2008/06/28

木と草

木と草ってはっきりと違うように思っていたんだけど、どうもそうではないらしいのだ。
調べてみると、定義の仕方で木になったり、ならなかったりするようなのもあるんだとか。
同じ科でも木になったり、草になったりするらしいよ。

一般に木は年輪ができるもの、すなわち、茎のまわりに成長していく形成層があって太くなっていくもの、と考えられているのだ。
竹なんかは年輪ができないので、この定義の場合では草になってしまうのだ!
一方、木の場合は、死んだ細胞によって生体が支えられているという定義もあって、草だと一部でも枯れてしまうとそれで倒れてしまうわけだけど、木の場合は木質化しているので細胞は死んでも倒れないと言うことなのだ。
この定義の場合は、竹も死んだ細胞が生体を支えているので木になるんだって。
というわけで、けっこう境界はあいまいなのだ。
バナナなんかの場合は、太い葉っぱが合わさっただけで木じゃないってすぐわかるんだけどね。

で、この「木質」として重要な物質がリグニン。
木材の20~30%はこの物質で、木材を木材たらしめているものなんだよ。
つまり、木らしさの素なのだ。
紙は木の繊維質を並べて加工したものだけど、木材からパルプ・紙を作る工程ではこのリグニンは可溶化されて黒液として出てくるのだ。
むかしは燃やす以外用途はない、となかば邪魔者扱いだったんだけど、今ではバイオ燃料として注目を集めたりしているんだよ。
時代が変わると評価も変わるものなのだ(笑)

リグニンはバクテリアには分解されなくて、白色腐朽菌(カビの一種だよ。)のみによって分解されるのだ。
いわゆるキノコのことで、枯れ木にキノコが生えてくると木がぼろぼろになるのは、木のかたさを保っているリグニンが分解されてしまうからなんだ。
でも、キノコにしか分解されないから、いつまでもかたさを保てるというわけ。
なので、木材で作った寺院が千年以上もその姿を留めたりできるわけなのだ。
湿気が多かったりするとカビがはえてきて腐ってしまうこともあるけど、風通しに気をつけていれば、法隆寺のようにとっても降る域が今でもきちんと残っているということにもなるんだよね。
これはなかなかすごいことなのだ。

むかしの日本家屋は、屋根をわらやかやでふいていたわけだけど、草の場合は普通に腐食してしまうのでふき替えの作業が必要だったのだ。
一方、木でできた家の本体はそのままなんだよね。
囲炉裏からの煙でいぶされることである程度は腐食が防げるんだけど、それでも数年~10年に一度はふき替える必要があるのだ。
かつては村の人が総出で助け合いながらふき替えをしたそうだよ。
今では過疎化が進んでしまって、屋根のふき替えもままならないらしいのだ。
板ぶきや瓦ぶきならふき替えの必要はないわけだけど、かやでふくと熱気や湿気がこもらなくて日本の風土に合っているみたいなんだよね。
木と草の性質をよく踏まえた上で、うまく使っているというわけ。
そういう伝統・文化はできれば残していきたいものなのだ。

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