2016/04/30

近世流行の発信源

2020年の東京五輪のロゴマークが正式に決まったのだ。
4案あったうち、本命と言われていた「市松模様」のやつになったんだよね。
伝統的な日本の柄でありつつ、モノトーンでおしゃれだからなんだとか。
一般から4万件近く意見が寄せられ、「それを踏まえ」審査員が票を入れて決めたそうな。
って、一般からの意見でもこれが一番だったのかな?

この市松模様だけど、海外で言えばチェック柄。
二色の正方形を組み合わせたシンプルな柄なので、洋の東西を問わず、むかしから使われてきているものなのだ。
日本でも古墳時代にはすでに柄としてあったみたい。
正倉院にもこの柄のものが収められているらしいよ。
でも、その当時は「石畳」と呼ばれていたんだって。
確かに、そっちの方が名前としてはしっくりくるよね。

では、なぜ「市松」になったのか。
それは、18世紀前半の享保期に活躍した歌舞伎役者「初代佐野川市松」さんに由来しているのだ。
つまりは人名。
「心中万年草(高野山心中)」という演目で白と紺の正方形の格子模様の袴をはいたところ好評で、別の演目でも使うようになったそうな。
このときはまだ「石畳」という柄として使っていたんだけど、市松の代名詞ともなった結果、模様自体が「市松」と呼ばれるようになったのだ。
「トレードマーク」ということだね。

でも、実は歌舞伎役者の名前に由来するものはこれだけじゃないのだ。
他にも「芝翫縞」、「亀蔵小紋」、「半四郎鹿子」、「小六染」などなどいろんな柄があるよ。
てぬぐいなんかで有名になっているけど、「鎌○奴(かまわぬ)」や「斧琴菊(よきこときく)」なんかも歌舞伎発祥だって。
当時芝居は最高の娯楽で、歌舞伎役者を見てかっこいいと思った人々がまねたのだ。
これは90年代の「アムラー」と同じ感覚だよね(笑)

しかも、歌舞伎の流行の発信基地としての機能は、着物の柄にとどまらないのだ。
例えば、着物の「色」。
江戸時代は茶や紺、灰などにも様々な微妙な色合いがあるんだけど、歌舞伎役者が舞台で使ったりする色がはやると、役者や芝居の登場人物の名前がついたのだ。
「梅幸茶」や「路考茶」、「団十郎茶」などが有名。
さらに、着物の帯の結び方、髷の結い方なんかも。
つまり、流行の最前線となっていたんだよね。

平安時代は支配階層である貴族が文化の担い手で、海外から仏教文化などを輸入するとともに、国風文化も育てたのだ。
この構図は武家社会になっても同じで、今度は武士がパトロンとなって文化を支えたのだ。
でも、やはり支配層が担い手。

ところが、江戸時代になると、都市住民も文化の担い手になってくるのだ。
もちろん、武家や公家が支えた文化もあるのだけど、庶民発の文化も出てくるわけ。
その代表例が歌舞伎由来のこうした文化だったりするんだよね。
浮世絵なんかもそうだけど、市井の中から文化が出てくるのだ。
こうして、古代より貴族社会で用いられていた「石畳」模様は、庶民の手により「市松」模様として展開されたというわけ。
そう考えると、なかなか感慨深いね。

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