2018/02/03

首位、陥落

衝撃的なニュースを見たのだ。
なんと、一世帯(二人以上)の納豆の年間購入額で、水戸市が長年守ってきた首位から陥落し、福島市にその座を奪われたのだ!
しかも、今回の調査では盛岡市にも僅差で負けて三位・・・。
福島市ではもともと給食で二週に一度は納豆が出るという地域で、納豆を食べる習慣が子供の頃からついているので、消費量が高いとのこと。
地元のスーパーでは豆腐よりも納豆のコーナーの方が大きいらしいよ。

でも、ちょっと気になったのは、なんでそもそも納豆って水戸の名物なんだっけ?、ということ。
大豆の産地でもないし。
発酵に必要な環境に優れているわけでもないよね。
そもそも茨城でも水戸だけだし。
一応、水戸納豆の由来としては、後三年の役で欧州に向かう途上の八幡太郎義家公に差し出していた馬の飼料の煮豆の残りが納豆になった、のだそうだよ。
っていうか、馬の飼料の残りが糸を引き始めていて、それを試しに家来が食べたらおいしくて、それを義家公にも献上した、というんだけど、ちょっと無理がないかなぁ・・・。

しかしながら、現在の糸を引く納豆が平安中期以降に登場して、それが主に関東から東北にかけて広がっていったのは確かなようなのだ。
もともとの「寺納豆」は今でいう「 豆鼓(とうち)」のようなもので、発酵させた後に乾燥させた、豆の形を残した塩辛い味噌のような風味のもの。
これは大陸伝来のもので、後に日本の味噌や醤油につながっていくんだけど、糸引き納豆は日本発祥と考えられていて、安価に作れて栄養が豊富なので、主に庶民の間に広まっていったと言われているんだ。

実は、納豆が水戸の名物になったのは水戸線(東北本線と常磐線をつなぐ路線)の開通から。
明治22年(1889年)のこと。
現在の「天狗納豆」の創始者である初代笹沼清左衛門さんが製品化に成功し、駅前で土産として販売したところ好評を得たため。
それまでは基本的に納豆は自家製で(江戸なんかの都市には郊外の農家で作ったものを納豆売りが売りに来ていたみたいだけど)、これを製品として販売するようになったのが画期的だったんだって。
当時の水戸周辺は小粒の大豆の産地でもあって、それも功を奏したみたい。
粒の大きな大豆の場合は、先に砕いてから発酵させる「ひきわり」納豆にされていて、江戸時代なんかはむしろそっちが主流だったようなんだけど、小粒の納豆だと豆の形が残っていて、見た目にもきれいだよね。

ここで確信が怒ったのが納豆の製法。
明治に入ってから納豆の研究が進み、それまでの一度煮沸したわらに煮豆を包んで発酵させる、という手法から、純粋培養した納豆菌を接種して発酵させる方法に変わったのだ。
もともと納豆菌は芽胞を形成することで耐熱性が高く、少し煮沸したくらいでは死滅しないんだよね。
さらに、その高い繁殖力で、他の芽胞を作る最近より早く増殖するので、温度と湿度が適切であれば、放っておいても納豆ができるのだ。
最初はそうやってできているしね(笑)
一方で、このやり方にはやっぱりこつなんかもあるわけで、失敗すると腐敗したり、アンモニア臭の強いものになってしまうのだ(>o<)
そこで、工業的に大量生産するには純粋培養した納豆菌による製法が必要だったわけ。
これなら雑菌の混入は抑えられるからね。

こうして大量に作られるようになった納豆は、安価で栄養豊富なので軍用食にも採用され、戦中戦後に広まっていったのだ。
地域的な偏りはあるんだけどね。
今では流通も拡大し、人の移動・交流も盛んになったので、関西でも納豆を食べる人がわりといるみたいだよね。
水戸市では「捲土重来」を狙っていろんなことを考えているようだけど、もともと「水戸納豆」がブランド化したのは、近代工業化の成功とマーケティングによる販路の拡大だから、その偉業を継いでなんとかしてもらいたいね。

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