2024/05/18

まじ寝てねーわ

 この時期の大学生あるある。
「寝てない自慢」!
地獄のミサワではないけど、なぜか寝てない自慢をするよね。
でもって、そんな寝てない状況でも普通に過ごせている俺すごい的な。
ところが、これってイキリ大学生だけの話じゃなくって、社会に出てからも同じような人たちがいるんだよね。
さすがに「寝てない自慢」をストレートでするわけでなく、「ショートスリーパーだから睡眠時間が短くても大丈夫」というように進化するのだ。

実際にショートスリーパーと呼ばれる人たちは存在するらしい。
歴史上の人物ではナポレオンなんかが有名だけど、睡眠時間が短くても平気な人。
具体的には、人間は6時間は睡眠をとらないと不調になって脳や肉体のパフォーマンスが落ちると言われていて、それより未ジカンジカンシカ睡眠をとっていないのにパフォーマンスの落ちない人というのがいるらしいのだ。
2時間寝ればスッキリで、むしろ、4時間以上はどんなにがんばっても寝られない、みたいな。
それでいて、日中に眠気に襲われるわけでもなく、記憶力や判断力にも問題がないそうな。
確かにそういうのはちょっとうらやましい(笑)

一方、普通の人が6時間未満の短時間睡眠を繰り返すと、「睡眠負債」というのがたまっていっていくのだ。
この状態では、記憶力や判断力が鈍って作業効率が落ちていくわけだけど、あまりにも睡眠時間が少ないと身体的な能力も低下していくよ。
徹夜続きの状態がまさにそうだよね。
でも、どうも感覚が鈍い人もいるようで、明らかに睡眠不足状態に陥っているのに、それを認識していない人がいるようなのだ。
軽度なものに限るのだろうけど。
常にそうやってパフォーマンスが低い状態で安定しちゃっているので、パワーマンスが落ちている、ということも感覚的にわからなくなっているんだろうね。
で、こういう人たちが「自称ショートスリーパー」のようなのだ。
体調的には不調を来しているんだけど、それに気づいていない人。
どうも、世に「ショートスリーパー」と自称している人のほとんどがこれではないか、というのが睡眠の専門家の言。
実は、それだけ真正のショートスリーパーというのは珍しい存在なのだ。
自分を特別な存在だと思ってしまうイキリぐせはなかなか抜けないわけだね(苦笑)

では、真正のショートスリーパーは何が違うのか。
体調に不調があるかどうかは個人的・主観的な感覚のようだけど、実は、客観的に観察できる事実でも判別できるみたい。
それは、寝ている間の状態。
真正のショートスリーパーの場合、睡眠時にほぼほぼレム睡眠がないということが知られているんだって。
このレム睡眠というのは、まぶたの奥で眼球がぐりぐり動いている浅い眠りの状態。
Rapid Eye Movementの頭文字をとってレム。
この状態では、肉体は弛緩していて休んでいる状態だけど、脳は割と活動的な状態なんだ。
夢を見ているのもたいていはレム睡眠の間と考えられているよ。
なんでこういう状態があるのか不明だけど、頭の中で記憶の整理をしているのではないかなどと言われているのだ。

で、普通の人は、睡眠時に深い眠りであるノンレム睡眠(眼球の動きがなく、脳の活動もかなり抑制されて、体全体が休んでいる状態)と浅い眠りのレム睡眠を周期的に繰り返しているんだよね。
たいていは90分周期くらいで、6時間睡眠では4サイクルくらいしていることになるのだ。
これは眼球の動きだけでなく、脳波を測定した場合もこの周期性は観測できるよ。
どうも、ショートスリーパーの人は、ほぼほぼずっと深い眠りのノンレム睡眠の状態で、かつ、ノンレム睡眠の時間だけを比べると通常の人と変わらない、ということのようなのだ。
つまり、レム睡眠をスキップできる人がショートスリーパーというわけだ。

ネットで検索すると、「どうやってショートスリーパーになるか」みたいなのを見かけるけど、どうもこれは訓練でどうにかなるものではないらしいよ。
生まれ持っての性質、遺伝的要素が強いようなのだ。
なので、短時間睡眠でならしていこうとしようが、単に睡眠不足になるだけなのだ。
なので、イキってみても仕方がないので、生来のショートスリーパーでないのなら、心身の健康のためによく寝ることとが大事なのだ。
ついつい夜更かししてしまうから、ショートスリーパーになれれば便利なんだけどね。
無理なものは無理ということで。

2024/05/11

この思い届けて!

