2011/02/26

Pandas have been back!

ついに上野にパンダが帰ってきたのだ!
やっぱり上野と言えばジャイアントパンダ、千葉と言えばレッサーパンダ(二足で立つ風太君)だよね。
パンダがいなくなってから恩賜上野動物園は入場者が減っていたらしいので、今回のパンダの再来日に地元も期待しているようなのだ。
上野桜木亭の名物「パンダ焼き」も売れ行き好調になるかな?

ジャイアントパンダは、絶滅危惧種として有名だけど、四川省の奥の高地に1,500~1,600頭くらいしか生息していないらしいのだ(この他に飼育しているパンダが数百頭いるのだ。)。
もともと繁殖力が弱くて、発情期は年1回で短く、生息数が少ないので物理的な出会いも少ない。
さらに、一度に生まれるのは1~2頭で、しかも、超未熟児で生まれるので(毛も生えていないし、目も開いていない状態で生まれるのだ!)、出生後の生存率も高くないんだよね・・・。
さらに、まだまだ生態が不明な点が多いのだけど、人工的に飼育している環境だと、育児放棄してしまう例も多々あるのだ(ToT)

最初に西洋人に発見された後に一度狩猟の対象になってがくんと減ったらしいんだけど、その愛らしさから、1936年に米国に生きた個体が連れ帰られ、シカゴの動物園で生きた個体が飼育されるようになると保護運動が起こり、絶滅するにまでは至らなかったみたい(そのときのパンダの剥製はワシントンDCのスミソニアン協会の自然史博物館に展示されているよ。)。
しかも、主食の竹は60~120年に一度花を咲かせるんだけど、一度花が咲くといっせいに枯れてしまうんだよね。
なので、一帯に一種類の竹しか生えていない状況だと一気に食糧難に陥るのだ!
なかなかパンだっていうのは増えづらい生態なんだよね。

そこで、中国では1963年に臥龍自然保護区が指定され、パンダの大々的な保護が始まったのだ。
1983年には、世界自然保護基金(WWF、当時は世界野生生物基金)と協力して、保護区に臥龍中国パンダ保護研究センターが設立されたのだ。
今でもWWFのシンボルマークはパンダだよね。
ここがいわゆる「パンダ幼稚園」で、パンダの生態(GPSでの位置情報の補足や食環境の調査)や繁殖技術(特に人工授精)、飼育技術などの研究を行っているんだ。
ここが「パンダ幼稚園」と言われるゆえんは、子パンダを多数飼育していて、しかも、だっこできたりする観光名所にもなっているから(日本でも和歌山のアドベンチャーワールドならパンダにふれあえるプログラムがあるよ。)。
一応「里親」とかになって寄付をしないといけないんだけどね。

しかし、中国以外の国がパンダを展示するときは、基本的に有料で「借りる」という形式をとるのだ。
今回の上野の場合、1頭当たり4,000万円の10年契約で8億円と言われているよ。
名目上は繁殖・飼育の協力という形を取っているんだけどね。
これが中国の得意技の「パンダ外交」なのだ。
でも、有料でもパンダは見たいかも・・・。
ちなみに、上野に最初に来たパンダのランランとカンカンは日中国交正常化の時に日中友好のシンボルとして寄贈されたものだったので日本の所有だったのだ!
なので、その子どものトントンも日本のものだったんだけど、「借りた」パンダで繁殖させた場合、生まれた子パンダも中国の周遊になるので、子パンダ分の借料も必要になるのだ。

さらに、パンダの飼育にはお金がかかって、遊び場を用意したり、快適な空間を用意したりするんだよね。
上野の場合、空調と床暖房完備だって!
都心でいい生活しているよね。
そして、えさ代もけっこうかかるのだ。
主食はもちろん笹だけど、これを通年入手するのはけっこう大変みたい。
実は、パンダは笹・竹・タケノコだけを食べるわけじゃなくて、動物園ではリンゴやニンジン、パンダ団子(トウモロコシ粉、大豆粉、ビタミン、ミネラル類を水に溶いて固めたもの)なども与えているのだ。
自然界では果物や、まれに昆虫や小動物の死体なんかも食べるんだって。

パンダの消化器はクマと似ていてむしろ雑食性なんだよね。
無理やり笹や竹を食べている感じなのだ。
手には「第六の指」と言われる肉球があって笹や竹をつかみやすいように進化しているんだけど、内臓はそこまで進化できていないんだよね・・・
つくづく不思議な動物なのだ。
で、基本は笹と竹だけ食べていて、しかも、それをほとんど消化できないので、フンは99%が笹や竹のかす(繊維質)。
なので、ほとんどくさくないんだって。
動物園で飼育していると他のものも与えているから多少は臭いのかな?
さらに、消化できないからたくさん食べないといけないし、あまり活発に行動してエネルギーを浪費するわけにもいかないのだ。
そうなると、コアラと同じように、睡眠時間が長く、起きている間はほとんど食事、という感じになってしまうんだよね。
動物園のパンダの場合は栄養状態もよいので遊びも好きだけど、野生の場合は規定のルートを動き回ってえさをずっと食べているみたいだよ。

というわけで、知れば知るほど奥が深いのだ。
せっかく上野にやってくるし、ほとぼりが冷めたら見に行ってみようかな?
でも、いつまでも混んでいそうな気もするね・・・。
一度くらいはパンダを見に行きたいけど。

2011/02/19

運転手は君だ、車掌はボクだ in Space

日本人宇宙飛行士の若田光一さんが平成25年末からまた約6ヵ月国際宇宙ステーション(ISS)に長期滞在することが発表されたのだ。
しかも、今回は大役で、帰る前の2ヶ月間はISSのコマンダーを務めるんだって。
コマンダーはいわゆる船長で、ISSの長期滞在クルーの統括をする立場だよ。
宇宙での日本人の活躍が期待されるよね。

宇宙飛行士は別に何か資格試験があるわけじゃないけど、有人ロケットを持っている国が選抜をし、厳しい訓練をさせた後に認証しているのだ。
ちなみに、米国の宇宙飛行士はastronaut、ロシアの宇宙飛行士はcosmonaut、中国の宇宙飛行士はtaikonautというのだ。
astro-とかcosmo-はともに宇宙を意味する接頭語だけど、中国のtaiko-は「太空」で中国語で宇宙のことらしいのだ。
日本や欧州、カナダのように独自に有人ロケットを持っていない国の場合は、米国やロシアなどの有人宇宙船を持っている国の訓練を受けて認めてもらう必要があるのだ。
独自の訓練も必要で、日本ではつくばの宇宙センターに訓練施設があるよ。
この訓練のスケジュールは過密で、日本、米国、ロシアを行ったり来たり、そして、その合間にシンポジウムに顔を出したりインタビューを受けたりしているのだ!
超多忙なんだよ。

宇宙飛行士にも役割区分があって、例えば、もうすぐ退役予定のスペースシャトルの場合は、全体を統括するとともに操縦もする船長(コマンダー)、船長を補佐しながら操縦をする操縦手(パイロット)、スペースシャトルの運用を担当し、実施に宇宙遊泳をしたり、ロボットアームを操作したりする搭乗運用技術者(ミッションスペシャリスト)がいるのだ。
船長と操縦手は米国の人でないとなれない決まりなんだよ。
なので、これまでスペースシャトルで宇宙に行った多くの日本人宇宙飛行士はこのミッションスペシャリストで、若田さんなんかはロボットアームの操縦がうまいと有名なんだよね。
さらに、スペースシャトルの運用には直接携わらないけど、スペースシャトルに乗って宇宙で実験をしたり、スペースシャトルによって運ばれる機器の運用をしたりする搭乗科学技術者(ペイロードスペシャリスト)というのがあるのだ。
宇宙でメダカの実験をした向井千秋さんはこのペイロードスペシャリストだったのだ。

スペースシャトルには実績はないけど、ロシアのソユーズ宇宙船なんかは商用の宇宙旅行者を乗せたりするのだ(時々超お金持ちが何億円も払って宇宙に行ったりしていたよね。)。
宇宙に行くためにはけっこう訓練を受けないと行けないんだけど、この人たちはあくまでも「宇宙旅行者」なので、宇宙飛行関係者と区別されるんだって。
日本人で初めて宇宙に行ったTBS特派員の秋山豊寛さん。
「これ本番ですか?」の名言を残した人だけど、このときはロシアにお金を払って載せてもらっていて、このカテゴリーに入るみたい。
ちなみに、秋山さんのケースが世界で初めての商用宇宙旅行にもなっているようだよ(そのため、秋山さんの場合は正式に「ロシアの宇宙飛行士」としての資格が与えられているという説もあるのだ。)。
その後には、「ペプシを飲んで宇宙に行こう」なんてキャンペーンがはやったりしたけど、現在まではロシアのソユーズ宇宙船に大金を払って載った例しか実例はないのだ。
まもなく弾道飛行(数分くらい宇宙空間に出てすぐに地球に帰還する飛行)では商用旅行が始まりそうだけどね。
これも安くなったとは言え数千万とか何百万とかするのだ・・・。
それでも予約がいっぱいというのだからおどろきだよね。

ISSの長期滞在の場合は、全体を指揮する船長(コマンダー)とその他日々の運用や実験を行うフライトエンジニアの2種類があるのだ。
今は6名体制なので、船長1名、フライトエンジニア5名の構成だよ。
船長にはかなりの権限があって、有事の際には独自の判断でいろいろなことができるようになっているんだとか。
例えば、常に係留されているソユーズ宇宙船による緊急離脱とか。
これは責任重大だね。
ちなみに、米国とロシア以外の国の人が船長をやるのは若田さんが3例目になるとのことで、実績は欧州の一人だけ。
若田さんより先にカナダ人が船長になるみたいだよ。
で、若田さんが船長になれれば、これでやっと日本もISS参加国の一員として一人前になったというわけなのだ。
これは楽しみだね♪

若田さんが次の長期滞在にいくころはすでにスペースシャトルは退役しているはずなので、人の輸送は基本的にはロシアのソユーズ宇宙船で行うのだ。
ソユーズ宇宙船は3人乗りで、操縦士でもある船長と、その他の機器の運用を行うフライトエンジニアからなるんだ。
ロシアの宇宙船なのでロシア人以外は船長になれないんだけど、日本人もフライトエンジニアとしては搭乗するので、ロシア語にも精通していないといけないんだ・・・。
英語だけでもハードルが高いのに、宇宙飛行士ってすごいよね。

このソユーズ宇宙船はカプセルと言った方がよいくらい小さいもので、中はぎゅうぎゅうなんだって。
しかも、座席は宇宙飛行士一人一人の型をとった特注なので、乗る人が変わるたびに交換する必要があるんだ。
これは普通の飛行機のように着陸するスペースシャトルと違って、パラシュートで減速しながら落下してくるため。
ある程度制御はできるけど、どこに落ちるわからないことがるため、パラシュートはテントになるようになっているし、宇宙船の中にはサバイバル用品としてオノや釣り竿なんかも積まれているそうだよ。
乗り心地は悪そうだけど、ちょっと興味あるよね(笑)

米国ではスペースシャトルの代わりに人の輸送を行う商業ベースの輸送手段の開発も進められているけど、それができるとまた宇宙飛行士の役割も変わってくるんだろうね。
パイロットはタクシーの運転手みたいにISSと地球を往復してお客さん(ISSに滞在する宇宙飛行士)を送り届けるだけになるかもしれないし。
これからは一般人でも宇宙に行けるようになれるかもしれないから、そうなると宇宙の「バスの運転手」みたいな人も出てくるわけだよね。
なんだかぐっと親近感がわく気がするよ。

2011/02/11

太陽と月と木星と

今日は建国記念の日!
国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)第2条では、「建国をしのび、国を愛する心を養う。」とされている日で、その日付は建国記念の日となる日を定める政令
(昭和41年政令第376号)で2月11日とされているんだよ。
戦前の紀元節の復活だと戦後もめにもめて制定された祝日として有名だけど、お正月明けから1ヵ月程度たってちょうど休みがほしい時期だからありがたいよね(笑)
この日は紀元前660年に神武天皇が奈良は橿原の地で践祚・即位された日付をグレゴリウス暦に当てはめたものなんだよ。
今回は、この日付の謎に少し迫ってみるのだ。

日本の最初の正史である日本書紀によれば、神武天皇の即位は「辛酉年春正月庚辰朔」の日とされているのだ。
日本書紀の編纂時期と歴代天皇の在位期間を計算すると、この「辛酉」の年は紀元前660年と計算されるんだって。
それをもとにして、昭和15年(1940年)に皇紀2600年の記念行事を大々的に挙行したのだ。
さらに、「春正月」とあるので立春のある月で、さらに庚辰の日を探せばよいことになるのだ。
※東洋の季節の考え方は立春になって気温が上がり始めるころからを「春」と呼ぶので、旧暦でいうと1月、新暦では2月から春になるのだ。
で、そのあたりの庚辰の日を探すと2月11日がどんぴしゃとあって、その前後だと12月20日と4月19日でどちらも候補にならないのだ。
それで2月11日だろう、ということになったわけ。

実際に現在の知識をもとに月齢を計算してみると、紀元前660年2月11日は「朔」、すなわち新月だったようなのだ。
計算上は日本書紀の記述とこの日付の比定は整合性があるのだけど、紀元前660年ころの日本はまだ弥生時代なので、おそらく、大和朝廷はまだできあがっていないんだよね。
考古学的に天皇家の存在が遡れるのはどうやっても古墳時代が限界なので、そのはるか以前にこういう事象があったかどうかは定かではないのだ(>o<)
でもでも、前漢~後漢の時代の中国でぇ亜辛酉の年に大きな政治的変革が起こるという説(讖緯説)がはやっていたらしく、それを採用するためにこの年に当てたとも言われているんだ。
紀元前7世紀だと中国はすでに春秋時代で資料も残っているので、後から計算して春正月の「朔」になる日として庚辰を当てた可能性もあるのだ。
少なくとも当てすっぽうで書いているわけではないみたい(笑)

ちなみに、日本書紀の編纂は養老4年(720年)で庚申の年。
神武天皇即位が紀元前660年とすると、その間には1380年あるのだ。
庚申は辛酉の前なので、720年の前の辛酉はその59年前の661年で、以降は60年周期でさかのぼっていくはず・・・。
とすると、干支が合わなくなるのだ!
(59+60×n)年前じゃないといけないはずだよね。
ここには干支紀年法の歴史が関わっているのだ。

もともと干支紀年法は木星の動きで年を表す紀年法によっているのだ。
木星は約12年周期で天球を一周するので、その動きを12区分してどの位置にいるかで年を区別することが可能なのだ。
このために古代中国では木星のことを歳星と呼んでいたんだよ。
この木星の天球上の位置区分を十二次と言って、十二支による方位区分に対応した天球上の太陽や月の動きを見る十二辰と共通なのだ。
ところが、木星は太陽や月とは違って天球上を西から東に動くんだよね。
そうすると、十二次上の移り変わりはいわゆる十二辰上の移り変わり(十二支に対応)の順序と逆になってしまうんだよね。

なので、十二辰上を動く架空の惑星を想定することにしたのだ。
それが「太歳」で、木星の天球上の見かけ上の動きの円軌道に直径を引き、木星と線対称の位置にある星として便宜的に使うことにしたんだ(その直線の引き方は暦法ごとに異なっているのだ。)。
この太歳は太陽や月と同じように十二辰上を十二支の順番どおりに動いてくれるので扱いが楽なんだよね。
実際に観測した木星の位置から計算しないと行けないのでちょっと面倒なんだけど。

木星(歳星)も太歳も12年周期なんだけど、これに十干を組み合わせると60通りになるので、当時の平均寿命から考えると、生きている間の各年を干支をもとにした区分で区別できることになるのだ。
還暦で一周だけどせいぜい二回り目があるかどうかだから、「前の・・・」と言えば区別可能だよね。
こうして、木星或いは太歳の位置で60通りに年を区別する干支紀年法が誕生したのだ。

またここで問題があって、木星の公転周期は実際には11.862年で12年より短いので、十二次上の歳星或いは十二辰上の太歳はより早く動いてしまうのだ。
ちょっとずつずれていって、約86年でまるまる1区分ずれてしまうので、補正が必要なんだよね。
そこで、一つとばしで2つ先に進むという「超辰」という補正が行われていたんだ。
これが干支がずれてしまう理由で、正確な60年周期にならない原因だったのだ。

とは言っても、そもそも太歳は実際には存在しない星だし、いちいち木星を観測せずに60年周期で計算した方が楽だということもあって、漢の時代になると干支で年を表しつつも木星の動きと関連づけない暦法が採用されることとなったのだ。
以降はきちんと60年周期となるわけ。
それが漢の元和2年(85年)のことなので、それ以前はずれあり、それ以降はずれなしで計算すると、紀元前660年の辛酉の干支が出てくるそうだよ。
いやあ、複雑なのだ。

話はもどって、建国記念の日の前身(?)の紀元節は、当初は1月29日に設定されたんだよね。
これは明治6年(1873年)の旧暦の1月1日に当たる日付で、「春正月」の「朔」だから、立春のある月の朔日=旧暦の1日ということで機械的に当てはめたのだ。
ところが、明治政府は、旧暦で祝っていた祝日は新暦でそのままの日付で設定し直すという方針もとっていたので、これが旧正月のお祝いと勘違いされて混乱を来すこととなったのだ。
もともとは複雑な旧暦と新暦の換算をせずにすむように、ということだったんだけど、なんのゆかりもない新暦の1月1日だけでなく、古来親しまれてきた旧暦の1月1日が祝日で残されたように思われてしまったというわけなのだ。
そうすると、天皇親政を歌っている制覇、この日が神武天皇即位の日だという認識が広まらないことをおそれ、文部省天文局に計算させて、翌年の明治7年(1874年)からはからは2月11日という新たに計算した、旧暦に対応する日を定め直したんだって。
その計算方法の詳細は不明だけど、上記のようなことが勘案されたようなのだ。

というわけで、経緯も興味深いけど、その後ろで行われた計算も実は複雑怪奇だったのだ。
いやあ、建国記念の日っていうのはつくづく曰く付きの祝日なんだねぇ。
とにかく、この時期に貴重な祝日を作ってくれた先人に感謝し、ゆっくり休むしかないね♪

2011/02/05

火山でこわいのは溶岩だけじゃない!

霧島の新燃岳の噴火が報道されているけど、これは大変な事態になってきたのだ。
降灰だけでも相当な被害が出ているようだけど、今心配されているのは火砕流。
雲仙普賢岳の噴火でそのおそろしさの認知度が一気に高まったよね。
あっという間に市街が壊滅状態に追い込まれるのだ(>o<)
でも、なんとなくおそろしいものだとわかっていても、実はどういうものかがよくわからないので、ちょっと調べてみることにしたんだ。

端的に言うと、火砕流というのは、火山から噴出される固形の火山砕屑物と火山ガスが一体化して流れ出るもののこと(ちなみにガスがほとんどだと火砕サージと言うそうだよ。)。
火山砕屑物というのは、表面で固まっていた溶岩が砕けたものや溶岩が噴火の爆発で外気に触れたときに急激に冷やされて固まって砕けたものなどで、冷えて固まっているとは言えまだまだ高温なのだ!
これが火山ガスと混ざって流れてくるわけだけど、空気より重いので地をはうように広がっていくんだ。
しかも、期待と混ざっていてほとんど摩擦なく広がっていくので、ものすごく高速で流れて来るのだ。
この熱と高速の流れが火砕流の被害を甚大にしている原因なんだ!
雲仙普賢岳の噴火の時には家や森が一気に押し流され、破壊される映像が流れていたけど、まさにそういうことが霧島でも起きようとしているということなのだ・・・。
これはおそろしいよね。

火山の被害では、どうしても浅間山や三原山の噴火のように溶岩が直接流れ出てくるものを想像しがちだけど、実は溶岩はどろっとしているので摩擦でそんなに早く流れないのだ。
山崩れの土石流や表面だけが崩落して流れる雪崩は火砕流と同じようにものすごい早さだからよけたりすることはできないけど、溶岩はじわじわと焼きながら浸食してくる感じなんだよね。
ハワイのキラウエアみたいに玄武岩質でさらさらの溶岩だと、そもそも大きく噴火することもなく、こんこんと(?)溶岩がわき出して海に流れていくんだよね。
一方、流紋岩のように粘性が高いと流れ出ることはなく、噴火口から押し出される感じで溶岩ドームが形成され、それが耐えきれなくなると一気に爆発するのだ。
このとき流れ出るのは溶岩流ではなくて火砕流だよ。
中間の粘性の安山岩だと、溶岩が適度に流れ出るので、溶岩流が出てくるんだ。
浅間山の「鬼押出し」なんかはその溶岩流が流れて固まった跡だよね。

火砕流が発生するときは、いくつかパターンがあるんだ。
今回の霧島のように、溶岩ドームが先にできて、それが爆発的に砕けたときに一気に火砕流が流れ出すのだ。
このときは山の地形に影響されて流れやすいところに流れていくよ。
雲仙普賢岳のケースがまさにこれ。
粘性が高く、中に多くのガスを含んでいるマグマが地表付近で圧力が軽減されて一気に爆発・発砲するときも大規模な火砕流が起きるのだ。
地中深いところでは圧力が高いのでガスがマグマの中に閉じこめられているんだけど、地表付近でそれが気圧程度になると一気にガスが発砲して、爆発するわけ。
この場合はほぼ全方向に火砕流が発生するのだ!
噴火した後、マグマがなくなって空洞になった部分がつぶれて窪地になってカルデラが形成されるのが特徴で、阿蘇山なんかはこのタイプの火砕流が発生していたみたい。
火砕流の後に冷えてできたのがシラス台地だって。
イタリアのヴェスヴィオ火山のようなタイプだと、ガスと個体物が混同している噴煙柱が立ち上っていくんだけど、自重に耐えきれず上昇できなくなって倒れたときにそれが火砕流となって流れ出すんだって。
この場合はまさに倒れたところにだけ火砕流が発せするわけだけど、その流れる方向は風とかの影響を受けるわけで、予測しづらいんだよね。
ポンペイの都市はこの火砕流で地中に埋もれたんだよ。

火砕流中の固体成分でだいぶ流れ方や流れた後の被害も変わるんだけど、火山ガスの影響もあるのだ。
水蒸気が多い場合は熱以外にそんなに影響がないけど、硫化水素のような有毒ガスが多いと、火砕流が流れた地域のまわりの動植物にも影響が出るのだ。
カルデラが形成されて火山ガスがそこに残ってしまうともはや生息不可能地域になるし、直接の被害だけでなくてそういう間接的な被害も無視できないんだ。
火砕流はわりとさらさらで、高速で広い地域に流れ出していくので、その被害範囲も広くなることが多く、大きく動植物の生息環境を変えてしまうおそろしいものなんだ(>o<)

というわけで、ちょっと調べてみただけでもそのおそろしさは増ばかり!
ポンペイが一瞬にして滅んだ原因とか言われるとその被害の大きさがよくわかるよね。
そういう目で霧島の状況を見ることも大切かも。
雲仙の被害も復興にものすごく時間がかかったからね。
今回はそんなことにならなければよいんだけど・・・。

2011/01/29

プロラタで議席も配分

与謝野大臣の入閣でにわかに問題になっているのが、「自民党の比例代表枠を使って復活当選したのに民主党政権で大臣になるのはいかがなものか」というもの。
でも、この話を本当に理解するには日本の選挙制度の比例代表制について少しは知らないとわからないことも多いので、ちょっと調べてみたのだ。
これがまた複雑なんだよね。

比例代表制は選挙制度の一つで、候補者個人というよりも政党ごとに投票して、その得票率に応じて議席を配分する方法だよ。
日本ではかつては参議院だけだったけど、衆議院でも、一つの選挙区から複数の当選者の出る中選挙区制から、一つの選挙区からは一人の当選者しか出ない小選挙区制に移行したのに伴って導入されたのだ。
これは、小選挙区制の場合、接戦だった場合に「死に票」が多く出る弊害をカバーすることが目的なのだ。
候補者が多くてどんぐりの背比べの得票になると、3~4割の得票率でも当選することがあるんだよね。
逆に言うと、6~7割の選挙民はその人のことは支持していないのだ!
これだと民意がきちんと国政に反映されるか、という点で疑念があるので、比例代表制が導入されることとなったんだ。

参議院の場合は全国区比例で、特にブロックは定めずに日本全国の国民は横並びで政党名又は立候補者名で投票するのだ。
かつては「拘束名簿方式」というもので、あらかじめ政党ごとに候補者の順位リストがあって、そのリストの上位者から当選していくという方式。
平成13年からは「非拘束名簿方式」というもので、あらかじめ順位は決めておかず、政党として獲得した票数と各立候補者が獲得した票数で政党ごとの議席を配分し、個人名での得票数の多い立候補者から当選させていくのだ。
事実上の全国区制(日本全体を一つの選挙区として行われる選挙)の復活と言われることもあるけど、個人での得票が少なくても政党の得票が多ければ当選できるので、必ずしも個人で票を稼ぐ必要はないんだよね。
個人での得票数は党内での順位決めだけなので、全国区制ほどは大きくきかないよ。
逆に、「客寄せパンダ」的な圧倒的に知名度と人気のある候補者がいると、その人の得票の「おこぼれ」で他の候補者が当選できるのだ。

衆議院の場合はブロック制で、全国をいくつかのブロックに分け、そのブロックごとに議席数を割り振っているのだ。
さらに、衆議院では「単純拘束名簿方式」を採用していて、あらかじめ政党が候補者の順位を決めていて、その順位に従って当選者が出ていくんだけど、複雑なのは、ここに復活当選の仕組みが組み込まれているのだ。
具体的に言うと、衆議院の比例代表の場合、小選挙区の立候補者を比例代表の名簿にも載せることができるのだ(ただし、公職選挙法に定める政党の要件を満たしている政党からの立候補者に限る。)。
このとき、重複して立候補している人は同一順位でリストに掲載することもできて、その場合、小選挙区での「惜敗率」に応じて当選順位を決めるんだ。
惜敗率というのは、選挙区における最下位の当選者の得票に対する当該候補の得票の割合で、要は当選までどこまで迫っていたかを数値化した指標。
現在は小選挙区制なので、その選挙区でどこまで接戦できたかの指標になっていて、上記の「死に票」をできるだけ少なくするための工夫になっているんだよ。
接戦で負けた重複候補者は比例復活できるというわけ。
与謝野大臣の場合、選挙区の東京1区では海江田国土交通大臣に負けたんだけど、比例代表の東京ブロックで重複立候補していたので、自民党の議席の枠で復活当選したのだ。

もともと公職選挙法では第87条で重複立候補の禁止を定めていて、同法第86条の2第4項で衆議院の比例代表の場合は第87条の規定にかかわらず重複して比例名簿に重複立候補者を入れることができると規定されているんだ。
イメージは敗者復活戦だよね。
比例復活は恥ずかしいからと重複立候補しない人もいるけど、従来中選挙区制で票を分け合ってきた人が小選挙区制になってあまり強くない地域に割り振られた場合の優遇措置としては機能するのだ。
そもそも森元首相が導入した「コスタリカ方式」で小選挙区と比例で交互に出てもらう、という方法もあるんだけど、これも不人気で最近はあまり採用されないよね(笑)

ちなみに、比例代表は基本的には政党に対して配分された議席なので、当該議員がその政党を離れたときは議席がなくなるのだ。
でもでも、公職選挙法の第99条の2第1項の規定では、当選時に当該比例区に存在した他の政党に移籍する場合に当選が無効になるとなっているので、無所属になったり、新党を設立したり、その比例区には立候補者を出していなかった政党に移る場合は対象外でやめなくてよいのだ。
それが今回問題になっている「法の抜け穴」と言われる与謝野大臣の離籍の方法なのだ。
最初は新党「立ち上がれ日本」を設立するので自民党を離れたので議員はやめなくてOKだし、現在も無所属議員として民主党会派に合流しているだけなのでやっぱり議員を辞める必要はないのだ。
ただし、あくまでも法令上の話であって、道義的にどうか、というのが問題になっているのだけど。

ついでに、比例代表制でよくわからないのが議席の配分方法。
ニュースなんかでは「ドント方式」と聞くけど、これがまたわかりづらいんだよね。
公職選挙法では、第95条の2で衆議院の比例代表の配分方法を、第95条の3で参議院の比例代表の配分方法を定めているけど、これが難解!
例えば、第95条の2の第1項は「衆議院(比例代表選出)議員の選挙においては、各衆議院名簿届出政党等の得票数を一から当該衆議院名簿届出政党等に係る衆議院名簿登載者(当該選挙の期日において公職の候補者たる者に限る。第百三条第四項を除き、以下この章及び次章において同じ。)の数に相当する数までの各整数で順次除して得たすべての商のうち、その数値の最も大きいものから順次に数えて当該選挙において選挙すべき議員の数に相当する数になるまでにある商で各衆議院名簿届出政党等の得票数に係るものの個数をもつて、それぞれの衆議院名簿届出政党等の当選人の数とする。 」と書いてあるんだけど、まったくわからないよね(笑)

簡単に言うと、1、2、3・・・と順次割っていって、その商が大きい順に議席を割り振っていくのだ。
表で考えるとわかりやすいんだけど、例えば、以下のようになるわけ。





































議席数の配分例

うさぎさん党日本たぬき党新党アロワナコウモリの会
÷1400300200100
÷2200150100
÷3133100
÷4100


この例だと全体で1,000の有効投票があった場合に6つの議席を配分しているのだけど、当落の基準は100で、「うさぎさん党」は3で割ってもまだ100を越えているので3議席、「日本たぬき党」は2までなので2議席、「新党アロワナ」は1以外では100を割り切るので1議席、「コウモリの会」に至ってはすでに100票しかないから議席なしになるのだ。
ちなみに、この例で配分すべき議席数が半分の3の場合は当落の基準が200になるんだけど、「うさぎさん党」の「÷2」と「新党アロワナ」の「÷1」が並んでしまうんだよね。
こういうときは、公職選挙法の規定に従って「くじびき」で当選者を決めるのだ。
小選挙区でも同じ得票数だとくじ引きになるのと同じだよ。

また、あまりないんだけど、、思ったより得票が伸びてリストに掲載した人数以上に議席が割り振られることもあるんだよね。
特に衆議院は重複立候補があるので、小選挙区で当選が増えるとそういう事態が生じるのだ。
その場合、次に割ったときの商が大きい政党に議席が割り振られてしまうんだよね・・・。
上の例だと、「うさぎさん党」は小選挙区との重複が多く、比例の名簿にはすでに2名しか残っていなかったとすると、第7位で並んでいる「うさぎさん党」の4人目、「日本たぬき党」の3人目、「新党アロワナ」の2人目、「コウモリの会」の1人目からくじ引きで当選者を決めることになるのだ。
実際には、小泉政権下で衆議院員総選挙に大勝したときに、自民党は候補者が不足して、1議席社民党に割り振られたのだ。

というわけで、比例代表というのはかくも難解で奥が深い制度なんだよね。
他の国ではまた違う方式の比例代表制があって、まだまだ広がりがあるのだ。
よりよく国民の声を政治に反映させようと工夫されてきた跡なんだよね。
そう考えると、よくぞここまで考えた!、ともちょっとだけ思うね(笑)

2011/01/22

みなさまお誘い合わせの上・・・

お正月のおせちでにわかに注目を集めた共同購入型クーポン。
ネットなんかに載っている情報だとトラブルも多いみたいだけど、うまく賢く使えば得するということで利用者も多いのだ。
通信販売と一緒で、「見極める」力がいるのかもね。
で、この手法って、よくよく考えてみると、いわゆる団体割引や大量購入の割引と同じなんだよね。
一定規模での物品又はサービスの購入をすることで、一部の利益を還元してもらう仕組みなのだ。

一般には、永遠に在庫を抱えきれないし、サービスの提供には一定以上の人数が必要なので、コストにおける原価計算にはマージンが含まれるんだよね。
商品だったらすべてを売り切れるわけではないので、どれくらい在庫を抱えるかを考えて売れなかった場合のリスクをあらかじめコストに載せておかないといけないのだ。
サービスの場合も、一人でもサービスを受けたい人がいれば提供しないといけないから、どうしてもサービスの提供者の手が空いている時間(アイドルタイム)ができてしまうんだけど、その間も人件費は発生しているわけで、サービス提供の非効率性をリスクとしてコストに載せておく必要があるのだ。
電車だったら乗車率だし、映画館だったら空席率なんかがその指標だよね。

で、大量購入する場合、その在庫リスクをおさえることができるので、その分を利益還元して割引に使うというわけ。
米国から来たコストコのような一気に大量にものを売るスーパーや、10個買うと1個無料でついてくるなんていうキャンペーンがそれだよね。
生協(生活協同組合)なんかは組合員が一緒になって購入することで大口購入者となって価格交渉力を上げるとともに、大量に仕入れるので仕入れ価格がおさえられるので、組合員が買うときにその分が価格に還元されるのだ。
家電量販店の場合は、メーカーから大量に商品を買うことで仕入れ価格をおさえているんだけど、こっちはリスクをとって商売をしているだけで、一気に売り切らなくちゃいけないんだよね。
街の電気屋さんに比べれば多くの商品が売れるからよいのだろうけど。
端的なのは共同購入で、注文が入った分だけ仕入れればよいのでリスクを見込まなくてよくなるんだけど、当然仕入れるときにある程度の量を注文しないといけないので、共同購入する仲間を増やさないといけないんだよね。

サービスの場合もそうで、電車の団体割引なんかは想定されている乗車率を超えて多くの人が利用するので、リスクとして想定していた分を還元できるのだ。
これは博物館や美術館、映画館なんかでも同じだよね。
団体が来たときだけ開館する展示施設や、希望者が一定規模以上になると好きな映画を上映してくれる映画館のようなサービスも言わば共同購入なのだ。
ただし、厳密にどれだけサービス提供の効率性が上がるかなんて評価できないので、実際には50円引きとか100円引きとか均一的な割引が多いのだ。
でも、そういう割引を設定することにより、団体で利用した方がお得なので、団体の利用が増えるというわけ。
そうすると自然とサービスの提供の効率性が上がり、利益率もよくなるのだ。

で、これを利用したのがグルーポンをはじめとする共同購入型クーポンなのだ。
大量に物品なりサービスが消費される仕組みとして、はじめから存在している団体を対象にするのではなくて、任意で集まってもらうわけ。
お店の側からすれば、安定的に消費されることが確実ならリスクは下げられるわけで、その分安く提供できるようになるんだ。
必ずしも安くする必要はないわけだけど(笑)、価格競争力は出るよね。
物品の場合は在庫を抱えなければ常に新鮮なもの、流行のものを売ることができるし、サービスの場合も効率的な人員配置で人件費が抑えられるよ。
ぐるなびとかホットペッパーのクーポンでも何名様以上なら幹事様無料なんてのがあるのもこれなのだ。

これだけだと、大勢お客が集まればよいだけなので、乗り合いバスとか、最少催行人数が決まったパック旅行、お米や野菜の共同購入と同じなのだ。
でも、グルーポンなどが画期的なのは、ここにフラッシュ・マーケティングと呼ばれる手法を組み込んだこと。
人数や申込時間に制限を設けて、その条件がクリアされたときのみクーポンが利用できるようになるんだ。
これのねらいは、一時的なクーポンなのでお店側の協力が得られやすいことと、条件をクリアするためにクーポンをほしい人たちが短時間で情報を広めてくれること。
最近口コミという宣伝媒体が注目を集めていて、ブログやツイッターで宣伝してくれたら広告費を払います、なんてのもあるけど、その広告費を払う代わりにクーポンで還元するのだ。
自主的にどんどん広めてくれるというところがポイントだよね。
書かされているよりは自分で書きたいと思っている方が心がこもるだろうし。

この共同購入型クーポンの場合、回避できた分のリスクに相当するコスト分だけ利益還元してくれるのならビジネスモデルとして安定的なんだけど、実はそうでもないのだ。
多少「赤」が出ても宣伝効果に期待してその分を広告費として飲み込む場合があるのだ。
これはセールで目玉商品を用意してそれで客を呼び込むのと同じだよね。
まずはお試しセットで、ということだけど、それをドモホルン○ンクルとかプロア○ティブ自分で宣伝するのと、共同購入型クーポンを用意して口コミで広めてもらうのには大きな差があるのだ。
宣伝費がかかるかからないの差だけじゃなく、口コミで広まっていくと強いというのがあるんだよね。
けっこう自分で広告を出すとなると大変だけど、グルーポンのような会社がそういう枠組みを用意してくれていて、そこにのるだけでよい、というのも楽だし、敷居が低いよね。

ただし、やっぱりそんなうまい話ばかりでもないのだ。
お正月に問題になったおせちの場合は、とても用意できないような数の注文を受けてしまったために起きたもので、もともとお正月シーズンに品薄になりがちな数の子などの材料が確保していないままやってしまったところに問題があるんだ。
申し込み上限が多すぎたことともあいまってああいう結果になってしまったんだよね(ToT)
また、ウラでよく言われるのは、もともとの値段からいったん価格をつり上げて、そこから値下げして「偽装」しているというもの。
例えば、前から3,000円で提供していた宴会コースを「定価6,000円」とした上で、共同購入型クーポンが成立すると「半額の3,000円」で提供する、といったもの。
ここまで露骨でなくても、どうも底上げ疑惑があるクーポンもあるみたいだよ。
さらに、注文したけど商品が来ない・遅れた、というような通販にありがちなトラブルもあるのだ。

こうしたことからいろいろとトラブルが起きていて、自分の目で見極めないとダメなんだよね。
うまく利用できれば賢い選択だけど、そこには罠も待っているかもしれないから手放しで安いから飛びつくという姿勢はまずいのだ。
安いには安いなりに理由があるので、そこについてちょっと考えてから購入しないとね。

2011/01/15

歌と勉学のハジメ

今週は宮中行事として、12日(水)に講書始の儀、14日(金)に歌会始の儀が執り行われたのだ。
どちらも1月の恒例の宮中行事で、わりとよく報道されるよね。
仏滅の日に異例の内閣改造かなんていう話もあったけど、内閣改造に伴う認証式なんかの国事行為よりもこういう行事の方が日本国の象徴たる皇室の行事としてはふさわしい気がするよ。
で、このふたつの行事は皇室の公務として行われているわけだけど、それぞれ歴史があるのだ。

講書始の儀というのは、年初に3人の学者・有識者からそれぞれ15分ずつ天皇陛下が皇后陛下と皇太子殿下等の皇族の方々御列席の下で御進講を受ける行事。
もともと天皇陛下が学者から御進講を受けられる機会というのは多々あるわけだけど(中には南方熊楠翁のように神島という無人島に昭和天皇を連れ出してしまうというような荒技もあったのだ!)、学問奨励のために明治2年(1869年)に明治天皇が恒例行事として始められた「御講釈始」が起源なんだって。
当時は、国書(日本書紀など)及び漢書(論語など)についての御進講が行われていて、少し時代が下ると文明開化のために洋書(いわゆる洋学)が加わるようになったそうだよ。
戦後になるとこれが改められ、昭和28年(1953年)からは人文科学、社会科学、自然科学の三分野の学者が選ばれて御進講を行うのだ。

この講書始の儀には皇族や宮内庁長官、侍従長だけでなく、学術を所掌する文部科学大臣(かつては文部大臣)や日本学士院会員などが陪席し、一緒に傍聴するんだ。
今回は仙谷官房長官や衆参両院の議長なども同席したみたい。
その人選に当たっては、日本学士院の会員などの当代一流の学者(だけど、現役というよりすでに大御所となっている人)の中から文部科学省と宮内庁が調整するみたい。
御進講の分野は政治学、国際関係学、社会哲学、美術史、医学・生物学、化学、物理学等々多岐に及ぶんだけど、選ばれた人たちは、自分のこれまでの業績をたった15分に凝縮してレクチャーする必要があるのだ。
すっごい緊張するそうだけど、両陛下や皇族方は熱心に話を聞かれ、鋭い質問もされるそうだから、ますます緊張感が高まるね。
皇族は学術研究をされている方が多いというのもあるんだろうけど、やはり御熱心に聞かれているようなのだ。
ちなみに、今回は立本成文さん(人間文化研究機構総合地球環境学研究所長)が「海洋アジア文明交流圏」、佐々木毅さん(学習院大教授m前東京大学総長)の「政治の精神」、竹市雅俊さん(理化学研究所発生・再生科学総合研究センター長)が「動物組織の構築」をそれぞれ御進講したそうだよ。
過去の一覧を見てもそうそうたるメンバーなのだ。

一方、歌会始の儀は、国民参加型の文化行事になっていて、あらかじめテーマを決めて短歌を募集し(今年は「葉」)、選ばれた人たち10名が宮中に招かれ、天皇・皇后両陛下、皇太子殿下をはじめとして皇族の方々の御列席の下で歌を披露するんだよ。
このとき、両陛下や皇族の方々も歌を詠まれるんだけど、一般から選ばれた人、選者(著名な歌人)の代表、召人(めしうど、特別に皇室から呼ばれる参加者で通常1名)、皇族の方々の歌が披露され、皇后陛下の御歌(みうた)があって、天皇陛下の御製(ぎょせい)で締めくくられるのだ。
ここにも宮内庁長官や侍従長、文化・芸術を所掌する文部科学大臣、日本芸術院会員などが同席するんだけど、その人たちの歌はないのだ。
ちなみに、このときは独特に節をつけて歌が読み上げられるんだよね。
披講所役と呼ばれる人たちで、司会やそのまま読み上げる人、節をつけて読み上げる人などいろんな役割が人がいるみたい。
よくニュースなんかでも映像が流れるからチェックしてみるとおもしろいかも。

こっちはかなりの歴史のある行事で、起源は必ずしも明らかでないものの、古くは鎌倉中期にさかのぼれるのだとか。
年初でない歌会自体はそれこそ万葉の奈良時代からあったようだけど、宮中の年中行事として確認できるのが鎌倉時代以降ということだよ。
当時は「歌御会始(うたごかいはじめ)」と呼ばれていて、基本はお公家さんしか参加できなかったんだよね。
これは江戸時代を通じてずっと続けられていたんだけど、維新後の明治になって変革が起きるのだ。
明治7年(1874年)から一般の詠進が認められるようになり、国民が参加できるようになったんだ。
このときに国民参加型の文化行事としての根幹が築かれ、大正15年(1926年)になると式次第も整備され、名前も「歌会始」とされたのだ。
※実際には大正天皇の喪に服していたので、最初の歌会始は昭和2年(1927年)から。

戦後になると、これまで宮内省で歌会始を司っていた御歌所が廃止されたので、在野の歌人に選歌が委嘱されるようになり、民間人が詠んだ歌を民間人が選ぶという完全に国民参加の文化行事としてのスタイルが確立するんだ。
お題も平易なものとなり、選ばれた人々は両陛下や皇族の方々と懇談の機会まで与えられるようになったのだ。
さらに、テレビも入るようになり、まさに戦後の国民に開かれた皇室の行事となったわけ。
今では海外からの応募もあるようだよ。
最近の詠進歌数をみると25,000程度で、選ばれるにはかなりの倍率なんだよね。
ちなみに、この歌会始の儀で詠まれる天皇陛下の御製や皇后陛下の御歌にはそのときの心情が表れるので、毎年注目を集めているんだよ(どういう点に御関心、御心配をお持ちかなどがわかるのだ。)。

というわけで、この二つが新年恒例の宮中行事なのだ。
普通に皇室関係のニュースを聞いているだけだとそんなのもあるんだ、と聞き流してしまうけど、なかなか奥が深いし、いかにも皇室らしいよい行事だと思うよ。
今後はもっと注目してみるとよいかもね。