2015/05/23

砂山からお宝

淡路島の石材メーカーの資材置き場の砂山から、銅鐸が7点見つかったのだ!
銅鐸の中でもかなり初期のもので、国宝級なんて報道もあったほど。
これまで出土例が多くないタイプのものもあるんだって。
今はもともとその砂山の砂がどこから運び込まれたものか=どこに埋まっていたものかの特定が進められているみたい。
どうも、淡路島内部みたいなんだけど。

銅鐸は言わずと知れた青銅器で、古代の祭祀に使われたものと考えられているけど、実際にどう使われていたかとかは推測の域を出ないんだよね。
昔のものだから確定はできないにしても、よくわからない部分が多いのだ。
紀元前2世紀から期限2世紀くらいの弥生時代に作られていたもので、これは年代特定ができるので確かなのだ。
ただ、それも村はずれの丘陵の麓だとか、丘の頂上のすぐ下とかの比較的浅いところに埋められているのかもわからないんだって(埋めた理由すら明らかでないのだ。)。
銅鐸表面の文様は豊作を願うような図柄だったりするので、そういう祈願・祈祷に使ったんだろうと予想されるんだよね。
でも、祭祀道具としても、埋めたのがなぜか、明確にわからないのだ。

由来もよくわからなくて、銅鐸というものは日本でだけ出土しているのだ。
しかも、西日本地域のみで、出土する場所も偏っているんだよね。
今見つかっているのは、関西圏で兵庫、滋賀、和歌山、中国・四国では島根、徳島。
やはり古代に栄えていた九州ではほとんど出土例がなく、嵯峨野吉野ヶ里遺跡で見つかったくらいみたい。
逆に、同じく祭祀に使われていたと考えられる銅矛は、これらの銅鐸出土地域では少なく、九州や東海地方で多いんだって。
かっつては、銅鐸文化圏と銅矛文化圏があったんだったいう説も唱えられていたんだけど、排他的ではないことがわかってきたので、最近はそこまできっちり文化圏として分けていたとは考えられていないみたい。
好みの違いなのかな?
醤油の色の薄い・濃い、出汁はコンブ・カツオみたいな。

考古学的には、銅鐸は中国大陸にあった「鈴(れい)」が半島経由に日本に伝わり、独自の発展をした、というのが定説みたい。
一方で、半島を経由せずに直接伝わった可能性もあるみたい。
これは、経由地であるはずの朝鮮半島に、鈴と銅鐸をつなぐようなものが見つからないため。
ミッシングリンクなんだよね。
物理的に通過しただけで、文化としては根付かなかったのかもしれないけど。
或いは、何かあるけど見つかっていない、気づかれていないのかもだけど。

今回淡路島で見つかったような銅鐸は小型で、これが時代を下ると大きくなっていくのだ。
しかも、小さい銅鐸には「舌(ぜつ)」というものが中にぶら下がっていて、振ると音が鳴るようになっていたと考えられているのだ。
すなわち、「ベル」のようになっていたんだよね。
ところが、大型化していくうちになくなっていくのだ・・・。
もっとも、巨大なものだと1mを超えるから、もはや振ることはできないけど。
で、音を鳴らすものから見るもの・飾るものに変わったようなのだ。祭祀に使っていた道具がシンボル化されていったということなのかな。

上に書いたように、銅鐸は比較的浅いところに埋まっているので、古い時代にも出土記録があるのだ。
もっとも古いのは天智天皇の時代というから飛鳥時代。
お寺を建立するのに掘り返したら出てきた、というのが「扶桑略記」に出てくるんだって。
正史では「続日本紀」に出てくる8世紀初めの記述があるよ。
いずれにしても、すでに500年以上だっているので、「なんだこれ?」という感じで、その時点でどういうものだったのかは忘れられていたようなのだ・・・。
古代の謎だねぇ。

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