2022/09/17

月が出た出た

 先週は中秋の名月だったのだ。
夕方に雲が出てきて心配したけど、夜には晴れ間が出て、まんまるの月がきれいに見えたよ。
満月だと、ちょうど日の入り頃に出て来るので特にきれいに見えるんだよね。
与謝蕪村の俳句「菜の花や月は東に日は西に」はまさにこのタイミングを詠んでいるんだよね。
これとは全く逆に、月が沈もうとしている頃に日が昇るのを詠んだのが、柿ノ本人麻呂の和歌「ひむがしの野にかぎろひの立つ見えて振りさけ見れば月かたぶきぬ」で、東の方が白み始めた頃に反対側の西の方ではまさに月が沈んでいくよ、という情景だよね。
日が昇ってからもまだ少し月がうっすら見えているのが「有明の月」。
百人一首(坂上是則)で「あさぼらけ有明の月とみるまでに吉野の里にふれる白雪」と歌われるよね。

このように、月は入りと出の時間が日を追うごとにずれていくんだよね。
月の満ち欠けの周期はまさに「ひと月」で約29.5日なので、毎日12.2度ずつずれていくのだ。
時間にすると48.8分で、月の出や南中の時間で言うと、毎日約50分ずつ遅れることになるよ。
新月は太陽と地球の間に月がある状態だけど、この場合は日の出とほぼ同時に月の出になり、日の入りとほぼ同時に月の入りになるのだ。
逆に、満月は地球から見て太陽と月が180度ずれて逆側にいるので、日の出とほぼ同時に月の入りになり、日の入りとほぼ同時に月の出となるのだ。
なので、中秋の名月の次期だと18時前に日の入りになるので、月の南中時刻は真夜中頃。
夜を通して月が見えやすい状態だよね。

むかしの日本人は風流で、月見は連夜楽しんで、徐々に遅れて出てくる月のそれぞれに名前をつけたのだ。
名前がついているのは、満月の1日前(月齢14)の待宵(まつよい)の月。
これは翌日の満月が待ち遠しくて、焦がれてしまう、というところから来た名前みたい。
満月の翌日、月齢15のときが十六夜(いざよい)。
これは、「ためらう」とか「進めない」という意味の「いざよふ」から来ていて、前夜から比べると月が出てくるのが1時間弱遅れるので、早く出てこないかなぁ、待ち遠しいなぁ、という思いだよね。
さらにその翌日は立待月。
これは1時間半強の遅れなのでまだ立って待っていられる、という感じ。
でも、さらに翌日になると居待月。
この日には2時間半遅れになるので、座って待っている、ということなのだ(「居る」は「居酒屋」の「居」で座るの意味。)。
そしてその次の日には臥待月(ふしまちづき)。
もう寝て待っているのだ(笑)
さおして、その次が最後で更待月(ふけまちづき)。
もう3時間半強遅れなので、夜も更けるまで待っていないと見られない、ということだよ。
このとき、月齢は19で、翌日になると月齢20=下弦の月になるので、月は半月から少し膨らんでいるくらいだね。

ちなみに、この時期の月を「中秋の名月」として愛でるのは中国の風習が伝わったものだけど、天文学的にも、この時期は北半球では太陽と月の角度の関係から観月に適しているんだって。
でも、実は関東以西では、この時期は夜の晴天率が低く、月が見えないことも多いのだとか・・・。
でも、逆に言えば、見えたり見えなかったりするからはらはらしてより焦がれるのかもね。
こういうのは手に入れてからよりも追いかけているときの方が楽しいのだ(笑)
で、雲に隠れて月が見えなかったときは「無月」、雨で月が見えないときは「雨月」と名前もついているから、見えないなら見えないで、見えなくて悲しいなぁ、と楽しんでいたのではないかと思うよ。

電灯が普及する前はとにかく夜は暗くて、今よりもっと月はきれいに見えたし、月の明るさを感じられたはずなのだ。
娯楽も多くないし、きっと目もよかっただろうから、月を愛でることを楽しんだんだろうねぇ。
しかも、月が出てくる時間は徐々に遅れるし、そのたびに満ち欠けがあるしで、ただ星を見るよりは飽きなかったのかもね。

0 件のコメント: