2022/08/27

まわる、まわるよ、農業は回る

日本の農業の原風景と言えば、なんと言っても水田による稲作。
春に水を張って田植えをし、夏には青々とイネが育ち、秋には実って黄金色の稲穂が頭を垂れ、冬には水も抜かれてわらが積まれている、みたいな。
日本で水稲栽培が行われてきたのは、土壌の性質の問題もあるんだけど、この方法だと、連作障害が起こらないので、同じ土地で同じ作物を栽培し続けられるという大きな利点があるのだ。
江戸時代にはかなり開墾・新田開発が進むけど、山がちな日本にはそんな広大な農地は望めないので、連作障害を避けるため、貴重な農地を一定期間休耕しないといけないというのはきついのだ。
水稲栽培の場合、水田の水を入れたり抜いたりすることで土壌がリセットされるので、連作障害の原因と言われる病原体の増加・蓄積が避けられるんだよね。
また、作物の生育に必要なミネラル分(カリウム)も川の水から補給されるので、それが欠乏することもないんだよね。
肥料は足せばいいけど、肥料を加えれば雑草も生えやすくなるので、雑草が生育しにくい水田というのは肥料にふんだんにやっても雑草を除去するのが比較的楽、という利点もあるのだ。
これが陸稲栽培になると、土壌はリセットされないので、連作障害が起きるし、施肥して栄養分を補給すると雑草もわんさか生えてくるのだ。
これは小麦なども同じで、こうした連作障害などを避けるためには工夫が必要なんだ。

古代から熱帯地域で行われているのが焼畑農業。
これは一定の区画に火を払って現在生えている植物をいったんすべて焼却するんだよね。
こうすることで、酸性の土壌がアルカリ性の灰で中和されるとともに、カリウムやリン酸などの栄養に富んだ土壌になるのだ。
でも、ここで数年作物を育てていると、連作障害が出てくるので、そうなったらこの畑はいったん破棄して、次の場所に移るんだ。
うち捨てられた畑はそのまま自然変異で雑草が生えてきたりして、以前と同じような野原に戻っていくんだよね。
それが回復したところで、また焼畑をして農地にするのだ。
というわけで、焼畑農業っていうのは不可逆的に森林や草原を焼き払って農地にするわけではなくて、長期的に農地を循環させていく農法なのだ。
自然繊維で土壌の回復を待つのには相応の時間がかかるので、人口に比して結構広い土地がないとサステイナブルには成立しないんだよね・・・。
人口が多すぎると前に焼畑にした区画の土壌回復を待つことができないうちに次々と焼き払われる土地が広がっていくので、一方的な自然環境破壊になってしまうんだ。
歴史的に長い間続けられたってことはそれが持続可能だったからなんだけど、前提条件がくぁってしまって持続可能でなくなってしまったというわけだね。

焼畑農業のように自然変異に任せて土壌回復を待つと時間がかかるので、欧州で編み出されたのが三圃式農業。
これは三つの区画を用意し、秋まきの小麦・ライ麦、春まきの大麦・豆類、休耕して放牧地、というように順繰りに回すことで連作障害を回避するのだ。
放牧地にしている間はシロツメクサ(クローバー)なんかを植えて土壌中への窒素固定を促すとともに、家畜の糞によりリン酸などの有機成分も付加して土地を肥えさせるんだよね。
それで小麦やライ麦などの主要作物を生産し、その次の年はやせた土地でも生育できる大麦や豆類に転換、いよいよ土地がやせ衰えたら休耕、というサイクルだよ。
焼畑ほどではないにしても、必要な小麦の量からすると、その3倍の農作地が必要なんだよね・・・。
これでは大人口を支えられないのだ。
江戸時代は日本の人口が世界的にも大きく伸びているんだけど、これは水田による稲作と、三圃式による小麦栽培の農業生産力の違いもあるんだよね。

これをさらに発展させたのが、農業革命をもたらした転栽式農業。
休耕して放牧地にすると、広い土地に家畜がまばら、という感じだけど、これだと効率が悪いので、休耕せずに家畜飼料用の作物を育てる、ということにしたのだ。
飼料用作物としては、カブやジャガイモ、テンサイなんかを作ったみたい。
これが18世紀から19世紀にかけての話で、ちょうど同時期に起こった産業革命を支えることにもなったのだ
産業革命では大きな労働力が必要だけど、それまでの農業生産効率ではそれだけの人口を支えきれなかったわけで、これでやっと欧州でも大きな人口を維持できる農業生産基盤ができたんだよね。

ちなみに、自然環境により連作障害が回避されていたと考えられる例もあるのだ。
それが古代エジプト。
「ナイルのたまもの」とはまさにそれで、ナイル川が不定期に氾濫することで、土壌に蓄積された病原体が排除され、また、栄養分に富んだ土がもたらされ、古代エジプト王国を支えるだけの農業が可能になっていたんだよね。
古代エジプトの主要作物は小麦だけど、水稲栽培で人工的に行っているような水入れ・水抜きがナイル川の氾濫によって自然に起こっていたということだね。
今では砂漠のイメージしかないけど、古代は一大農業国だったのだ。
だからこそピラミッドなんかも作れたわけだけど。

ちなみに「エジプトはナイルのたまもの」というのは、ヘロドトスの「歴史」にある言葉だけど、どうもこの意味ではないらしいんだよね。
農業生産性の高さのことをいっているわけではなく、古代エジプト王国の中心地は、ナイル川によって作られた中州、ナイル・デルタにあったので、この王国があるのもナイル川のおかげだ、くらいの意味らしいよ。
確かに、古代ギリシアの人間が必ずしも連作障害と川の氾濫を関連づけて考えていたとも思えないし、そんなものかもね。

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