2010/09/25

安くおいしく

ついこの間、厚木で第5回B-1グランプリが開催されて、山梨の甲府鳥もつ煮が優勝したのだ。
砂肝やレバー、「きんかん」などの鳥のもつを少量のタレで煮込んだものなんだそうだよ。
甲府あたりの居酒屋さんでは定番メニューとのことなのだ。
優勝してさっそく人気が出ているみたい。

このB-1グランプリはB級グルメの祭典という位置付け。
全国各地の安価でおいしい御当地グルメを集め、投票で優勝を決めるのだ。
B級というとAの次なので二流以下、ということで、もともとは映画界でなんだか安っぽい映画や、いかにも低予算で作られている映画に使われていた言葉。
B級ホラーなんてのが一時期はやったよね。
そう聞くとマイナスイメージなんだけど、最近では肯定的にとれられていて、低予算ながら良くできている、とか、安っぽいが故に味があるなど、費用対効果が高いという意味でも使われがちなんだよね。
確かに低予算でも質の高い映画が出始めていることもあるんだろうね。

これが他の分野にも影響して、いわゆる高級なグルメに比べると安っぽいけどおいしい、庶民でも楽しめる安くておいしい食べ物として注目を集めるようになったのだ。
もともとはフリーライターが本で「B級」と冠して紹介したのがはじまりのようだけど、かなり浸透しているよね。
そのはやりに乗じて5年前から始まったのがB-1グランプリ。
初回と第2回は富士宮焼きそばが優勝し、一気に有名になったのだ。
これを皮切りに町おこしにもつながると、自治体も含めてかなり真剣に取り組まれるようになったのだ。

御当地グルメと言いつつ、郷土料理のようにむかしからその土地の食材を活かして、或いは、その土地柄を活かして作られ、食べられてきた料理とはちょっと違うんだよね。
八戸のせんべい汁は郷土料理っぽいけど、もともと南部せんべいを汁物の具に使ってきた郷土料理が町おこしをかねてB級グルメとして売り出されるようになったもの。
静岡おでんみたいに郷土の食材を活かしたものもあれば、行田のゼリーフライみたいにその土地で生まれ、その土地でだけ食べられてきたようなものも多いのだ。
富士宮焼きそばや横手焼きそば、今回準優勝だった蒜山(ひるぜん)焼きそばなんかだとまったく郷土食はないよね(笑)
地元ローカルで食べられてきた料理というイメージなのだ。

今回のB-1グランプリは初の関東開催で、三連休の最初の2日間だったけど、約45万人もの人が集まった大イベント。
ゆるキャラといい、地方の魅力というのが高まっているのかも。
必ずしも住むのではなくて、行ってみるだけ、というところがまだまだなんだけどね。
それでも、地方活性化にはかなり貢献しているし、地元の人たちの結束力を高める上では大きな意義があると思うのだ。
やっぱり国が上から押しつけるより、こういうじわじわと民間ベースで広まってくるものの方が効果がありそうだよね(笑)

伝統的な郷土料理は文化として認められ、保存会なんかもあるけど、将来的には御当地B級グルメもそういう扱いを受けるようになるかな?
ただし、B級グルメの中には御当地と関係のない、単に安くておいしい料理も含まれるので、今後は差別化が進むのかもね。
世の中不景気で安くておいしいものは人気が出てきているし、安近短で国内旅行が見直されているから、これからもぐんぐん伸びていくかもね。
そのうち、デパートでやるのは駅弁フェアじゃなくて、御当地B級グルメフェアかもしれないのだ(笑)

2010/09/18

店内でお召し上がりですか?

