないようなものでも坐剤だったら使えたりというメリットもあるんだよ。
使うのには抵抗があるけどね(笑)

同じように早く聞くのが狭心症の患者さんが頓服(症状が出たときに薬を服用することだよ。)に使うニトログリセリンなんかの舌下錠という形態。
これは文字どおり舌の下に入れて徐々に溶かしていくんだけど、口の中の粘膜から薬の成分が吸収され、そこから静脈に入って全身を回るのだ。
上と下で違うけど、坐剤と同じ仕組みだよ。
でも、口の中で溶けて口腔粘膜から吸収されないといけないので使える薬は限られるんだよね。
同じように口の中で溶かす薬でトローチがあるけど、これは口の中やのどの粘膜に作用させるための薬の形態で、外用薬(ぬり薬)の一種という整理なのだ。
のどスプレーなんかも同じように外用薬なんだよ。
口の粘膜じゃなくて鼻の粘膜に作用させる点鼻剤というのもあるんだよね。
最近は花粉症の薬でよく使われているのだ。

でもでも、ぜんそくの薬の噴霧剤は外用薬ではなくて舌下錠に近くて、口やのどの粘膜から薬の成分を吸収させるものなのだ。
ぜんそくの症状が出て苦しいとついつい何度も噴霧してしまうんだけど、そうすると薬の量が多すぎて副作用が出ることがあるんだよね。
なので、なかなか使い方が難しい薬の形態と言われているのだ。

それにしても、一言で薬と言っても様々な形態があるんだよね。
この他にも軟膏や膏肓などの外用薬、目薬なんかもあるし、本当にバラエティに富んでいるのだ。
それぞれの薬の形態にはそれなりに使い方に理由があるので、きちんと使用上の説明をよく読んで、正しく使わないとね。

2008/01/25

コーヒーはどれで飲む?

米国ではとにかくよくおみやげでマグカップが売られているんだよね。
Tシャツと並んでノベルティ・グッズとしても定番なのだ。
これがまた大きくて、コーヒーカップ2杯分は確実にはいるのだ。
日本でもスタバで売っているマグカップは大きいけど、まさにそれが標準サイズなんだよね。

マグカップという言い方は和製英語で、英語では単純にマグ(mug)というのだ。
マグとカップをつなげると、「手ぬぐいタオル」と言っているようなものなんだよね。
取っ手もついた筒型の容器だけど、深さがけっこうあるので、コーヒーやホットミルクなどを飲むだけじゃなく、日本ではカップスープやカップ用インスタントラーメンにも使うよね。
米国でもマグ用のインスタントラーメンはコンビニなんかで見かけるのだ。
もっぱらコーヒーを飲むのに使ってるようだけど。

マグと同じような大きさでとってのないのがタンブラー。
もともとはカクテルなんかを飲むのに使っていグラスなんだけど、スタバで売っている再利用型のコーヒー容器もタンブラーだよね。
ようは、寸胴で取っ手がないとタンブラーになるのだ。
日本では陶器のタンブラーなんかも売ってたりするよね。
でも、普通は取っ手がないと直に熱が伝わってしまうので、あまり熱いものを飲むのには使われないのだ。
スタバのタンブラーは断熱されているから熱いものを入れても飲めるけど。

米国でもしゃれた感じのときにはコーヒーカップが使われるのだ。
レセプションとかホテルのラウンジ、レストランなんかではさすがにマグでがぶ飲みじゃなくてカップなのだ。
実は、コーヒーカップというくらいでティーカップとは形状が異なっていて、口が小さくてカップ側面の傾斜もなだらか(より寸胴に近い)なんだって。
これはコーヒーの香りが逃げないようにするためとか、コーヒーが冷めないようにするためなんて言われるのだ。
マグの場合はもっとそれが顕著で、冷めにくいし、口径も内容量に対してとても小さいよね。
欧米では「すすり」の文化がなくて熱いものが飲めないので、紅茶の場合は早く冷めることが重要なのだ。
なので、少ない量を入れて冷めたところを飲んで、また入れて、というのを繰り返すんだよ。
ただ、コーヒーは冷めると風味が落ちるので、より冷めにくくしているというわけなのだ。
でも、日本人と比べるとかなりゆっくりとコーヒーを飲むんだよ。
ボクなんかはすぐに飲みきってしまうけど(笑)

この頃は日本でも見かけるようになったけど、コーヒーカップの半分くらいの大きさの小さなカップがデミタスカップ。
これも和製英語で、デミ(demi)がイタリア語で半分、タス(tasse)がやっぱりイタリア語でカップの意味なので、またカップが重なるのだ。
デミタスカップは非常に濃く入れたエスプレッソ専用の容器なんだよね。
スタバで普通にエスプレッソを頼むと紙のカップの底の方に少しあるだけだからさみしくなるけど、デミタスカップに入れてもらうとそれらしく見えるんだよね(笑)

逆に大きいのがカフェオレ・ボウル。
大きめのお茶碗くらいの大きさで、丸くて取っ手がないのが特徴なのだ。
カフェオレが冷めたところですすらずに飲むんだよ。
口が広いので比較的早く冷める容器なのだ。
でも、米国のカフェオレ・ボウルは本当に大きくて、下手に頼んでしまうとおなかがたぷたぷになるよ(>_<)

欧米の飲み物の容器でおもしろいのは、日本のようにすすらなくて熱いものが飲めないので、それぞれ適温で楽しめるように工夫されているところなのだ。
でも、その代わり飲むものを変えるごとに器も変えなくちゃいけないから大変だよね。
米国では今は熱いものに関してはマグカップが万能に使われ始めているけど、やっぱり心の中では面倒だから統一したいと思っているんだろうね(笑)

2008/01/24

人間ではあんまり活躍してないんだよね

英語の本を読んでいると、いわゆる「付録」とか「補足」の部分は「appendix」となっているんだよね。
これはもともと「盲腸」やそこからぶら下がっている「虫垂」を意味する言葉で、まさに本体にぶら下がっているのでそう呼ばれるのだ。
よく盲腸はあってもなくても同じようなものなので外科手術で摘出してしまっても支障はないと言うけど、いわゆる盲腸という病気で炎症が発生していて切除されるのは虫垂の部分なのだ(なので「虫垂炎」と言うんだよね。)。
虫垂にはリンパ節が集まっているから炎症が起こるんだよ。
放っておくと腹膜炎になるので、薬で対応することもできなくもないけど外科手術で切除してしまうのが主流なのだ。

盲腸は大腸の一部で、十二指腸、空腸、回腸と続く小腸につながっている部分で、盲腸から先は上行結腸、横行結腸、下行結腸、直腸と続いているんだよ。
大腸では、腸内細菌による食物繊維の発酵と水分の吸収が主に行われているのだ。
小腸の場合は吸収された栄養素はそのまま門脈に入って肝臓を通って全身をめぐるので、小腸自体のエネルギーは動脈から供給されるんだよね。
でも、大腸の場合は細菌が分解して作った短鎖脂肪酸などの栄養素を吸収すると、それをそのまま自分のエネルギーにして、あまった分を全身に回すというシステムになっているのだ。
なので、組織標本なんかを見るとよくわかるんだけど、内部の構造がだいぶ違っていて、小腸は絨毛と呼ばれる細かい突起がたくさんあって、それで表面積をかせいでできるだけ多くの栄養を吸収するような仕組みになっているんだけど、大腸の場合はこの絨毛がなくてかなり平坦なのだ。
大腸は水分を吸収するのが本務で、ついで栄養素も吸収してあわよくばそれを使う、という思想なんだろうね。

で、まさに盲腸の部分で細菌による食物繊維の発酵が行われるんだけど、人間の場合は雑食で別に食物繊維から多くの栄養をとらなくても生きていけるのであまり盲腸が発達していないのだ。
でも、草食動物にとってはまさに死活問題なので、盲腸がとても長くて、特に重要な消化・吸収器官になっているんだよ。
同じネズミの仲間でも、主に植物をエサとするウサギやモルモットでは盲腸が発達していて長く、何でも食べるラットやマウスだと人間と同じようにあまり発達していないのだ(それでもけっこう大きかったりするんだけど。)。
ベジタリアンの人たちがベジタリアン同士でずっと結婚し続けると、ひょっとすると盲腸の長い人間に進化するかもしれないのだ(笑)
きっと数百年じゃきかない年月がかかると思うけど。

でも、この大腸での発酵というのは実はけっこう重要で、血が固まるときに必要なビタミンKなんかは腸内の微生物が作ったものを吸収して使っているんだよ。
納豆などの発酵性食品なんかにも含まれているけど、通常は腸内で作られたものを使っているのだ。
ビタミンだけじゃなくてメタンガスなんかも作り出すので、おならが臭くなる原因にもなっているんだけどね。
腸内細菌というとどうしても大腸菌を思い浮かべがちだけど、大腸菌は大腸で見つかったのでそう呼ばれているだけで、腸内細菌の中での比率は0.1%ほどととても少ないそうだよ。
むしろ乳酸菌なんかの方が多いのだ。
抗生物質を飲み過ぎると、本来必要な細菌が死んでしまって、有害だけど薬剤に耐性を持っている細菌が増えてしまったりして腸内細菌のバランスが崩れたりするのだ。
なので、あんまり抗生物質に頼りすぎるのもよくないんだよね。
おなかの健康を保つためには、よく食物繊維をとって、腸内細菌が発酵して栄養素を作れるようにして上げることが大切なのだ。

2008/01/23

しっとりともさもさ

今日は学校で同じく日本から来ている留学生(でもボクとは違ってきちんと大学院生として来ているのだ。)からおやつにカステラをもらったんだ。
やっぱり日本のカステラはしっとりしていて、甘さもまろやかでおいしいねぇ♪
こっちにも似たようなものにパウンドケーキがあるんだけど、ぱさぱさでもさもさしていてそんなにおいしくないんだよね。
材料もほぼ同じようなもののはずなのになんで違うんだろうと思って少し調べてみたのだ。

パウンドケーキは、小麦粉、バター、砂糖、玉子をそれぞれ同重量ずつ使うんだけど、基本的には1ポンドずつ混ぜ合わせるので「pound cake」と言うのだ。
材料もその辺にあるものだし、使う重さもみんな同じで量るのが楽なので、欧米ではもっとも一般的なケーキなんだよね。
パンはイーストで発酵させるけど、パウンドケーキの場合はベーキングパウダーを混ぜてふくらませるのだ。
バターを白くなるまでよく練って、そこに少しずつ砂糖を加え、あらかじめといておいた卵を入れて混ぜ、砂糖が溶けきったところでよくふるった小麦粉をまぜて焼くのだ。
よくドライフルーツやナッツを入れたりするんだけど、英国なんかでは焼き上げた後にリキュールの入ったシロップを表面にぬって、ラップなどに来るんで数日間熟成させたりするのだ。
そうするとしっとり感が出てぱさぱさ感が消えるんだよね。

でも、米国のパウンドケーキは焼いてあるだけのぱさぱさのものが多いんだ。
米国の場合、パウンドケーキにたっぷりと生クリームやホイップクリームをかけたり、紅茶やコーヒーにつけながら食べたりするので、ぱさぱさなのをあんまり機にしないようなのだ。
水分と一緒にとるからもさもさ感も気にならないみたい。
でも、米国のパンはかなりぱさぱさしたものが多いから、きっともともと唾液が多いとかそういう理由もあってぱさぱさしているのが好まれる傾向があるかもしれないのだ。

一方、カステラの場合は乳製品を使わないのが特徴で、小麦粉と砂糖又は水飴、卵を混ぜて生地を作るんだけど、ベーキングパウダーは使わないのだ。
代わりによく泡立てておいた卵に砂糖と小麦粉を混ぜ込んでいて、それでふんわり感を出しているんだ。
水飴を使うことでしっとり感も出していて、さらに砂糖の含有量も多いのでその等分が生地の中で蜜状になったり、メイラード反応でカラメル色になったりするのだ(ちょうど上下の焼き色のところだよ。)。
スポンジケーキはかなり似ているけど、ベーキングパウダーでふくらませているし、焼き色はつけないのだ
糖分も多くないよ。
さらにしっとりさせてシフォンケーキの場合は植物油を混ぜ込んでいるそうだよ。

カステラはスペインにあったカスティーリャ王国のポルトガル語発音の「カステーラ」に由来すると言われていて、南蛮渡来のお菓子を日本風にアレンジしたものなんだよね。
欧州のお菓子としては珍しく乳製品を使っていないこともあって日本に残ったようなのだ。
もともとは砂糖、卵、小麦粉で作ったパンに近い素朴なものだったらしいけど、それが徐々にアレンジされていって発展していったみたい。
長崎カステラの特徴といわれる水飴の使用は明治期になってから西日本で始められたと言われていて、これによって現在のようなしっとりとしたカステラとなったのだ。
やっぱりカステラはしっとりしていないとおいしくないよね。

こうしてみると、材料の違いは乳製品(バター)を使っているかどうかだけで、後は膨張剤(ベーキングパウダー)を使うかどうかの差なんだよね。
そんなところしか違いがないのに食感では大違いなのだ。
パウンドケーキでも砂糖の代わりに水飴を使って、ベーキングパウダーの代わりによく泡立てた卵を使うと、ふわふわでしっとりしたものができるのかな?
やっぱりバターが入っていると、ある程度さっくりしたものになってしまうのかな?
誰かお菓子作りが得意な人に試してもらいたいよ。

2008/01/22

垣根の垣根の

DCの冬は本当に寒いのだ(>_<)
最高気温が氷点下を越えないことがあるんだよね。
東京に住んでいた時代は考えられない寒さだよ!
もともと夏の土用の生まれで寒さに弱いボクとしてはつらいのだ・・・。
で、外を歩いているときに手袋をしていないとすぐに手がかじかんで感覚がなくなってくるのだ。
顔や首なんかの肌が露出しているところも寒さで痛いくらい。
米国にはパーカーがよく売られているんだけど、確かにパーカーのフードをかぶると耳は守れるので実用的なのだ。
日本ではフードをかぶっている人なんてまずいないと思うけどね(笑)

で、寒くなると手が赤くなって痛かゆくなるのが「しもやけ」。
寒さのために手足などの末梢器官で毛細血管が収縮し、血行が悪くなることで起こる炎症だそうなのだ。
むかしはお湯の出る水道なんかはなかったから、冷たい水で家事をするお母さん方は手が霜焼けになりやすかったんだよね。
最初はジンジンとむずむずするような感覚で、次第にかゆくなり、最後は痛くなるのだ。
これはもともと同じ痛覚神経が反応しているんだけど、程度が弱いとむずがゆく感じて、程度がひどくなると痛く感じるからなんだよ。
昼夜の温度差が激しいときに発症しやすいそうなんだけど、特に手足がぬれていると気化熱で熱を奪われてより冷えるのでなりやすいようなのだ。
なので水仕事をしているとなりやすいんだけど、冬に歩いていて足先に汗をかいたとき、靴下を変えずに放っておいてもその水分が蒸発していくときの気化熱が熱が奪われていくので注意が必要なのだ。
冬の時期はとにかく汗をかいたり、ぬれたりしたらよく乾燥させ、もんだりしてマッサージをすることで血行をよくするようにするのが大事みたい。

簡便な治療法としては、40度くらいのお湯と5度くらいの水に交互に患部をつけるのがよいそうだよ(お湯で始めてお湯で終わらないといけないのだ。)。
温めてマッサージするなんていうのも一般的だよね。
で、よくいわれるけど、ビタミンEをとるとよいといわれるのだ。
実は、しもやけで炎症が起こる原因は、血行が悪くなった後に血行が回復すると、そこで活性酸素(スーパーオキサイドなどのフリーラジカルや一重項酸素と呼ばれるとても反応性の高い酸素などだよ。)がたくさんできて悪さをするからなのだ。
血行が悪くなると低酸素状態になって代謝が落ちるんだけど、血行が急に回復して酸素が補給されると一気に代謝の酸化反応が活発化するのだ。
でも、そのせいで活性酸素もたくさん出てきてしまうんだけど、それを除去するメカニズム(カタレースやスーパーオキサイド・ディスミューテスなどの酵素だよ。)が追いつかないのでまわりの組織と反応して炎症になってしまうんだ。
ビタミンEやビタミンCは抗酸化剤でこの活性酸素とすばやく反応してくれるので、組織が壊されにくくなるというわけ。
特にビタミンEは脂溶性(油に溶けやすい性質)で皮膚の下の組織に移行しやすいので、効果があるというわけなのだ。

それと、もっと寒くなると起こるのが凍傷。 これは皮膚下の組織が凍結してしまって生じる障害だよ。
水は氷になると体積がふくらむので、そのせいで細胞の中の水分が凍結すると細胞膜が破れて壊れてしまうのだ。
それで組織に障害が起きてしまうんだけど、まさしく皮膚下の組織に障害が起きるという点ではやけど(熱傷)と同じで、その深刻度も皮膚のどの程度下のレベルまで障害が起きているかで似たような分類をするのだ。
凍傷が真皮まで達すると、皮膚組織が破壊された跡が残ってしまうのだ。
ひび割れの状態がまさにそうだよ。
もっと深くなると、組織が壊死したりしてしまって、その部分を切断しないといけなくなったりするのだ!

いろいろと対処法はあるようだけど、素人でも簡単にできるのは40度から42度くらいのお湯に患部をつけて、急速に温めるという方法なのだ。
こうすることで凍結した水分が急速に融解するんだけど、ゆっくりと融かすよりはまわりの組織に与えるダメージも少なくて、血管も拡張するので回復も早いのだとか。
でも、しもやけの場合はかゆい程度ですむけど、凍傷の場合はお湯につけると激しく痛むのだ(>_<)
その痛みを我慢してお湯につけておかないと壊死してしまったりもするから、我慢するしかないみたい。

しもやけ程度ならそんなに深刻ではないけど、凍傷となるとけっこうやっかいだし、そもそも手足の感覚がなくなって起こっているので深刻度がその場ではわからないことが多いのだ。
なので、凍傷にならないよう、気温が氷点下の場合なんかはあまり手足などを直接露出せず、防寒に努めた方がよいんだ。
それと、防寒しすぎて汗をかいてしまった場合は、速やかに手袋や靴下を交換することも大事なのだ。

2008/01/21

やわらかくね

米国の冬はとても乾燥しているので、バチバチと静電気がすごいのだ。
なので、洗濯の時に柔軟剤はかかせないのだ。
しかも、柔軟剤を入れて洗濯してもかなりごわごわに仕上がるので、きっと入れなかったらもっとすごいことになるよ・・・。

柔軟剤の正体は陽イオン性界面活性剤なんだって、
通常洗剤は炭化水素の先にスルホン酸基のついた陰イオン性界面活性剤だけど、柔軟剤は陰イオン(アニオン)になるスルホン酸基ではなくて、陽イオン(カチオン)になるアンモニウム塩がついているのだ。
正の電荷を持った窒素に4つの炭化水素又は水素が結合している物質だよ。
この陽イオン性界面活性剤はほとんど洗浄効果はないということだけど、そのかわりに衣服をやわらかく仕上げ、静電気の帯電を防止する働きがあるのだ。

洗剤になる陰イオン性界面活性剤は、繊維に付着した油性の汚れをはがして水に溶かす役割をするのだけど、逆に柔軟剤の陽イオン性界面活性剤は繊維の表面に付着することで働くのだ。
通常繊維の表面はマイナスの電荷があるんだけど、そこに親水性の陽イオンの部分がくっつくのだ。
すると、繊維の外側に親油性の側が来るわけだけど、これが潤滑油の役割をして繊維同士の滑りをよくするわけ。
なので、繊維がからみついてごわごわせずにやわらかいふわふわした仕上がりになるし、滑りがよいので静電気もたまりにくくなるというわけなのだ。
ただし、柔軟剤が繊維の表面に付着していると、界面活性剤の親油性の側が外側を向いているので水分を吸収しにくくなるという欠点もあるんだよ。

出始めのころの柔軟剤はまさにこの陽イオン性界面活性剤そのものだったようなんだけど、最近では色をつけたり、香りをつけたり、殺菌効果を強調したものなんかもあるのだ。
もともと陽イオン性界面活性剤は逆性せっけんとして殺菌剤として使われているくらいで、殺菌作用を持っているのだけど、それを強くしているのだ。
色はあんまり意味がないけど(笑)、柔軟剤は繊維の表面に付着したまま残るので、うまく香りをつけてあげると洗濯した後にそのよい香りが残るんだよね。
最近では欠点の水分を吸収しなくなるという部分を克服しているものもあるんだって。

繊維に付着したまま残ってしまうので、赤ちゃんの素肌に触れるようなものには柔軟剤を使うのに抵抗があったりするんだよね。
もともと陰イオン性の界面活性剤は汚れをよく落とすんだけど作用が強すぎるためにごわごわになってしまうのだ。
でも、むかしながらの洗濯せっけんだとそんなに強くないので、柔軟剤がなくてもごわごわにはならないのだ。
敏感肌や赤ちゃんようのものには、洗濯せっけんで洗うのがよいのかもね。

2008/01/20

特殊な奴ら

日本語の動詞は基本的にウ段で終わるんだけど、古文にはこえに例外があって、イ段で終わるのがあるんだよね。
それがラ行変格活用をする4つの動詞、「あり」、「おり」、「はべり」、「いまそかり」なのだ!
「あり」は現在の「ある」、「はべり」は「あり」の丁寧語、「いまそかり」は「あり」の尊敬語なんだけど、「おり」は必ずしも現在の「おる」の意味だけじゃないのだ。

「おり(居り)」にはもともとじっとそのままの状態でいる、という意味があったみたいなんだけど、主に座っている場合に使われるのだ。
居酒屋、居間、居眠り、居座り、居待ち月(18日目の月)なんかの「居」はまさにこの「おり」で、「すわっている」という状態を表しているのだ。
現在の「おる」だと「いる」という存在だけの意味が強くて、そのままでは意味が通らないのだ。
居酒屋はやっぱり座ってなくちゃいけないし、居間も普段すわっているところなのだ(英語でもsitting roomと言うんだよね。)。
すわったまま寝てしまうのが居眠り。
満月の後に月の出るのが送れるのにあわせて、十六夜の後に立ったまま月を待つのが立待ち月、もう少し遅くなるのですわって待つのが居待ち月、さらに遅くなって横になって待つのが臥待ち月、もっともっと遅くなって寝ながら待つのが寝待ち月で、「居」が「いる」というだけの意味だとこの月を待つ流れが不可解になるんだよね。
言わば「逆ギレ」を意味する「居直り」も、もともとは「すわり直して姿勢を正す」ことを意味していて、そこから態度を大きく変えるということを意味するようになったのだ。

そう考えると、この「居」という接頭辞はなかなか感慨深いものがあるのだ。
たった一語加わるだけだけど、状況をよく説明しているものなんだよね。
英語なんかを勉強するときに、接頭辞や接尾辞を覚えると単語力に幅が出るなんて言うけど、これは日本語も同じなのかもしれないね。
そういう目で日本語を見てみるのもなかなかおもしろいのだ。

2008/01/19

凍結乾燥

DCの夏は東京より暑いと思っていたんだけど、冬も東京より厳しいのだ。
毎朝氷点下の気温で、水たまりなんかは凍っているんだよね。
でも、基本的に湿度が低いこともあって、霜柱なんかはあんまり見かけないのだ。

そんな気候で思い出したのが高野豆腐。
あれってかために作った豆腐を寒ざらしにして作るんだよね。
夜に氷点下まで冷え込んで中の水分が氷となってかたまり、昼間それが温められて水になってとけ、ぽたぽたと垂れるのだ。
こうして寒ざらしにしておくと、豆腐の中の水分が抜けていって、独特のスポンジ状の高野豆腐になるのだ。
豆腐の中では微少な氷の粒ができて、それがまた融けて垂れていくので、無数の小さな穴が開くのだ。
そのおかげでどくときのふわふわした食感と味のしみやすさが出るんだよ。
調理するのは難しいと言われるけど、味がよくしみておいしいよね。

これはもともと豆腐の保存性を高めるために始まったんだよ。
似たようなものに凍みもちなんてのもあって、おもちは日持ちさせるために水につけて水もちにすることもあるけど、その後さらに寒ざらしにして水分を抜く場合もあるのだ。
水もちは焼くとべちゃべちゃになってしまうことがあるけど、凍みもちはまた普通のもちとは違った食感が楽しめて、水でもどして食べたり、汁物の具にしたり、油で揚げておかきにしたりもできるんだよ。
大根はそのまま細く切って干すと切り干し大根だけど、輪切りにして寒ざらしで干すと凍み大根になるのだ。
これも切り干し大根とはまた違った食感が楽しめるんだよね。
いずれにしても保存性を高めるための乾燥法なのだ。

これはいわば凍結乾燥で、水分を凍結させて乾燥させる方法なのだ。
明治時代にはSF作家の星新一さんの父親で、星製薬の創業者にして星薬科大学を創立した星一さんが冷凍法という濃縮法を開発しているのだ。
これは熱に弱い成分を含む水溶液を濃縮するときに、熱で水を飛ばすんじゃなくて逆に冷却してかたまった氷を除くことで濃縮するという方法なんだ。
まさに高野豆腐と同じ考えで、水溶液の中で氷ができるときは水だけが凍る(多少溶けているものも巻き込むけど)原理を利用しているのだ。
食塩水を凍らせていっても、できる氷はしょっぱくならないんだよ。

で、さらに技術が発展してできたのがフリーズドライ。
まずマイナス30度に急速冷凍して凍らせ、それをさらに減圧して真空に近い状態にするのだ。
すると、急速冷凍されて食品中にできていた氷が一気に昇華して水蒸気として抜けていって、乾燥されるのだ。
カップラーメンの具やレトルト食品によく使われているよね。
技術的にはかなり進歩しているけど、やっていることは高野豆腐と同じというのはなかなか感慨深いものがあるよ。

2008/01/18

メガネメガネ(@-@)

ボクは乱視が入っているので遠くのものが特にぼやけて、像が二重にも三重にも見えるんだよね。
でも、近くを見る分にはそんなにぼやけないので、普段は普段は裸眼が多いのだ。
パソコンをしたり本を読むときは、裸眼だとちょっとぼやけて目が疲れるので、むしろメガネをかけているんだよね。

乱視の他には近視や遠視があるけど、これらは目の屈折以上で、眼球の中に入った光線がどこに焦点を結ぶかで分類されるのだ。
人間の目もカメラと同じでフォーカスを合わせる必要があって、目の中の毛様体という筋肉を動かして水晶体の屈折率を変え、うまく網膜上で焦点が合うように調節するんだよね。
これを調節力というらしいのだ。
で、眼球の中に平行な光線が入ってきたときに調節力を働かせない状態で網膜の手前で焦点が結ばれる状態が近視で、逆に網膜の奥で焦点が結ばれる状態が遠視なのだ。

近視の場合は遠くのものを見るのにより強い調節力を働かせないといけないので、近くのものは見えやすいけど遠くのものが見えないという状態になるんだよ。
逆に、遠視の場合は遠くのものは見えやすいんだけど、近くのものを見るには水晶体の屈折率を小さくするように毛様体を働かせなくちゃいけなくて、普段から調節力を駆使しないといけない状態のようなのだ。
なので、遠視の人の方が眼精疲労が多くて、肩こりや頭痛になる人が多いんだって。

この調節力は子どものときに最大で、成長するにつれて弱まっていくらしいんだけど、ほとんどの人は子どものころは遠視なんだって。
毛様体の調節力が強くて柔軟なので気づかないらしいのだ。
それが成長するにつれて弱まっていって、徐々に焦点を結ぶ距離が短くなっていくそうだよ。
うまくかみ合うと正視というちょうどいいあんばいで網膜上に焦点が合うようになるんだけど、行き過ぎると近視になってしまうのだ!
子どものころの遠視の度合いが弱いとかなりの近視になるんだって。

で、これが何を意味しているかというと、近視になるかどうかはもともとの遠視の具合に大きく影響を受けるので、これは遺伝的要素が大きいということなのだ。
一般にテレビの見過ぎやゲームのしすぎ、暗いところで本を読むと目が悪くなると言われるけど、それは目が疲れて一時的に視力が落ちるくらいで、それよりも遺伝的要素がかなり強いんだって。
そう言えば、親がメガネをかけていると子どももメガネをかけていることが多いよね。
でもでも、環境要因も否定できなくて、近くばかり見て生活・作業していると、近くのものに焦点を合わせるのに適応してしまって近視になるとも言われているのだ。
必ずしも遺伝的要因だけじゃなくて、ある程度環境要因もあるので、気をつけるにこしたことはないみたい。

一般に目に悪いと言われていることを続けると目が疲れて眼精疲労になるんだけど、こうなると毛様体の調節力が弱まって焦点が合わせづらくなるのだ。
すっとパソコンの画面を見ていると目がしばしばして、しばらく遠くのものがぼやけて見えるけど、それがまさに偽近視なのだ。
この状態は偽近視といわれるようだけど、もともと遠視の人の方が調節力をより働かせているので、偽近視を感じる度合いが強いんだって。
目薬のCMでも疲れ目だと像がぼやけている、っていう描写がよくあるけど、まさにそれなのだ。

乱視はこれらとは少し違っていて、焦点が一点に集中しない状態になっているのだ。
これは水晶体のゆがみで屈折率がずれるからなんだって。
光が二ヶ所で焦線を結ぶのが正乱視で、いわゆる像が重なってぼやけて見えるというのがこれ。
一般的な乱視で、メガネやコンタクトレンズでわりと容易に矯正可能なのだ。
一方、どこにも焦点が合わなくなるのが不正乱視で、角膜の異常で発生することが多いそうだよ。
ハードコンタクトレンズなら矯正できることもあるけど、ひどい場合には外科手術が必要みたい。

最近は視力矯正の外科手術として、角膜の表面を削って屈折率を調節してしまうというレーシックの宣伝をよく見かけるけど、これって実はまだちょっとリスクがあるのだ。
そもそも手術自体が最近始まったことだということもあって、失敗例がけっこう報告されているんだよね。
仮に手術が成功してその場では視力が回復しても、まだ長期的な効果でどうなるかがよくわかっていないのだ。
短期的には視力はよくなるかもしれないけど、長期的にはかえって視力が落ちる可能性もあるというわけ。
豊胸手術のシリコン注入も最近になって弊害が報告されているくらいで、レーシックもそういうリスクがないのかどうかはまだ少しの間様子を見る必要があるのだ。
ボクはコンタクトレンズもこわいくらいなので、レーシックなんてとんでもないけど。

2008/01/17

根菜の王様

根菜の王様と言えばなんと言ってもダイコン。
米国のスーパーでも米国産の大根が売られているのだ。
この間始めて買って煮物を作ってみたけど、なかなかよいダイコンだったよ。
やわらかく煮えるけど、ぐずぐずにはならなかったのだ(^o^)/

ダイコンはアブラナ科の植物で、なんと、地中海や中東が原産なんだって。
古代エジプトですでに栽培されて食用にされていたとか。
でも、ダイコンというと中国や日本、朝鮮半島と言った東アジアで主に食べているイメージがあるよね。
今でも中東や欧州で食べるのかな?
少なくとも英語ではそのままdaikonとなっていたから、英語圏では食べていないと思うんだよね。

ダイコンはアブラナ科だけあって、放っておくとアブラナに似た紫の入った白い花を咲かせるそうなのだ。
タネをまいても発芽するけど、多年草なので越年してまた地上部分が生えてくるんだって。
ちなみに、日本で食用にされているのは中国ダイコンと在来種を交配させたもので、すでに弥生時代には栽培されていたと言うから、日本の農業とともに歩んできた作物とも言えるのだ。
今では青首ダイコンがメジャーだけど、かつては白首ダイコンの練馬大根や三浦大根(今では細々としか作られていないのだ。)がよく食べられていたし、大きくてずんぐりした桜島大根、カブにしか見えない聖護院大根、そばなどの薬味にする辛み大根などいろいろ種類があるのだ。

ダイコンはそれこそ大根おろしやダイコンサラダなど生でも食べられるけど、漬け物にしたり(ただ糠漬けにするだけじゃなくて、たくあんやいぶりがっこみたいな手の込んだものもあるよね。)、煮物にしてもよいし、切り干し大根や凍み大根のように保存食にもできるのだ。
ちなみに、食べている部分はすべて根ではなくて、ヒゲ根のない上の方の部分は胚軸というものだそうなのだ。
青首ダイコンで言うと緑色の部分だね。
上の方は水分が多くて甘くて煮物に向いていて、下の方は水分が少なくて辛くて薬味に向いているなんて言うけど、そういうところの違いもかんけいあるのかも。

八百屋さんやスーパーで見かけるのはダイコンの白い根の部分だけだけど、ときどギザギザの葉のついた葉っぱもついて売られているのだ。
この葉っぱもあなどれなくて、けっこうおいしいんだよね。
春の七草のスズシロはこのダイコンの葉っぱなんだよ。
お味噌汁の具にしてもよいし、炒め物や浅漬けなんかにしてもよいのだ。
近縁のカブの葉っぱを品種改良したのが野沢菜だけど、ダイコンの葉っぱもしゃきしゃきしていてなかなかいけるよ。
発芽してすぐに食べるのがカイワレダイコンで、大きなダイコンを作るために発芽した後に間引きしたのが間引き菜(大根菜)なのだ。

2008/01/16

赤いダイヤ

正月15日は小正月だけど、この日には一部の地方で小豆がゆを食べる風習があるのだ。
古くから小豆は神聖なもの、邪気を払うものと信じられていて、きっとそういう意味が込められているんだよね(小豆洗いや小豆はかりなどの妖怪も、もともとは小豆が神に捧げる神聖なマメだったことに由来しているとも言われているよ。)。
中国でも「幸運を呼ぶマメ」として縁起がいいものとして扱われているんだって。
やっぱりあの赤い色がいいのかな?

小豆はアジア原産のマメで、日本でも古くから食べられているのだ。
実際に高天原を追放された素戔嗚尊(スサノオノミコト)が大宜都比売(オオゲツヒメ)を殺すと、その死体から稲、麦、粟、大豆、小豆、蚕が生まれたなんて話が古事記にあるよね。
これが日本書紀になると月読命(ツクヨミノミコト)が保食神(ウケモチノカミ)を殺した話になっているのだ。
少なくとも奈良時代以前からすでにメジャーなマメとして認識されていたということだよね。

小豆はあんこに使うイメージが強いけど、なかなか栄養学的にも優れていて、タンパク質を多く含み、亜鉛などのミネラルも豊富で、薬膳でも欠かせないような食材なんだって。
赤い皮には目にいいと言われるアントシアニンも含まれているのだ。
で、この赤い色素は赤飯の赤さのもとなんだよね。
もともとは赤米という赤い色をしたお米を炊いたものが文字通りの赤飯だったんだけど、それが時代が下るとお米に小豆を混ぜて蒸し上げて赤くするものに変わったのだ。
赤い色が邪気を払うと信じられていたのと、小豆自体が神聖なものと考えられていたのが合わさったのかもね。
今でもおめでたい席には欠かせないけど、ボクなんかは単純に赤飯の味自体が好きだったりするのだ。

でも、関東の赤飯に入っているのは小豆ではなくてササゲ(大角豆)であることが多いんだよね。
このササゲはアフリカ原産のマメなんだけど、小豆のように赤く、でも少し小ぶりで小さいのだ。
日本には平安時代にはすでに入ってきていたようで、やっぱり長い間親しまれてきたみたい。
小豆の場合は煮たり蒸したりするとすぐに皮が破けてしまうんだけど、「切腹」につながるとして武士はこれを嫌って、赤飯をササゲで作るようになったらしいのだ。
それで江戸を中心にササゲの赤飯が広まったわけ。
ちなみに、ササゲは赤いものばかりでなく、白や紫の斑点のあるものもあるそうだよ。

小豆で忘れてはいけないのは「赤いダイヤ」という別名。
小豆は生産量が天候に左右されやすく、価格が乱高下するそうで、先物取引でも大きく値が動くそうなのだ。
その小豆相場をテーマにした作品が「赤いダイヤ」なのだ。
ドラマにもなっていて(1964年製作)、かなり当時は話題になったらしいよ。
ボクなんかは「赤いダイヤ」というタイトルしか知らないけど。
それでも「赤いダイヤ」というのは耳に残っているから、それほど社会に影響力のあるものだたんだろうね。
小豆は古代からついこの間までそれだけ重要なマメだったのだ(笑)

2008/01/15

インフレ率はこれで測れ

今日は学校で日米のインフレ率について調べてみたのだ。
今回はよく使われている消費者物価指数(Consumer Price Index)を調べたんだ。
これが調べてみるとなかなかおもしろいのだ。

消費者物価指数は物価の上昇率を測定するひとつの指標で、消費者が日常購入する物品やサービスの価格を指数化したものなのだ。
日本では総務省の統計局が戦後から発表しているよ。
一般に流通している物品・サービスの価格を調べて、それに一般的な家庭でどんなものをどれくらい買うかの調査結果から重み付けをして指数化するのだ。
指数化するのに使う物品やサービスは決まっていて、通常は総合敵に物価全体を表す指数が使われるけど、項目ごとの指数もあるんだよ。
卵はよく物価の優等生なんて言われるけど、あんまり値段が変動していないんだよね。
一方、立ち食いそばなんかは数十円で食べられたものが数百円になっているので約10倍。
それぞれで消費者物価指数を出すと、ほとんど上昇していないんと10倍になっているという結果が出てしまうけど、これに購入量などで重み付けをすることで物価全体の平均的な上昇率を表すようになっているわけ。

物価が上昇するとうことは、ものの値段が上がっているということなのだ。
つまり、同じものを買うのにより多くのお金がいるわけで、お金自体の価値は下がってしまっているわけ。
よく明治時代の1円は江戸時代の1両で、今で言うと10万円くらいの価値があるなんて言われるけど、まさにこれはインフレが起きているわけだよね。
逆に、物価が下がってものの値段が下がると、それだけお金の価値が上がっていることになって、この状態はデフレと呼ばれるのだ。
細菌ではファーストフードなんかの値段が下がって「デフレ」なんて呼ばれているけど、それは同じ牛丼やハンバーガーを食べるのに少ないお金で済むので、お金の価値が上がっているということなのだ。
実際には原価を抑えたり、サービスの効率化を図ったりしていて、お金の価値が上がったと言うだけじゃないんだけど・・・。
その証拠に消費者物価指数自体はそんなに下がってはいないのだ。
日本ではだいぶ伸び率が衰えてきていて、デフレ傾向にあるとも言われるみたいだけど。

もうひとつ物価の指標として使われるものに企業物価指数というのがあって、これは企業間での商品取引の価格をもとに計算するものだよ。
消費者物価指数だと、物品又はサービスの提供者が利益率を抑えたり、効率化を図るとものの値段が下がるけど、企業間で原材料の取引をする場合はそういう影響が少ないので、まさにものの価値をよりよく表すとも言えるんだよね。
例えば、ガソリンの値段からは消費者物価指数が割り出されるけど、原油価格からは企業物価指数が割り出されることになるのだ。
ガソリンを販売する場合は競争があるので、原油価格が上がってもそのままガソリンの小売価格に反映されるわけじゃなくて、売る側が利益率を抑えて原油価格の上昇分を飲み込んだりもするんだよね。
原材料の値段が変わらなくても、効率的或いは安価な製法が開発されると、原材料費が変わらないのにものの値段が下がるよね。
そういう場合だと、消費者物価指数と企業物価指数で違いが出てくるのだ。
でも、通常はより身近に感じられる消費者物価指数が使われるんだよね。
生活していく上でどれくらいのお金が必要か、という視点に立つと、消費者物価指数の方が都合がよいからなのだ。

インフレ率を調べたところ、おもしろいことがわかったよ。
米国の場合、1985年から2005年の20年間で物価は約2倍になっていて、1985年当時の1ドルは2005年の価値では2ドル相当なのだ。
でも、為替の円相場は1985年だと1ドル=220円くらいで、2005年だと1ドル=110円くらいとかなり円高になっているんだよね。
日本の同じ時期の物価の上昇率は1.2倍くらいなので、日本円にすると、1985年の1ドル=220円は2005年で言うと264円。
これを逆にドルに換算すると2.4ドルになるのだ!
ということは、ドル換算すると日本の物価上昇率は2.4倍で米国以上の規模になるんだよ。
日本国内だと1.2倍なのに、米国から見ると2.4倍と円高の影響が反映されるのだ!
そうすると、米国から見ると日本のものはより高くなっているということになるんだよね。
それでも日本車が売れたりするということは、日本の製品にはそれだけ魅力(=付加価値)があるということなんだよね。

2008/01/14

海の黒

欧米ではほとんど食べないんだけど、今日はDCのFish Wharfでイカとタコを売っているのを見かけたのだ。
日本や中国、朝鮮半島ではよく食べるので、東アジアではメジャーなんだけど、ユダヤ教ではイカやタコを食べるのを禁止していたりするし、イスラム教でもキリスト教でもあまり食べないようなのだ。
イカはまだ食べることもあるみたいだけど、タコなんかさっぱりなんだよね。

そんな欧米でのイカを使った料理といえばイカスミの料理が思い浮かぶよね。
イカスミパスタやリゾット、イカスミのスープなんかもあるのだ。
地中海沿岸、特にギリシアやイタリアでは欧州の中では魚介類が食べられるんだけど、イカもそれなりに食べるんだよね。
琉球(沖縄)にはイカスミを使った料理があったみたいだけど、日本にはあんまりイカスミを食べる習慣はなかったようで、イカスミ料理は洋食がメインだよね。
で、日本だとイカ以外にタコも食べるのに、タコスミ料理というのは出てこないのだ。
誰でも発想できそうだけどそれがないということには、イカスミとタコスミの違いに由来しているのだ。

イカスミもタコスミも黒い成分はメラニンで、人が日焼けしたときに皮膚が黒くなるのと同じ色素だよ。
でも、イカとタコではスミの使い方がそもそも違うので、スミの成分も異なっているのだ。
それでイカスミは料理に使うけど、タコスミは使わないわけ。
実際にイカやタコをさばくとわかるんだけど、スミ袋からして違うんだよね。

イカスミはとても粘性があって、海中に放出されてもあまり広がらずに紡錘形の形になってとどまるのだ。
実は、これは自分の分身を作ってそれをスケープゴートにして逃げるためのものなんだよ。
忍者の空蝉(うつせみ)の術と同じなのだ。
なので粘性を強くしてすぐに拡散しないようになっているのだ。
このイカスミにはうま味のもとでもあるアミノ酸が豊富に含まれているので、食べてもおいしいわけ。
もともと粘性もあるのでパスタなんかにもからめやすいし、食材として使いやすくもあるのだ。

一方のタコスミは粘性がなくさらさらしていて、海中に放出されるとぱっと拡散するのだ。
これはタコがスミを煙幕のように使って目くらましをしているからで、スミが広がって敵の視界が悪くなっている間に逃げるというわけなのだ。
忍者の煙玉と同じだよ。
海の生物の場合、刺客ではなくてむしろ嗅覚に頼っているような生物も多いので、このスミには生臭い臭いがついていて、それで敵の嗅覚も攪乱するのだ。
なので、タコスミはイカスミと違ってちょっとくさいのだ。
さらに、ただの煙幕ではなくて、エビやカニ、貝を麻痺させるようなペプチドも含まれているとか。
タコスミはさらさらしすぎているし、アミノ酸もあまり含まれていなくてうま味がないどころか臭いので、イカスミと同じようには使えないというわけなのだ。

ちなみに、ギリシアではイカやタコのスミから黒茶色の絵の具を作っていて、それがセピア色なのだ。
セピアというのはもともとギリシア語で甲イカのことなんだって。
セピア色というとちょっとあせた感じの淡い黒だけど、まさにイカやタコのスミだとそんな色になるのかも。
でも、なんかイカスミやタコスミをそのまま絵の具に使ったら生臭そうだよね(笑)

2008/01/13

ぬけ、すくえ!

ボクが自分で料理するときに気をつけているのは「アク抜き」と「アク取り」。
どちらもせっかくの料理がおいしくなくなる原因になるので、わりときちんとやる方なのだ。
手間はかかるけど、せっかくならおいしいものが食べたいからね♪

このアクの正体は、硝酸、シュウ酸、有機酸、アルカロイド、ポリフェノール(タンニンなど)、タンパク質、アミノ酸、脂肪酸など様々で、食品に含まれる渋み、苦み、不快な臭いのもととなるものの総称のようなのだ。
食事には不要だから抜いたりすくわれたりするわけ。
同じような物質でも、それが適度な渋みや苦みを与えるものだったり、香味を与えるようなものだと香辛料やハーブなどと呼ばれて積極的に足されることになるのだ。
ようは人間から見て不快かどうかというだけなんだよね。

植物性のアクは水又は塩水にさらしたり、短時間ゆでたりしてぬくけど、多くは渋みや苦み、えぐみのもとなのだ。
もともとは草食動物に食べられないようにするための防御物質としての刺激性物質や、消化・吸収を阻害する物質なんかみたいだよ。
ほうれん草はそのまま食べるとえぐみがあるけど、これはシュウ酸があるためで、短時間ゆでると水に溶け出すので抜くことができるのだ(ゆでることで細胞壁が壊れるので、中からシュウ酸が溶け出すのだ。)。
カルシウムと結合すると水に溶けないシュウ酸カルシウムになるので、味覚としては感じなくなるらしいよ。
これを利用したアク抜き、というか、えぐみをとる方法もあるのだ。
ということは、カルシウムを多く含んだミネラルウォーターで煮るとよいのかな?
タケノコのえぐみもこのシュウ酸で、タケノコの場合はシュウ酸が多く含まれているので、より溶け出しやすいように米ぬかと一緒に煮たり、米のとぎ汁で煮るんだよ。

ゴボウはよく酢水につけると色も茶色くならないし、えぐみも抜けると言うけど、ここれはお酢によって原因物質のタンニンが溶け出すからだよ。
でも、実はこのタンニンが栄養でもあるといわれていて、あんまり白くアクを抜きすぎるとよくないとも言われるのだ。
アルカロイドのようなアルカリ性物質も酸性の水溶液に溶け出しやすいので、お酢でアク抜きをするんだよ。
逆に重曹でアク抜きするようなものもあるんだよね。
これはアクのもとが有機酸で、アルカリ性の水溶液に溶け出すからなのだ。
ナスなんかはわりとえぐみが弱いから、普通に水又は塩水につけておくだけでもいいんだけどね。

一方、動物性のアクは水溶性のタンパク質が熱で変性して水に溶けなくなって凝集するときに、まわりのアミノ酸や脂肪酸などの不快な臭いや味のもととなるものを一緒に巻き込んでしまったものなのだ。
でも、その不味成分と一緒にうま味成分や栄養素なんかも一緒に巻き込んでいるので、あまりすういすぎてもよくないみたい。
とに肉なんかだとアクと一緒に黄色い油が出てくるけど、これも救いすぎるととりのうま味がなくなると言われているのだ(ブロイラーだとこの油が不快な臭いのもとだったりするのですくった方がいいんだけどね。)。

動物性のアク取りは表面に浮かんできた泡状のものをお玉やスプーンなんかですくうわけだけど、コンソメを作るときなんかは最後にさーっと卵白を流し込んで、アクを取るのだ。
卵白が熱で固まるときにアクも一緒に固まるんだよね。
でも、静かに卵白を流し込まないときれいな琥珀色のコンソメにならないので、かなりの技術がいるみたい。
お玉でアクをすくうのとは大違いなのだ(笑)

2008/01/12

割らずに開け

正月の11日といえば鏡開き。
かたくなった鏡餅を木槌でたたいて砕いてから、雑煮や汁粉にして食べるのだ。
むかしは武家の間で鎧などの具足にもちを供え、それを取り下げて雑煮にして食べる「刃柄(はつか)」という習慣があって、それが一般に広まったんだって。
※「刃柄」というだけに正月20日だったんだけど、家光公が20日になくなったのでそれを忌日として11日に行うようなり、それが今に至っているそうだよ。

刃物で切らずに木槌などでたたくのは、刃物で切ると切腹を連想させて縁起が悪いからなのだ。
で、「割る」と言わずに「開く」というのも同じような理由で、「切る」や「割る」は縁起が悪いので避けられて、「末広がり」につながる縁起のよい「開く」という言葉にしているんだよ。
これはいわゆる「忌み言葉」の一種で、結婚式では「壊れる」、「分かれる」なんて言葉を使っちゃいけなかったり、スルメのことを縁起を担いでアタリメというのと同じなのだ。
ゴマなどをすることも「あたる」と言い換えることがあるよね。
葛飾の亀有ももともとは亀梨村だったのを、縁起をよくしようと亀有に変えたと言われているのだ。

この忌み言葉の風習は「言霊」の信仰と関係があって、かつて日本では言葉それ自身にものごとを実現する「力」があると考えられていたのだ。
うっかり口に出すとそうなってしまうというわけ。
よい言葉を話せばよいことが起こるし、悪い言葉を話すと悪いことが起こると考えられていたんだよね。
万葉集でおなじみの柿本人麻呂さんの歌にも、「志貴島の倭(やまと)の国は事霊(=言霊)の幸(さき)はふ國ぞ福(さき)くありとぞ」なんてのがあって、日本は言霊の力で幸せがもたらされるなんて考えられていたみたい。
この考えは日本の民間信仰にも根付いていて、祝いの言葉をかけたり、呪いの言葉をかけたりするのはこの言霊の力を念頭に入れているのだ。
ちなみに、聖書でも一番最初に神が「光あれ」と発するところから始まるけど、これもまさに言霊の力だよね。

本当に口に出した言葉に大きな力があるかどうかはよくわからないけど、言葉の持つ力自体は否定できないんだよね。
言葉が持っている最大の力は、抽象的なものが表現できて、他人との間で意思の疎通を図ることを可能にすることなのだ。
この世の中にはひとつとして同じリンゴはなくて、すべてのリンゴはそれぞれ違うものだけど、「リンゴ」という言葉を使えば、抽象的なイメージとしてのいわゆる「リンゴ」が思い浮かぶよね(この抽象的なイメージというのがギリシア哲学で言うところの「イデア」の世界だよ。)。
これによってわざわざどのリンゴかを特定する必要がなく、時間と空間を越えて共通の認識を持つことが可能になるのだ。
そういう意味では、言葉にして口に出してはじめてその効果が現れるので、それは言霊の力と言えるかもしれないのだ。
本当はそれが何か詳しくわからなくても、名前さえわかればそのものについていちいち説明せずともなんとか話が通じるというのは実はすごいことなのだ。

2008/01/11

Dropped Ball

お正月と言えばお年玉。
幸い(?)ボクは親戚に小さな子どもがいないので、まだあげたことはないのだ。
これまでの人生ではもらっているだけ(笑)
今のところ収支は大幅に黒字だね♪

お年玉というとお金をもらうイメージがあるけど、地方によってはお菓子をあげるようなところもあるんだって。
もともとは餅玉をあげていたらしく、それでお年「玉」というそうなのだ。
目上の人から目下の人に贈るので、「年の賜物」ということでお年玉になったという説もあるみたいだけど。
民俗学では、「たま」は魂の意味で、新年を司る歳神に捧げられたお供え物を払い下げたものと考えられているらしいよ。
もともと鏡餅は歳神の依代としてまつられていたらしいから、それを払い下げていたのかもね(その餅には歳神の分霊が宿っているので、幸福な1年が過ごせると考えられたのだ。)。
そうすると、餅玉の説と、お供え物の説が融合して一挙両得なのだ(笑)

お年玉を入れる袋のことは「ポチ袋」と言うんだよね。
「ポチ」は関西の方言で、心付けやご祝儀を意味していて、もともとは舞妓さんなどへの祝儀袋だったそうだよ。
「ポチ」は「これっぽっち」の「ぽっち」で、「わずかばかりの」という謙遜を表したものと言われているのだ。
俗に、英語のspot(臨時の)、仏語のpetit(小さな)に由来するなんて説もあるみたい。
「玉袋」じゃ下品なので、ネコの「タマ」じゃなくてイヌの「ポチ」にしたなんていう冗談のような説もあるのだ。

お正月には「明けましておめでとう」とあいさつするけど、これは数え年で元日に1歳年をとるからなのだ。
数え年は中国を中心とした東アジアの風俗で、生まれた時点で1歳、以降正月を迎えるたびに1歳ずつ年をとっていくのだ。
元日にはみんな満年齢で誕生日を迎えたのと同じようにいっせいに年をとるので「おめでとう」なんだよ。
お年玉もそのおめでたいときに臨時のお小遣いという側面もあるかもね。
実際に中国などのアジア諸国でも旧正月に子どもに金銭などを与える風習があるらしいのだ。

2008/01/10

とりあえずこれで包め

今のキッチンで欠かせないものと言えば、なんと言ってもラップ。
電子レンジでものを温めるときにも、冷蔵庫にものをしまうときにも使うよね。
ラップのなかった時代はそれこそどうやっていたのか謎だけど、当時は電子レンジなんかはないし、冷蔵庫もそんなに普及していないから問題なかったのかな?
乾燥を防ぐためにはぬれふきんなんかをかぶせていたんだよね。

いわゆるラップは食品用ラップフィルムというのが一般名称のようで、通常は固有名詞のサランラップとかクレラップと呼ばれることが多いよね(笑)
ポリ塩化ビニリデンやポリエチレンなんかの合成樹脂のごくごく薄いフィルム(十数マイクロメートルの薄さだって)だけど、耐水性と耐熱性に優れていて、電子レンジで温められても、冷凍庫で冷凍されても兵器なのだ。
-60度から150度前後まで耐えるらしいよ。

多少伸縮性があって、粘着性もあるのも特徴なのだ。
このおかげでお皿や器にぴったりとつけることができるんだよね。
無料でもらえるようなラップだとあまり質のよくないのがあって、ただのビニールフィルムでお皿などにぴったりつかないものがあるのだ(>_<)
ただ、この粘着性はラップ同士がくっついてしまうとはがれにくい、という弊害もあるんだけどね。
一度こうなるとはがすのに苦労するのだ。

高熱を加えると収縮する性質も持っていて、スーパーの肉や魚の包装ではラップで包んでから熱を加えて接着しているのだ。
野菜類だとあんまりこれができないからラップがはがれやすかったりするんだよね。
スイカなんかだと水分も多いのですぐにはがれるのだ。
スーパーには食品トレーをラップで包む専用の機械があって、ラップのフィルムの大きなロールと、それを包んだ後に熱で接着させるホットプレートのような部分があるのだ。
包んでいる作業を見ているとなかなかおもしろいよ♪

ラップは耐熱性と耐水性をあわせ持つので、電子レンジを活用すると、これまで蒸し器を使っていたようなものが簡単にできるし、ゆでなくても野菜をしんなりさせることができるのだ。
じゃがいもなんかはコロッケにするときにゆでてからつぶすけど、ラップで包んでレンジでチンすると水っぽくならなくていいんだよね。
トウモロコシを蒸すのもかなり楽なのだ。
カリフラワーやアスパラガスなんかはゆでてしまうとビタミンやアミノ酸などの水溶性の栄養がゆで汁に溶けて出て行ってしまうんだけど、ラップでつつんでレンジで蒸すとそれも少なくできるんだよね。

でも、油が多く含まれる食品を包むと、その油の中にラップから内分泌攪乱物質が溶け出すとかいう話もあって、いいことばかりではないのだ。
どれだけ溶け出して、それがどれだけ影響があるのかは何とも言えないけど、そういうリスクが潜在的にあるっていうのは意識していた方がよいのかもしれないね。
今のところ製法を改善してそういう物質が溶け出すことがないようになっているらしいけど。

2008/01/09

ひえひえ

ボクは空調の暖房が苦手なので、家では布団や毛布をかぶって寒さをしのいでいるんだよね(笑)
上から温められると頭がぼーっとするのでいやなのだ。
どうしても寒いときは電気ストーブなんかを使うんだけど。

で、この時期避けられないのは手足の冷え。
いわゆる冷え性というわけじゃないけど、気温が低いとどうしても手足の先が冷えるよね。
特に水を使った後は顕著なのだ。
これは寒さで毛細血管が収縮してけっこうが悪くなるからで、もんだりこすったりすると温まるのはまた血行がよくなるからなのだ。
手足なんかの末端は対sけいに比べて表面積も大きいので、余計冷めやすいというのもあるんだよね。

これが病的な状態になるといわゆる「冷え性」なのだ。
これは冬だけじゃなくて1年中ずっと冷たいんだよね。
これは温度調節をしている自律神経がおかしくなっていることに起因していることが多くて、普段から空調がきいていてずっと同じような気温の場所で生活していると、体の温度調節機能がおかしくなって、それで冷え性になると言われているのだ。
適度に汗をかいたり、寒さに震えたりする方が体の温度調節機能は正常に保てるみたい(笑)

体の温度調節がおかしくなると低体温症にもなってしまうんだよね。
人間の体温はだいたい37度弱が理想的なんだけど、これが35度台だとちょっと体温が低いんだよね。
体の中の酵素などのタンパク質は37度付近で一番活性があって、免疫反応なんかはもう少し高い温度の方が反応性が高くなるのだ。
なので病気になると熱が出ることが多いんだけど、これは体が防衛反応として免疫反応の活性を高めようとしているので、下手に解熱剤で体温を下げない方が早く病気が治るんだよね。
で、普段から37度付近だと免疫反応もより活発なので、病気に強い丈夫な体になるのだ。
体温が高めの人はそれだけ健康なんだよ。

体温は体の中で脂肪や糖などを分解したときに出てくる熱が熱源なので、基本的には体の中心があたたかいのだ。
この熱が血液によって体中に運ばれていくんだよね。
で、手足を動かすと血行がよくなって、より熱が運ばれやすくなるのだ。
かつ、筋肉を動かすとそのエネルギー源として脂肪や糖が燃やされるから、そこからも熱が出るのだ。
なので体に筋肉がついていると、けっこうの分だけじゃなくて筋肉で燃焼させる分の熱が増えるので、より体温を高めやすくなるんだよ(その分燃費は悪くなるけど、それだけにダイエット効果もあるのだ。)。

なので、冷え性を克服するには、まずは適度に温度変化のある暮らしに体を慣らして体温調節機能を常に働かせる、ということが大事で、規則正し生活をすると体のホルモン・バランスなんかも正常化してかなり改善するのだ。
さらに体にある程度筋肉をつけると、血行もよくなるし、体も温まりやすくなるんだよ。
つまりは、家で夜も昼もない生活でじっとしているとダメで、健康的に体を動かしながら生活するのがよいということなのだ。
むかしの人と同じような暮らしをすれば、かなり健康的にはなれるんだよね。

2008/01/08

7つの・・・

今日は米国時間では1月7日、人日の節句なのだ。
人日の節句には七草がゆを食べるんだよね。
そうすると邪気が払われて、カゼをひかなくなると言われているのだ。
ボクも家で七草がゆならぬ、カブの葉っぱのリゾットを作って食べたよ。

七草がゆには春の七草、すなわち、セリ、ナズナ(ぺんぺん草)、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ(コオニタビラコ)、スズナ(カブの葉っぱ)、スズシロ(ダイコンの葉っぱ)だけど、実は春の七草の場合は「七種」と書くのが正しくて、「七草」と核と秋の七草を指すんだそうだよ。
むかしの七草はこれとは違って、米、粟、黍(きび)、稗(ヒエ)、小豆、胡麻、蓑米(カズノコグサ)の7種類だったんだって。
もともと中国に「七種菜羮」という風習があって、7つの野菜を入れた羮(あつもの)を食べて無病息災を願っていたものが日本に導入されたようなのだ。

古くは延喜式にも記載されていて、平安時代には米などの方の七草で旧暦の正月15日にかゆを作って食べるようになっていたらしいよ。
むかしは七草の行事は「子(ね)の日の遊び」とも言われて、正月の最初の子の日に野原に出て若菜を摘む習慣があったそうだよ。
百人一首の光孝天皇の歌「君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手は 露に濡れつつ」というのはこの行事のことを詠んでいるらしいのだ。
今の形の七草が確認できるのは、室町時代初めに書かれた源氏物語の注釈書の「河海抄」という本にある、「芹、なづな、御形、はくべら、仏座、すずな、すずしろ、これぞ七草」という記述みたい。
江戸時代になると武家や庶民の間で浸透して、幕府では公式行事として将軍以下すべての武士が七草がゆを食べるようになっていたらしいよ。

正式な七草がゆは、前の晩、すなわち6日の夜に七草をまな板にのせて、「七草なずな、唐土の鳥が、日本の土地に、渡らぬ先に、とんとんとん・・・」などと歌いながら包丁でたたいて、それを翌朝のかゆに入れて食べるんだよ。
このはやし歌は鳥追い歌に由来していて、豊年祈願が無病息災という本来の意味に合わさったと言われているんだって。
ちなみに、七草がゆは邪気を払って、それでカゼをひかなくなるなんて言われているけど、冬場に不足しがちな栄養素(ビタミンなど)を補給するとともに、お節料理でつかれた胃を休めるという実際的な意義もあるのだ。
あながち迷信ばかりではなくて、健康面でも意味があるということなんだよね。

ハギ、キキョウ、クズ、オミナエシ、フジバカマ、ススキ(オバナ)、ナデシコと言えば、秋の七草だけどこっちは万葉集にすでに登場するみたい。
でも、春の七草とは違って、食べるものではなくてあくまでも鑑賞するもののようなのだ。
春と秋で対にはなっているけど、まったく扱いは違うものなんだねぇ。
これまであんまり基にしたことなかったけど、そう言えば、ススキなんかは食べられないから、おかゆどころの話ではないのだ(笑)

2008/01/07

こえていこう♪

前から気になっていたんだけど、丘と山の境界ってあいまいだよね。
英語でもhillとmountainで区別しているけど、やっぱり明確な区分はないようなのだ。
標高○m以上が山で、未満が丘とか言われても混乱するだけかもしれないけど・・・。

一般に周囲より高いけど山よりは低くて、比較的傾斜が緩やかな地形を丘と呼ぶようなのだ。
で、丘が続いているような地形を丘陵というんだよね。
でも、ちょっと小高いところでも「山」とか「小山」とか呼ばれる場合があって、そういう地形を必ず丘と呼ぶわけでもないみたい。
確かに、地名では○○丘とか××山なんてのがけっこうあって、だいたい少し小高いところだけど、丘と山は特に高さに関係なく名付けられているような感じだよね。
東工大は大岡山駅と緑が丘駅にはさまれているけど、必ずしも大岡山の方が標高が高いわけじゃないよね(笑)

山は火山が噴火してできたり、大きな地殻変動で地面が盛り上がってできたりするけど、丘の場合はもっと小規模で、断層のところで少し土が盛り上がったとか、川などの浸食の後に取り残されて後に川がなくなったのでまわりより高くなっているとか(これは残丘というらしいよ。)、そういうのでできるみたい。
人工的に作られたものも多くて、少し小高いところが後々古墳とか塚だったことがわかるんだよね。
意外と東京都内には古墳とかが多くて、多摩川・野川沿い、善福寺川沿い、神田川沿いなんかに多いのだ。
上野公園内にも古墳があるよ。

人工的に作られたものとしては、江戸時代後期から明治初期にかけて作られた富士塚なんてのもあるよね。
ボクはけっこう富士塚好きで、登れるところは登ってみるのが楽しみなのだ♪
むかしは旅行が簡単じゃなかったので、富士山に登るのも大変だったのだ。
でも、富士講というのがはやったとき、富士山の形の塚を作って、その塚を登ると富士山に登ったのと同じ御利益がある、なんてされたんだよね。
実際に富士山の溶岩を積み上げて作られたものもあるんだよ。
本駒込にある富士神社の富士塚は大きくて、その頂上に神社があるくらいなのだ。

富士塚なんかは比較的新しいから人工物だとわかるけど、もっと古い時代の信仰の塚で、草なんかが生えてしまうと人工物か自然物かわからないんだよね。
実はそういうところも丘の魅力なのかも。
ひょっとしたらこの下は古墳になっているのかな?、なんて考えるとなかなかおもしろいのだ。

2008/01/06

グラタンじゃないんだよ

米国のドラマを見ていたら、大きなグラタンのようなおいしそうな料理が出てきたのだ。
それはミートローフと並んで米国の家庭料理の代表格であるキャセロール。
見た目も、おそらく味も、グラタンにそっくりなんだけど、米国発祥のオーブンを使った料理なんだよ。

もともとキャセロールは容器の名前で、オーブンや暖炉に入れてそのまま調理できる耐熱容器なのだ(欧州のものはキャセロール・ディッシュと呼ばれるのだ。)。
ほうろうのものや陶器のもののほかに、最近では耐熱ガラスのものもあるし、アルミの使い捨てのものもあるよね。
もともとフランスでは狩猟で獲ってきた獲物や家禽類と野菜と一緒にとろ火で煮込んだ料理をキャセロールと呼んでいて、これは容器のままテーブルに運んでいたかららしいのだ。
野菜のみのものもあるらしいけど、肉と野菜をとろ火で煮たシチューが本来のキャセロールだったわけ。

でも、米国のキャセロールは、野菜や肉、魚などをクリーム系の濃厚なソースと一緒にオーブンで焼いた料理で、よくショート・パスタやじゃがいもが入るし、上にチーズやパン粉をかけるので、まさしく見た目がグラタンそっくりなんだよね。
でも、ホワイト・ソース系のものだけでなく、トマト・クリームソース系などバリエーションもあるし、具もいろんな肉や野菜が使われるみたい。
とにかくまぜてオーブンで焼けばできあがり、という簡便さが重要なんだよね。
ミートローフもそうだけど、大量に簡単にできることが米国の家庭料理では重要なのだ(笑)

米国でキャセロールが浸透した背景としては、安価な耐熱容器が開発されたことと、冷蔵庫の残り物の肉や野菜で作れることこと、それと、スープの缶詰のキャンベル社が自前でクリームソースを作らずに濃厚なスープ缶詰を代用するレシピを広めたからなのだ。
なので、冷蔵庫にあるものとキャンベル社のクリーム系の濃厚なスープ缶さえあれば、あとは耐熱容器に入れてオーブンで焼くだけ、という簡便さなのだ。
第一次世界大戦の時代に節約が奨励されて一部の食品が配給制になるとかなり広まったようなのだ。
その後に来る世界恐慌もこれに拍車をかけ、簡単に安価に作れるキャセロールは米国の家庭料理として不動の地位を築くことになったみたい。
今でもパーティなんかで持ち寄る料理によく使われるんだって。

キャセロールはグラタンと違って大きな容器で作って取り分けるんだよね。
熱々のできたてを食べるのがおいしいんだろうけど、パーティなんかで出てくるのは冷めたものだよ(下から固形燃料で温めている場合もあるけどね。)。
でも、これが冷めてもそれなりにおいしいような味付けになっていて、そこも少しグラタンと違うのかも。
米国のパーティでグラタン風のものを食べたとしても、実はそれはキャセロールかもしれないので注意が必要なのだ(笑)

2008/01/05

ともに去りぬ

昨年末になんだかとても風が強かった日があったのだ。
ちょうどボクはクリスマス休暇で家でゆったりとしていたんだけど、外に出たくないと感じさせるような感じ。
雨が降っていて、雨粒が窓を打ちつけて、なんだかすごい景色だったのでとても印象的なのだ。
風が強いと体感温度も下がるし、冬にはちと厳しいよね。

風は気圧の差があると、気圧の高い方から低い方に吹くのだ。
気圧はようは空気の分子の密集度なんだけど、気圧が高いとそれだけ空気の分子が密になっていて、気圧が低いとまばらなわけ。
で、気圧の差があると、空気の分子が均一に分散しようと密な方からまばらな方へ空気の分子が移動するのだ。
これが風の正体だよ。

空気は温めると体積が増えるけど、空気の分子は変わらないので空気の分子はよりまばらに散らばることになるんだよね。
だからこそあたたかい空気は軽いんだけど、気圧も低いのだ。
すると、より密な冷たい空気の方へと空気が移動して風が吹くんだよ。
高気圧と低気圧があると、低気圧の方から高気圧の方に風が吹くのだ。

例えば、昼間の間は砂浜の方が海上よりあたたまりやすいので、海から陸に向かって風が吹くのだ。
逆に、夜になると砂浜の方が先に冷えて海は冷めにくくてまだ少しあたたかいので、今度は陸から海に向かって風が吹くんだよ。
これはもっと大きな視点で見ても同じで、季節風もこれと同じ原理なんだよ。

風を表すには風向と風速が使われるけど、風向は風が吹いてくる方向のことで、風が吹いていく方向ではないのだ。
北風は北から南に向かって吹く風で、北に向かって吹く風ではないんだよ。
日本の気象観測では、風速は地上約10mの観測点での10分間の平均風速で表すんだって。
なんと0.25秒おきに更新されているという3秒間の平均風速の最大値が最大瞬間風速なんだとか。
今はデジタル計測だろうから簡単にこういうのが計算できるけど、むかしはそうじゃないから、もっと違った定義だったんだろうね。

風速はそんなに正確に予測はできないけど、気圧の配置を見ればある程度の風の強さと向きは予測できるんだよね。
それが天気予報で言っているやつなのだ。
でも、局地的にはいろいろな細かい条件が重なってくるので、それが突風になったり、ゆったりした風になったりするようなのだ。
でも、風ってかなり体感温度に影響を与えるし、強い風だと列車や飛行機も遅れることがあるから正確に予測できるに越したことはないんだよね。
きっと難しいコンピュータのシミュレーション技術を使って予測精度は上がっているんだろうけど。

2008/01/04

あんたが大将♪

いよいよアイオワ州で党員集会が行われ、これから11月まで米国では大統領選挙一色になるのだ。
米国では議会もかなりの影響力を持っているけど、やっぱり大統領に相当程度の権限があるので、大統領選挙はまさにこれからの国の行く末を決める重要なイベントなのだ。
でも、なかなかわかりづらいシステムでもあるんだよね。
せっかくこの時期に米国にいるので、少し仕組みを調べてみたのだ。

米国の大統領選挙は4の倍数の西暦の年に行われることになっているのだ。
これは当然米国大統領の任期が4年だからだよ。
で、大統領が途中で辞任したり亡くなったりして副大統領以下の人が継承した場合、その任期はもともとの大統領の残りの任期となっているのだ。
なので、必ず4の倍数の年になるわけ。
今年はまさに2008年で4の倍数なので、大統領選挙の年なのだ。

大統領選挙の一般投票自体は11月の中頃に行われるんだけど、米国では長く二大政党政治が続いていることもあって、その前に共和党、民主党がそれぞれの大統領・副大統領候補を選ぶというプロセスが重要なのだ。
そのプロセスが今始まった、ということなんだよね。
今年は少しスケジュールが前倒しになっているけど、年明け2月から7月にかけて全米各州で予備選挙(Primary)又は党員集会(Caucus)が開催されて両党で候補者の選定を行うんだよね。
予備選挙というのは、どの人を党としての候補とするかを選ぶ代議員を選ぶ選挙で、間接選挙なんだよ(通常予備選挙は党員だけが参加するんだけど、オープン・プライマリというのもあって、無党派層も盗用できるものもあるみたい。)。
自分は誰々を候補として選出したい、と意思表明している人に投票して、その人が全党集会での候補者選定の票を投じることとなるのだ。
選挙の形ではなくて話し合いの形で代議員が選ばれるのが党員集会で、最初の党員集会はアイオワ州、最初の予備選挙はニュー・ハンプシャー州と決まっているみたい。
このふたつは大統領候補選定プロセスの今後を選ぶ上で非常に重要と認識されていて、特に注目が集まるのだ。
さらに、多くの州で同時に予備選挙・党員集会が行われる「スーパー・チューズデー」というのもあって、それが終わると事実上候補者が決まってしまうこともあるそうだよ(今年は2月5日の予定なのだ。)。
※基本的に代議員は最初に意思表明している人にしか投票しないので、どんでん返しはないのだ。

8月の終わりから9月にかけて両党で全党集会が開かれるんだけど、各州の人口比で割り当てられた代議員と、既に上院議員や下院議員、知事などの公職で活躍している政治家が特別代議員となって候補者選定のための投票をするんだって。
この時大統領候補として選ばれるためには過半数の得票が必要で、過半数を超えない場合は決選投票をするのだ。
で、米国の大統領選挙は副大統領候補とともにペアで戦うので、この全党大会で副大統領候補も同時に決めるんだよ。

両党で大統領候補が決まると選挙キャンペーンのTVコマーシャルなんかも始まって、10月にはテレビ討論会も開かれるのだ。
このテレビ討論会はケネディ大統領とニクソン大統領が選挙戦を戦ったときから始まったもので、かなりの影響力があると言われているんだよね。
実際にケネディ大統領はこのTV討論会のおかげで勝てたというし、前々回の選挙ではゴア元副大統領はTV討論会での姿が不評で負けたともいわれているのだ。

11月の大統領選挙には二大政党の候補者だけじゃなくて、他にもいろいろな人が立候補するんだよ。
米国生まれで14年以上米国に住んでいて、35歳以上だったらよいのだとか。
なので、毎年さまざまな人が立候補して話題になるのだ。
まずほとんど得票できないんだけど・・・。
この一般投票もかなり複雑なシステムで、各州ごとに投票結果を集計するんだけど、全米で単純に票数を合計するわけじゃないんだよね。
各州ごとに選挙人というのが割り当てられていて、これは上院議員+下院議員+首都のDC枠3名の合計538名からなるもので、この選挙人の過半数を獲得した人が大統領になるのだ。
選挙人は得票数で比例配分するのではなく、その州で一番多く得票した人がその州全体の選挙人を書くときできるので、例え僅差でもカリフォルニアやニュー・ヨーク、テキサスといった人口の多い州で勝と有利なのだ。
実際にゴアもと副大統領は単純に全米での得票数ではブッシュ大統領に勝っていたけど、この選挙人制度のせいで負けたんだよね。

11月の投票で選挙人が決まると、12月に形式的に選挙人による投票が行われて(これは各州での一般投票の結果に基づいて選挙人は各州で勝った候補に投票するのだ。)、それで大統領が正式に選ばれるんだって。
で、翌年の1月に盛大に就任式が行われるけど、実際には一般投票の結果が出てからは次期政権発足のための準備が始まるんだよね。
それにしても、予備選挙が始まってから大統領が決まるまでにも10ヶ月以上かかるし、システムも複雑でわかりづらいのだ。

2008/01/03

赤いやつはマフラー代わり

ボクは汗をよく吸い取るのが気に入っていてタオルハンカチを使っているんだけど、戦前まではけっこう手ぬぐいが使われていたんだよね。
手ぬぐいは長さもあるので頭に巻いたりもできるし、ハンカチよりもかなり広い用途に使えるのだ。
もともとは手ぬぐいというくらいで手を拭くものだろうけど、今でいうとタオルに近い使い方で、洗顔で顔を拭いたり、汗をぬぐったり、農作業の時に日よけで頭に巻いたりといろいろ使っていたみたいだよ。

起源は明らかじゃないらしいんだけど、すでに江戸時代には「手拭」という名で呼ばれていて、庶民の間で広く使われていたみたい。
さらにむかしは手巾と呼ばれていたようだよ。
今でもハンカチのことを手巾と言ったりするよね。
基本的には細長く切った布なので、きっと最初は細長い布の切れはしをそのまま汗をぬぐったり、手を拭いたりするのに使っていて、それがだんだんと「手ぬぐい」として様式が確立したんじゃないかな、と思うんだよね。

手ぬぐいは一般的にはしをわざと縫わないのだ。
これは、まだ下駄や雪駄の鼻緒が切れたときにはしをちぎって応急処置をしたり、けがをしたときに包帯代わりに細くさいて巻き付けたりするのに使えるからなのだ。
時代劇を見ているとよくそういうシーンが出てくるよね。
でも、はしを縫っていないと洗濯しているとほつれてきてしまうので、最近ではしっかりと縫ってあるものもあるようなのだ。

手ぬぐいは粗い平織りでよく水分を吸うけど、タオルのように保温性がないからむれないのだ。
なので剣道の面をかぶるときには手ぬぐいを使うよね。
厚くもないのではちまきにして額から汗が流れてこないようにするのにも手ぬぐいの方が向いているのだ(トラックの運転手さんなんかはタオルを巻いていることもあるけどね。)。
風呂敷はかなりすたれてしまっているけど、手ぬぐいは意外と需要が多くて廃れずに残っているんだって。
そう言えば、贈答品とかでもけっこう見かけるし(タオルの方が多いけど)、お祭りの時なんかには町内会から配られたりもするよね。

タオルは似た用途に使うものだけど、粗く織った布地の表面にループ状の細かい意図が飛び出ているタオル地を使っているのが特徴なのだ。
こうすることで、保湿性、保温性、吸水性を高めているんだよ。
布地自体はすき間が多いのでそのままならある程度通気性があるんだけど、ループ状の部分で空気がトラップされるので、保湿性と保温性が出てくるのだ。
このせいでタオルを巻いているとむれることがあるんだけど、逆に寒いときにはタオルの方があたたかくて気持ちいいんだよね。
とは言え、けっこう通気性があるのでタオルにだけくるまっていても寒いのだ。
タオルケットが得なつばに使われるのは、汗を吸い取ってある程度通気性があるのでむれないけど、保温性もあるので寝冷えしないからなのだ。

タオルと手ぬぐいは似たような使い方をするものだけど、それぞれ特徴があるからうまく使い分けると宵のかもね。
うちにある手ぬぐいはほとんど使われることなくタンスに眠っているけど、今度出してみて使ってみようかな?
夏場なんかは手ぬぐいの方がよさそうなのだ。

2008/01/02

たこあげは電線のない広い場所で!

お正月になると見かけるCMと言えば、「おせちもいいけどカレーもね」のハウス食品のCMと、「たこあげをするときは電線のない広い場所で」という電力会社のCMなのだ。
たこが電線に引っかかった場合は自分でとろうとせずにかならず電力会社に連絡してください、っていうんだよね。
CMは毎年変わっているけど、言っている内容はボクが子どものころからまったく同じなのだ。

いわゆる街中にある電柱の上にある電線は配電線というやつで、電車に乗っていたり、高速道路を走っていたりする時に見かける鉄塔を結んでいる電線が送電線というやつなのだ。
送電線はいわゆるネットワークの部分で、電力の供給区域をカバーするように広がっているのだ。
各発電所はこのネットワークにつながっているんだけど、ネットワークの安定性を保つために、1ヶ所送電線が切れてもネットワーク全体に大きな支障が出ないようにうまく網目が作られているんだよ。
発電所もネットワークに電気の流れの偏りが出ないようにバランスよくつながないといけないのだ。
1ヶ所に電気が流れすぎるとその熱(ジュール熱)で電線がとろけてしまうんだよね。

通常はネットワークの基幹線は20,000ボルト以上の電圧で、日本で最高の電圧の電線は新潟の柏崎刈羽原発と東京電力管内をつなぐ100万ボルトの電圧の送電線なのだ。
こんな電圧の高い送電線は世界でも珍しいみたいだよ。
他の電力会社(沖縄を除く)の一番太いネットワークは50万ボルトで、発電所からネットワークに入る手前で昇圧して、高い電圧の電気を流すネットワークにするんだけど、ネットワークの辺縁に行くほど徐々に電圧が下げられていくのだ。
電圧を高くするのは電気を長距離流すときに熱などとして失われるエネルギー・ロスを少なくするためだよ。

で、この送電線ネットワークから電力の消費者(需要家)のところまで電気を運ぶ電線が配電線で、送電線から直接20,000ボルト以上の電圧で供給を受けるのが特別高圧というやつなのだ(契約電力は2,000kW以上だよ。)。
大きな工場や大規模なデパート、ショッピング・モールなんかがこれに当たって、自前で大きな変圧器を持っていて降圧してから電気を使うのだ。
これより少し低い電圧、3,600~6,600にしてから、需要家のところで600ボルトにして配電するのが高圧(契約電力は50kW以上2,000kW未満)で、中規模の工場や中小ビル、スーパーなんかがこれに当たるんだ。
特別高圧は基本的にそのままネットワークからそのまま電気を引き込む感じだけど、高圧の場合はある程度まとめてで夏を落としておいて、そこから様々な需要家に配電するのだ。

さらに電圧を落として100~200ボルトで配電するのが低圧(契約電力は50kW未満)で、これは電柱の上のゴミバケツのような変圧器で電圧を落とすんだよ。
コンビニなんかがこれに当たるのだ。
いわゆる一般家庭の電気は電灯需要というやつで、むかしは照明が主要な電気の使用先だったのでこんな名前になっているみたい。
基本的には一般家庭は100ボルトで配電されていて、プラグに差し込むと100ボルトの交流の電気が得られるのだ(米国では120ボルトなんだよね。)。
電柱はこの低圧と電灯需要を供給するための低圧配電線を支えるもので、さらにそこから引き込み線で各需要先へ電気を送るんだよね。

日本では現在高圧と特別高圧が自由化されていて、電力会社以外からも電気が買えるのだ。
でも、送電線ネットワークと配電線は電力会社の所有物なので、これを借りないといけないんだよね(電力会社の電線で電気を運んでもらうことを「託送」と言うのだ。)
米国や欧州だと、送電線ネットワークはいわゆる電力会社から独立した運用者が管理していて、電力会社は配電線だけを持っていたりするのだ。
電気の自由化分野の競争を適正化するために、送電線・配電線事態は電力会社が所有しているけど、差別なく競合会社にも使わせてあげないといけない規制になっているのだ(電話線の場合と同じだよ。)。
いずれにしても、電線は電力会社のものなので、たこが引っかかったら連絡するのは管理している電力会社なのだ。

ちなみに、日本の場合は各電力会社ごとにネットワークが形成されていて、日本全体が大きなネットワークになっているわけじゃなく、小さなネットワークが並んでいるというイメージなのだ。
ネットワークの間は連系線と呼ばれる特別な電線でつながっていて、ここを流せる電気の量には限りがあるので、ひとつの大きなネットワークとしては機能しないのだ。
それに、東日本と西日本では電気の周波数も異なっていて、東では50Hz(北海道、東北、東京)、西では60Hz(中部、関西、北陸、中国、四国、九州、沖縄)なんだよね。
これは東京と大阪でそれぞれ発電事業が始まったときに導入した発電機の違いに由来していて、明治以来、統一できないで現在に至っているんだよね。

2008/01/01

年の暮れ

米国時間では今日が大晦日。
いよいよ明日から2008年なのだ。
ニュー・ヨークなんかではカウントダウン・イベントがあるんだけど、ボクのいるDCでは静かなものだよ。

大晦日の「みそか」はもともと月末を表す言葉で、30歳を「三十路(みそじ)」というように、「三十(みそ)+日(か)」で「晦日(みそか)」なのだ。
旧暦だと月の最終日が29日のこともあるんだけどね(笑)
で、その「みそか」の中でも年内の最後の晦日なので大晦日というみたいだよ。
旧暦は月の満ち欠けと連動していて、基本的に1日(朔日)は新月になるので、その前の30日は俗に「つごもり(月隠り)」とも言ったのだ。
なので、大晦日のことを「おおつごもり」と読むこともあるんだよ。

日本ではいろいろな年越しの風習があるけど、かつて重要だったのは歳神を迎えることだったのだ。
今でもなまはげやあまめはぎの習慣として東北や北陸にはその風習の一部が残っているんだけど、年の最後にマレビトである歳神を迎え、豊年を祝ったものだそうだよ。
この歳神は幸福をもたらすだけじゃなくて、怠け者や悪い子を懲らしめる役割も持っていて、それに特化されたのがなまはげやあまめはぎなのだ。
で、この歳神を迎えるに当たっては夜通し起きていなくてはいけなくて、それが除夜のしきたりだったんだって。
鐘の音を聞くために起きているわけじゃないみたいだよ。
ちなみに、お正月に玄関先にかざる門松は歳神のよりしろで、鏡餅はお供え物だったんだって。

もうひとつ重要な大晦日の文化と言えばなんと言っても年越しそば。
江戸時代中期には大晦日だけじゃなくて月末にそばを食べる習慣(「みそかそば」)があったそうで、それが大晦日だけに残ったと考えられているそうだよ。
一般には「細く長く」暮らせるようにと願って食べると言われているけど、江戸時代の金細工職人は作業場に散った金粉をそば粉の団子で集めていて、それで金運がよくなるようにそばを食べるなんて説もあるようなのだ。
年越しそばっていつ食べたらいいのかいまいちよくわからないけど、年を越す前に食べきらないといけないんだって。
お昼ごはんや夕食じゃなくて、年越しのお夜食にしている場合は注意が必要なのだ。