2023/10/21

世を忍ぶ、仮の・・・

日本の風俗の中には、いろんな宗教がごちゃまぜで混ざっているんだよね。
例えば、多くの日本人は初詣に神社に行き、お彼岸やお盆にはお寺に墓参りに行き、ハロウィンに仮装して大騒ぎし、クリスマスにプレゼント交換をするわけだよね。
すでに神道と仏教、儒教、ケルト信仰、キリスト教が混在している!
これはいまに始まったことではなくて、仏教伝来以降、徐々に徐々に日本古来の進行と仏教は混ざっていって、そこに中国の道教や儒教も影響も加わり、という感じだったのだ。
そもそも、仏教が日本に伝来する段階で、インドで生まれた原始仏教は地元でヒンドゥー教を取り込み、チベットを経て中国に伝わる間にさらに変容し、それが伝わっているわけで、純粋な仏教ではなく、すでにいろんなものが混ざった状態で来ているのだ。
そもそも、お釈迦様の教えでは偶像崇拝で禁止で、そのために「仏足石」やら「舎利」やらをありがたがっていたはずなのに、日本に伝来するころにはもう仏像があるわけ。
これは世界宗教化していく過程でいろんなところの土着の進行や風俗を取り込んでいくから仕方がないこと。

で、日本におけるその最たるものが、「本地垂迹説」。
日本の神様の本体は仏様で、日本においては神様という仮の姿をとって顕現しているのだ、というもの。
これを「権現」というのだ。
「権」は「仮の」とか「臨時の」という意味。
例えば、東大本郷キャンパスのすぐ近くにある根津神社は根津権現とも呼ばれるけど、御祭神はスサノオノミコトで、その本地仏は十一面観音と言われるのだ。
世界遺産でもある比叡山延暦寺と日吉神社の関係で言うと、伝教大師最澄が開山する前から土着の信仰(山王信仰)を集めていた地主神が日吉神の本地仏が大日如来で、この日吉神こそは大日如来の権現である、とするのが、天台宗から出てきた山王神道の考え方なのだ。
キリスト教において地元の神様を「守護天使」のような形で取り込んでいったのと同じようなことなんだけど。
(敵対していた異教徒の神は悪魔にされてしまうんだよね・・・。)

で、中世以降、仏教と神道は「神仏習合」して、一体不可分な形で信仰されていたんだよね。
っていうか、新党には明確な教義とかないし、一般大衆は深く宗旨などを理解して信仰していたわけでもないので、そういうありがたいものだ、という信仰形態だったのだ。
そもそも修験道なんかは仏教なのか神道なのかよくわからない信仰だよね。
大きな神社には別当寺や神宮寺と呼ばれるお寺が併設され、お坊さんたちが神社のお世話もしていたのだ。
なので、日光なんかは、今でいう日光山輪王寺と日光東照宮、二荒山神社が混然一体となって日光権現として信仰されていたんだよね。

転機が訪れたのが維新後の明治期。
天皇中心の統治機構を整備しようと国家神道の枠組みを作ろうとしたわけだけど、その時に出た神仏分離の方針(神仏判然令)が問題だったのだ。
お寺と神社を明確に分けろ、という話になったんだよね。
とはいえ、金勝日体となっていたわけで、そうそう簡単に分離できるわけもなく、というわけで大混乱が起きるのだ。
また、明治政府は必ずしもそういう意図があったのではないかもしれないけど、廃仏毀釈の流れもできて、寺院はすたれていくことに・・・。
東京深川の冨岡八幡宮は百貫神輿で有名だけど、そのお隣の深川公園にはもともと永代寺というお寺があったのだ。
でも、この時の神仏分離でお寺と神社が切り離され、廃仏毀釈でお寺だけなくなっちゃったんだよね・・・。
そのあと、成田山新勝寺の東京別院である深川不動堂ができたので、今では別のお寺があるのだ。
永代寺は、江戸六地蔵があって江戸庶民の信仰を集めていたお寺なんだけど、そういうおテレでも時代の波には乗り切れなかったのだ。
都内には上野と芝に東照宮があるけど、これらもそれぞれ寛永寺と増上寺からそのときに分離されたんだよね。
徳川将軍家の菩提寺で墓所もあるようなお寺だからこそ東照宮も造営されたわけだけど、そういうのも無視して、切り離すしかなかったのだ。

こうして、いわゆる「権現」という名称は正式には消えていったのだ。
今でも残っているのは通称で、明治期にだいたい「〇〇神社」という名前に改称させられているのだ。
神道を中心にしようとすると、仏教の神様が本体で、日本の神様としての姿は仮のものです、というのはあんまり都合がよくないのだ。
このとき、巻き添えを食ったのが「明神」という呼び方。
もともとは霊験あらたかな神様の尊称として、地域名に明神号をつけて呼んでいたんだよね。
神田明神も通称では残っているけど、正式には神田神社になっているよ。
神社のヒエラルキーを無理矢理整備しようとしてなんの神様が祀られているのかよく分からない神社のご祭神も一つ一つ決めていったんだよね。
この明神号というのは便利で、その土地の有力な神様という呼び方なんだよね。
なので、そうやってこじつけでも神様を特定しちゃうとそっち系統の名前に変えるように、となるのだ。

神田明神の本来の御祭神はオオナムチノミコトで、そののちに御霊信仰の祟り神として平将門公がまつられたんだけど、明治になって陛下が御幸するにあたり、逆進である将門公が祭神ではまずいと、茨城大洗の磯前神社からスクナビコナノミコトを勧請し、差し替えたりしているんだよね。
そんなに足したり引いたり簡単にできるのか、と感心しちゃうけど。
でも、おそらく江戸庶民の間では将門公をまつった経緯なんてあんまり意識されていなくて、江戸の総鎮守として信仰されていたんだよね。
こういう、どの神様がまつられているかよくわからないんだけど信仰を集めている神様の名称としては「明神」というのは便利なんだよね(笑)
実際、御祭神不明の神社はたくさんあって、明治期に無理やり記紀神話に出てくるメジャーな神様を比定したなんて話もあるので、神話上の神様の特徴とその地元で信仰を集めているかどうかはまた別の話ということなんだろうね。

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