2021/02/06

包摂的対応

 日本の神社って、「○○神社」か「○○社」と呼ばれるものが一般的で、大きな神社だと「○○大社」や「○○神宮」というのがあるのだ。
ところが、江戸時代の古地図(切絵図)とかを見ると、「○○明神」とか「○○権現」と書かれていることが多いんだよね。
現代でも、お茶の水の神田明神は、正式名称は神田神社だけど、神田明神と呼ばれることが多いのだ。
どちらかというと、「神社」と言った場合には神道の宗教施設を指していて、「明神」や「権現」と言った場合は、その宗教施設にまつられている神様を指しているんじゃないかと思うんだよね。

語源的には、「権現」というのは割と簡単で、「権(ごん)」は、「仮の、暫定の」といった意味(英語のtentative)、「現」は「顕現」の「現」で「あらわれているという状態」を指すのだ。
つまり、「権現」は「仮の姿で表れている」といった意味。
なんで「仮の姿」かというと、日本における神道の神様たちは仏教における仏や菩薩が「仮の姿」で日本人の前に現れた姿である、という本地垂迹説をもとにしているから。
本来土着の、民俗社会の崇拝対象だったものが、いつの間にか伝来の宗教の枠組みにはめられた、ということなのだ。

キリスト教なんかの一神教の場合、他に神様を認めるわけにはいかないので、布教した先々で、その地で古来から振興されていた神様たちは悪魔になってしまい、その神性だけが切り離され、「聖人」に託されるのだ。
信仰に基づく宗教行為のうち、すでに生活に密着してしまっているような収穫祭やら新年の祝いなんかはそういう形で「聖人の祝日を祝う祭り」にしてしまうんだよね。
これはこれでひとつのしのぎ方だけど、もともといたはずの神様が消えてしまうし、伝来後も引き続き昔ながらの信仰を維持するコミュニティとの間では軋轢が生じるのだ。

ところが、どうも大乗仏教というのは懐が深いんだよね。
すべてを取り込んでしまうのだ。
もともとお釈迦様が提唱した原始仏教においては、神様とかいう概念はなくて、悟りを開いて解脱したものが「仏」なのだ。
しかも、偶像崇拝は禁止で、原則として自分で出家して厳しい修行を積んで悟りを開くことを目指す、非常にストイックなものなんだよね。
ところが、これがバラモン教やヒンズー教とまざると、インド古来の神様の多くは、「護法善神」として仏教に取り込まれ、仏教を守護する神様的なもの、という位置づけになるんだよね。
これが明王部や天部と呼ばれるもので、インドラが帝釈天になったりするわけ。
けっこう無理があるようにも思うんだけど、意外にこの方法はいい加減な故に頑健な構造なようで、大乗仏教が広がっていく中でも維持され続けていくのだ。
チベットの神様も密教に取り込まれるし、中国の道教の信仰も仏教の中に入ってくるのだ(例えば、北斗七星を信仰対象とするものが妙見信仰は妙見菩薩になっているのだ。)。

こうして、大陸から日本まで伝わってきた仏教。
日本史で習ったように、最初こそ、土着の信仰との間で軋轢があり、土着信仰を守ろうとする物部氏と仏教を新たに取り入れようとする蘇我氏の間で確執があり、戦にまで発展するのだ。
ところが、これがずっと尾を引くかというと、そういうわけではなくて、日本お神様も実は仏教の神様が化身として現れた姿だと解釈し、神仏習合させることで折り合いを図ったんだよね。
これもすごい話だけど。
これが「権現」という言葉の根底にはあるんだ。
この過程で日本の神様はみんな仏教と一体化していくんだけど、応神天皇をまつっているはずの八幡神に至っては、「八幡大菩薩」なんて呼ばれてしまうように、自分自ら仏教の神様になってしまう例も。

「明神」の方ははっきり言えば不詳なんだけど、もともとは霊験があらたかな神様を「みょうじん」と呼んでいたようで、延喜式神名帳の中では「名神」の漢字が当てられて、国家的な祈祷を行う神社のリストになっているのだ。
ところが、「明神」という字の当て方をした場合もあって、これは普通名詞的に、霊験あらたかで崇拝を集めている神様、といった意味だったようなのだ。
平安の頃はそもそもやっと仮名が生まれてくるくらいで、字の当て方はいわば適当だったんだよね・・・。
なので、たぶん「名神」でも「明神」でもどっちでもよくて、音が大事だったんだけど、延喜式のような公式文書に「名神」と書かれたためにそっちは権威付けの対象となり、固有名詞化していくんだけど、もう一方は一般的な使われ方になったんじゃないかな。
これが後々まで続いていくのが「明神」という言い方。

「権現」にしても「明神」にしても、神様の本来の名前ではなく、通称なんだよね。
そもそもひとつの神社に複数の神様がまつられていても一つの明神や権現で表されることもあるんだ。
例えば、奈良公園の春日大社で有名な春日明神は、4柱の御祭神、タケミカヅチノミコト、フツヌシノミコト、アマノコヤネノミコト、ヒメノカミの集合体なんだよね。
日本の古代思想では、本当の名前は忌み名としてさけられたので俗称で呼ぶ場合が多かったし、そもそも神様の本当の名を口にするなどおこがましい的な発想もあるので、そういう呼び方になったのかも。
実際には、その地域に崇拝されていた神様であって、必ずしも記紀神話に出てこない神様であっても、社格を挙げるために有名な神様に紐付けている例もあるので、この辺は複雑。
春日大社の場合は祖先神なのでわかりやすいけど、諏訪大社のような諏訪地域で信仰されたいた竜神がなぜか国引きでタケミカヅチに懸けたタケミナカタになっているんだよね。
そういう意味では、ひょっとすると、諏訪明神とタケミナカタは本当は別人というか別神かもしれないんだよね。

江戸時代まではこうやって神仏習合で来て、寺社の区別はあまり明確にせずに過ごしてきたんだよね。
そもそも大きな神社には神宮司や別当寺と呼ばれるお寺がくっついていて、そこが神社の管理をしていたりもしたのだ。
ところが、明治維新後の神仏分離令で、お寺か神社かに分けなくてはいけなくなったんだよね!
このとき、廃仏毀釈運動もあったので、神社になれる場合は神社になった方がよい場合が多かったのだ。
で、このとき、「明神」や「権現」というのは、神仏習合時代の負の遺産で、本地垂迹を連想させる、仏教とのつながりを示唆するよう響きに感じたみたい。
そこで、「○○神社」という名称を正式名称にする動きが盛んになって今に至るそうだよ。
三社祭で有名な、浅草寺の横にある浅草神社は、もともと三社権現だったわけだけど、神仏分離で浅草神社に解消したみたい。
この辺は調べていくとさらに奥が深そうだ。

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