外食をするとよくそのお店の名刺大のカードをもらって帰ったりするんだけど、この前見たやつには、カタカナで「テイクアウト」、英語では「Take Away」と書いてあったのだ!
よく、テイクアウトは和製英語なので英語圏では通じなくて、正式にはテイク・アウェイと言う、なんて言われるけど、そういうことかな?
とは言え、ちょっと気になったので調べてみたのだ。

調べてみると、一般的に言われているのは、Take Outは米語で、Take Awayが英語というもの。
米国ではTake Outと言い、その他の英語圏である英国や豪州ではTake Awayが使われるというのだ。
一部ではCarry Outも使うみたい。
でもでも、ボクが米国にいたときは、Take Outという語はほとんど聞かなかったのだ。
だいたい持ち帰りかどうかを聞くときは「Stay or Go」と聞かれて、「To Go」というのが持ち帰り。
一般的にTake Outは「持ち出す」といった意味があるから、通じないと言うことはないのだ。
このあたりは英語の辞書的な意味と、実際のコミュニケーションの場での使われ方の差なんだろうね。

ちなみに、いわゆる持ち帰り用の食品でも、道ばたにワゴンで出ているホットドッグなどはストリート・フード=歩きながら食べるもので、テイクアウトにはあたらないみたい。
定義は曖昧だけど、きちんと店舗があって、そこで売っているものを持ち帰るのがテイクアウトのようなのだ。
持ち帰り専用のスタンドやウィンドウであってもそれはいいみたい。
持ち帰り専用だったらわざわざ「テイクアウトで」とは言わないけど、持ち帰りの食品のことを「Takeout」と言うので、一応区別が必要なのだ。

そのテイクアウトの一種がドライブスルー。
こっちは英語でもDrive Throughなんだけど、米国では日本よりも多くのドライブスルーがあるのだ。
日本的なイメージだとどうしてもファストフードを思い浮かべがちだけど、自動車大国の米国では、車に乗ったまますませられるものはなんでも車に乗ったまま、というわけで、その種類も多種多様。
ドラッグストア(調剤もあり)や銀行(いわゆるATMでなく、窓口業務もあるのだ!)、日用品などなど。
場所によっては、ドライブスルー・チャペルなんてのもあるようだし、なぜかアルコール販売もあるようなのだ。
日本でも郵便業務や銀行、クリーニング受け渡しなどが一部でやられているようだけど。
町中だったら歩いていった方が便利だよね(笑)

テイクアウトと対立する概念がEat-in。
まさに中で食べていく、ということだけど、明確にテイクアウトと区別するときにしか使わないよね。
持ち帰りが多いようなファストフードをその場でも食べられるよ、というような時に使うことが多いのだ。
米国でもサンドイッチとかハンバーガーとか(特にフードコートにあるもの)はそうなんだよね。
いわゆるイートイン・コーナーっていうやつ。
で、Eat-inに対して、Eat-outという表現もあるようなのだ。
中では食べないよ、ってこと。
あんまり使われないようだけど。

もうひとつの対立概念はデリバリー。
テイクアウトは自分でお店から持ち帰るけど、自分のところにお店から持ってきてもらうのがデリバリー。
日本でもおなじみの出前だよね。
もともとそばやラーメン、寿司などで出前の文化があるので、ピザのデリバリーが始まったときにはあんまり違和感はなかったけど、最近はファミリーレストランやオードブルなんかのデリバリーが増えているよね。
こっちは「仕出し」というイメージが強いけど。

ちなみに、あんまり厳格ではないけど、店舗内に飲食スペースがない場合をデリバリーと呼ぶことが多いそうなのだ。
寿司の出前とデリバリーの違いを考えるとそうかもね。
でも、なんだかむかしからあるものが出前で、新たな業種がデリバリーという方が実態に即している気がするけど。
それと、似たサービスのケータリングとの違いは、完成品を運んでくるのが出前・デリバリー、現場で調理をするのがケータリングなんだとか。
ケータリングの場合、注文主の台所を借りて調理したり、現地に移動調理車を持ってきて仕上げたりするのが基本なんだそうだよ。

2010/09/11

一体誰が・・・

奈良県明日香村の牽牛子塚(けんごしづか)古墳を調査した結果、天智天皇(中大兄皇子)や天武天皇(大海人皇子)のお母さんで、日本史上初の重祚(ちょうそ)したことでも知られる斉明天皇(皇極天皇)の墓所である可能性が高まったのだ。
その時期の天皇・皇族の陵墓に特徴的な八角構造があることがわかったんだとか。
でも、現在宮内庁書陵部が斉明天皇陵として指定し、管理しているのは別の古墳。
続日本紀によると、斉明天皇陵はある時期に修理されたと読める記述があるんだけど、そのときに改装されたのかどうかが論点になるみたい。
今のところ宮内庁は指定し直そうとしていないみたいだけど。

実は、現在でも歴代天皇や皇族の陵墓は宮内庁が管理をしているのだ。
皇室関係の基本法規である皇室典範第27条によると、「天皇、皇后、太皇太后及び皇太后を葬る所を陵、その他の皇族を葬る所を墓とし」とあって、合わせて陵墓として書陵部で管理しているのだ。
明治維新以降は、天皇・皇后は高尾の武蔵野陵墓地(多摩御陵)に、その他の皇族は護国寺に隣接している豊島岡墓地(豊島ヶ岡御陵)に埋葬されることになっているんだ。
それ以前の陵墓については、むかしからずっと朝廷に管理されているものも少数はあったけど、ほとんどは平安時代以降に十分に管理されず、荒れ放題になってしまったいたんだ。
これを、江戸時代後期に尊皇思想が勃興した頃、本居宣長さんほかの国学者が延喜式や日本書紀等の歴史書をもとに比定していったんだって。
その作業は明治までずれこんだんだけど、今の書陵部が管理している陵墓がそれなのだ。

ただし、この宮内庁管理の陵墓は現在でも皇室が祭祀を執り行っていて、自由に調査研究ができないのだ。
以前は奈良の箸墓古墳が卑弥呼の墓ではないか、という話が出たときに話題になったけど、けっきょく調査許可が出ないんだよね・・・。
最近では修復の時に研究者が立ち会える、くらいのことはできるようだけど。
で、そういう状況なので、本当に誰がそこに埋葬されているかがよくわからないものが多数あるわけ。
今回の発見も、これを踏まえて現在斉明天皇陵に指定されている「越智崗上陵(おちのおかのえのみささぎ)」こと車木ケンノウ古墳を調査できないので、確かめられないんだよね。
宮内庁はどう動くのかは見物だけど。

ちなみに、日本でもっとも有名な前方後円墳の百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)こと仁徳天皇陵の大仙陵古墳も、実際に仁徳天皇陵かどうかはわからないそうだよ。
文献資料での記述の調査や出土品の年代特定なんかから調査をするんだけど、古代の超有力者の墓という以上にはわからないのだ。
ま、中を調べればわかるというものでもないんだけど。
ただし、世界最大級の墳墓として歴史の教科書に載っているくらいのものなので、きちんと調べたい気持ちはあるよね。

宮内庁書陵部は皇室が持っている資料や文献の管理・保存と陵墓の管理を行う部署。
旧宮内省の図書寮と諸陵寮が統合化され、戦後に書陵部になったのだ。
この書陵部の建物は一般参賀などでしか見る機会のない宮内庁の本庁舎にはなくて、普通の人がいつでも入れる皇居東御苑の旧江戸城本丸の一角、天守台の近くにあるよ。
そういう意味では、近くまで見に行けるのだ(当然中には入れないけど。)。
宮殿から離れた位置にあるのは、直接皇室のお世話を担当する他の部署とは役割が違うからかな?
ちなみに、当然陵墓を管理する地方事務所も持っていて、東京に一カ所(八王子)、京都に二カ所(伏見区と東山区)、奈良に一カ所(橿原市)、大阪に一カ所(羽曳野市)にあって、そこがある程度地域ブロックでまとめて管理しているんだ。
地図上で見ると、確かに「陵墓銀座」みたいな密集している地域があって、そこにうまく配置されているみたいだよ。

というわけで、一気に気になる存在になったよね。
高尾の武蔵野寮墓地は多摩森林科学園のすぐ近くでちょっとした散策には向いているところ。
京都や奈良の陵墓も多くは観光地になっているので、近くに行ったら気にして見るようにしてみるとおもしろいかもね。
古代のロマンに思いをはせるのだ!

2010/09/04

Wooden Fish

正座をしていると足がしびれるから耐えられるけど、単調なお経を聞いていると眠くなるよね(笑)
それに大きく貢献しているのが、あの単調なリズムを刻んでいる木魚。
ぽくぽくぽくとなかなか心地よい音なのだ。
最近は楽器としても使われたりするんだよね。

この木魚、実は読経のリズムを整えるだけでなく、眠気防止の意味もあるというのだ。
確かに音は大きいけど、リズムが単調だから心地よい響きになってくるんだよね・・・。
でも、魚はまぶたもなく、眠らないものと認識されていたので、居眠りせずにしっかり励め、という意味が込められているのだ!
とは言え、現在の木魚を見ると、魚っぽい鱗のモチーフはあるものの、必ずしも魚の形はしていないよね。
木製の鈴のような形で、施されている彫刻も竜だったりすることもあるのだ。
日蓮宗で大音声の読経の時に使う木柾(もくしょう)なんかも似たような機能のものだけど、こちらは完全に木製の鉦=柾で、音を鳴らすものに徹しているのだ。

この木魚が日本で広く使われるようになったのは江戸時代からで、そんなに古くはないのだ。
持ち込んだのは日本黄檗宗の開祖である隠元禅師。
中国の禅宗の大本山で、臨済宗を開いた臨済義玄さんの支障に当たる黄檗希運さんも住した黄檗山萬福寺では、魚板と呼ばれる魚の形をした板が使われているのだ。
これはたたいて音を出すことで、人を集める合図に使ったりするんだって。
禅寺では1日のすべての行為が修行で、いちいち動きが決まっているので、こういう合図が重要なのだ。

この魚板は、魚は目を閉じない=眠らない、ということと、魚の腹をたたくことで煩悩をはき出させるという意味が込められているらしいよ。
修行に精進する象徴として使われていたわけだけど、いつしか読経のリズムを整え、同時に眠気を覚まする楽器のような使われ方をするようになり、明代になると今の木魚の原型が完成していたようなのだ。
それは日本にも少しは伝わっていたようだけど、江戸時代に隠元禅師が持ち込むまではあまり広まらなかったみたい。
逆に、江戸時代以降は禅宗だけでなく、天台宗や浄土宗でも使われるようになったのだ。
ちなみに、黄檗宗では他にも仏具としていろんな楽器を使うことで有名だそうだよ。

魚は眠らないというのはまぶたがなく、目を閉じないからなんだけど、これは水中に棲む魚は目を乾燥から守る必要がないので、まぶたがなくてもなんとかなるのだ。
でも、サメの一部では瞬膜と呼ばれる目を守る半透明の膜があって、エサを食べるときなどは一瞬閉じて目を保護するのだ。
これは物理的な刺激から守るため。
まぶたは皮膚と連続的で開閉可能な目を保護する器官で、皮膚と目の間にある瞬膜とは別物なのだ。
まぶたが上下に動くことが多いのに対し、瞬膜は水平に動くことが多いのも特徴なのだ。
カエルなんかだと、まぶたと瞬膜の両方があることもあるのだ。
カラスも瞬膜を持っていて、光っていた目がくもった瞬間が瞬膜が閉じたタイミングなのだ。

