倉庫の父
30年ぶりに紙幣がリニューアルされるのだ。
その前から続投していた福沢先生ともついにお別れ。
そして、新たな万札の顔は、日本近代経済の父と言われる渋沢栄一翁。
銀行、商工会議所、証券取引所など、近代経済を支える様々な仕組みを明治期に整備したことでおなじみ。
日本を代表する研究機関の理化学研究所の設立の際も渋沢翁が尽力して帝国議会に建議したんだよね。
で、そんな渋沢翁の偉業の一つに、倉庫業の創設、というのがあるのだ。
なんだかそれだけ季久としょぼいような気もするけど・・・。
実は、このときに渋沢翁が倉庫業というものを作ってくれたおかげで我が国の近代物流が確立されたんだよね。
そうでなければ、広域流通は少なく、地域消費を中心としたスタイルから脱却できなかったのだ!
ちなみに、倉庫業というのは単にがらんどうの建物を場所貸しするという単純なものではなく、国土交通省所管の法律である倉庫業法で規制されている業態なんだよ。
施設要件や保管の基準などがあるようで、かつては許可制だったものが規制改革で登録制になったみたいだけど、それでも、誰でも簡単に行えるようなものではないのだ。
ちなみに、倉庫管理主任者は国家資格だよ。
物流における倉庫は一つの拠点で、いったんそこに荷物をためておいて、配送先ごとに分別したり、港や空港であれば通関の手続をしたりと、けっこういろんな業務があるんだって。
では、なぜ明治期になって倉庫業をきちんと確立する必要があったのか。
ポイントはそこなのだ。
主要な原因は地租改正。
江戸時代までは年貢米を納めていたので、国の収入は米による物納だったのだ。
で、それを米問屋のネットワークが引き受けて換金したりしていたんだよね。
このときのリスク管理のために「米相場」というのができて、世界に先駆けて先物市場が掲載されたのだ。
でも、明治近代化の中で、地租改正により納税は現金で行われることになり、米を中心とした経済システムが崩壊するのだ。
幕府の場合は、御天領から納められた米は「御蔵」と呼ばれる場所でいったん保管し、それを御家人に給与として渡していたんだよね。
主な御蔵は、浅草(今の蔵前)、大阪、京都二条。
実際には米俵をそのまま給与としてもらうわけでもなく、その引き取り権を米問屋に売って現金化していたのだ。
そのように、米問屋を仲立ちとした経済システムだったんだけど、地租改正により、農家も自分で収穫した米は自分で現金化した上で納税をしなくちゃいけないわけだよね。
こうなると、根幹から江戸時代のシステムが崩壊するわけ。
で、この崩壊は、物流にも大きな影響を与えるのだ。
江戸時代の最大の広域物流はまさにこの米。
幕府だけでなく、各藩も年貢米を現金化する必要があるので、基本は大阪の米問屋を仲立ちとした経済システムになっていたのだ。
それは何を意味するかというと、全国の米のほとんどはいったん大阪に集まり、それがまた全国各地に行く、という物流システムになっていたんだよね。
その拠点として米倉があったわけ。
ところが、地租改正のあおりでこの物流システムも崩れてしまうわけ。
一方で、近代化のための物流システムの構築においては、鉄道の整備以上に新たな物流拠点の整備が必要だったのだ。
渋沢翁は、銀行の設立や保険業の創設とともに、日本の近代化にとって物流の近代化の重要性を認識していて、さっそく倉庫業の創設に向けて動き出したんだよ。
そのときに創業されたのが澁澤倉庫で、創業の地は門前仲町の駅のそばの深川福住町。
かつては材木問屋がたくさんあった、江戸の水運の拠点のひとつだよ。
その後、住友や三菱のような財閥系企業も自身のグループの一環として倉庫業を始め、物流の発展とともに倉庫業も発展していくことになったんだって。
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