2021/01/23

働きアリとはちょっと違った

最近ネットで見かけてびっくりしたこと。
もともとはビジネス書で紹介されていた話のようだよ。
今や動画配信事業で大手になっているネットフリック菅間だ小さい会社だった時代。
いよいよ経営に行き詰まった時があって、大リストラを敢行したんだって。
そのとき何をしたかというと。いわゆる「仕事のできない人」を全員クビにしたそうなのだ。
なんと、全社員の3割近く。
それで社員は80名くらいまで激減したんだって。

よく知られている「働きアリの法則」に従うと、これは一番やっちゃだめなやつなのだ。
ありの巣の中では、よく働くアリとサボっているアリがいて、その比率はおよそ8:2.
で、サボっているアリを排除すると、よく働くアリだけになるかと思うと草ではなくて、8割のうちの2割はサボるアリに変わるのだ。
つまり、働くアリは6割4分まで減るわけ。
そうすると、全体のパフォーマンスが下がるんだよね。

同じような話が人間社会でも知られていて、例えば、入学試験のある高校の場合、少なくとも全生徒は入学試験をパスするだけの学力があるはずなのに(中には運だけで受かる生徒もいるかも知れないけどごく少数だよね。)、しばらくしてて中間テストや期末テストをすると、生徒の成績はきちんと正規分布に分かれるのだ。
つまり、入口では一定上の学力を持つ子供だけを選ぶとったはずなのに、しばらくするとその中で成績がよい子供と悪い子供が別れてくる、ということ。
まさに働きアリの法則のようなことが起きるのだ。

で、これが企業活動にも当てはまるとすると、できない社員をリストラしても、できる社員として見なされていた社員の中から落ちこぼれが出てくるため、パフォーマンスが低下してkルことになってしまうのだ!
で、実際ネットフリックスのケースはどうなったかというと・・・。
なんと、V字回復で業績アップ。
パフォーマンスは下がるどころかむしろ上がっていたようなのだ。
その要因分析としては、いわゆる「できない社員」は「できる社員」の足を引っ張っていて、ゼロではなくてマイナスにパフォーマンスに貢献していたらしいのだ。
つまり、「できない社員」の「尻ぬぐい」のために「できる社員」のエフォートがけっこう割かれて、その分が本来業務に回せるようになったので業績が上がった、ということみたい。
経営論なんかでは、「じんざい」には、「人財」、「人材」、「人在」、「人罪」の四首里があるなんていうけど、まさに「人罪」がいたということなんだよね。

もちろん、営業成績とか見れば「できる社員」の中にも「よくできる社員」、「普通にできる社員」、「そこそこできる社員」と分かれるのだけど、これらの人は少なくともマイナスではないのだ。
これが重要。
学校の成績の例も同じで、もともとプラスの集団の中でプラスの値の大きさで差が出ているだけなんだよね。
むしろ、試験をして成績をつけないといけないので、学力の差が出るように試験問題を作るわけで、全員が満点を取るようなテストをしていてはダメなのだ。
なので、入学試験で一定以上の学力を持っている生徒だけ集めたとしても、その後成績に差がついてくることは、働きアリがサボるアリになるのとは大違いなわけ。

そして、アリの例でもサボっているアリもただただマイナスな存在ではないんだよね。
仮にそうっだたとしたら、進化の過程で淘汰されてしまうのだ。
この一件サボっているアリは、いわば「予備役」で、有事の際に活躍するために体力を温存しているアリと言うことが知られているよ。
つまり、的が攻めてきたり、大雨で巣穴に水が親友してきたりなどの有事のサインい、普段サボっているアリが先頭に立って事態の対処に当たるのだ。
全アリが普段からえさ集めや幼虫の世話に全エネルギーを振ってしまっていると、有事の際に対応しきれなくなるんだよね・・・。
なので、通常はあまり仕事をしないのだけど、何かあればすぐにかけつける、みたいな存在がいる方が生存競争上有利だったので進化の過程で残ってきた、ということみたい。
「いざ鎌倉」の武士の世界だね。

企業の中にもそういう存在は時には必要で、まさに「謝罪がうまい」、「訴訟に強い」とか有事の際に活躍できる社員をリスク対応として抱えることはあるのだ。
ネットフリックスの例だと、そもそも会社自体がそこまでの規模ではなく、そういう存在を抱えるほどの大きなリスクに備える必要がなかったので、ただ単に「仕事のできない社員」を多く抱えていた、ということなんだろうと思うよ。
むしろ、まわりに迷惑をかけて足を引っ張るような存在すらけっこういたということなのだ。
「まじめ系くず」という言葉は最近よく耳にするけど、こういうことなんだろうなぁ、としみじみ思ったよ。
自分がそういう存在にならないように気をつけないと。

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