2024/10/19

柳の上に猫がいる、だからネコヤナギ

 外国の女性が神社の鳥居で懸垂をしている動画をインスタグラムにアップしたことが炎上しているらしいのだ。
日本人にとってみると鳥居は神社と一体不可分に結びつくもので、つまりは神聖なものなので、そんな不敬は許されない、という内容。
程度の差こそあれ、異文化交流ではこういうことがよくあるよね。
郷に入っては郷に従えで、やはり現地の文化を尊重し、そういう失礼と思われるようなことがないようにするのがベストなのだ。
で、思ったんだけど、そうは言っても、実はそこまで鳥居について知っているわけでないんだよね。
神社にある、形状はわかる、というくらいじゃないかな。
というわけで、少しだけ調べてみたのだ。

とはいえ、起源や由来が詳細に判明しているわけではなくて、諸説はあるみたい。
そんな中で、いくつか拾ってみると、おおよそこんな感じ。
まず、鳥居は神域の境界を示すもので、鳥居の先は神聖な場所という扱いで、一種の門になっているのだ。
どうも、鳥居は神社建築より古くから存在しているようで、何か神聖な場所やモノがあった場合、その周辺の神聖な区画(結界の内側)を示すものとして使われていたみたいなのだ。
現代の神社は本殿の中に御神体があって、その手前に参拝や儀式をするための拝殿があるよね。
で、神社の境内の境界や拝殿・本殿の前に鳥居が置かれるのだ。
つまり、神聖な区画である境内の境界を示すとともに、神社の中でも特に神聖レベルが高い拝殿や本殿の前にも二十バリアのように置かれているわけ。
鳥居をくぐるために神聖レベルが上がっていくイメージだね。

でも、古い振興においては、自然物や自然現象を神聖視して、崇めていたようなのだ。
岩石や樹木、山、海、川、池などの自然物の場合は、それを神聖なものと示すために注連縄や鳥居が使われたのだ。
古い神道の進行形態を保存しているといわれている、奈良の大神神社や京都宇治の宇治上神社は山体そのものが御神体なので、本殿を持たず、その山のふもとに拝殿だけが置かれていて、その一帯の神域の境界を示すためのものとして鳥居が置かれているのだ。
拝殿が必要になるのは、そこで参拝をしたり儀式をしたりするからで、そのもっと手前、ただただ山に畏敬の念を抱いて拝む、捧げものをする、みたいなもっと原始的な進行形態の場合は、拝殿も不要で、神域を示すもの=鳥居や注連縄だけあればよいはずなのだ。
これが鳥居が神社建築より古くからあると考えられてる理由だよね。
で、時代が下ってくると、鳥居が神聖な場所・モノと切っても切れなくなて、立小便禁止のために鳥居のマークを塀に書くみたいな風習も生まれてくるのだ。
これは主客が逆転してしまっているけど、応用編だね。

なぜ鳥居というのか、というのも諸説あるようだけど、ボクが個人的に気に入っているストーリーは、字のごとく、「鳥の居る場所」という意味。
記紀神話の天岩戸から天照大神を誘い出す際、常世長鳴鳥(とこよのながなきどり)を鳴かせ、天鈿女に躍らせて騒ぐわけだけど、それにちなんで、神域の前に鶏の止まり木を置いたことに由来する、というもの。
八幡神社の場合は神使が鳩だからちょうどよいし、実は、伊勢神宮などでは鶏が神使なんだよね。
熊野神社の場合は烏。
古代日本では鳥は魂に例えられたりもするけど、空を飛ぶという行為が、人間の世界である地上と神々の世界である天井(高天原)を結ぶものと直感的にとらえられていたんじゃないかな。
なので、神使としての鳥は素直なもので、鳥の止まり木を神社に置くのは自然な流れになるのだ。

止まり木なのかどうかは別としても、鳥居と言われると代替イメージする形はあるのだ、
「形」の地の左側だよね。
でも、実は鳥居の形には様式があって、伊勢神宮や全国の天祖神社・神明宮にある神明鳥居、鹿島神宮の鹿島鳥居、八幡神社の八幡鳥居、街中で見かける稲荷神社の明神鳥居などなど。
実は、鳥居の形状を見ただけで大体の御祭神の区別がつくのだ!
ちなみに、安芸の宮島の厳島神社のような「支え」がついた鳥居は両部鳥居という名前だよ。
あれは地面に埋まっておらず、自立しているという点でも特徴的なんだよね。

2024/10/12

金のひび

 なんでも鑑定団とかを見ていると時々出てくるけど、陶磁器の修復方法で「金継ぎ」というのがあるのだ。
割れたかけらをくっつけるのだけど、そこの境界部分が金色になっているやつ。
目立たないように修復するのではなく、それもまたひとつの「味わい」として楽しむ、というものなんだよね。
千利休がそういう考え方を打ち出したらしい。
ものを大事にしつつ、さらにそこに新たに芸術性を加えるというのはすごい発想なのだ。
日本発で「モッタイナイ」の次に広めたいよね?

そんな金継ぎなんだけど、これははんだのように金属を溶かして間をつないでいるわけではないのだ。
当たり前だけど、陶磁器と金属ではそこまできれいに接着しないし。
ここの接着で重要なのは、「うるし」なのだ。
うるしは一度固まってしまうと水にも油にも酸にもアルカリにも強いので、食器として使う場合でも安心。
漆器は木地物のそういう弱点を克服するものだしね。
一方で、極度の乾燥や継続的な湿気、それから紫外線が大敵。
陶磁器はこういうのには強いけど、金継ぎが修復した場合は気を付けないといけないよ。

で、具体的な方法だけど、一般に公開されているものはあるのだけど、細かなコツや美しく仕上げる手法などは師弟関係の中でのみ伝達されるので、よくわからない部分が多いのだ。
ま、職人仕事だからそういうものだろうけど。
ただ、そういう一般レシピでよいのであれば、金継ぎ体験なんかもできるみたい。ちょっと興味あるかも。
そういうのの公開されているプロトコールを見てみると、次のようなものなのだ。

(1)接着したい断面にうるしを塗り、よく乾燥させる(これは後で接着剤をつけやすくするため)。
(2)小麦粉を水で練って作ったのりと生うるしを混ぜて「麦うるし」を作り、これを接着剤としてくっつける。
(3)(一般的な漆器の場合と同じように)高温多湿の室の中に入れてうるしを固める(~2週間)。
(4)修繕した部分にさらに黒うるしを塗り、乾燥させた後磨く、という固定を数回行う。
(5)仕上げとして修繕部分に金粉(金箔を粉にしたもの)を赤うるしと一緒に塗り、乾燥させる。
(6)最後の仕上げとして透うるし(水分の多い生うるしから不純物をろ過して除いた透明度の高いうるし)をコーティング剤として塗り、乾燥させる。

うるしはウルシオールという成分がラッカーゼという酵素の作用により周辺の水と反応して重合し、固まるんだよね。
なので、「乾燥」と言いつつ、高温多湿のところにおいておく必要があるのだ。
で、固まったとき、少しだけ体積が減って縮むのだ。
コーティング剤として使う分にも気にする必要はないのだけど、金継ぎのような修復に使う場合は、そのままにしておくと修復部分が少しだけへこんでしまうんだよね。
人間の触覚はなかなかすぐれたもので、割とそういうのを知覚してしまうので、さらに修繕部分にうるしを重ね塗りし、平たんにしていく作業が必要なのだ。
これが(4)以降の作業の意味。
で、修復部分をひびが目立たないようにすることもできるけど、最後に金色にしてむしろ新たな味わいを出す、という工程になっているよ。
ここで金粉を使わず、陶磁器の地の色と近い感じの色合いで塗ってあげれば日々を目立たなくすることもできるのだ。

接着剤に使っている「麦うるし」も特徴的なもので、これはのりの成分にもなるでんぷんをあえてすべて取り除き、(麺のコシのもとである)グルテンだけを残して使っているのだ。
でんぷんのりだと一度固まっても水気があるとすぐにふやけてしまってはがれてしまうので、高温多湿な環境で固める必要のあるうるしと相性が良くないのだ。
グルテンのりの場合は、もともとの接着力も強く、固まった後も水気で柔らかくはなるけど接着力は強いままなのでちょうどよいわけ。
こういうのも昔の職人さんが工夫しながら見つけたんだろうね。

2024/10/05

みんなで、朝食に、食べよう

 最近、MCTオイルというのをよく見かけるのだ。
体脂肪の燃焼を助け、ウエストを補足する効果がある、ということで、機能性表示食品になったので、よく宣伝しているかららしい。
CMでもよく見かけるよね。
でも、けっきょくよくわからないので、ちょっと調べてみたのだ。

MCTは中鎖脂肪酸トリグリセリド(Medium Chain Triglyceride )のこと。
炭素数が6~12の中鎖脂肪酸3つとグリセリンが結合したもの。
食用油の中に含まれているオレイン酸やリノール酸はともに炭素数が18の長鎖脂肪酸(炭素数が13~21)だから、それよりも小さな分子。
具体的にはココナッツオイルやパーム核油に含まれるラウリン酸(炭素数12)のような脂肪酸のこと。
当たり前だけど、炭素数が少ないということは分子も小さい。
でも、それ以上に、脂肪酸は炭素数が増えるほど疎水性が増すので、炭素数が少ない脂肪酸は比較的水と混ざり合うのだ。
なので、炭素数の多い長鎖脂肪酸は水の中で油としてまとまっちゃうのだけど、中鎖脂肪酸くらいだとうまいこと分散してくれるよ。

この効果は絶大で、長鎖脂肪酸から構成されるトリグリセリドは界面活性剤として作用する多重産で入荷されないとリパーゼで分解されないのだけど、MCTだと胆汁酸がなくてもリパーゼで脂肪酸とグリセリンに分解されるのだ。
しかも、分解されて出てくる脂肪酸も、長鎖脂肪酸と中鎖脂肪酸で扱いが変わるのだ。
血液中には基本的に低分子のものしか入り込めないので、長鎖脂肪酸は腸管で吸収された後、いったんリンパに入り、そこから静脈に入っていくんだって。
で、すぐに大差されることはなう、中性脂肪としてエネルギー貯蔵に回されるのだ。
腸管から脂肪をたくさん吸収した琳派は白く濁っていて、「乳糜(にゅうび)」と呼ばれるんだけど、確かにこんなどろどろのものが血液に入ったら大変だ・・・。
一方、中鎖脂肪酸は糖やアミノ酸とともに門脈(腸管から吸収した栄養を肝臓に運ぶ静脈)からすぐに肝臓に運ばれて代謝されるんだよ。
これがMCTは消化・吸収が早く、すばやくエネルギーになるといわれる所以。

将来のエネルギー源として蓄えられてしまうと、信望はなかなか燃焼されないんだよね。
瞬発的な運動の場合はグリコーゲンが優先的に使われるので、じっくりと継続的にエネルギー消費をする有酸素運動でないと脂肪は減らないのだ・・・。
これが一度ため込んでしまうとなくすのが大変な理由なんだよね。
その意味では、MCTは非常に魅力的なものだけど、全部これでよい、というわけでもないんだって。
やっぱり摂取量には限界があるし、必須脂肪酸はみんな長鎖脂肪酸なんだよね。

とはいえ、同じ脂質を摂取するにしても、MCTの方が脂肪として貯まりにくく、すぐにエネルギーになって効率的、ということ。
また、胆汁酸を必要としないで消化・吸収できるので、その点では「もたれ」にくいのだ。
というわけで、当初は病院で効率的な脂質吸収のために使われていて、その後、スポーツの分野でエネルギー補給用の脂質として活用され始めたらしい。
で、そうやって使っていくうちに、どうもMCTを摂取すると、脂質の代謝自体が高まったり、食欲が抑えられたり、という効果が報告され始めたんだって。
今でも詳細のそのメカニズムは解明されてはいないのだけど、そこに目を付けたのがダイエット業界というわけで、それで一気にはやり始めたのだ。

中鎖脂肪酸を燃焼させてエネルギー源にする場合、いわゆる「ケトン体」が出てくるのだけど、ケトン体はインスリンの分泌を抑制するなどの効果があるので、そういうのが絡み合ている可能性はあるのだ。
現象として見えていることはプラセボ効果(「思い込み」)でもないようなので、おそらく何か複雑なプロセスできいてる可能性はあるのだ。
でも、機能性表示食品だと、実際に効果が認められればOKなので、詳細な作用機序は不明のままでもよいのだよね。

MCTの利点としては、脂である割にはさらっとしていていろんなものに混ぜやすいこと、そして、それ自体が強い風味があるわけでもないので、味をこわさないことがあげられるよ。
なので、とりあえずなんにでもかけちゃえ、という感じで宣伝されているよね。
飲み物やヨーグルトに入れたりもするのだ。
そうでないとサラダのドレッシングとか用途が限られるから、これも重要な特徴だよね。
もうちょっと評価が固まってきたら、この新たなアブライフに手を出してみてもよいかも。