2019/01/12

ニューウェーブ和菓子

この前、おみやげで人形焼をもらったのだ。
あんこのお菓子はフランスではきちょうだからうれしいね♪
日本茶と合わせるとほっとする味だよ。
でも、これってカステラ生地でもあるからちょっと洋風。
ということは比較的新しいものなのかな?、と調べてみたのだ。

で、けっきょくいつからあるのかはよくわからない(笑)
わかったのは、日本橋人形町で作られ始めたってこと。
今でも老舗があるけど、どうも対象機になってから始めたっぽいよ。
で、のれん分けで浅草仲店にも店ができて、そっちも今では浅草名物になっているよね。
人形町でも浅草でも焼きたてのやつが食べられるよ。

人形焼の起源がよくわからなかったので、似たものを調べることに。
やっぱり一番似ていてメジャーなのは、安芸の宮島名物のもみじまんじゅうだよね。
あれも宮島で焼きたてを食べたけどおいしかったのだ。
やっぱりカステラ生地の中にあんこを入れて焼いたもの。
こちらは、まことしやかな起源譚があって、宮島が好きでよく来ていた大勲位・伊藤博文が、給仕の娘さんのかわいらしい手をほめて、「焼いたらさぞうまかろう」、と言ったので、それをヒントに紅葉の葉の形のまんじゅうを作ったというのだ。
どうも女性が好きな好々爺だったみたい。
で、これは明治の終わりの頃の話。

ちょっと違うけど、味的には似ているどら焼きはどうかというと、今のようにホットケーキ用の皮ではさむようになったのはやはり明治の終わり頃。
「どら焼き」というお菓子自体は江戸時代からあったようなんだけど、その頃は小麦粉の薄い生地であんこをつつんだようなもので、1枚の生地で端を折って包んでいたのだとか(そのため形も四角で、裏側の真ん中はあんこが丸出し。)。
あんこのクレープ包みのようなもの。
味的にはむしろきんつばに近かったんじゃないかな。
これが明治になって、西洋から「パンケーキ」が入ってくると、これに強い影響を受けて今の形に進化したようなのだ。

もともとはけがをした武蔵坊弁慶に、鳴らす方の銅鑼の上で小麦粉の生地を薄く焼き、それをシップのように貼って治療した、というところからきていて、どら焼きというのはそのまま銅鑼の上で焼いたという意味。
ところが、今の形のどら焼きは、銅鑼のような形に焼いた生地であんこを挟んだものだよね。
今の形の方がイメージはしやすいけど(笑)

カステラ自体は戦国時代には入ってきていて、江戸時代にはふんわりと焼き上げる今のようなカステラの原型はできていたのだ。
でも、あくまでもパウンドケーキ状の四角い形で焼き上げるものだったみたい。
おそらく、明治の中頃以降に、このカステラの生地を使って別のお菓子を作ってやろう、そうだ、まんじゅうのようにあんこの種を包んだらどうだろ、と考えたんじゃないかと思うのだ。
で、おそらく最初はパンケーキにインスピレーションを受けてどら焼きとか1枚の生地で半月状に包む「やぶさめ」のようなものが生まれたんじゃないかと思うんだ。

もう一つの流れとして、同じ頃に今川焼きから派生してたい焼きが出てくるんだよね。
鋳物の方で生地を焼いて、その中にあんこをいれたもの。
今でも麻布十番の浪花家総本家(泳げ!たい焼き君のモデルの店)や四谷の若葉なんかはそうだけど、ひとつひとつハサンで作るタイプの型で焼いているよね。
金属を流し込む代わりに小麦粉の生地を流し込んで火にかけて焼いて、決まった形に生地を焼き上げるようになったのだ。
ここにたい焼きや今川焼きに使う小麦粉の生地ではなく、もう少しどろっとしたカステラ生地を使えば・・・。
人形焼のようなお菓子になるよね。
おそらく、どら焼きの流れとたい焼きの流れが合流してできたんじゃないかと想像されるよ。

こうやって見てみると、やっぱり名物になってきたのは大正期なんだろうなぁ。
いろんな新しい西洋文化を取り入れて日本独自の改良を加えていった時期だし、さもありなんとう感じ。
でも、大正時代だとしても、もう100年以上前!
いわゆる練り物のお茶菓子は室町時代以降だから400年くらいの歴史だから当然かなわないけど、けっこうな歴史だよね。

0 件のコメント: