2016/02/13

本当はメインなんです!

「なます」という料理があるのだ。
イメージとしては、お正月のおせち料理に入っている紅白のやつだよね。
さっぱりするのでボクは意外と好きなんだ。
ゆずをきかせてあるのがおいしいよね。
でも、実は、これは「精進なます」と呼ばれるものの一種で、もっと歴史があって、奥が深いものなのだ。

ことわざに出てくる「羮に懲りて膾を吹く」の「なます」なんだけど、「羹」というのが熱い料理で、「膾」は冷たい料理なんだよね。
具体的には、生肉や生魚を細切りにしたものを中国では「膾」と言うのだ(本当は魚の場合は「鱠」)。
時代劇なんかに出てくる「なます切りにする」というのは細かく切り刻む、ということだよ。
孔子さんも肉のなますを好んだと言われているけど、肉をあぶった「炙」とともに古代中国のごちそうだったんだって。
「人口に膾炙する」というのは、「炙」や「膾」のようなごちそうは人々に好まれてよく口にされるけど、それと同じように人々が口にする、ということなのだ。
酢の物の一種というイメージとはだいぶ違うよね・・・。

我が国にも「なます」は古くからある料理で、おそらく最初は本場中国のものが伝わったんだろうけど、「膾」ではなく、大和言葉の「なます」は独自の料理になっていたのだ。
平安後期の院政期には、魚や野菜を刻んだものを調味料と和えたものが「なます」と呼ばれていたようで、すでに仏教の影響からか、「生肉」はなくなっているのだ。
やがて、単に酢を使った調味料で和えたものを「なます」と呼ぶようになり、野菜だけを使ったなますも登場するんだ。
一応、野菜のみの場合は「精進なます」とよばれるのだけど。
このあたりになると、ほぼ現在の酢の物の概念だよね。

でも、江戸時代まではなますは「一汁三菜」の「菜」のひとつで、煮物・焼き物と並んでメインの料理の一つであったのだ。
通常お膳の中央より奥の「向こう側」に置かれたので、「向付(むこうづけ)」と呼ばれるようになるよ。
たぶん、この頃はまだ魚肉が入ったもので、今で言うところの「ぬた」や「カツオの土佐造り」に近い料理だと思うんだよね。
時代が下ってくるとこのなますはだんだんと刺身・お造りに置き換わっていくのだ。
もともとは刺身やお造りもなますの一種だったんだけど、はじめから調味料と和えるんじゃなくて、切り身だけ並べておいて、好きな味で食べた方がおいしくない?、ってなったんじゃないかと思うのだ。
江戸時代になると、江戸のような比較的海に近い年では新鮮な生魚が得られるようになり、さらに、醤油が普及してきて、あえてあらかじめ酢を使った調味料で和えなくてもよくなったのだ。

で、本来の酢を使ったなますはと言うと、会席料理では止め肴の酢の物・和え物として出るものに成り下がったのだ。
もちろん、ほぼ野菜だけが使われる料理に変わってはいるけど。
メインだったはずが、刺身に座を奪われてしまった・・・。
この結果、刺身のようなメインになるなます由来の料理がごそっとイメージから抜け落ちたので、いわゆる酢の物のイメージになっていくのだ。
しかも、「なます」の名前をそのまま使うのもおせち料理の「紅白なます」くらいだしね。

タルタルステーキもそうだけど、基本的には家畜の品種改良も進んでいないし、場合によっては狩猟で獲た獲物の場合もあったので、生肉はそのままではかたいもので、刻んで柔らかくする必要があったんだよね。
しかも、保存技術もよくなくてどんどん悪くなっていくのでくさみも出やすく、薬味や香辛料を混ぜることがおいしく食べるこつだったのだ。
酢を使うのは、味を調えるとともに、殺菌効果も狙っているよね。
傷みやすい鯖をしめさばにするのと同じ。
でも、江戸時代くらいまで下ると、そんなことをしなくても素材のママの味を楽しめるくらいの新鮮なものが手に入るようになったので、刺身文化が花開くのだ。
そういう意味では、「なます」という調理法は一定の役割を終えたんだよね。
ただし、味として好まれている部分は確かにあるので、酢の物のとして生き残っているのだ。

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