2023/09/23

残暑は続くけど季節はずれ

 もう秋分というのに残暑が続いているのだ。
まもなく昼の時間の方が短くなるのに30度を越える暑さってなんかすごいよね。
なので、なかなか冷房をつけない日はないわけで。
電気代は上がっているし、光熱費負担も大きいよね。
そんなときの先人の知恵のひとつが風鈴。
このまえ近所でまだぶら下がっているのを見つけたよ。
夏休みの終わりの頃には片付けられるイメージがあるけど、こう暑い日が続くとそのままぶら下げておきたい気持ちもわかる(笑)

でもでも、風鈴って音が鳴るだけで別に涼しくなるわけでもなんでもないわけだよね。
こういうことを言うとみもふたもないけど。
風鈴はその音で涼しく感じさせるものなのだ。
そう、某マンガでラーメンはげ(通称)が言っている、「あいつらはラーメンを食っているんじゃない、情報を食っているんだ」というのと同じ。
風鈴の音は基本的に高温で、その材質はガラスや金属だから、そもそもなんか冷たいイメージがあるのだ。
さらに、その音がするってことは外には風が吹いているわけで、風があれば涼しいか、と思わせるわけ。
これは実際に風が家の中に入ってこなくても。
脳の情報処理において、ガラスや金属、そして、風というのが認識されると、「涼しい」という概念が連想されて、なんだか涼しい気がする、涼しげに感じる、ということなんだよね。
これはテレビで川のせせらぎの映像を見たりしても同じ。

でもでも、映像との違いは、映像は直接「涼しい」という概念とつながりやすいのに対し、音の場合は、ある程度文化的背景がないと「涼しい」まで連想が及ばないこと。
ちりんちりんと甲高い音が聞こえてきたとき、日本人はすぐに風鈴を思い浮かべるので、そとでは風が吹いていて、それがガラス製の風鈴を鳴らしている、と認識するわけ。
でも、風鈴という存在を知らない人からしたら、なんか音がしているな、と思うだけで、その先がつながらないんだよね。
これは秋の虫の声も同じで、日本人は鈴虫などの秋に鳴く虫の鳴き声を認識しているので、それが聞こえてくると網秋が来て涼しくなってくるんだなぁ、と連想するわけだけど、それを知らない外国人は何かよくわからない、りんりんという音が聞こえる、と思うだけなんだよね。
それが虫であるとか、その虫の鳴く季節とは結びついていかないのだ。

そういうわけで、風鈴の音を涼しく感じるのは、極めて文化的なものなんだよね。
でも、実際はそこまで古いものではなくて、せいぜい江戸中期以降のもの。
というのも、透明ガラスの製法がオランダ経由で日本に広まったのがその頃。
で、そこから風鈴とか金魚鉢をはじめとした「ギヤマン細工」が作られるようになるわけ。これも最初のうちはきっと高価なものなので一部の人だけのものなわけだけど、ある程度安価に作れるようになると庶民にも普及するわけだよね。
それが文化として根付くと「風物詩」みたいに季節とモノのが強く結びついて、そういう連想を生むような土壌が形成されるのだ。
ウナギも一年中食べられるし、むしろ夏じゃない方がおいしいらしいけど、どうしても「土用の丑の日」のキャッチフレーズと強く結びついて「うなぎ」=「夏の食べ物」的なところがあるよね。
これもやはり江戸時代以降の話だけど。

こういうのを踏まえてついつい夢想してしまうのが、すでに「風鈴」というものがなんであるかさえ忘れ去られてしまった遠い未来において見つかった古代の風鈴。
ガラス製のただ風が吹くと音が鳴るだけの道具。
それなのに、かなり技術が発達した後でもなぜか使われていた痕跡がある。
これはきっとなにか「呪術的な意味」があるに違いない、なんて考古学者は想像するわけだよね。
おそらく、遺跡から見つかっているもので、現代的視点から見るといまいちなんだかよくわからないものって、そういう時代的・地域的な文化的背景の中で意味を持っていたモノがあるんじゃないかぁ、と思うんだよね。
「きっと祭祀に使っていたに違いない」と思われている「銅鐸」も案外このたぐいかもしれないなぁ、なんて思うんだよね。

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