2016/04/16

春の装い

やっと暖かくなってきたと思ったら、突然の冷え込み・・・。
むかしから「花冷え」と呼ばれるものはあるけど、まだあなどれないね。
春先は天候が不安定なのだ。
着るものも困っちゃうよね。
特に、コートをいつしまうかとか。

江戸時代は天候に関係なく決まりがあって、旧暦の卯月朔日(4月1日)が衣替えの日だったのだ。
今年で言うと5月7日にあたるから、もうかなりあたたかいころだよね。
武士の場合は、旧暦皐月までの1ヶ月間と旧暦長月の1ヶ月間の計2ヶ月が「袷(あわあせ)」と呼ばれる裏地付の着物。
夏の間は麻でできた裏地のない(=単衣の)「帷子(かたびら)」で、冬の間は表地と裏地の間に綿の入った「綿入れ」を着ていたのだ。
一般庶民も同じように衣替えをしていて、旧暦の4月1日になると綿入れの綿を抜いて袷にするので、「四月一日」と書いて「わたぬき」と読む名字があるんだよ。

なので、むかしの春の衣替えは、冬用のセーターやダウンをしまって春物の薄手のシャツを出す、といった福の出し入れではなく、着物を解いて表地と裏地の間に入れていた綿を抜く、という作業だったのだ。
もちろん、余裕があるのなら、綿が入ったままのものをしまい、綿が入っていないものを出してもよいのだけど、そんなに余裕がある人はいなかったんだよね(笑)
実際、江戸時代はお殿様でもない限り、家はせまいし、収納スペースもないわけで。
押し入れは布団を入れれば終わりだし、衣服などは柳行李に入れていたので、今で言うカラーボックス大がひとつあるくらい。
よって、春と秋にはかなりのお裁縫量があったはずなんだよね。
もともと着物は洗い張りなんかもするから、裁縫は極めて日常的な作業だったようだけど。

この衣替えの習慣自体は、平安時代に中国から伝わったものが貴族社会で定着したもののようで、4月と10月にいふくどころか、調度品まで変えていたとか・・・。
お大尽はいつの時代もやることが違うわけです。
で、この頃の女性の正装は絹でできた裏地のない単衣を重ね着するもの。
当時の絹織物は今より薄かったようで、透けるものだったのだ。
なので、その単衣を重ねると、下の布地の色が透けて、色がグラデーションになるんだよね。
これを楽しむのがおしゃれだったのだ。

さらに、この色の重ね方にはパターンがあって、季節ごとに変えていたんだよね。
年に二度の衣替え以上に頻繁に変えていたようなのだ。
これは有職故実にもなっていて、伝統的に貴族社会で受け継がれていたみたいだよ。
「襲(かさね)の色目」というんだけど、すごいこだわりだよ。
今のようにデザインに凝ることがないから、色、それもグラデーションで勝負だったんだろうね。

ちなみに、江戸時代の着物も色にこだわっていたのだ。
ただし、江戸も後期になると、それは派手な色でなく、茶や紺、グレーなどの地味目な色・・・。
何度か倹約令が出されていた栄光があるのかもしれないけど、これらの色にものすごいバリエーションがあって、微妙な色の違い、風合いを楽しむのがおしゃれだったんだとか。
時は変われど、おしゃれへのこだわりっていうのはすごいものがあるね・・・。

そんなわけで、季節の進行に合わせて、着るものを変える、色味を変えるというのは伝統的に行われてきたことのようなのだ。
そう考えると、めんどくさがらずに楽しんだ方がよいのだろうね。
正直、あんまりそっち方面は苦手なんだけど(笑)

0 件のコメント: