2022/07/09

Seven Evenings

七夕ばったばた。
今年は梅雨明けが早かったので、新暦の七夕でもちょっとだけ星空が見えたのだ。
これは珍しいらしい。
七夕というと、笹に短冊を飾って、というのがメインで、平塚や仙台などの七夕祭りを別にすれば、あんまり経済効果がなさそうなイベントなのだ。
でも、最近(?)はちょっと変わってきていて、コンビニとかを中心に、七夕の行事食というのを広めようとしているのだ。
関西のローカルな風習だった恵方巻を全国区にしたり、夏の土用だけだったうなぎを年4回のずべての土用に拡大したりと、その辺は抜け目がないよね。
そんな中で出てきているのが、「七夕そうめん」。
もともとは仙台の方のローカルな風習だったようだけど、ここ最近は七夕が近づくと、そうめんをよく見かけるようになったのだ。
で、これを探るには、もう少し七夕を深掘りしないといけないんだよね・・・。


七夕は中国の風習が日本に持ち込まれて独自に進化したもので、七夕の代名詞とも言える、笹に短冊、というのは江戸時代からの風習のようなのだ、
七夕が九通行事として入ってきたのはおそらく平安の頃なので、その間に貴族の季節行事が一般にも広まっていったってことだろうね。
このあたりはひな祭りや節分(追儺)なんかにも似ているかも。
今では短冊に書く願いに決まりはないけど、そもそもは、裁縫や手芸の技能上達を織女(織姫)に元悔過するものだったみたい。
こっちには起源があって、古代中国に「乞巧奠(きこうでん)」という名称でそういう風習があったのだ。
これは机の上に果物などの供え物をしたうえで、金銀お張りに七色の糸を通して・・・、みたいなもので、短冊なんかは出てこないのだ。
で、日本にこれが入ってくると、糸に見立ててそうめんが備えられるようになったんだって。
これが七夕とそうめんの出会い。

で、この話とは全く異なるところで、夏の時期には影響よけで願掛けをすることがよくあって、ひとつは、夏越しの祓えというのがあるのだ。
これは旧暦の水無月末日に蘇民将来の伝説にあやかって無病息災を願う行事なんだけど、このときは、神社にしつらえられた茅の輪を決まったまわり方でくぐるんだよね。
で、この茅の輪の横には、笹が立てられる習わしなのだ。
これが夏と笹の出会い。
どうも、夏に笹を飾るという発想はここから来ているみたい。
中身は手芸上達と無病息災で違うけど、夏に願う、という点では同じだしね。

さらにさらに、また別の風習があって、中国では、幼くして病気で亡くなった子どもが幽鬼となり疫病をはやらせたとき、生前その子どもが鉱物にしていた索餅(「さくべい」、小麦粉と米粉を水で練って縄上に編み上げた唐菓子)を供えたところ疫病が収まった、という伝説があり、七夕に熱病(マラリアなど)にかからないようにと索餅を供えて食べる習慣あできたそうなのだ。
これも平安期に日本に入ってきていたみたい。
で、この索餅は、そうめんのもとになったものとも言われていて、ここで、七夕、無病息災、そうめんが結びついていくのだ・・・。
で、約1週間前の夏越しの祓えでは茅の輪と笹が無病息災の象徴。
そうして、笹もここに集合されていくわけ。
そんなこんなで、七夕には笹がつきものになり、そこでは何か願い事をする、という感じになり、願い事を書くために短冊が笹につるされるようになっていくのだ。
で、無病息災を願ってそうめんを食べる、という流れみたい。
というわけで、七夕そうめんを食べるときは、無病息災や手芸上達を願った方がいいみたいだ(笑)

ちなみに、全く別のものとして、「七夕ゼリー」なるものもあるけど、これは学校給食の行事食で採用されたのがはじまりみたい。
ボクが小学校時代にはなかったような・・・。
基本は学校給食ででてくるだけのものだったんだけど、最近ではスーパーやコンビニでも、涼しげな青いゼリーに星形に切った果物がのっているものを見かけるよね。
いつのまにか学校での常識が世間の常識になりつつあるのだ。
ま、「ひな祭りケーキ」ほどは商業主義を感じないからいいけど。

0 件のコメント: