2023/07/22

本当に好物か?

ゼルダの関係で任天堂が米国で炎上しているそうなのだ。
なんでも、リンクがスイカにかぶりついている絵が「黒人差別」らしい・・・。
っていうか、日本の文化としては、スイカは夏を代表するもので、夏らしさを描こうとしていると思うんだけど、米国では、スイカ=黒人奴隷の好物、というステレオタイプな受け止めがあって、それで差別という話につながるんだとかなんとか。
よくわからないけど。
多様性を認める世界を目指すなら、自国の価値観を外に押しつけるんじゃなくて、相手側の価値観にも理解を示すべきじゃないの?、とは正直思うよね。

19世紀の米国、特に大規模プランテーション農業で黒人奴隷を多く使っていた南部では、黒人のイメージとして、少しの休憩とスイカさえ与えておけば満足している、というのがあったんだって。
これが事実かどうかはよくわからないけど、当時の奴隷には人権なんて概念は適用されないし、過去の文献を見ると黒人奴隷の扱いは相当ひどかった例も報告されているよね。
だとすると、休ませてやるだけでもありがたく思え、甘いものとしてスイカを与えているだけでも喜べ、と思っていた可能性はあるんだよね。
ただし、本当に黒人がスイカのことを好んでいるかというと、実際の消費傾向を見ると、別に黒人が特に好んでスイカを買って食べているわけではないらしい。
まさに、イメージ先行のもので、後に絵のイメージとともに米国文化の中にすり込まれていったみたいなのだ。
その後、テレビショーなどで黒人の扱いを揶揄するような場面でも、わざと「スイカに異様な執着を見せる」みたいな形で扱われてきたようなのだ。まさにステレオタイプ。
そこから脱却できていないのが差別が残っている証拠のような気もする。


こういうステレオタイプの刷り込みというのはいろんなところにあるんだよね。
例えば、日本画の世界では「梅にウグイス」というのが絵になる取り合わせとなっているのだ。
で、2月の梅の時期に緑色の鳥が梅の木の枝にとまっていると、ついついウグイスだと思ってしまうわけだけど、たいていの場合、これじゃメジロ。
まず、メジロは明るい緑で、ウグイスはくすんだ緑(ウグイス色)なので色が違うし、メジロの場合は名前のとおり目のまわりが白いのだ。
メジロは梅の花の蜜を吸いに来るのでよく梅の木にとまっているけど、そもそもウグイスは昆虫などを食べるので、たまたま近くに梅の木があればとまるだろうけど、梅の木をめがけてくることはないのだ。
春を告げるかのごとく「ホーホケキョ」と鳴くウグイスが、やはり春の訪れを告げる梅の花の咲いた木にとまっている、というのが観念的に「絵になる」だけで、実際の自然現象で春にそういう場面が多く見られる、ということではないんだよね。
黒人とスイカもまあそんなところで、重労働の農作業の休憩時間に甘みがあって水分補給もできるスイカが与えられれば喜ぶのだろうけど、普段からスイカを好んで食べているわけではない、ということだと思うんだよね。

で、黒人の食文化としてもう一つwすれてはいけないのがフライドチキン。
南部では白人が食べるものではないとまで言われるのだけど、ケンタッキー・フライドチキンのおかげもあって広く食文化として浸透してきているんだよね。
日本なんかは独自の進化もしているけど。
で、こっちは本当に黒人につきものだったのだ。
というのも、奴隷制の残っていた時代の黒人が肉を食べようと思うとフライドチキンくらいしか食べられなかったようなのだ。
そもそもウシやブタは食べさせてもらえない。
トリは食べさせてもらえるのだけど、西洋で好まれる胸肉をとった残りの食べにくい部分(=手羽やモモなど)を多少悪くなっても食べられるようにする調理法である油で揚げるという手法でのみ許されたのだ。
油で揚げると全体が柔らかくなって軟骨とかも食べられるようになるしね。
で、黒人たちがおいしそうに食べているので、白人たちも食べてみたくなった、ということで、黒人だけのものじゃなくなったみたい。
そのフライドチキンがドライブインの名物になり、それがチェーン展開して、というのがケンタッキー・フライドチキンなのだ。

では、お金があれば何でも食べられるようになったこの現代においても黒人はフライドチキンばかりを食べるのか?、好むのか?
これはなんとも言えないけど、米国のケンタッキー・フライドチキンのお店に行くと、黒人やヒスパニックの人ばかりなのは事実。
これはそういう人種というより、低所得者層ということのようで、マクドナルドも同じような傾向があるのだけど、中所得者層以上でもハッピーセットの魅力にはあらがえないらしく、それだけ持ち帰りで買って帰る白人はいるのだ。
けっきょく、お金があれば食べるものは自由だけど、貧困状態であれば食べられるものが限られてくる、ということで、安価でカロリーの高いフライドチキンは低所得者層向けの料理、ということなんだと思う。
フライドチキンって米国発祥の料理でかなり有名なものであるとは思うけど、あまり米国料理の代表選手として出てこないのは、こういう事情があるからなのかも(米国料理の代表って、ハンバーガーが圧倒的だよね。)。

いずれにしても、食べ物と差別感情のつながりはどうしても文化的背景に根ざしているので、外部者からはわかりづらいのだ。
だからといって見過ごしていいわけではなく、不快な思いを抱く人がいるなら配慮はすべきだけど、自分たちの価値観を押しつけて攻撃してくるのはどうかと思うんだよね。
こういうのって、多くの場合、「不快に思っている」人々ではない人が声高に叫ぶから問題のような気も。
それはともかく、相互理解のためにはお互いのことをよく知ることが大事で、その上でどうしたらよいのかを話し合うってことかな。
 

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