2024/07/27

実は日本式

 当たり前っちゃ当たり前なんだけど。
テレビのクイズ番組か何かでパン粉工場の様子を見ていたら、まずは普通に食パン様のパンを焼くんだよね。
で、それを粉砕して乾燥させるとパン粉。
普通の食パンよりはちょっと白っぽいかな、というくらいだけど、これは耳がこんがりしちゃうとパン粉にしたときにむらができるからだろうね。
ちょっとパン粉に砕く前のそのパンを食べてみたい(笑)

パン粉の起源は、古くなり、硬くなったパンを食材として再活用するに当たって、ハードチーズをおろすように細かめの粉状にしたのが最初。
ほかにもパンがゆにしたり、クルトンのように汁物の具材にしたり、或いは、フランスのパン・ペルデュ(フレンチ・トースト)のように加工して食べたりするけど、粉にするのが一番簡便ではあるよね。
シチリアではこの硬くなったパンから作ったパン粉をかけたパスタがあって、アンチョビとニンニクを聞かせて作るらしい。。
パルメザンチーズの代わりにパン粉をかけて、というコンセプトだそうだけど、パン粉で香ばしさを、アンチョビとニンニクでパンチを追加した料理なのだ。
料理をおいしく食べようと追及する姿勢がイタリア的だ!
で、同じイタリアでは、ミラノ風カツレツ(コトレッタ・アッラ・ミラネーゼ)やライスコロッケ(アランチーニ)なんかの揚げ物料理の衣にも使われているよね。
ほかに、肉団子のような料理を作るときに「つなぎ」に使うのだ。
どれも基本は固くなったパンを細かく削ったものを使うみたい。

これが日本に渡ってきて、養殖文化の中で使われていくうちに、魔改造されるのだ。
まず、当時の日本は米ばかり食べる食習慣で、そもそも福なって硬くなったパンはない!
なので、パン粉用のパンをあえて作ることが必要だったのだ。
ただし、日本式のブレッドはそのまま食べても奄美島を感じるように、パン粉と塩とイースト以外に、バターまたはマーガリンのような油脂成分、牛乳や脱脂粉乳のような乳製品、砂糖などが加えられているんだ。
この一般的な食パンをほぐしたものを揚げ物の衣に使おうとすると、副材料の油脂や乳、糖類が焦げ付いたりして邪魔をするので、あえてフランスパンのようにシンプルな材料で作るそうだよ。
おそらくふんわりしたフランスパンのような感じのはず。

で、どうせならまだ柔らかいうちに使おう、というのが「生パン粉」。
ハンバーグのつなぎなんかの場合は、余った食パンを牛乳につけて、みたいな自家製生パン粉を使うこともあるよね。
今案パン粉は揚げ物の衣にすると、水分がさっと飛んでそこが空隙になり、絶妙なサクサク感が出るのだ。
有名な洋食屋さんなんかはその食感のために生パン粉を使う例が多いみたい。
ふんわり、サクサクの衣。
でも、生パン粉は保存性が悪いので、あらかじめ乾燥させて水分を飛ばしたのが乾燥パン粉。
よくスーパーなんかで売っている普通のパン粉だよね。
さらに、その中間形態で、ちょっとだけ水分をとばしたセミドライパン粉というのもあるらしい。

さらに、日本では使い方によってパン粉の粒の大きさも買えるらしいのだ。
粗目、中目、細目と別れていて、揚げ物の衣に使うのは粗目。
ふんわり感が出るのだ。
そういえば、イタリアの揚げ物の衣のパン粉はなんか日本と違うなぁ、と思っていたけど、パン粉の粒の大きさが異なっていたのだ。
逆に粒の細かい細目は、ハンバーグやミートローフのような肉料理のつなぎや、肉や魚のパン粉焼きのような料理で使われるもの。
パン粉焼きの場青はふんわりサクサクではなくて、こんがりカリカリといった触感だよね。
で、その両方に使える万能タイプが中目で、普通に家庭にあるパン粉は多分これだよ。

