2022/07/16

人の不幸は・・・

大変な事件が起きて、改めてカルトと言われる宗教集団に注目が集まっているよね。
宗教団体はお布施や寄進を募るものだけど、余裕がある分をもらうのではなくて、根こそぎ持っていって生活を破綻させるまでになるから問題になるのだ。
そういう悪質なのがけっこうあるみたいだね。
でも、いつも思うんだけど、なんでこういう手口に引っかかるのか、というのは疑問なのだ。
家庭が崩壊するまで金を搾り取られていれば不幸なはずで、それで何で途中でやめずに出し続けるんだろう、と。
これには、一応心理学的な作用があるみたいなのだ。

まず、入口として、最初にどうやってお金を出させるか、そこがポイントだよね。
個々人の救済というよりも集金を目的とするようなカルト団体だと、「お金を持っていると執着が生まれ、それが不幸の原因となる。まずはそのおおもとのお金を手放すべき。」みたいなことを言ってお金を出させるらしいんだよね。
通常の感覚であれば、「何言ってんだ」で終わるんだけど、心身を病んでいて正常な判断ができないような状況だと、「そうなのか」とお金を出してしまうみたい。
そうなるとカモだよね。
そういう人でなくても、合宿と称して過酷な環境で軟禁して心身耗弱状態になったところで、なんてもあるみたい、
こうなると悪質度はさらに増すね。

こういう仕組みって、全員から集金する必要は全くなくて、百人、千人に声をかけて一人でも金を出せば、その後はその人をターゲットにして搾り取ればよいだけ、ということなんだよね。
なので、一見荒唐無稽、不可解な理論なんだけど、真珠ルものは救われるとばかりにわらをもつかむ人が見つけられればそれでよいのだ。
弱者を食い物にするというひどい話だけど、実際にはそういう方のがビジネスとしては成り立ちやすいのも事実。
生活保護費のピンハネみたいな話もあるようだけど、悪い仕組みを考える人っているんだなぁ、と逆に感心するよ。

こうして搾り取られていくと、端から見ればかえって不幸になっていくようにしか見えないんだけど、悪い人たちは、「金を出しているからこれくらいですんでいる、出していなかったらもっとひどいことになっていた」と脅すんだよね・・・。
これも全く論拠不明なものだけど、いったんお金を出してしまったような人には通じるようなのだ。
信者っていうのは圧縮して一時にすると「儲ける」だからね。
そして、本人的にも、「ここまで金を出しているんだから後には引けない、必ず幸せにならなければ」と思うようになるみたい。
これはコンコルド効果と呼ばれるやつだね。
株式投資やギャンブルで負け続けると後に引けなくなって大負けする、というやつ。
さらに、こうした不幸の中で、ちょっとでもいいことがあると、すかさず「これまでのお布施・寄進のおかげでよいことがあった」と吹聴するのだ。
これもおかしな話だけど、すでにまともな判断はできなくなっているので、そんなものかと思ってしまうんだろうなぁ。

こうして搾り取れるだけ搾って、さらに、金を出せなくなった後は、無償の労働者として役務を提供させるのだ。
すべての財産を寄付しなさい、なんていう集団は、多くの場合量のような集団生活拠点を持っていて、そこでタコ部屋のような生活を送らせつつ、集団から衣食住を保証してもらう代わりに奉仕をしなさい、と勧誘の手先にしたり、”ありがたい”壺やお札を販売させたり、という感じになっていくのだ。
よくぞここまで、と思うけど、すでに人を人とも思わぬようなかんじになっているんだろうなぁ。
感覚が麻痺してくるのか、もともとそういうタイプ(ソシオパスやサイコパス)の素養を思っている人がやっているのか。

こういう話だけ聞くと悲しい気持ちでいっぱいになるけど、孔子亜手口を知識として知っているかどうかはけっこう重要なんだよね。
知っていれば、あれ、これってあれじゃない、と気づく可能性もあるから。
あんまり見聞きしたくはない話ではあるけど、ある程度知っておくことは重要だと思うんだよね。
道徳お時間で教えるようなものでもないんだろうけど。

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