ちなみに、魚は眠らない、というのは厳密にはウソなのだ。
目を閉じない、というか、閉じられないだけであって、「原始睡眠」という脳が体を休ませている状態はあるのだ。
人間で言うとレム睡眠にあたるようなもので、この間は泳ぎ方も「覚醒」状態とは違うんだよね。
こっくりこっくりじゃないけど、沈んでは浮かび直し、といった動きをするよ。
金魚なんかを飼っていると時々見られるのだ。

マグロやカツオなんかは体の構造上泳ぎ続けないとえら呼吸できないので、休息しているときも止まれないのだ。
なので、ぶつ切りで意識が吹っ飛んでいるような状態を繰り返して、止まらない程度に体を休ませるわけ。
隠れてじっとしている魚も「寝ている」のかもしれないね。
ということは、目を開けながら寝るのは木魚の意味合い的には許されるのかな?
たまにそういう人を電車で見かけたりするけど(笑)

2010/08/28

あめちゃん

職場のおみやげで「フグ雑炊ドロップ」というのがあったのだ。
これはまさしくその味で、しゃれにならないもの・・・。
よくそんなものを本当に作るよ、味見しないのかな?、なんて思うよね。
で、気になったのが、「ドロップ」というもの。
いわゆるキャンディとは何が違うのか。
気になったので、調べてみたよ。

ドロップはハードキャンディの1種類で、砂糖80%、水飴20%の基材を140~150℃で煮詰め、そこに酸味を加えるクエン酸や香料、着色料などを加えて冷やしかためたもの。
非常に単純な材料で作られたあめだったのだ!
水飴と混ぜるところがポイントで、こうすることで砂糖の再結晶かがふせげて、透明感を残したままかためることができるんだって。
確かに色がきれいだよね。

もともとはオランダに甘草を使ったリコリス菓子の「ドロップ」というのがあって、それが語源と言われているのだ。
通常欧米のリコリス菓子は紐状だけど、オランダのものだけは動物やコインなどいろんな形にかためたもので、本場オランダでは親しまれているんだって・・・。
日本人にはリコリスの味と香りは苦手とする人が多いけど。
で、このいろんな形状にかためるところから名前が来ているのではないか、と言われているそうだよ。

じゃあ、キャンディは何かというと、砂糖や水飴を主原料とし、煮詰めた後に冷やしかためたお菓子の総称みたい。
かちっとかたくかためたものがハードキャンディ。
ドロップのほか、ペロペロキャンディのロリポップや、三温糖とバターを煮詰めたものをナッツと混ぜてかためたタフィやバタースコッチなんかがこれにあたるそうだよ。
やわらかくかためたものがソフトキャンディで、キャラメルやマシュマロ、ヌガーなどはこのソフトキャンディになるのだ。
ボンタン飴や森永ハイチュウもソフトキャンディだよね。

タフィなんかはキャラメルに近いような気がするけど、がりっと歯が砕けるかと思うほどかたいこともあるから「ハード」なのかな?
バタースコッチはとろっとしたソースのイメージだけど、かたく作ったチップもあるそうなので、やはりかたいものなのかも。
ちなみに、タフィとバタースコッチの違いはどこまであたためたかで、バタースコッチの場合はとろみがつく程度にまでしか加熱しないのに対し、タフィはカラメル化が起きるまで加熱するのだ。
なので、タフィの方が苦みと風味が出るわけ。
もともとタフィやバタースコッチの茶色は主に三温糖の色なんだけど、キャラメルの場合はカラメル化した砂糖の色で、さらに、バターでなく生クリームを加えるのでよりやわらかいのだ。

翻って、日本の飴がどうかというと、けっこう歴史が古いみたいなんだよね。
砂糖自体はむかしの日本では超貴重品だったので、基本はデンプンを酵素で分解して糖化したものが使われていたようなのだ。
今でも麦芽水飴というのがあるけど、それと同じように、米を発芽させ、その発芽した芽に含まれる酵素でデンプンを糖化して作っていたのではないか、と言われているよ。
これを精製していくとできるのが水飴。
むかしはこれも貴重品で、それで「附子(ぶす)」なんて狂言が生まれるのだ。
これはかくしておいた水飴が食べられないように毒だと言ってうそをつく話だよね(砂糖と言われるけど、どう考えても動作的に水飴をなめているのだ!)。

