2019/10/26

インペリアル・スローン

今月22日に即位の礼が挙行されたのだ。
これは対外的に新天皇が皇位を継承したことを知らしめるための儀式。
実際には、5月の段階で皇位継承はすんでいるんだよね。
この辺はややこしいけど、海外の王国でも王位継承の儀式と戴冠式は別にやったりするので、特別変わっているわけではないんだよね。
かつ、今回は生前譲位という特殊な形なので別なんだけど、通常は先帝が崩御された後に皇位継承が来るので、先に先帝の「大喪の礼」を挙行し、その後、喪が明けてから「即位の礼」なのだ。
実際、上皇陛下が即位を対外的に宣明したのは平成2年になってからだよ。

今回の即位関連式典は戦後2回目。
つまり、現行憲法下で2回目ということなのだ。
憲法では、政教分離の原則があって、天皇が執り行うものとして、「国事行為」と「私的行為」(宮中祭祀など)を峻別しているのだ。
で、平成の代替わりの際、時の内閣官房主席参事官だった古川貞二郎さん(後の厚生省事務次官、事務の官房副長官)が整理して、今の形にしたんだよ。
このとき「国事行為」として行われるものとして、①剣璽等承継の儀、②即位後朝見の儀、③即位礼正殿の儀(今回の式典)、④祝賀御列の儀(いわゆる祝賀パレード)、及び、⑤饗宴の儀の5つを定めたのだ。
これら以外にも宮中祭祀として行われる即位関連の式典はあるんだけど、それは「私的行為」として扱われているのだ。
予算面では、国事行為は「宮廷費」から、「私的行為」は「内廷費」からそれぞれ思弁されることになっていて、「内廷費」は皇室の私的財産だよ。
ちなみに、11月に挙行される大嘗祭は、「国事行為」ではないけど、「私的行為」でもなく、皇室が執り行う公的な行事という整理で、特別に組まれた予算が充当されるんだそうだよ。
伝統祭祀なので「国事行為」にはできないけど、かといって私的な祭祀でもない、ということみたい。
なお、平年の新嘗祭は内廷費で執り行われているよ。

実は、明治維新後になって即位関連の儀式はいったん整理されたのだ。
それまでは、平安時代以降に確立された、皇位継承の儀式である「践祚」と、皇位継承を対外的に知らしめる儀式である「即位」の2つに分けた伝統様式に則って、有職故実に詳しい公家が仕切っていたのだ。
天皇中心国家を確立するに当たり、これを整理したんだよね。
その際、旧皇室典範やそれに基づく登極例において儀式の中身や順番などが定められたのだ。
当時はまだ「国事行為」なんていう概念もなく、天皇が国家のために挙行する祭祀はすべて公務だったので、今のような区別はなく、すべてが国としての公式行事だったんだよ。
まず、皇位継承は「践祚の儀」によって執り行われるのだ。
その際、皇位継承の証である剣璽(天叢雲剣の形代と八尺瓊勾玉)が受け継がれるんだけど、それが「剣璽渡御の儀」。
今はこの2つから、「国事行為」として行うものとして編み出されたのが「剣璽等承継の儀」だよ。

そして、皇位継承後に臣下に最初に謁見するのは「践祚後朝見の儀」。
これは今はそのまま「即位後朝見の儀」になっているのだ。
そして、対外的に皇位継承したことを知らしめるのが「即位の礼」なんだけど、旧憲法下では、「即位の礼は京都において行う」と法律で定められていたので、京都御所の紫宸殿で挙行されていたのだ。
なので、「即位礼紫宸殿の儀」と呼ばれていたんだ。
昭和帝が即位の礼を挙行したときまでは京都だったんだけど、戦後の平成の代替わりからは東京の皇居宮殿内、正殿松の間で行われることになったので、「即例正殿の儀」と名前が変わったのだ。
やることは基本的には同じようなもので、剣璽等を携えた上で即位した上でのお言葉を述べ、それに対して臣下の代表が「寿詞(よごと)」(=お祝いの言葉)を述べる形だよ。
で、その後に行うパレードが「祝賀御列」、賓客を持てナウパーティが「饗宴」だよ。

今回で2度目なので、以降はこれに従って式典が受け継がれていくんだけど、この式典に使う衣装や幟、高御座(たかみくら)などなど、一緒に伝統技術も受け継いでいかなきゃいけないんだよね。
つまり、式典を受け継ぐには、それを支える技術・人材も受け継いでいかないといけないのだ。
そういう意味でも、今回のように「即位礼正殿の儀」をテレビで生中継するのは重要だよね。
みんなこういう儀式を残していきたいと思うようになるから。
東アジアでこの手の伝統が残っているのは日本だけなので、ぜひぜひ残していきたいのだ。

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