2014/01/04

年の初めのラッキー

もうもらえなくなってひさしいけど、お正月の楽しみといえばお年玉だよね♪
半分以上は貯金させられたけど、子どもとしては大きな臨時収入だから、うれしい限り。
おもちゃ屋さんも必ず元日開店していたもんだよね。
今でもお年玉をもらった子どもがわんさかやってくる、なんてことがあるのかな?

今のお年玉は目上の人が目下の人にお正月のお祝いとしてあげるもので、通常は金銭だよね。
目下の人がお世話になった目上の人にあげるお歳暮とは逆。
お金をポチ袋に包んで渡すのが一般的かな。
縦社会が厳しいところ(某男性アイドル事務所とか某刑事ドラマを得意とする軍団とか)だと、先輩が後輩に渡すのもあるけど、通常は大人が親戚や知り合いの子どもに渡すのだ。
最近では子どもが引退した親にお小遣いとして渡すようなものもあるようだけど。

ところが、もともとお年玉はお金じゃないんだよね。
お年玉の習慣は中世までさかのぼれるらしいんだけど、そのときは金銭だけじゃなく、「金品」だったようなのだ。
室町時代には茶碗や扇子を贈っていたのが確認されていて、江戸時代だと、武士なら太刀、医者なら丸薬と、今で言うお年玉とはかけ離れたようなものが贈られていたみたい。
お金だと「御祝儀」的な色彩が強いけど、やっぱりもともとは贈答品だったんだろうね。

その語源にはいくつか説があるんだけど、一般に 言われているのは、年神様に供え物として捧げていたお餅を払い下げたもの、いう説。
お正月を迎えるに当たっては、門口に門松を立て、家の中に鏡餅を用意して、年神様を迎えたのだ。
鏡餅は名前のとおり「鏡」の代わりで、年神様の依り代になるのだ。
なので丸く作るわけ。
民俗学的には、「お年玉」の「たま」は「たましい」のことで、年神様の分霊が宿るお餅をいただくことで、新年に神と一体化し、力をみなぎらせるんだとか。
今でも神社の奉納品を氏子に配ったりするよね。

でも、これだと、お正月になってすぐにもらえるものではなくて、鏡割りなりをしないともらえないような・・・?
そこでもう一つの説があって、それは、「年の賜物」で「年玉」というもの。
1年で最初の賜物だとすると、お正月早々にもらえるのもうなづけるよね。
中背にはすでに金品を贈っていたとなると、無理に年神信仰につなげなくても、新年を寿いで贈り物をした、ということでもよいような。
ま、もらえれば何でもよいんだけど(笑)

ちなみに、他の東アジア諸国でも旧正月に大人が子どもに金銭などを与える習慣があるんだとか。
おとなりの中国では、「圧歳銭」と呼ばれるものを日本と同じようにポチ袋に入れてあげるみたい。
中国では、「歳」と「祟」が同じ音なので、年始に大人が子どもに金銭を与えることで、子どもを襲う祟りを抑え、無事に1年を過ごさせようという民間信仰なんだって。
でも、新年を迎えるときに何かを贈答するという行為はアジアでは一般的なのかもね。
新年を祝って気前よく目下の人にものをあげる習慣があって、それになにやらあとづけで理由をつけているだけなのかも(笑)

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