2021/12/11

ヤーレンソーラン

北海道のソーラン節と言えば、かつて栄えていたニシン漁の歌。
江戸時代は東北地方の日本海側でもたくさんとれたらしいけど、明治・大正の頃にはとれなくなり、漁場が北上していたのだ。
そして、北海道ではよくとれるようになり、一大産業になったんだよね。
今でもそのときの栄華を伝える「鰊御殿」なんかが残っているけど、そこまで儲かるのか、とびっくりするようなものだよ。
今ではニシンというとお正月の昆布巻きと数の子くらいのイメージしかないけどね。

ニシンは近海で大量にとれる魚だったので、貴重な水産資源だったんだよね。
とはいえ、冷凍技術なんかない時代は別の方法で保存する必要があったのだ。
それが「身欠きニシン」。
ニシンの干物なんだけど、アジの干物なんかとは違って、水で戻してから食べることが多いのだ。
戻すと身が崩れやすくなるので、「身欠き」と言うのだ。
ニシンは脂がのっていることもあり、米のとぎ汁に一晩つけて戻すというのが一般的だよ。
米ぬかは天然の界面活性剤で、余計な脂分を吸い取ってくれるのだ。
特に、表面にある脂分は酸化・劣化していて臭みのもとになっているので、臭み消しにもなるわけ。

戻した身欠きニシンは甘く煮付けて甘露煮にしたり、煮物にしたりするのだ。
甘露煮にしたものをそばの上にのせれば、京都名物のにしんそば。
煮物の場合も、京都のおばんざいの「にしんなす」が有名だよね。
もともとニシンは卵巣(=数の子)や精巣(=白子)が大きいのだけど、それを守るために小骨が多いんだよね。
なので、新鮮なうちなら刺身もあるし、そのまま焼いて食べることもあるんだけど、この骨が邪魔になるのだ。
干してから水で戻して煮てしまうことで、骨を柔らかくして食べやすくする、というのがあるのだ。

ちなみに、欧州でもよくニシンを食べるけど、こっちは少し種類が違うセイヨウニシン。
やはり北の寒い海に住んでいるんだけど、やはり骨が気になるので、若いうち(卵巣や精巣が発達する前)に酢漬けにして食べるのだ。
それがハーリング。
臭みがあるのでタマネギのような香味野菜やハーブと一緒に食べることが多いよね。
ピクルスを中心にして巻くとロールモップスという料理になるよ。
大きいニシンは燻製にするんだけど、これはキッパー。

多くの場合、エラと内臓を取り除いてから濃い塩水につけてから加工するんだけど、この過程で身の表面が赤くなるんだよね。
なので「赤いニシン」とも呼ばれるみたい。
これはかなり臭気が強いことでも有名なんだよ。

で、洋の東西を問わずにニシンはよく食べられているんだけど、北海道で一番多くとれていた時代は、別の使い道もあったのだ。
それが魚油を搾り取るのと、その絞りかす(鰊粕)を肥料にすること。
江戸時代からイワシなどから行灯用の魚油を搾り取り、その絞りかすを肥料(金肥)にしていたけど、全く同じようなことをするのだ。
当時は生物由来の油が基本で、魚油が安かったんだよね(もちろん、灯火の燃料に使うと独特のにおいがするのだけど。)。
米国もランタンの円了として鯨油をとっていたので、海産物由来の油というのはその当時はわりとメジャーだったのだ。
ニシンも大量にとれたので、そういう加工品に向いていたんだろうね。

しかし、昭和になる頃には北海道でもとれなくなってきて、戦後すぐにニシン漁は廃れていくことになるのだ。
とれなくなった原因ははっきりしないのだけど、どこでもとれなくなったわけではないので、乱獲というよりも、海流の変化とかそういう環境の変化ではないかとみられているようだよ。
ま、そういう状況でも日本においてもしっかりと食文化は残ったわけなのだ。
でも、シシャモ同様、すでに国産ニシンは希少で、輸入物が増えているんだよね・・・。
本来は食文化は時代の変化とともに変わっていくものなんだろうけど、物流が発達して輸入できるようになったので、複雑になってきているね。
未来に人たちがこういうのを研究するときは大変だろうなぁ。

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