2015/03/14

春の小川は道の下

春の小川はさらさら行くよ♪、と歌われていたのは、渋谷を流れていた宇田川の支流のひとつの河骨川と言われているんだよね。
小田急線の代々木八幡駅と参宮橋駅の間には歌碑もあるんだって。
でも、そんなところに川はない・・・。
実は、この川はすでに地中に埋められているんだよね。
「地中に埋める」というと埋め立てているような印象を受けるけど、そうではなく、地中を流れる川となっているのだ。
川の上にふたをしているイメージ。

この川を地中に埋めることを暗渠化と呼ぶんだ。
暗渠というのは「隠れた水路」といった意味で、逆に、水路がそのまま流れているものは「開渠」と言うのだ。
昭和の時代によくあった「どぶ川」だよね。
1964年の東京五輪を一つの契機として、治水対策、生活排水の流入による異臭対策等々から、これらのどぶ川と化した川の多くは、地中に埋められることとなったのだ。
23区内には川もないのに「○○橋」という交差点が多くあるけど(例えば銀座の数寄屋橋や三原橋など)、これもその下には川が流れているんだよ。
また、「○○川緑道」というのがあるけど、これは暗渠化した川の上が緑道として整備されたものなんだ。
もともと川の流れなので、蛇行しているんだよね。

家康公が入府する前の江戸は、広大な湿地で、銀座のあたりはもう入り江だったんだよね。
日比谷入江と呼ばれていて、太田道灌公が江戸城を最初に築いたときにはウォーターフロントで、目の前に江戸湾が広がっていたのだ・・・。
江戸幕府が成立して以降、城下町としての整備が進み、江戸城まわりに流れていた平川などがお堀として利用されるとともに、銀座方面は埋め立てが進んでいったのだ。
埋め立ては江戸末期まで続くんだよね(って、明治にも月島などが埋め立てられているけど。)。
でも、もともとは湿地帯で水はけの悪い土地。
そのまま埋め立てても地盤が弱いので、縦横に堀割を切って水を流し、水はけを改善したんだよね。
そのための開削工事が大土木工事として行われていたようなのだ。

仙台堀川なんかは仙台藩が実施した事業なので、その名前がついていたりするんだよ(今は暗渠化され、公園になっているよ。)。
いわゆる本所・深川地域の堀割では、堅川は暗渠になっているけど、横十間川や小名木川、大横川などは水路として水運交通の役割も担っていたこともあり、今でも開渠で残っているのだ。
川幅も広いので、埋め立てられるまでには至らなかったのかも。
隅田川に出る水路としての機能もあるしね。
月島運河なんかは今でも水運で使われているのだ。
同じ水運に使われていた日本橋川、銀座川、築地川は暗渠になっているので、都市計画との関係も大きいんだろうけど。

江戸二大上水も、いまだにすべて開渠になっている神田川(神田上水)は例外で、玉川上水とその支流となっている千川上水も暗渠になっているよ。
千川上水は今は千川通りという主要道路になっていて、玉川上水は三鷹あたりでは開渠になっているけど、都心に入ると緑道になっているのだ。
甲州街道(国道16号線)沿いに緑道があるよね。
もともと世田谷あたりも湧水が有名で水が多く出たので「北沢」、「野沢」、「奥沢」などなど「沢」がつく地名が多いんだけど、そのために川も多く、北沢川、蛇崩川、烏山川などが暗渠になっているよ。

最初に出てきた渋谷だと、渋谷川、宇田川、穏田川なんかが暗渠になっているんだよね。
渋谷はその名前のとおり「谷」になっていて、渋谷駅付近がすり鉢の底で、まわりを坂で囲まれているんだけど、当然そこに水の流れがあったんだよね。
それが全部地下に埋められているんだ。
東急東横店は渋谷川の上に建てられたので地下がなかったし、センター街も宇田川の上に作られているんだ。
まだ川の流れがあった頃の渋谷は今とは全く違う風景だったんだろうなぁ。
ちなみに、今の渋谷川は地下鉄のトンネル内にしみ出した水が排水されていて、それが主な水源となっているようなのだ。
まさに地下の川になっているね。

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