2016/04/23

暗いと不平を言うよりも・・・

春になってだいぶ日が長くなってきたのだ。
麻も早い時間から明るいし、何より、夕方が明るいよね。
冬だと5時前にはもう真っ暗だったけど、今は6時前までは明るいよね。
むかしの人はそれこそ日が昇ってから起床し、日が沈むとともに就寝というのだから、こういう季節の変動に合わせて日中の活動時間も変わったんだろうね。

というのも、照明器具が貧弱だったから。
今は電気のおかげでだいぶ明るいけど、江戸時代でも照明と言えば行灯のようなものしかないわけで。
蛍光灯やLEDだとかなり明るいけど、昭和の時代のトイレにあった10Wのオレンジ色の電球なんて暗かったよね・・・。
でも、行灯はさらにその7分の1くらいの明るさだというのだ!
ということは、明かりがあっても真っ暗に近い?
農村部だと、行灯すらなく、いろりの火くらい。
でも、そんな微弱な明かりで、夜の内でも針仕事をしたり、縄やわらじを編んだりしていたというんだからすごいよ。
「蛍の光、窓の雪」なんて、そんな暗さじゃ無理でしょ、と思うけど、意外と当時の認識ではいけるのかもね。

むかしから松を燃やすと明るいということがよく知られていて、松を燃やすたいまつが証明に使われていたのだ。
確かに漢字で「松明」と書くよね。
で、野外だったら松明でももう少し大きくしたかがり火でもよいのだけど、室内だと火事になってしまうわけで。
そんなとき、奈良時代に仏教とともにやってきたのがろうそく。
当時のものは、蜂の巣から集めたワックス成分である蜜蝋を使ったものだったと考えられているよ。
でも、これは100%輸入品で超高級品で、頻繁に使えるようなものではなかったのだ。

もう少し時代が下って平安時代になると、松からとった松脂を固めてろうそくが作られるようになり、国産品も出回るようになるのだ。
もっと時代が下って武家社会になると、ハゼノキなどからとった木蝋を使った和ろうそくが登場するよ。
木蝋というのは、ハゼノキの果実を蒸してから圧搾してとれる脂肪分を固めたもの。
これは中性脂肪を主成分とするものなんだって!
これをい草と和紙で作った芯に塗り重ねて作るのが和ろうそく。
でも、これも作るのがなかなか大変で、高級品であることには変わりなかったのだ・・・。
石油パラフィンから安価に蝋が作られるまで、ろうそくは高価なものだったんだよ。

庶民は当然ろうそくなんて使えないので、行灯に使うのは灯油。
多くは菜種油が使われたんだけど、中にはもっと安い魚油を使うことも。
これは鰯などの青魚をゆでた後に圧搾し、その圧搾駅の上澄みに出てくる油を集めたもの。
とってすぐはいいのだけど、時間がたつと徐々に参加されて生臭くなるんだよね・・・。
なので、燃やしても臭いのだけど、安いからといって庶民の間では行灯にも使われたのだ。
俗に化け猫が行灯の油をなめるというのも、魚油を使っていたことから来ているみたい。

行灯は、油を張って芯を浸した火皿を紙で覆った構造。
いくら和紙が光を透かすとは言え、これでは余計に暗くなるよね。
江戸耳朶より前は火皿のまま使っていたらしいんだけど、火皿のまま使うと、少しの風で油が波打ち、火が消えてしまうことが多かったようなのだ。
そこで、少し暗くなってもいいからと紙で覆って風の影響がないようにしたわけ。
でも、この紙の覆いはずらして外せるようにもなっていて、強い光がほしいときはそうするのだ。
ただし、紙で透かすと参考されて麺として明るくなるのに対し、裸火にしてしまうと多少明るいけど点の光源なので、それぞれ長所短所があるのだ。
それにしても、ろうそくくらいの明かりがあればまだましなんだろうけど、本当に暗かったろうね。
いわゆる百物語に使うという青い紙を張った行灯なんて、ほぼ明かりがないんじゃないかと思うよ。

現代の時代劇ではけっこう夜でも明るいような描写だけど、実際はあっても行灯くらいなわけで、夜は相当暗かったのだ。
なので、月明かりは非常に重要で、「月の出ている夜ばかりじゃないぞ」なんていう脅しも意味があるわけ。
都市部でも周りが真っ暗だから、もっと星もよく見えていたんだろうね。
今はスマホの明かりのせいで体内時計がくるって夜に眠れなくなる、なんて話もあるけど、夜になったら暗いから寝るという方が自然ではあるよね。
江戸時代の人が現代に来たら明るすぎてびっくりするだろうなぁ。

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