2016/06/25

本当は期限あり

鳩山邦夫元法相がお亡くなりになったのだ。
この人は、サイバンインコの「中の人」になってみたり、友達の友達がアルカイダだったりで有名な政治家だったけど、ボク個人としてもとても印象に残る政治家だったのだ。
御冥福をお祈りします。
で、この鳩山元法相が有名になった件としては「死に神」問題があるんだよね。
これは朝日新聞が報じた記事に由来するもので、鳩山元法相が「死刑の執行は粛々と行うべき」として歴代法相の中でも群を抜いて多くの死刑を執行していることに対し揶揄したもの。
このときの元法相の発言で「ベルコトンベアー方式」なんてことも言われたのだ。

でも、実は死刑という制度は刑が確定したら期限内に執行すべきことが法律で定められているんだよね。
刑事訴訟法第475条第1項では、「死刑の執行は、法務大臣の命令による」と定めているので、死刑という刑が裁判で確定した後、改めて法務省内で刑の執行にかかる手続きがあって、しかる後に法務大臣から執行命令が発せられて、刑の執行に至る、という図式なのだ。
その次の第2項では、「前項の命令は、判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない」とされているので、本当は刑確定から半年以内に執行をすることが求められているんだ。
とは言え、その後ろに但し書きとして「但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない」というのもあって、例外は認めているわけ。
実際には、死刑の執行には数年はかかるみたいなんだよね・・・。
中には死刑の執行せずに大臣の任期を終えた人もいたのだ(これはその大臣の信条によるところもあるのだけど。)。

鳩山元法相は、この法律に定められたルールに則り、手続きをきちんと進めるべきだ、と主張しただけなので、当時から「死に神」呼ばわりした朝日新聞には抗議がなされたみたい。
でも、マスコミの論調の中では、「そもそも死刑という制度が妥当なのか」という議論を意図的かそうでないのか見事にまぜこぜにされてしまって、死刑を執行すること=悪いことみたいに捉えられることもあるんだよね。
少なくとも、現行法制化では死刑という刑があって、裁判においてもそれが確定しているものについては、元法相が主張したように粛々と執行していくのが法治国家としてあるべき姿なんだよね。
その上で、死刑という制度を存続させることがいいのか、仮釈放なしの終身刑のようなものに変えた方がよいのか、というのは、社会で議論し、国会で審議した上で、必要であれば法制度を変えていくという話なんだよね。
今のルールが気にくわないから従わなくていい、というのは少しおかしな話に感じるよ。

話はそれたけど、裁判で死刑という判決が確定すると、法務省内で手続きが発生するのだ。
まず、判決の謄本と公判記録が検察庁に送られ、検察ではこれらの書類に基づいて死刑確定者に関する上申書を作成して法務省に提出するのだ。
この上申書は法務省の刑事局に回され、やはり検察から送られてくる裁判の確定記録とともに中身を確認する作業に入るのだ。
通常死刑判決が出るような裁判は長期にわたって行われるため、ここで確認する記録は膨大な量になっているそうだよ。
また、再審や恩赦、非常上告など、刑の執行を停止する必要のあるものに該当するかどうかも慎重に確認することになっていて、これにも時間がかかるみたい(例えば、えん罪の疑いのある場合は速やかに執行はできないし、恩赦が近々見込まれる場合にも拙速に執行はされないのだ。)。
で、中身の確認が終わると、死刑執行にかかる起案をし、法務大臣の了解を求めるのだ。
法務大臣がこれを裁可すると、死刑執行命令書が作成され、法務大臣が署名すると刑の執行が確定するんだ。

死刑の執行に関しては、刑法第11条第1項で「死刑は、刑事施設内において、絞首して執行する」と決まっていて、日本では絞首刑が採用されているのだ。
中国だと銃殺刑もあるし、米国では電気椅子なんかも使われるみたいだけどね。
さらに、次の第2項では、「死刑の言渡しを受けた者は、その執行に至るまで刑事施設に拘置する」となっていて、刑の執行までの間は、刑事施設に「拘置」されるのだ。
これは逃げられないように身柄を拘束することで、「懲役」や「禁固」とは別の概念なんだよ。
確かに、刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律の定義(第2条第4号)では、受刑者は、「懲役受刑者、禁錮受刑者又は拘留受刑者をいう」となっていて、死刑囚は含まれていないのだ。
なので、死刑囚が収容される刑事施設というのはいわゆる「刑務所」ではなく、「拘置所」なのだ。
つまり、東京で言えば、府中刑務所ではなく、小菅の東京拘置所にいるというわけ。
そういう意味では、拘置所には、裁判がまだ終わらず刑が確定していない「未決囚」と呼ばれる人たちと、死刑が確定している死刑囚がいることになるよ。

刑の執行に当たっては、検察官、検察事務官及び拘置所の所長(又はその代理)が立ち会うべきことが刑事訴訟法第477条第1項で定められているんだけど、一方で、第2項では、検察官又は拘置所長の許可を得たもの以外は刑場への立入りを禁止しているのだ。
通常は刑事施設の職員(刑務官等)のほか、医官や教誨師が立ち会うみたい。
このあたりはあまり詳細が明らかにされないので、詳しいことはわからないんだけど。
医官により死亡が確認されると、刑事訴訟法第478条に従って検察事務官が執行始末書を作成し、立会い検事と拘置所長が署名押印して刑の執行が終了することになるよ。

ちなみに、よく刑の執行後に仮に生きていた場合はそこで刑の執行が終わったので釈放される、なんてことが言われるんだけど、この根拠とされるのが、刑事施設ニ於ケル刑事被告人ノ収容等ニ関スル法律(旧監獄法)の規程。
まず、第71条の第1項と第2項で、死刑の執行は刑事施設内の刑場で行うことと、祝祭日と12月31日~1月2日にかけては死刑の執行を行わないこととしているのだ。
続く第72条で、「死刑ヲ執行スルトキハ絞首ノ後死相ヲ検シ仍ホ五分時ヲ経ルニ非サレハ絞縄ヲ解クコトヲ得ス」とされていて、死相を確認してから5分経たないと絞首に使った縄を外してはいけない、という規程があるのだ。
ここをもって、5分経って縄を外したら蘇生した、という例をどう考えるか、ということなんだけど、この場合、過去の例では刑の執行はいったん完了したと見なされ、再度執行はされない、ということになったみたい。
ただし、現在の絞首刑の場合、まず蘇生しないような方法だし、医官が死亡を確認しないと刑の執行が終わらないようになっているので、おそらくこの問題はもう起こらないと考えられるよ。

なんだか暗い話だけど、これが日本の死刑制度なんだよね。
これが現代社会において妥当なものかどうかは議論があるところだけど、少なくとも法律が改正されるまでは、このルールに則るのが法治国家だとは思うんだよね。
その上で、国連での議論なんかも踏まえつつ、制度について国を挙げて検討すればいいのだと思うよ。
そういう意味では、鳩山元法相はこの問題を意識の上に上げる一石を投じたと思うのだ。
改めて、御冥福をお祈りします。

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