2013/09/28

リーダー的存在

現在の第二次安倍政権は、第一次政権に比べてもかなり強力になっていると言われているよね。
衆議院総選挙でも大勝したし、衆議院議員の任期が満了するまでは安泰だからやりたいことができる、と言われているのだ。
与党内では反発の声もあるみたいだけど、消費税増税も踏み切るみたいだしね。
でも、実はこれは戦後の内閣制度だからこそ可能なリーダーシップなんだ。

戦前の大日本帝国憲法下の内閣制度では、内閣総理大臣は国務大臣の首班で行政各部の統一の保持を図ることはできたんだけど、それ以上でもそれ以下でもなかったのだ。
「諸侯の中の第一人者」といった位置づけで、指揮監督権もないし、法制上は権限は極めて弱かったんだよね。
実際、大日本帝国憲法においては、天皇の大権は規定されているものの、内閣については規程がなく、第55条に「国務大臣」の責務が規定されているに過ぎないんだ。
内閣制度については、勅令(今で言う政令に相当)の「内閣官制」において定められていて、その中で、内閣は国務大臣を以て組織することを定めるとともに(第一条)、内閣総理大臣が国務大臣の首班であることを規定しているのだ(第二条)。
で、問題になるのは、内閣総理大臣や他の国務大臣の任免の問題なんだよね。

大日本帝国憲法では、国務大臣の任免に関する規定はなく、内閣をどうやって組閣するかが法文上定められていなかったんだよね。
ではどうしていたかというと、天皇による「大命降下」という形で行われたのだ。
天皇から内閣総理大臣候補者に「大命」を下し、組閣を命じたのだ。
内閣官制において内閣総理大臣に与えられた権限として「機務奏宣権(天皇に裁可を求める奏請権と天皇の裁可を宣下する権限)」というのがあって、天皇に行政の重要事項に関する裁可を仰ぐ権利なのだ。
この「奏請権」の中には国務大臣の任命にかかる「奏薦権」というのが入っているので、実際には、「大命降下」で選ばれた内閣総理大臣候補者は、組閣名簿案を持って天皇の裁可を仰ぎ、組閣をすることになるんだ。
そういう意味では、実質的には国務大臣の任命権はあるんだよね。

ところが、話は複雑で、陸軍大臣と海軍大臣については、「軍部大臣現役武官制」というのがあって、現役の武官(軍人)から登用することになっていたのだ(軍部大臣現役武官制がなかった時代も、慣例として現役武官が選ばれていたのだ。)。
すると、両大臣についての任命権はかなり狭まってしまうんだよね。
通常は軍からの推薦を受けたので、軍が候補者を推薦してこないと組閣できない、という事態に陥るのだ!
軍部の支持を取り付けていないと内閣が発足できないという不思議な構図だったわけ。
現在は日本国憲法第66条第2項の規定により、すべての国務大臣は文民でなくてはならないので、そういうことはあり得ないよ(もともと自衛隊は軍隊ではないけど。)。

さらに、組閣に当たっての推薦はできるんだけど、明文規定がないので、罷免ができないのだ。
これが困りもので、内閣総理大臣が辞職勧告をしたにも関わらずやめない場合はどうしようもなくなってしまうんだよね。
閣内不一致になってにっちもさっちもいかなくなると、内閣総辞職をせざるを得ない状況になるわけ。
実際に東條内閣では岸商工大臣が辞職を拒否したため、総辞職する羽目になったのだ。
ちなみに、日本国憲法では内閣総理大臣が国務大臣を任意罷免できるので(第68条第2項)、同じ問題は起きないよ。

この流れで出てくる話が「憲政の常道」という慣例。
天皇が「大命降下」で内閣総理大臣を選ぶ際は勝手に選んでいるのではなくて、元老や重臣会議からの推薦を受けていたのだ。
元老も法制上の位置づけのない機関で、天皇が勅語や勅命を以て任命するのだ。
事実上の国家の最高意思決定機関となっていて、天皇の諮問に答える形で内閣総理大臣の奏薦だけでなく、開戦や講和、同盟締結なんかにも関与したんだ。
元老が公家出身の西園寺公望だけになってから、その後を引き継ぐ形で昭和初期に作られたのが重臣会議で、こちらは枢密院議長と内閣総理大臣経験者からなる会議体だったのだ。
で、この西園寺公望が唯一の元老だった時代にできた慣例が「憲政の常道」なんだよね。

明治期は藩閥政治で、それこそ薩長が交代で内閣総理大臣を務めたりしたんだけど、大正デモクラシーの時代になると、英国の議院内閣制にならって、民意を直接反映した総選挙で選ばれた衆議院の第一党が与党となって内閣を組閣するべき、という風潮になってきたのだ。
松方正義が死去して元老が西園寺公望だけになると、事実上西園寺公望の一存で内閣総理大臣候補者が決まってしまうこととなるので、西園寺公望は衆議院の第一党となった政党の党首を内閣総理大臣の候補として推薦することに決めたんだ。
これにより、憲法上は議院内閣制が規定されていないんだけど、事実上議院内閣制と同じような組閣が行われることとなるのだ。
法的拘束力はないので、あくまでも慣例なんだけどね。

さらに、「憲政の常道」で大事なのは、与党による内閣が失政で倒れることとなった場合、野党第一党の党首が組閣するんだよね。
与党に失政があったのに引き続き与党の別の誰かが組閣をしたのでは民意が反映されないので、ということなのだ。
これは二大政党制を強く意識したもの。
これも慣例なので必ずしもそうしなければならないものではないんだけど。
で、当然、これは議院内閣制とは関係ない話なので、議院内閣制が日本国憲法に規定される際には外されているのだ。
とはいえ、今でも野党は「憲政の常道」を引き合いに出して、内閣総辞職があったときに野党の党首を首班指名すべき、と主張するけどね。
ただし、戦後でも、昭和22年(1947年)の芦田内閣総辞職後は、日本社会党委員長だった片山哲が首班指名され、片山内閣が発足している例もあるよ。

これはすべて戦前の話で、戦後の内閣総理大臣はもっと強い権限を持っているのだ。
国務大臣の任免権を持っているのもそうなんだけど、平成11年(1999年)の内閣法の改正においては、内閣法第4条第2項を改正して、「閣議は、内閣総理大臣がこれを主宰する。」という規定の後ろに「この場合において、内閣総理大臣は、内閣の重要政策に関する基本的な方針その他の案件を発議することができる。」という一文を挿入したのだ。
これにより、内閣総理大臣自ら発議できることが法制上明確化され、ますますリーダーシップが強化されたのだ。
日本は大統領制ではないんだけど、そうは言っても強力なリーダーが必要なので、議院内閣制の枠内でどこまで内閣総理大臣に強い権限を持たせるかっていうのは課題なんだよね。
実際問題としては、属人的な話で、法制上の権限がどうであっても、その人本人の能力によるところが大きいんだけど。

0 件のコメント: