2015/11/14

国産ジェット機が翔んだ日

名古屋で、初の国産ジェット旅客機のMRJの飛行試験が成功したのだ。
当日は事故があるかもしれないからと、近隣区域への立入りは制限され、遠くから見るか、ネットの生中継で見ることになったのだ。
生中継することについては、初飛行試験で何かトラブルがあるかもしれないと危険視する向きもあったんだけど、結果としては見事に離陸・飛行・着陸とこなしたんだ!
日本の航空機技術の歴史が書き換えられた瞬間だよ。

日本の航空機技術は戦前からかなり高い水準にあったんだよね。
実際に、零戦や隼、紫電改などのレシプロ戦闘機はその性能の高さを評価されているのだ。
加速性能と小回りがきくので、当時の空中戦では活躍できたんだよね。
でも、終戦後、この技術力を恐れた連合軍GHQは、航空禁止令というのを出して、国内に残っている航空機をすべて破壊するとともに、航空機の開発・製造を禁止したんだ。
これがきっかけで我が国の航空機技術は置いてけぼりを食らうことになるのだ・・・。

実際には、朝鮮戦争の勃発により、日本の旧航空機メーカー(三菱重工や川崎重工、中島飛行機の後身である富士重工など)に修理やメンテナンスの仕事が入り、また、ライセンス生産による部品製造の仕事も入ってきたので、製造技術については一定のレベルを維持することができたのだ。
でも、肝心の開発の方は止められたままなのが痛かった。
第二次大戦では、ちょうどジェット機が実戦投入が始まり、戦後、民間航空に転用されていく時期だったんだよね。
そのタイミングを逃してしまったのだ。
米国では、大型爆撃機の技術から、大型ジェット旅客機が生まれるんだよね。
軍用輸送機の企画競争に負けたボーイング社が、自社の軍用機の技術を民間機に転用したのだ。
そうしてできてくるのが、ボーイング707から始まる大型ジェット旅客機のシリーズ。
民間航空機により大量輸送自体が幕を開けることになるんだよね。

日本では、終戦間際のタイミングでジェットエンジンを搭載した試験機を開発するところまではこぎ着けていたんだけど、それ以降いったん開発が止められてしまったので、ジェットエンジンについて大きく遅れをとることになったのだ。
これがいまだに尾を引いているんだよね・・・。
自衛隊機の戦闘機や輸送機は国内企業が製造しているけど、ライセンス生産で、肝心なエンジンや計器類などは海外製。
しかも、ブラックボックスとなっていて、勝手に解体して中を調べても行けない契約になっているんだ。
定められたマニュアルに則って修理やメンテナンスはしていいんだけど、重要な部品の交換だと、米国に行ったのくって作業してもらうなんてことも。

その一方で、サンフランシスコ講和条約の発効後、日本が完全に独立を取り戻してから、国産航空機開発の機運が高まったのだ。
その流れで開発されたのが、国産レシプロ旅客機のYS-11。
本当は「わいえすいちいち」と読むのが正式だそうだけど、一般には「わいえすじゅういち」と呼ばれている航空機だよ。
開発には、三菱重工や中島飛行機で活躍していた設計士が入り、通商産業省の主導の下、関連企業が集まって国を挙げて取り組まれたのだ。
当時は特定の企業が突出しないようにとの配慮で、日本航空機製造株式会社という特殊法人が設立され、ここが開発・製造・販売主体となったのだ。
ちなみに、最初にこの機体を引き受けるローンチカスタマーは、日本航空(JAL)ではなくて、当時はまだできたばかりだった全日本空輸(ANA)だったのだ。

ただし、日本の中でもぴかぴかの腕を持つ飛行機屋が総力を挙げて開発したんだけど、彼らは軍用機しか作ったことがなかったし、そもそも旅客機に乗ったこともなかったようなんだよね。
なので、できあがったYS-11はお世辞にも乗り心地がいいものとは言えないようなもので、パイロットからすると操縦しづらいものだったとか。
国産技術の復活というノスタルジーの中では美化されているけど、能力的にはそこまでか、という評価もあるみたい。
軍用機ばりに頑丈だったのと、就航後の不断の改良を続けたことでそれなりに売れたんだけど、主体が特殊法人だったというのもあって経営は悪化。
1973年(昭和48年)には製造が終了し、日本航空機製造も三菱重工に事業を引き渡して1982年(昭和57年)に解散することとなるのだ。
その後もしばらく国内外で飛んでいたんだけど、国内では2006年(平成18年)に定期路線から完全引退したんだ。
このときは引退を悲しむ声が大きかったんだよね。

そんな中、やはり国産旅客機を、ということで、経済産業省の協力を得て、三菱重工が開発に取り組んだのがMRJなのだ。
三菱・リージョナル・ジェットの略で、短距離~中距離を飛ぶ中型のジェット旅客機。
ちょうど開発計画が持ち上がった90年代は、カナダのボンバルディアやブラジルのエンブライエルの成功から、これからはリージョナル・ジェットに時代と言われた頃で、それなりの市場が見込めたんだよね。
また、大型ジェット旅客機だと、開発費用も莫大にかかるので、日本ではとてもじゃないけど無理だったのだ。
けっきょく世界でボーイングに対抗しているのは欧州のエアバスだけだしね。

このMRJの開発に当たっては、高い燃費性能と低環境負荷の技術が採用され、そこが国が補助して技術開発をする部分なんだよね。
この開発には宇宙航空研究開発機構(JAXA)と東北大学が協力しているのだ。
それで、いくつかの開発トラブルを乗り越え、何度も試験飛行を延期して、やっと初試験飛行に成功したんだ。
今回もローンチカスタマーはANAなんだけど、民間主体で開発を進めていること、YS-11のときの反省を踏まえて経営戦略を検討したことから、すでに海外からの受注も取り付けているんだ。
国内外でいまかいまかと待ち続けていた飛行試験がやっと成功し、これから型式証明の獲得など就航に向けての準備が進められるのだ。
世界の空を国産ジェット旅客機が飛ぶ日も近い?

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