2015/05/16

隠して、時々公開

長野県の善光寺で御開帳が行われているのだ。
善光寺の御本尊は絶対秘仏とされていて、決して公開されないんだよね。
で、そのために「前立本尊」というのがあって、それが代わりに公開されるシステムのだ。
でも、この前立本尊も数えで7年に1回(公開の年を1年目と数えるので6年に1回)しか公開されないんだ。
今年はその年に当たっていて、GWにはかなりの人出があったみたい。

秘仏というは文字どおり「秘された仏」で、通常公開されていない仏像を指すのだ。
仏像は本来的には信仰の対象として作られているはずなので隠すのはおかしいような気もするんだけど、日本ではけっこうあるんだよね。
東アジアでも日本が顕著なんだとか。
どうも、神道の影響があるんじゃないかと考えられているんだよね。

古代の神道では、山、川、海、巨岩、巨木・・・などの自然物に神が宿るという考えで、その自然物自体が御神体だったんだよね。
奈良県にある大神(おおみわ)神社なんかはその典型例で、三輪山自体が神が宿る御神体で、そこに拝殿が設けられているんだよね。
その後、「神の依り代」という概念が出てきて、神は物理的形状を持たない精神体のような存在で、その神と対話を図るには具体の形をとっていただく必要があるので、依り代に降りていただく、という考えが出てくるのだ。
おそらく、古代信仰では様々な自然現象を説明する上でいろんな神性を想定していたんだけど、必ずしも自然物だけが対象じゃないので、太陽や風、雨などの自然現象を神と結びつけるときには、何か代わりになるものが必要だったのだ。
これがいわゆる御神体というたつで、一般的には鏡や石、剣、玉などなのだ。
でも、飛鳥時代に仏教が伝来すると、仏像というものが日本に伝わって、そのアナロジーで神像というのが作られ始めて、そういった像が御神体になっている場合もあるよ。

こうした御神体をまつる神社の場合は、御神体を雨風から守るための本殿というのがあって、その手前に参拝者がお参りする拝殿が作られるのだ。
この本殿は神の領域で非常に神聖な場所なので、通常は人の立ち入りは禁止で、中ものぞけないようにしているんだよね。
多くの神社では今でも御神体を公開していないのだ。
そして、神仏混淆という日本独自の文化の中で、この非公開の御神体という考え方が、本尊である仏像にも適用されていくのだ。
仏教はもともとは偶像崇拝が禁止だから、仏像に仏性があっちゃまずいんだけど、このあたりが日本の神仏混淆のすごいところなんだよね。

そんなわけで、日本の寺院では少なくない数で秘仏とされている仏像があるのだ。
東京でも、隅田川から引き上げられたという伝説がある浅草寺の御本尊は絶対秘仏で、決して公開されないのだ。
不定期で善光寺のように前立本尊が公開されることはあるんだけどね。
数年前に御開帳があったときはものすごい盛り上がりで、普段は解放されていない伝法院庭園なんかも見られたんだよね。
一方で、法隆寺の救世(ぐぜ)観音など毎年決まった時期に公開されるようなものもあって、同様に秘仏と言っても公開の頻度には差があるのだ。

でも、真言宗の大本山、高野山金剛峯寺の金堂の本尊だった阿閦(あしゅく)如来は、戦前に火事で焼失してしまったんだけど、絶対の秘仏として完全に非公開にされていたため、写真も残っておらず、今となってはどういうものだったかもわからないんだって・・・。
とは言え、そこまで隠されると見たくなるのが人間の性でもあって、途中で天皇や貴族、大名などの有力者の命によりどんなものか改められたなんて話も多いんだよね。
半ば都市伝説化しているけど、法隆寺の救世観音は、岡倉天心さんが米国人のフェノロサさんと一緒に寺僧が止めるのも聞かずに数百年ぶりに表に出した、なんて言われているんだよね。
それ以降、定期的に公開されるようになったのだ。
一度出しちゃったら神秘性が薄れるのかな?

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