2014/06/28

議場の華?

都議会でのセクハラやじが問題になっているのだ。
たぶん、やじだから発言者は不特定だろうと高をくくっていたんだろうけど、けっきょくは名乗り出るハメになったね・・・。
もっと失礼なやじは誰が発したのかはわからないようだけど。
無責任に特命ではやし立てるからやじなんだけど、かりそめにも選挙で選ばれた人が、国民・住民の代表として議会でやるような行為じゃないよね。


ところが、我が国では、むかしから「やじは議場の華」といった受け止めもあるのだ。
間の手のようにうまくさしはさむ人もいるんだよね。
例えば、鳩山政権下で、首相がガンジーの7つの社会的大罪のひとつとして「労働なき富」というのを施政方針演説で言及したとき、「それはお前だ-!」とやじられたのは印象深いのだ(笑)
そういうのはまだましだけど、聞くに堪えないようなひどいのもあるんだよね。
今回の都議会の件がまさにそうだけど、その少し前には、橋下大阪市長が大阪市議会の野党からのやじに怒ったこともあったのだ。
海外の議会でもこういうのはあるのかな?

「やじ」は「野次馬」の「馬」が省略された言葉と言われていて、もともとは、無責任にまわりからはやし立てる人のことを「野次馬」と言い、その「野次馬」が発する言葉が「やじ」だったのだ。
火事やけんか、事故があると集まってくるような人たちがまさに「野次馬」。
「やじる」と動詞形で使われることもあるし、「やじを飛ばす」なんて表現もあるよね。
問題となっている自称に直接関わるのではなくて、無責任に回りではやし立てるだけなので迷惑なのだ(>o<)
議会の場合は、議員であっても自由に発言してよいわけじゃないので、「やじ」ではやし立てる、相手の揚げ足をとる、みたいな文化ができてしまっているんだよね・・・。
悪い慣習なのだ。

「野次馬」の語源は「親父馬」が転訛したものと考えられていて、年老いた馬は役に立たず、ただただ若い馬の後ろをついてくるだけなので、後ろにいる役に立たない人たちを指す言葉として使われるようになったのだ。
「暴れ馬」の意味で「野次馬」が使われることもあったようだけど、御しきれない「暴れ馬」は役に立たないという意味で年老いた馬と同じ、ということみたい。
この意味も重なって、後ろで騒ぐだけの役に立たない連中、という否定的な意味につながるのだ。
で、こういう人たちの心理がまさに「野次馬根性」というわけだよね。

サッカーのワールドカップが開催されているけど、日本-コートジボワール戦後の渋谷駅前の交差点の騒ぎも野次馬的なんだよね。
日本は残念ながら敗戦したわけだけど、なぜかハイタッチしながら騒いでいる人たちがいたとか。
「にわかファン」とか言って敵視する人たちもいるようだけど、むしろ、ただただ騒ぎたいだけの人たちがワールドカップに乗じて集まっているような気がするよね。
「にわか」だろうとなんだろうと、「ファン」だったら負けてくやしかったり、がっくりしているわけだし。
海外の「フーリガン」のように負けた腹いせで暴れているというわけでもないようだから、まさに日本的な「野次馬」なのだ。
騒ぎが起こると警察も厳戒態勢をとらざるを得ないけど、こういうのでサッカーを応援していたサポーターに迷惑がかかるのはよくないよね。

やっぱり、「野次馬」とか「やじ」は下品なんだよね。
集団の中の匿名性でもって恥も外聞もなくそういうことをしてしまうというのが問題なのだ。
日本人って普段から抑圧されているからそういうのが出てしまうのかな?
本人のモラルの問題が大きいとは思うけど。
言いたいことがあるなら、「やじ」ではなく、正々堂々と面前で言いましょう!

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