2011/10/01

皇室の第一次産業

今週、天皇陛下が皇居内で稲刈りをされた、というニュースが流れたのだ。
いよいよ秋も深まってきたねぇ、と実感するニュースだよね。
意外と知られていないのかもしれないけど、皇居内には水田があって、陛下は毎年播種、田植え、稲刈りと稲作農業を御公務としてなされているのだ。
これに対して、皇后陛下は養蚕をされていて、繭をとって糸を紡ぐところまでなされているんだよ。
両陛下のスケジュールを見ていると、様々な公務の中にそういうのが散見されるのだ。
例えば、5月にはお田植え御養蚕の様子が紹介されているよ。

宮内庁の整理では、稲作と養蚕は我が国の農耕文化の中心という位置づけで、「伝統文化の継承」というカテゴリーで紹介されているんだ。
すでに御高齢で各種祭祀や儀式、行幸などで御多忙な中、毎年毎年取り組まれているのには頭が下がるよね。
計画停電時も23区内は対象外だったのに自主的に停電されるなど、常に国民の目線を意識されているようなのだ。
世界でも、国家元首自らがこうした儀礼的でなく農事に携わるのはきわめてまれなんだそうだよ。

もともと天皇家は農耕社会の中から生まれてきて、農耕文化とは切っても切れない縁があるのだ。
重要な宮中祭祀である新嘗祭は、その年に収穫された新米などの五穀の新穀を天神地祇にすすめるとともに、自らも食してその年の収穫を感謝するものだよ。
御自分もお食べになるのは、神、そして皇祖皇宗と一体化するためと言われているよ。
特に即位後最初の新嘗祭である大嘗祭はもっとも重要な祭祀といわれているのだ。
で、現在では、皇居内で獲れた新米が新嘗祭に使われているのだ。
御自分で育て、収穫した稲を使って行う祭祀であれば、感謝の念もひとしおだよね♪
まさに伝統行事の一環というわけ。

こうした宮中祭祀は天皇という存在の由来にも関係していると考えられているんだ。
欧州の王家の多くは王権神授説に代表されるように、神から支配する権限を授けられている、という形式になっていて、王と国民は支配者と被支配者とう関係なのだ。
で、旧約聖書の世界に見られるように、その支配者としての地位は「神との契約」によるもの、となっているんだよね。
なので、実は統治責任は被支配者たる国民に対してではなく、神に負っているので、国民から不評でもやめなくてもよいのだ・・・。

でも、日本の場合は実はそういう形式ではなくて、天皇家は農耕祭事を司る「シャーマン」という位置づけが強いんだよね。
農耕社会の中で、神に祈り、神の声を聞き、人々を導く存在なのだ。
なので、天皇家は、農耕社会の祭祀・儀礼の主催者というのが一義的な役割で、決して農民を支配する、というものではないんだよね。
実はこれが大和朝廷がずっと存続してきた理由の一つなのかも。
何かまずいことがあっても、それを鎮めるための祭事を執り行うことになるからなのだ。
日本書紀なんかでは「百姓」と書いて「おおみたから」と読ませるけど、被支配者というよりは国を支える者という意識が強いからそういう言い方になっているんじゃないかと思うんだよね。

ちなみに、中国の場合は支配者たる皇帝は天命を受けて支配者となるわけだけど、皇帝は国を治めるのみならず、四時の運行をも支配することになっているのだ。
つまり、季節の移り変わりや天候の順行にも責任を負っているわけ。
その意味では農耕社会との関係は西洋世界より濃厚なのだ。
でも、この関係は逆に言うと、冷夏や天候不順などは皇帝の「徳」に問題があるから、と考えられてしまうので、不作・凶作は皇帝の責任ということになってしまうんだ。
その意味では、皇帝は天に対して責任を負いながら、事実上支配民や農事にも責任を負う形になっているわけ。
なので、西洋世界に比べて王朝の交代、革命が起きやすい環境なんだよね。

でも、むかしから皇室で自ら稲作をしていたわけではないんだ。
現在のように皇居内で稲作を始めたのは昭和天皇で、昭和2年(1927年)のこと。
はじめは天皇自らが泥の中に入って農作業をすることに抵抗があったようだけど。
養蚕の歴史はもう少し古くて、明治4年(1871年)に昭憲皇太后が始められたんだって。
皇居内では、稲作は皇居内生物学研究所で、養蚕は紅葉山御養蚕所でそれぞれ行われているよ。
皇居内生物学研究所は、陛下が御専門のハゼの研究をされているところでもあるのだ。
日本の国家元首は世界でもめずらしい理系元首なんだよね(笑)

そんなわけで、皇室は都市に暮らすボクたち以上に季節の移り変わりと密着した生活をしているのだ!
日本の伝統的な姿を体現しているよね。
そういう意味では、今でも「国体」なのかも。

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