2012/02/11

巻いて一工夫

先日朝ごはんに磯辺もちを食べたのだ。
切りもちを焼いて軽くしょうゆをつけてから海苔で巻くだけだから簡単なんだよね。
それでいておいしい♪
そこで、ふと気になったのが「いそべ」。
他にも「磯辺焼き」とか「磯辺揚げ」なんてのがあるよね。

由来というほどのことでもないんだけど、海苔の産地には「イソベ」という地名が多いらしいのだ。
海苔は海藻を乾燥させて加工して作るので、当然沿岸部が産地になるよね。
それで海苔を使った料理がその地方の名物となり、名前が冠されるようになったようなのだ。
同じ「イソベ」でも、「磯辺」と書いたり、「磯部」と書いたりするのにはそういうわけがあるみたい。
語源的には「磯の近く」ということだから、海苔の産地である磯の料理ということなんだろうね。

でも、実はそんな単純ではなくて、今のようなシート状になった板海苔が登場するのは江戸中期。
海苔自体はすでに奈良時代に編纂された各地の風土記にも出てくるので、日本では伝統的に食べられてきた海藻なのだ。
むかしから干して保存し、煮たりしてやわらかくして食べていたみたい。
佃煮なんかにする場合は、海苔を刻んでから煮るんだけど、刻んだ海苔を紙漉の要領で薄いシートに加工して乾燥させると板海苔になるのだ。
これが大発明で、巻き寿司(海苔巻き)や各種「イソベ」料理はここから生まれてくるわけだよ。
ちなみに、海苔を使った寿司でおなじみの「軍艦巻き」は戦時中の昭和16年に、銀座久兵衛の初代主人・今田寿治さんが考案したと言われているよ。
江戸時代から続く江戸前の寿司は、握るか海苔で巻くかだけだったのだ。

同じ江戸時代、それまで自然に生えている海苔を採取しているだけだったのを、養殖できるようにしたのだ。
まだ養殖技術は未熟で、手間もかかるので簡単なものではなかったようだけど、一気に生産量も拡大し、これと板海苔の技術が合わさって消費が拡大されていったようなのだ。
天然物の江戸前の海苔としては品川沖(羽田や大森あたり)が名産地だったので、海苔は品川の名物だったんだ。
なので、海苔を巻いたせんべいを「品川巻き」と言うのだ。

浅草海苔は養殖海苔の代名詞。
浅草寺の御本尊を隅田川から引き上げたときは確かに浅草は隅田川(当時の大川)の河口付近だったんだけど、海苔の養殖が行われるようになった江戸時代には干拓も進んでいて、すでに海からだいぶ離れていたんだよね。
なのに浅草海苔という名前が残っているのはおそらく浅草で加工されたからではないかと思われるのだ。
浅草から吉原に行くとき、粋な人は堀割の山谷堀(さんやぼり)を猪牙舟(ちょきぶね)で上ったんだけど、この堀の途中に紙漉橋という橋があるのだ(今は堀自体は埋め立てられているよ。)。
それはそのあたりに紙漉職人が住んでいたからで、その紙漉職人がすく前の紙の原料(コウゾやミツマタなどを蒸したり煮たりして繊維を抽出した状態のもの)を冷たい水にさらして冷やしている間に買いもしないのに吉原の遊女をのぞきに行くことを「冷やかし」と言ったのだ。
そんなわけで、浅草周辺には紙漉職人がいたわけで、その技術が板海苔の製造に使われたとすれば、海苔の加工・製造が浅草発祥となったことも考えられるよね。
詳しくはよくわからないけど、食物としての海苔は品川の名産、加工品としての板海苔は浅草の名産ということだったのだ。

そして、明治維新後の明治2年(1869年)に明治天皇が京都に御幸されるときのおみやげとして、日本橋室町1丁目の山本海苔店2代目主人・山本德治郎さんが発明したのが朝食でもおなじみの味付け海苔。
江戸時代は江戸文化も花開いたけど、やはり文化の中心、流通の中心は京都・大阪だったので、東京からのみやげとしては何か目新しいものが求められたのだ。
それまでは板海苔を火であぶってからしょうゆなどをつけて食べていたわけだけど、調味料を混ぜ込んで加熱乾燥してあるので(乾燥の工程でローラーにより調味料が塗布されるのだ。)、そのまま食べられるという優れものだったのだ!
ただし、通常の板海苔よりも吸湿性が高く、保存がより難しかったみたい。
今は個装真空パックができるから、いつでもぱりぱりだけどね。
でも、あぶりたての板海苔は風味もよいし、味付け海苔にはないおいしさがあるんだよね♪
ちなみに、この味付け海苔が日刊併合時に韓国に伝わって韓国海苔が生まれたらしいよ。

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