2015/11/07

おだやかに独立

出張でカナダに行ってきたのだ。
寒かった!
北米大陸の北側だからね。
場所によっては極域に入っていて、オーロラも見えるわけだし・・・。
そんなカナダだけど、意外とよく知らないんだよね。

英国と独立戦争までして完全に独立し、大統領制を敷いている米国とは異なり、カナダは英連邦の一角。
英国王がカナダ王を兼ねていて、その下で立憲君主制になっているのだ。
英連邦の他の国と同様に、国王の代理として「カナダ総督」が「君臨すれども統治せず」で存在していて、実質的には首相が政治のリーダーとなっているのだ。
このあたりはオーストラリアとかニュージーランドも同じだよね。
でも、こういう政治体制なので、バンクーバー五輪では、国家君主としてエリザベス女王の代理でカナダ総督が開会宣言をしているんだよ。
でも、カナダが独立して完全に主権国家になったのは1982年なんだって!
どうなってるの?、と思うけど、英国式の法手続で、そこに至ってやっと完全に独立したらしいのだ。
カナダという形で国がまとまったのは1867年。
英国議会で制定した「英領北米法」という法律により、北米の英国植民地のうち、カナダ植民地、ニューブランズウィック植民地及びノバスコア植民地を合わせて「カナダ自治領」となったのだ。
このとき、州が4つできて、オンタリオ州、ケベック州、ニューブランズウィック州及びノバスコア州ができたよ。
これはカナダの東側部分。
後に中央部のマニトバ州、北西部のノースウェスト準州、西部のブリティッシュコロンビア州、、太平洋上のバンクーバー等、大西洋上のプリンスエドワード島などがどんどん組み入れられ、今の形になったのだ。
カナダの場合は、あくまでも英国の領土の一部で、一定程度の自治権が認められていた、ということなんだよ。

1931年になると、ウェストミンスター憲章が制定され、英国の海外自治領にも外交権が与えられるようになったのだ。
逆に言うと、それまではなかったということ・・・。
カナダやオーストラリア、ニュージーランドなんかは、英国軍として第一次世界大戦に参加しているんだけど、これは英国が参戦したのでそのまま引きずられて参戦しているのだ(>o<)
このウェストミンスター憲章では、英国王が各自治領の国王を兼ねることとされ、それぞれの国が国王への忠誠をもとに団結する「同君連合」となったのだ。
これにより、英連邦が正式に法的に位置づけられたことになるんだって。
ただし、この時点ですぐにカナダは独立したんだけど、オーストラリアとニュージーランドが独立するのは1947年で、戦後になってからなのだ。

この状態だと、カナダはまだ英国の一部という位置づけで、憲法の改正には英国議会が権限を留保していたりしたのだ。
そこで、1982年になって、1982年憲法法というのが英国議会で制定され、これにより自治領から真の独立国になったんだそうだよ。
っていうか、そんな最近のことだったんだね・・・。
これはびっくり。
さらに、実はケベック州だけはこの1982年憲法を批准していないんだとか・・・。
もともとケベック州はフランス系の住民も多く、カナダから独立しようという動きもあるみたいなので、そういうところから来るのかもしれないけど。
そういうわけで、カナダは日本から見るとけっこうわかりづらい政治体制になっているんだよね。
普通に観光する分にはあまり意識しないし、ほとんど米国と同じと思っていたけど、かなり違うんだよね。
そこは戦争してまで独立したのと、自治領を経てマイルドに独立してきたのとの違いなのかもしれないけど。

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