2011/04/23

今年は昭和で言うと何年?

未曾有の大震災から1ヵ月以上が経ったけど、なかなか復興のメドは立たないし、原発の方も不安がつのるばかりだよね(ToT)
まさに、21世紀最大の災害なのだ!
中国文明圏では、こういう天変地異があるとよく元号を変えたんだよね。
日本でも飢饉や大地震などがあると変えた例があるのだ。
で、今更ながら元号について気になったので、ちょっと調べてみることにしたのだ。

もともと元号っていうのは中国発祥のもので、中国の考え方では、すべての世界を司る天帝から天命を受けた皇帝は、地上を支配するのみならず、時間をも支配すると考えられていたのだ。
この時空を支配するという考え方は、皇帝が暦を作ってそれを頒布し、その暦に従って人々の生活、特に農業が営まれるということをも意味するんだ。
これは四時の運行は皇帝が司っている、という証でもあるのだ。
すなわち、暦を作るのは王朝の専権事項であって、勝手に暦を作ってはいけなかったのだ。
逆に、自分こそが「王」だと思う人は、自分で暦を作ってそれをアピールしたみたいだよ。
で、年を表す元号っていうのもその流れから来るんだよね。
暦と同様に皇帝以外が勝手に元号を定めてはいけないし、我こそが支配者だと思う人は自分が作った私的な元号を支配民に使わせたりしたようなのだ。

この元号は、基本的には君主が交代すると変わる(=改元される)んだけど、それ以外にも変えられたのだ。
ひとつは祥瑞改元というもので、吉事があったときに縁起がよいと変えるというもの。
中国では竜が天に昇るのを見た、とか、麒麟が空を駆けていくのを見た、とかそういうもので変えたようだよ。
日本でも、白雉という元号があるけど、これは珍しい白いキジが朝廷に献上されたことに由来するものなんだよ。
そして、革年改元というのがあって、中国では甲子、戊辰、辛酉の年に大きな政治的変化があるという説があったので、その年になると元号を変えていたことがあったのだ。
これは政治的な変革が発生しないように、象徴的に元号だけを変えるという発想みたいだよ。

そして、天変地異があった場合に改元する災異改元。
例えば、江戸時代でも、振り袖火事とも呼ばれる明暦の大火の後に万治と改元されているし、天保の大飢饉の後に弘化と改元されているのだ。
これは、元号を変えて悪い影響に区切りをつけようという思いもあるんだけど、それ以上に、天災地変が発生するのは、為政者の徳が低いから、という中国的な考え方が背景にあるためなのだ。
なので、支配者が心を入れ替えて政治をするためにも、元号を変えて出直そう、ということなんだ。
奈良時代の聖武天皇は疫病が流行したときに御自身の徳の低さを嘆き、全国に国分寺を設置するとともに奈良の大仏を建立したんだけど、平安時代まで下ると、御霊信仰とあいまって、何かあると誰かのたたりとして祭り上げ、改元して出直そうとしたのだ。
で、今回も未曾有の大災害だから改元しよう、なんていっている人たちがいるんだけど、そんなわけにはいかないんだよね。

明治維新以降、改元をどうするかが問題になって、「一世一元の制」がしかれたのだ。
これは天皇の在位中には元号を変えず、皇位継承があったときだけ改元するというもの。
日本では「蒸し米を炊いて祝おう大化の改新(645年=大化元年)」から元号が断続的に使われ始め、「なれい大宝律令(701年=大宝元年)」からは連続して元号が定め続けられてきているんだ(南北朝時代は2系統の元号があったけどね。)。
それまでは、いろんなタイミングで改元をしていたんだけど、明治になって一世一元の詔を出して、在位中は改元しない制度に変えたのだ。
これは旧皇室典範に継承され、大正、昭和と引き継がれるのだ。

戦後になると旧皇室典範が廃止され、新たに定められた皇室典範(昭和22年法律第3号)には元号に関する規定がなかったので、一時あやふやな状況が続いていたんだよね。
これは、戦後になって古い体制を改めようと、一時公文書でも西暦を使ったりしようという動きがあったからなんだよね。
でも、けっきょく国民は元号を使っているので、しっかりとその法的根拠を定めようとできたのが元号法(昭和54年法律第43号)なのだ。
元号を使うということは、歴史的に見てもその天皇の支配下に属するということなのでけっこう騒がれたようなんだけど、なんとか成立したのだ。
法律自体は2項しかなくて、

1 元号は、政令で定める。
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。


というあっさりしたもので、皇位継承があった場合、政令により次の元号を定めるのだ。
この元号法に基づいて最初に定められた元号が「平成」だよ。
なので、どんな災害があっても皇位継承がなければ元号は変わらないんだ。
元号法を改正すれば別だけど・・・。

それにしても、すごいのは、日本ではずっと天皇が君主であり続けて、天皇が定めた元号が使われ続けてきた、という事実なのだ。
摂関政治の頃はあくまでも天皇の下で貴族たちが政治をおこなっていたわけだけど、鎌倉幕府以降、政治の実権は武士に移っているのだ。
でもでも、元号を定め、国を代表する象徴的支配者はあくまでも天皇であり続けたんだよね。
これがすぐに王朝が交代してしまう中国との違いなのだ。
現在の憲法の下でも天皇も、国をまとめる象徴的な存在という意味では、江戸時代となんら変わらないのだ。
というわけで、元号を使うのは日本国民としてのアイデンティティ、誇りでもあるので、便利だからといって西暦ばかり使っていてはダメなのだ。
それと、今上天皇への敬意を表するためにも、「今年って昭和で言うと何年だっけ?」なんてのもダメなんだよ(笑)

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