で、こんな風に日本のパン粉は「あまりもの」ではなく、料理の材料としてあえて製造するものという位置づけになり、独自の発展を遂げたのだ。
そのおかげか、会では日本のパン粉を「panko」と呼ぶこともあるらしい。
自分たちの知っているもの、使っているものとは別物、ということだね。
なんか「なろう小説」の「俺またなんかやっちゃいました」みたいな展開だ。

2024/07/20

里帰りの国産

 近所のウナギ屋さんで、「シラスウナギの価格高騰により値上げします、すんません」という張り紙を見たのだ。
先般、水産庁が完全養殖のコスト御幅削減につながる技術の開発に成功した、という報道もあったけど、これは「伸びしろ」の話であって、卵のふ化からの完全養殖への道はまだまだ遠いのだ。
詳細は水産庁のこちらの資料
で、実際の養殖では、幼体であるシラスウナギをとってきて、それを養殖池で半年から1年半肥育して出荷しているんだよね。
それが、愛知産や鹿児島産、宮崎産と表記されてスーパーで売っているウナギたち。
浜松の名物だけど、浜名湖は汽水湖なのでカキの養殖はしているけど、ウナギの養殖はそのまわりにある淡水の養殖池で行っているよ。
でも、むしろ愛知の一色の方が生産量は多いのだ!

スーパーなどで売られている加工ウナギ(「長焼き」など)で「国産うなぎ」と書いてあるのはこれ。
ここでいう「国産」は国内で肥育された、というような意味なんだけど、複数個所で養殖がおこなわれている場合、国内での肥育期間が最も長ければ「国産」と表記でいるのだ。
これは国産牛も同じ。
つまり、まずはコストの安い中国などで半年ほど養殖して、ある程度大きくなったのを日本に持ってきて半年を超える期間養殖すれば「国産うなぎ」になるのだ。
日本で水揚げされたシラスウナギが中国に行ってから日本に戻ってくるので、俗に「里帰りうなぎ」と言うらしい。

実際問題としては、生物の体は常に新陳代謝をしていて、構成要素は時々刻々と入れ替わっているので、国内での養殖期間が長ければ基本は国内で与えたエサ由来の元素に置き換わっているはずなんだよね。
例えば、生物の基本構成要素として最も重要な炭素は、約40日で入れ替わることが分かっているので、1か月半もすれば中国で与えていたエサ由来の炭素は半分未満になっているはず。
仮に8か月=240日養殖した場合、1/2の4乗で1/16=6.25%まで減っているのだ。
ただし、骨にあるカルシウムのような元素はこの生物学的半減期が長くなるのでかなりあとまで残るけど。
それと、仮に重金属汚染があった場合なんかは、なかなか抜けていかないので、けっこうシビアなのだ。
さすがにそこまでひどい汚染があれば検査で引っかかるとは思うけど。
おそらく、体の構成要素でいえば、この「国産」の定義でもさほど問題はないはず。

むしろ、ウナギの場合の問題はその種類なんだよね。
日本で食べているウナギはニホンウナギ。
これがマリアナ海溝にいるというやつ。
一方で、欧州で燻製にしたりして食べているのはヨーロッパウナギ。
ニホンウナギに比べて太く短くて、脂がのっているといわれているよ。
これはサルガッソーでふかして欧州やアフリカに行くらしいけど、このシラスウナギをとってきて中国で養殖しているのだ。
それが多くの「中国産うなぎ」。
「中国産うなぎ」として売られている長焼きが「国産うなぎ」の長焼きより大きいのはそもそも種類が違うから。
もちろん、種類が異なるので味も違うはずで、養殖地の違いで味が大きく異なるわけではないんだよね。

この「中国産うなぎ」はずっと中国で養殖され、長焼きなどに加工されてから輸出されるのだ。
で、気をつけるべきは、やはり汚染問題。
かつて残留農薬が多いことが判明しているんだよね。
「里帰り」の場合は日本の養殖池にいる期間が長いのでそのリスクは下がるわけだけど、すでに加工品として輸入する「中国産うなぎ」は養殖の状態がブラックボックスなので、よくよく気を付けて検査しないといけないんだよね。

2024/07/13

遊興は自由料金で

 最近少し収まってきたといわれるけど、コロナ禍を経てサウナブームがあったのだ。
ネット記事でもサウナの入り方、有名なサウナの紹介なんかがよく見られるようになったし、それにとどまらず、日帰り系の温泉施設なんかも注目度が高まったような気がするのだ。
テレビでもよく紹介されるようになったよね。
日本人はもともとお風呂好きだからね。
で、そんなときに気になる名称が、「スーパー銭湯」。

そう、街中にある「銭湯」よりは何やら施設的にすごそうなもののはず。
実際、いろんな種類のお風呂があったり、サウナがあったり、休憩スペースが充実していたりとちょっと豪華なお風呂なのだ。
でも、スパ施設や健康ランドと言われる施設よりはリーズナブルな価格で利用できて、数時間滞在くらいを想定しているみたい。
スパ施設だとそれこそ半日から終日という感じだよね。

この健康ランドは、船橋ヘルスセンターがはしり。
いまはららぽーとになっているところに大規模な浴場施設があったのだ。
温泉、サウナ、マッサージ、食堂などなどが充実した施設だったのだ。
さらにそこにプールやショーなども加えてリゾート施設にしたのが常磐ハワイアンセンター(今のスパリゾート・ハワイアンズ)。
で、規模的にそこまではいかないけど、いわゆる普通の銭湯よりは設備面が充実した浴場施設として銭湯を超えた施設、スーパー銭湯が出てくるんだよね。
ざっくりいうと、日帰り系の浴場施設で大規模だとスパ施設、中規模だとスーパー銭湯くらいのイメージだね。

で、じつはこれらの浴場施設は、公衆浴場法で規定する「その他公衆浴場」になるんだ。
街中の銭湯は「一般公衆浴場」。
声が大きな違いで、公衆浴場法の枠組みにおいては、「公衆浴場における衛生等管理要領」による分類があって、「一般公衆浴場」は、「地域住民の日常生活において保健衛生上必要なものとして利用される施設」とされていて、国民の生活を支えるべきものと位置付けられているんだよね。
一方、「その他公衆施設」はそういう生活必需サービスみたいなものではないものが含まれるわけ。
実は、これは制度上大きな違いになっているんだよね
それは、料金規制。
銭湯は都道府県条例で一律料金が定められているのだ。
東京都の場合は7月から値上げされて大人は520円。

これは戦後すぐに発布された物価統制令による規制で、物価の急激な上昇により国民生活が立ちいかなくなることがないよう、主要な生活必需品・サービスは規制料金になっていたんだよね。
戦後10年で多くのものの物価統制は撤廃されて、その後しばらく米価や工業用アルコールなども残っていたのだけど、平成14年以降は一般公衆浴場(銭湯)のみが対象になっているんだ。
すでに風呂なしの集合住宅は少なくなってきているし、漫喫でシャワーを浴びられたりするので、銭湯も自由料金でいいのでは、という意見もあるようだけど、このシステムはまだ維持されているのだ。
逆に言うと、そこからはずれて施設・設備面で魅力度を上げて自由料金の世界でビジネス展開をするのがスーパー銭湯ということになるよ。
多くの場合は1000円以下の入浴料で、貸タオルは別料金みたいな料金体系。
スパ施設だと2000円を越えるから、そのくらいの料金体でどこまでできるか、ということ。
実際、いろんな業種の大手事業者が自己の事業との相乗効果が見込めそうという子でフランチャイズも増えているみたい。
鉄道や不動産だけでなく、遊興施設事業者がラインナップの一つに加えることも。
そういう意味では、日本の娯楽文化の一角になっているのかもね。
お風呂を嫌う文化の国もあるけど(仏など)、日本人のお風呂好きに根差したものなのだ。

2024/07/06

倉庫の父

 30年ぶりに紙幣がリニューアルされるのだ。
その前から続投していた福沢先生ともついにお別れ。
そして、新たな万札の顔は、日本近代経済の父と言われる渋沢栄一翁。
銀行、商工会議所、証券取引所など、近代経済を支える様々な仕組みを明治期に整備したことでおなじみ。
日本を代表する研究機関の理化学研究所の設立の際も渋沢翁が尽力して帝国議会に建議したんだよね。
で、そんな渋沢翁の偉業の一つに、倉庫業の創設、というのがあるのだ。

なんだかそれだけ季久としょぼいような気もするけど・・・。
実は、このときに渋沢翁が倉庫業というものを作ってくれたおかげで我が国の近代物流が確立されたんだよね。
そうでなければ、広域流通は少なく、地域消費を中心としたスタイルから脱却できなかったのだ!
ちなみに、倉庫業というのは単にがらんどうの建物を場所貸しするという単純なものではなく、国土交通省所管の法律である倉庫業法で規制されている業態なんだよ。
施設要件や保管の基準などがあるようで、かつては許可制だったものが規制改革で登録制になったみたいだけど、それでも、誰でも簡単に行えるようなものではないのだ。
ちなみに、倉庫管理主任者は国家資格だよ。
物流における倉庫は一つの拠点で、いったんそこに荷物をためておいて、配送先ごとに分別したり、港や空港であれば通関の手続をしたりと、けっこういろんな業務があるんだって。

では、なぜ明治期になって倉庫業をきちんと確立する必要があったのか。
ポイントはそこなのだ。
主要な原因は地租改正。
江戸時代までは年貢米を納めていたので、国の収入は米による物納だったのだ。
で、それを米問屋のネットワークが引き受けて換金したりしていたんだよね。
このときのリスク管理のために「米相場」というのができて、世界に先駆けて先物市場が掲載されたのだ。
でも、明治近代化の中で、地租改正により納税は現金で行われることになり、米を中心とした経済システムが崩壊するのだ。


幕府の場合は、御天領から納められた米は「御蔵」と呼ばれる場所でいったん保管し、それを御家人に給与として渡していたんだよね。
主な御蔵は、浅草(今の蔵前)、大阪、京都二条。
実際には米俵をそのまま給与としてもらうわけでもなく、その引き取り権を米問屋に売って現金化していたのだ。
そのように、米問屋を仲立ちとした経済システムだったんだけど、地租改正により、農家も自分で収穫した米は自分で現金化した上で納税をしなくちゃいけないわけだよね。
こうなると、根幹から江戸時代のシステムが崩壊するわけ。

で、この崩壊は、物流にも大きな影響を与えるのだ。
江戸時代の最大の広域物流はまさにこの米。
幕府だけでなく、各藩も年貢米を現金化する必要があるので、基本は大阪の米問屋を仲立ちとした経済システムになっていたのだ。
それは何を意味するかというと、全国の米のほとんどはいったん大阪に集まり、それがまた全国各地に行く、という物流システムになっていたんだよね。
その拠点として米倉があったわけ。

ところが、地租改正のあおりでこの物流システムも崩れてしまうわけ。
一方で、近代化のための物流システムの構築においては、鉄道の整備以上に新たな物流拠点の整備が必要だったのだ。
渋沢翁は、銀行の設立や保険業の創設とともに、日本の近代化にとって物流の近代化の重要性を認識していて、さっそく倉庫業の創設に向けて動き出したんだよ。
そのときに創業されたのが澁澤倉庫で、創業の地は門前仲町の駅のそばの深川福住町。
かつては材木問屋がたくさんあった、江戸の水運の拠点のひとつだよ。
その後、住友や三菱のような財閥系企業も自身のグループの一環として倉庫業を始め、物流の発展とともに倉庫業も発展していくことになったんだって。