2008/06/21

おおはらえ

この時期に神社に行くと大きな茅の輪があるのだ。
まず左回りにくぐり、続いて右回り、左回りにくぐるものなんだよね。
この茅の輪をくぐると疫病を逃れるとも言われているのだ。

で、これは大祓(おおはらえ)の神事で、6月末と12月末の年2回の神事なのだ。
6月のものは夏越(なごし)の大祓、12月のものは年越の大祓というんだよ。
むかしは旧暦に行っていたから梅雨の時期じゃなくてもっと夏真っ盛りの時期だし、冬も雪が降っているころで、そういう季節の折り返しみたいな意味もあったのかもね。

その歴史は古くて、なんと701年の大宝律令で宮中行事として定められたんだとか。
その後、応仁の乱のころまで続いていたらしいんだけど、その後江戸時代までには廃れてしまったんだとか。
でも、明治になって王政復古・国家神道の時代になると、古い宮中行事が復活してきて、大祓も再び行われるようになったそうだよ。
そのおかげで今もこの風習があるというわけなのだ。
ま、一回廃れているから、むかしのものとは微妙に変わっているんだろうけど。

この茅の輪をくぐるのは、鎌倉中期の釈日本紀の中に見られる備後国風土記逸文に出てくる「蘇民将来」の伝説に基づくのだ。
あるとき、貧乏な風体の男が旅をしていたんだけど、夜になって宿を乞うたのだ。
そのとき、裕福だった弟の巨旦将来さんは男の風体を見て断ったんだけど、貧乏でも人のよかった兄の蘇民将来さんは泊めて上げたのだ。
すると、実はこの貧乏そうな男は神様で、優しくしてくれた蘇民将来さんの子孫に福を与えるとして、腰に茅の輪を着けていたら疫病から免れるようにしてあげた、というものなんだ。
この神様は一説に素戔嗚尊と考えられていて、素戔嗚尊は祇園さんこと牛頭天王と同一視されていて疫病の紙と考えられているのでそうなっているのだ。
で、茅の輪をくぐると厄が祓われて、疫病を免れるというわけなのだ。

この蘇民将来さんの伝説はどうも全国に広がっていたらしく、あのポスターで話題になった岩手県の裸まつりは蘇民まつりでこの伝説と関係したものなんだよ。
むかしはお医者さんもろくにいなかったし、感染症の概念もあんまりなくて疫病は大きな脅威だったから、非常に重要なものだったんだよね。
かつての日本社会では一に豊作、二に疫病払いといったものが重要な神事でのお祈り事項だったわけだよね。
なんだか今年は異常気象で米国西部では穀倉地帯が被害を受けているし、中国の四川大地震では衛生環境が悪くなって感染症が脅威になっているというけど、今の時代でもそれは大事なことなんだよね。
なんだか日本にいるとわりと何でも手にはいるので気づきにくいけど。

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