江戸時代くらいになって砂糖が手にはいるようになると、この水飴に少量の砂糖を加えて練って作るさらし飴が登場するんだよ。
これはよく寝ると空気が入り込んで白くなるのだ。
柔らかいうちに棒状に丸めてトントントンとこぎみよく切るのだ。
今でも神社やお寺の前ではそういう飴屋さんがあるよね。
ちなみに、やわらかいうちは加工が可能なので、飴細工にしたり、金太郎飴にしたりと色鮮やかにできるんだよ。

日本的な飴と思われるべっこう飴はもっと後の時代に出てくるもので、これは砂糖水(ザラメを水に溶かしたもの)を熱してから冷やしかためただけのもの。
加熱しているときにカラメル化が起きるので、黄金色に色づくのだ。
これがべっ甲の色に似ているのでべっこう飴と呼ばれるんだ。
色づいてから型に流し込むだけだけど、自分で作ろうとするとけっこう難しいんだよね。
焦げ付いたり、色がきれいにつかなかったりするのだ。
色がつかないと風味もないので、おいしくもないのだ。

というわけで、実はあめの世界も奥が深いみたい。
口ざみしいときについつい口に入れてしまうあめだけど、これは何のあめかな?なんて思いをはせると、食べ過ぎずにすむかも(笑)
いろんなあめで舌触りが違ったりするけど、それも長年の工夫の上に立っているんだねぇ。

2010/08/21

希釈でまろやかに

ここ最近はハイボールがはやっているみたいだねぇ。
一時期地酒や焼酎がはやったけど、不況だからか、安くて酔えるお酒に人気が集まってきたのかな?
宣伝がうまくいったというのもあるんだろうけど。
サントリーでは急激に消費量が増えたので角瓶の出荷量を制限する措置までとりだしているのだ。
ウィスキーの場合は熟成に時間がかかるので、すぐに生産量を増やせないという問題があるんだよね。
企業側としては、売れるのはうれしいけど、ということで痛しかゆしなのかも。

で、その最近のハイボールだけど、これはウィスキーをソーダ(炭酸水)で割ったもの。
広義にはアルコール度数の高い蒸留酒を炭酸水やソフトドリンクで割ったカクテルの総称なんだそうけど、日本では完全にウィスキーのソーダ割りだよね(笑)
ちなみに、酎ハイは焼酎をソーダで割ったもので、焼酎ハイボールなので酎ハイなんだとか。
でも、ハイボールを広義の意味で使う例は他にはあまり見ないのだ。

ウィスキーはアルコール度数が高いこともあって、もともとそんなにアルコールに強くない日本人としては、水割りやソーダ割りで飲むのが好まれているんだよね。
ところが、これはおよそ日本独特の飲み方で、海外ではストレートかロック(オン・ザ・ロック)が一般的な飲み方のようなのだ。
それをちびちびやるのが本道で、飲みやすくしたハイボールは「カクテル」という扱いなんだろうね。
むしろ、日本では、ウィスキーは割って飲むのが普通だから、「カクテル」扱いしたくないんだろうね(笑)

でもでも、この「割る」という行為はアルコール度数を薄める以上にメリットもあるのだ。
薄めることで飲み口がすっきりして飲みやすくなるんだけど、それとともに、アルコールの強い香気を弱め、ウィスキー独特の風味を楽しめる、ということもあるのだ。
ストレートで飲む場合もチェイサーで水を続けて飲んだりすることで、アルコールの香気を洗い流してウィスキーの風味を楽しむものだそうなのだ。
水割りの場合、水との配合比率でいろんなまろやかさ、飲みやすさに調整できるんだけど、ウィスキーの風味が際だつ黄金比というものがあるようなのだ。
ソーダ割りのハイボールの場合はさらに清涼感・爽快感がまして飲み口がさっぱりするというわけ。
暑い時期にはただの水割りより魅力的かもね。
で、ロックの場合は、徐々に氷が溶けていくので味の変化が楽しめるので、一粒で何度もおいしい、という飲み方になるのだ。

同じようにいろんな割り方をする熟成させた蒸留酒と言えば、沖縄の泡盛(古酒)があるよね。
泡盛は現地でもあんまりストレートで飲むことはなくて、割って飲むのが一般的。
やっぱり割り方に黄金比があって、泡盛の風味がもっとも引き立ち、甘みを感じる割り方があるらしいのだ。
普通の蒸留酒だと雑味を除いてアルコール度数を高めているだけなので、その引き立たせる風味があまりないので気にならないわけだけど、ウィスキーや泡盛のように熟成させる蒸留酒ならではなんだよね。

ところが、ウィスキーと泡盛ではまったく熟成の中身が違うんだよね。
ウィスキーは蒸留したての透明なものを樽に入れて熟成させるのだ。
そうすると、樽に使われているオーク材などからタンニンやリグニンなどのポリフェノールが溶け出していって、色と風味がついていくんだ。
重要なのは、風味を与えるのは樽なので、どの樽で熟成させるかが重要なわけ。
一報、泡盛はウィスキーほどには蒸留が進んでいなくて、まだ中には多くの雑味(エタノール以外のアルコールや脂肪酸エステルなど)が含まれていて、これが熟成過程で独特の風味を出していくわけ。
分解したり、結合したりとゆっくりと化学反応が進んで、味や香りのもととなるんだ。
泡盛の場合はかめに入れて熟成させるけど、内部の成分が熟成していくので、どのかめで熟成させるかは問題にならないというわけ。

同じ蒸留酒でもウォッカやジンなんかの徹底的にアルコール度数を高めるとカクテルの原料として使われるのが多くなるよね(ロシア人はウォッカをぐいっといくみたいだけど・・・。)。
一方、ラムやテキーラなんかはウィスキーと同じように樽で熟成させてから楽しんだりするのだ。
日本の焼酎はまだ風味が残る程度の蒸留なので、その風味を楽しみつつ、ストレートだったり、お湯割り、水割りで飲むよね。
これがブランデーまで行くと、その高貴な風味を楽しむためにストレートで飲むのが原則になるのだ。
というように、同じ蒸留酒でも飲み方は様々。
むかしから人類はアルコールを楽しむためにいろいろと工夫してきたんだなぁ、と感心するよ。

2010/08/14

Bon Vacation!

世間はすっかりお盆休みシーズンだねぇ。
街中から人は減り、帰省ラッシュのニュースが流れているのだ。
かくいうボクも今回はこのお盆の時期に夏休みを取得しているのだ。
お仕事の相手先もお休みのことが多いから休みやすいんだよね。
なんだかんだでまだ国民的な季節行事なのだ!

お盆というのは仏教で言う盂蘭盆会(うらぼんえ)から来ているもので、祖先の霊がもどってくるので、それを迎え、供養して、また送り出すというのが一連の流れ。
一説には、釈迦の十大弟子の一人、神通第一と言われた目連尊者が夏の修行(夏安吾)の最中に亡き母親の姿を探したところ、餓鬼道に落ちていることを発見したことから始まるのだ。
それをどうしたら救えるかとお釈迦様に相談すると、安吾の最後の日(解夏の日)にすべての比丘(仏教の修行者)に食べ物を施せば母親にも届くだろう、と教えられ、すべての比丘に布施をしたところ、餓鬼道にいた母親の口にも食べ物が届いたんだとか。
これが施餓鬼とも言われる所以だよ。
この話は中国で成立した偽経にあるものなので、中国由来なんだそうで、インドでは盂蘭盆の習慣はないんだって。

