2024/03/23

ただ純粋に

 最近かなり減ってきたけど、昭和レトロブームで取り上げられている飲食店で、「純喫茶」というのがあるのだ。
「純」があるからそうでないのもあるわけで。
それが「特殊喫茶」。
こちらは大きく業態が異なるんだよね。
なにしろ、「風俗営業」なのだ。
ちなみに、ほかにも「歌声喫茶」とか「名曲喫茶」なんてのもあるけど、これは「純喫茶」のバリエーション。
「歌声喫茶」ではみんなで合掌し、「名曲喫茶」ではクラシック音楽に耳を傾けるのだ。

今でいう喫茶店のような業態は開国前から「茶店」や「茶屋」と呼ばれる携帯で存在していたんだよね。
水戸黄門でうっかり八兵衛がお茶の身ながら団子を食べているところ。
日本茶と軽食を提供していたのだ。
これは完全に現代の喫茶店に近いよね。

明治になって、海外の文化が入ってくると導入されたのが「カフェ(喫茶店)」というもの。
パリなんかでは芸術家が集まってサロンとして文化の中心として機能していて、それを持ってきたかったみたい。
でも、最初キハコーヒーを飲む文化がまるでなかったので、牛乳や清涼飲料、軽食を出す業態として「ミルクホール」ができたのだ。
牛乳を飲み始めるのも明治以降だから、それだけでも十分ハイカラだったわけだ。

最初にコーヒーを提供した店と言われているのが、上野黒門町にあった「可否茶館(かつひーさかん)」。
どら焼きで有名なうさぎやのすぐそばだよ。
今でも喫茶店発祥の碑があるのだ。
でも、「カフェー」の名を関する店が出てくるのは明治も終わり。
銀座に3軒のカフェーがほぼ同時にオープンするのだ。
プランタン、パウリスタ、ライオンの3つ。

パウリスタはわりとガチンコスタイルで、本場パリと同じように男性給仕(ギャルソン)がコーヒーと歌詞を提供するスタイル。
震災後に一時撤退したけど、1970年に銀座店は復活しているよ。
「銀ブラ」は「銀座でブラジルコーヒー」の略だなんて説もあるけど、このブラジルコーヒーを提供したのがパウリスタなのだ。
プランタンとライオンはコーヒーだけでなく、アルコールや養殖も提供していたみたい。
それ以上の違いが、女給さんがいたこと!
まさに茶屋の看板娘同様、それ目当てにくるお客もいたとか(洋装の女性自体が珍しい時代だしね。)。
ちなみに、ライオンは今もある銀座ライオンのことで、プランタンは震災後に移転して戦中に営業停止しているのだ。

で、お客を帯び寄せようと、女給さんにサービスさせる店が出てくるわけで。
となりに座ってお酒をお酌したり、会話をしたり、という感じになってきたのだ。
これが震災後くらいのこと。
まさに現代のスナック的な感じかな。
キャバクラとかだと給仕は男性がやっているからね。
で、こうなってくると取り締まりが必要だ、ということになって、戦前には「特殊飲食店」として警察による取り締まりの対象になるよ。
これが戦後の風営法第1号営業の取り締まりにつながるのだ。
※風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律第2条第1項第1号「キヤバレー、待合、料理店、カフエーその他設備を設けて客の接待をして客に遊興又は飲食をさせる営業」

こうなると、純粋にコーヒーを楽しみたい人が行く店とすみわけがなされてくるわけで。
そこで生まれた概念が「純喫茶」。
基本は女給が接待せず、アルコールを提供しないことが多い業態だよ。
で、うちは健全な店ですよ、ということをアピールするために、自ら「純喫茶」と名乗るわけ。
現在では「カフェー」という響きに風俗営業のイメージが伴わなくなったのもあってすたれてきているわけだけどね。
むしろ、接待を伴わない店なんだけど、女給さんなどの従業員とコミュニケーションが楽しめて触れ合える店、という、風俗営業ではなく飲食業だけどなんかちょっと不健全な店も出てくることになるのだ。
その代表例がガールズバーやコンセプトカフェ。
どちらも従業員が隣に座ったりしたらアウトなのだ。
ガールズバーなら基本はカウンター越しに会話しないといけないし、コンカフェの場合は飲食物の提供や食器を片付ける際に「ついでに」軽くコミュニケーションをとる、というのが基本。
ずっと張り付いて相手をしちゃうと「接待」になっちゃうので、風営法にひっかかるのだ。

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