 大型連休明けと言えば、会社や学校に行きたくなくてゆううつな気分になりがち。
まさにそれが社会現象として表れているようなのだ。
それは・・・。
退職代行の盛況。
テレビのニュースでも取り上げるほどなのだ。

民間事業者のやっている退職代行サービスは、基本的には「〇〇さんが退職したいとの意向をお持ちです」と会社などの雇用側にお伝えするだけ。
それ以上でもそれ以下でもないのだ。
自分で言い出しにくい人向けのサービス。
気を付けないといけないのは、退職する前に残っている有休を使いきりたいとか、業務上の引継ぎをどうしたいとかの退職に当たっての雇用者・被雇用者間のやりとりは仲介できないということ。
「有休を使いきって〇月×日付で退職されたい意向です」とか「業務の引継ぎについては整理してある書類や電子ファイルを見てもらえばわかります」みたいなのを伝言するところまではできるけど、間を取り持って調整はできなのだ。
なぜなら、それは雇用者・被雇用者間の労働契約上の権利・義務に関することで、本来的には弁護士資格がないと代理人となれないから。
つまり、そこまでやってしまうと「非弁行為」になるのだ。

なので、けっきょくその手の手続きは自分でやるか、別途弁護士に依頼することになるよ。
ま、直属の上司には話しにくいけど、事務的なやりとりを会社の人とするのはOKみたいなこともあるだろうから、それはそれでよいのかもだけど。
それにしても、そういうサービスがそこまではやるとは・・・。
実際にはもう少しいろいろ手続きをしてもらえると思って頼んでいる人もいるとは思うけどね。
まずは有無を言わせず雇用者に退職の意向を伝えたい、ということに特化したサービスになっているのだ。

退職代行というと、ブラック体質の企業に勤めていて、やめたいと思っても退職届・辞職願を受け取ってもらえないとか、ここでやめたら損害賠償政協すると脅されるとか、そういう辞めたいのにやめられない人が使うのかと思うよね。
でも、実際にはそういうケースの場合は、退職代行サービスに依頼するだけでは解決しないのだ。
お金はかかるけど弁護士に丸投げするというのもあるし、雇用者側とある程度戦う意向があるなら、労働基準監督署や労働組合と相談して自分で交渉するということをしないとだめなんだ。
そこまでしようとする人はなかなかいないのだけど。

では、どういう層がこのサービスを使っているのか?
テレビのニュースによると、150件近い申し込みのうち、30件ほどが新卒者らしい。
つまり、働き始めて1か月程度の人。
むかしは3年はこらえないと、なんてことを言われたものだけど、最近は合わないと思ったらスパッとやめるのだそうで。
確かに、病んでしまう前に違和感を感じたところで「損切り」ができるのが理想的だけど、ちょっと前までは前の職場を数か月でやめてる、なんてのが職歴として残っているとなかなか再就職できなかったりするんだよね。
それこそ、新卒一括採用の終身雇用制が一般的な会社だと特に。
でも、現在はそういう雇用状況も変化してきているのだ。

まだまだジョブ型雇用は採用されていないけど、現在は慢性的な人で不足で「売り手市場」なんだよね。
しかも、能力が高い人だけが引く手あまた、というのではなく、普通程度の能力であってもとにかく人手が不足しているから来てほしい、というくらい。
政府が一生懸命「第二新卒」なんて概念を広めようとしてもうまくいかなかったけど、今となってはある程度以上の能力のある(というか、足を引っ張ることなく一応の戦力にはなる)人材であれば、いつでも来てほしい、という企業が多くなっているのだ。
そうなると、昔はまさに「折り紙付き」の扱いだった「新卒カード」の意向は低下していて、前の職場をすぐにやめていても問題なさそうなら雇いたい、と考える企業が出てきているので、再就職するのに不利にならない状況なんだよね。
確かに一定数の「やばい」人がいるのは確実だけど、一方で、「やばい」会社がいまだに存在しているのも事実なわけで・・・。

つい先月の報道でも、チュールでおなじみの企業で新卒者が大量離職、というニュースがあったけど、あれは詳細が明かるになればなるほど企業側が「やばい」よね。
なので、そういうところでこらえて勤めるのではなく、早々に見切りをつけて次の就職先を探す、というのはある意味「見る目がある」人材でもあるのだ。
ただし、ジョブ型雇用でキャリアアップのために転職を繰り返す、というのでもなく、なんとなく合わないから、という理由ですぐに転職しようとする人も含まれるだろうから、雇う側もその人の人となりを見ておかないと危ないんだよね。
どうしても働き始めはスキル習得のために一定のコストがかかるわけで。
やっと戦力になると思った矢先にまた転職されてしまうと大変だから。

2024/05/04

まつられ

 最近は神社本庁による啓蒙のおかげもあって、「二拝二拍手一拝」(又は「二礼二拍手一礼」)のお作法も広まってきているけど、一般に神社に参拝に行くのは「社頭参拝」で、拝殿の前でお賽銭を賽銭箱に入れて参拝するのだ。
神道の考え方だと、神様は音に反応して気づいてくださるので、意識をこっちに向けてもらえるように拍手や鈴を鳴らすのが大事なんだよ。
一方、政治家の参拝で問題になるのは昇殿参拝と呼ばれる正式な参拝の方。
厄払いや七五三などの儀式のときには一般の人もやるけど、拝殿に上がって御神体のある本殿の方を向いて、祝詞なんかをあげながら儀式を行うのだ。
このとき、玉串奉奠(ほうてん)というのがあって、榊の枝に紙垂(しで=雷のような形の紙)がつけられたものを奉納するんだけど、本人は参拝せず「玉串料を収めた」というのはこれの代わりにお金を出した、ということなのだ。

で、基本的には我々は神社に参拝するときに訪れるのは拝殿。
そこが神様を拝む場所なんだよね。
一方、神様が宿る、依り代の「御神体」があるのが本殿。
神社的にはそちらが本体なのだ。
でも、基本的に御神体は秘匿されるので、目に触れることはないんだよね。
御開帳もなくはないけど。

この御神体にもいくつか種類があって、オーソドックス(?)なのは、鏡、刀剣など。
伊勢神宮の内宮の御神体は八咫鏡だし、熱田神宮の御神体は天叢雲剣になってるよね。
この人工物の御神体はわりと時代が下ってからで、その前、古神道の時代は、自然界にある畏敬の念を抱かせるようなものが御神体=神の宿るもの、だったのだ。
代表例は奈良の三輪山にある大神(おおみわ)神社。
この神社は三輪山それ自体が御神体なので、山の前に拝殿があるだけ。
同じようなものは福岡の宗像神社で、御神体は玄界灘に浮かぶ「沖ノ島」そのもの(=沖津宮)で、宗像市にある神社(=辺津宮)はそれ自体が拝殿扱いだよ。
石上神宮は布都御魂剣(ふつのみたまのつる=武御雷神が葦原中国を平定するときに使った刀剣)をまつっているけど、もともとは神宝が埋められているという禁足地に拝殿が設けられているスタイルだったんだよね。
本殿を立てようと明治期になって禁足地を発掘してみたらものすごく古い鉄剣が見つかり、それを布都御魂剣や天羽々斬(あめのははきり=素戔嗚尊が八岐大蛇を切った剣)に比定されているものだよ。

それよりもう少し身近になるのが、大きな石、大きな木、きれいな湧水などの自然物。
これはいまでもわりとよく保存されていて、しめ縄をかけて賽銭箱が置いてあったりするのだ。
もともとはその自然物が信仰を集めていたんだけど、やがてその信仰対象の神様に名前が付き、その性質の神様にふさわしい御神体が選ばれ、本殿と拝殿が作られる、みたいな感じで神社が形作られていくんだよね。
どこからか勧請してくる場合を除いては、もともと神秘的な場所・ものがあって、そこにあとから名前の付いた神様があてられるケースが多いのだ。
山の神様とか水の神様とかは自然に対する畏敬の念が信仰の本質であって、特定の神様を信仰しているわけじゃないからね。

でも、記紀神話が取りまとめられ、神道が整理されてくると、特定の神様への信仰が増えてくるのだ。
航海の安全であれば宗像三女神や住吉三神であったり、五穀豊穣の神様だったら稲荷信仰にも結び付いている宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)や保食神(うけもちのかみ)であったり。
で、このころには仏教が伝来していて、仏像や仏画と同じようなノリで、神の像や絵も作られたりするんだよね。
場合によってはそういうものが御神体になっているケースもあるのだ。
神道の神様は「感じる」ものであって「見る」ものではないから、本来は形がないはずなんだけど、具象化されてしまうのだ。

で、もうなってくると、公開してもよさそうなものだよね。
なので、御神体の御開帳というのもなくはないけど、仏教の本尊が絶対非仏で非公開を貫くように、そういうものでも公開しない、というのもあるわけで。
後から神様に祭り上げられて天神様こと菅原道真公については神像がわりとよくあるけど、御神体である神像は非公開であることが多いよ。
っていうか、神様が宿る真正なものなので、基本的には人の目に触れないようにするものなのだ。
湯志保がある神社ならなおさらね。

ちなみに、近所にあるような小さい神社の場合は、本殿と拝殿が分かれていないことも多く、社殿の奥の方に御神体がまつられていることが多いよ。
多くはほかの神社の神様を勧請してきたもので、そこの御神体はいわば電話の子機のようなものだから、そういう扱いでもよいみたい。
真正なものなので低調に扱わなければいけないのはそのとおりなんだけど、そもそも神様を勧請してくるときに自ら用意しなきゃいけないわけで、絶対的に秘密御いうわけにもいかず、そのコミュニティの中では口に出さないだけで知られたことではあったはずなのだ。