もともと中国では初春と夏の盛りに二度祖先の霊をまつる習慣があったようで、その夏の祖霊供養の習慣が仏教とまざってできたのが盂蘭盆なんだと考えられているようだよ。
中国の習慣は広く東アジアに広まるので、これは日本にも入ってきていて、さらに仏教とともに盂蘭盆が入ってくると、日本で独自に進化した夏の祖霊供養の民俗習慣と、仏教とともに入ってきた盂蘭盆が習合して現在のようなお盆になったのだ。
そういう意味で、仏教色が強いけど、純粋な仏教行事とはいえないんだよね。
お墓参りやお経をあげたりするほかにもお盆の行事があるのにはそういう事情があるのだ。
ちなみに、初春の行事は後にお正月の民俗につながっていって、中国では爆竹を鳴らしたり、日本では門松を立てて年神様を迎えたりするけど、それももともとは祖先の霊の供養だったんだって。

お盆が特殊なのは他の夏の行事とも密接に関係していること。
特に夏祭りが行われる地域だと、盆踊りとお祭りは密接不可分だよね。
夏祭り自体は疫病が流行しないように祈ったり、収穫前にしっかり雨が降るよう祈ったり、逆に台風の被害がないように祈ったりするもの。
これももともとは祖先の霊をまつって、感謝の気持ちを表すとともに、そういう祈願をしていたのかもしれないのだ。
もともと日本の神様は祖先的な意味合いもあるから、神仏混淆の世界ではそれでよいのかも。

盆踊りは地獄での受苦を逃れた亡者が喜んで踊る姿を燃したなんてことも言われるけど、むしろ祈願の踊りと考えた方がすっきりするかもね。
雨乞いの踊りのようなものなのだ。
沖縄のエイサーも盆踊りの一種だそうだけど、太鼓や鉦を大音量で打ち鳴らすのは疫病払いのお祭りの特徴だよね。
東北のねぶたも疫病払いと言われるけど、こっちもお盆と大きく関係しているようなのだ。
秋田の竿灯祭りは豊作祈願だけど、やっぱりお盆と関係しているよね。
やっぱり夏祭りとお盆は民俗行事としてつながっていそうなのだ。
ちなみに、これらのお祭りや盆踊りはむかしでは一大イベントでは、田舎の地域では重要な出会いの場だったんだよね(笑)

お盆によく見るのは迎え火や送り火。
これは祖先の霊を迎え、送り出すときのもの。
京都五山の送り火も祖霊を送るものだそうだよ。
灯籠流しや精霊流しも同じ意味があるそうなのだ。
むかしは海の彼方に常世=あの世があるとも考えられていたので、川に流すという発想が出てくるのだ。
そして、お盆の名物と言えばキュウリとナスに割り箸をさした馬と牛。
来るときは馬に乗って早く、帰るときは牛に乗ってゆっくりと、という意味が込められているんだって。
ちなみにこれは精霊馬と呼ばれるのだ。

で、現在はお盆というと8月中旬、終戦記念日と同じ15日に当てられることが多いよね。
この前後がお盆休みシーズンとなるのだ。
でも、もともとは旧暦の7月15日で、それが新暦になると約1ヶ月ずれるわけだけど、そのまま旧暦の日付に合わせ続けると新暦では毎年日が変わってしまうので、そのまま1ヶ月ずらした8月15日固定されるようになったんだ。
今でも旧暦の7月15日に旧盆をやる地域もあるよね。
さらに、新暦の7月15日という地域もあたりするから混乱するのだ。
とは言え、なんとなく、8月中旬、夏休みも折り返しを過ぎて、そろそろ休みも終わるなぁ、と思いをはせるこの時期がお盆っぽいよね。
お盆が終わるとヒグラシも鳴き始めて、夏の終わりを感じるのだ。
やっぱり日本人の季節感と密接に関連した民俗なんだね。