2016/05/21

上野で名品を展示する

上野にある国立西洋美術館本館が、世界文化遺産への登録に近づいたのだ!
上野でよくのぼりなんかを見たけど、地元も相当応援していたんだよね。
東京都は、小笠原諸島が自然遺産に指定されているけど、文化遺産はないので、仮に指定されればこれがはじめて。
なので、俄然盛り上がってきたのだ。

もともと、この建物単体での申請ではなくて、近代建築の三大巨匠にも数えられるル・コルビュジエさんの建築のひとつとしての申請なんだ。
世界7カ国に散在する23件の建造物がまとめて申請されているんだけど、こういう申請もはじめてのことだったみたい。
ガウディの作品群みたいに、国内数カ所に散在くらいはあったようなんだけど。
しかも、通常政界遺産への申請は国ごとに「枠」があって、日本で申請するときもまず国内で「予選」があるんだけど、今回はフランス枠での申請だったんだよね。

で、この美術館が建てられたのには、なかなか興味深い経緯があったのだ。
それは、国立西洋美術館の根幹とも言える、「松方コレクション」の変遷が関係しているんだよ。
このル・コルビュジエによる本館は、まさに「松方コレクション」を所蔵・展示するために建造されたものなのだ!
企画展は見に行っても常設展は見ない、なんて人は多いけど、これを機会にぜひぜひ常設展示も見てもらいたいものだよね。
ま、実際に指定されたら、何かそれで企画をしそうだけど・・・。

「松方コレクション」というのは、対象から昭和初期に川崎造船所(川崎重工業の前身)の初代社長を務めた実業家の松方幸次郎さんの美術品コレクションのこと。
この人は、第6代内閣総理大臣の松方正義大勲位の子息なのだ。
第一次世界大戦による船舶需要で業務拡大をしていった松方氏は、欧州で船の売り込みをしている最中に美術品を収集し出すのだ。
収集の経緯や目的は諸説会って明らかじゃないんだけど(本人が著作等を残さなかったため)、ロンドンの画商で興味本位に買ったのが始まりとか。
その後、ロンドンでの買い付けをはじめ、パリなどでも美術品の買い付けをし、西洋近代美術作品や、フランスの宝石商の持っていた一大浮世絵コレクションなどを購入するのだ。
さらに、彫刻家のロダンの代表作もまとめて購入しているんだよね。

こうして、松方氏は美術収集家として一気に名をはせ、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、ルノワール、モネ、モローなどの作品がコレクションに加えられていくことに。
まさに世界的なコレクションになったんだよね。
けっきょく目録が作られていなかったので正確な総数は不明なんだけど、最終的には、絵画約2,000点、浮世絵約8,000点、そのほか彫刻や工芸品などがあったと考えられているよ。
特に、海外に流出した浮世絵を取り戻した功績が大きいんだよね。
国内では、というか、江戸時代は浮世絵は庶民のもので「芸術作品」とは見なされておらず、ほとんどものが残っていなかったので、こうして海外に流出してものを取り戻さないと現在まで残っていなかったおそれがあるんだよね・・・。

松方氏自身は自分で美術館を作って、と思っていたようなんだけど、運悪く世界恐慌のあおりを受けて川崎造船所の業績が悪化して経営破綻。
夫妻整理のために松方氏も私財を手宇供せざるを得ず、国内で保管していたコレクションは散逸することになってしまったのだ(>o<)
このときに手放された西洋絵画の一部は、今ではブリヂストン美術館や大原美術館に収蔵されているよ。
浮世絵については皇室に献上され、それが帝室博物館に下賜されたので、現在では東京国立博物館が所蔵しているのだ。

一方、海外にあったコレクションはそのまま保管され続け、散逸は逃れたんだけど、やはり不幸に見舞われるのだ・・・。
ロンドンに保管されていたものは火事により焼失。
これは約300点と推定されているよ。
パリに保管されていたものは、ナチス・ドイツのパリ侵攻の際に接収されそうになるも、辛くも逃れたんだけど、日本の敗戦に伴い、仏国政府に押収されてしまうのだ。
基本的には国の資産はそのまま没収、個人資産は原則その個人に返還する、というはずだったんだけど、あまりにも優れた美術品だったがために、返還されずに仏国政府のものとされてしまうのだ。

しかしながら、日本としてもこれだけのすばらしいコレクションを失うわけにはいかないと返還交渉を続け、吉田茂首相が1951年のサンフランシスコ講和会議の際に仏の外務大臣に要求し、やっと返ってくることになったんだよね(なお、この朗報を聞くことなく、1950年にすでに松方氏は鬼籍に入っていたのだ。)。
ただし、仏国政府はすでに自分のものと思っているので、「返還」ではなく「寄贈」と主張し続けていて、仕方なく「寄贈返還」とかいう形態で返ってくることになったのだ。
また、このとき、全部を返したわけでもないのだ(返ってきたのは約430点のうち約370点)。
コレクションの中でも特に重要と思われるゴッホやゴーギャンの作品はそのままフランスに残ることに・・・。
有名なのは、オルセー美術館所蔵の「アルルの寝室」という作品だよ。

しかも、この「寄贈返還」に当たっては、仏国政府はいくつか条件をつけてきたんだよね。
それが、①展示に当たって専用の美術館を設置すること、②美術品の輸送費は日本側で負担すること、③ロダンの「カレーの市民」の鋳造火は本革が負担することの3つ。
で、この①の条件に基づいてできたのが国立西洋美術館というわけ。
でも、美術館設置に当たっても、まだまだ苦難の道が続いていたのだ・・・。

当時の日本は財政難で、とてもじゃないけど新しい美術館を建設するお金がなく、東京国立博物館の表慶館(大正天皇の御成婚を記念して作られた日本発の美術展示館)に展示することでお茶を濁そうとするんだけど、仏国政府は不快感を示し、改めて新美術館の建設を要求してきたのだ。
そこで、実業家で政治家だった藤山愛一郎さんが呼びかけて寄付金集めが始まったのだ。
さらに、補正予算でも建設費の一部が認められ、当時の金額で約1億5千万円という建設費が用意できたのだ。
これが1954年11月のこと。

ここからは展開が早く、建設候補地に上野の現在地が指定され、設計をル・コルビュジエさんに依頼することも年内に決まったのだ。
翌1955年に建設予定地に鍬入れを行い、ル・コルビュジエさん本人も現地を視察。
更に翌年の1956年にはル・コルビュジエさんから基本設計案が届き、1957年にはそれが実施設計案となって、国立西洋美術館本館が竣工するのだ。
1959年に仏国政府からコレクションの引き渡しが行われ、その年の6月に一般公開が始まることに。

で、この「寄贈返還」された「松方コレクション」を軸に、西洋美術史に沿うような展示ができるよう、ルネッサンス期の「オールド・マスター」の購入が進められ、現在の収蔵コレクションができあがったんだ。
国立西洋美術館の敷地内や本館1階にロダンの彫刻作品が多いのは、「松方コレクション」に由来するからなんだよ。
というわけで、こうして日本における西洋美術の殿堂ができあがったわけだけど、数々の苦難を乗り越えた経緯を知ると、今回の世界遺産登録へのICOMOSの勧告というのも感慨深いね。

0 件のコメント: