2021/11/06

バード・フェスティバル

 緊急事態宣言が明けて、さっそくハロウィンの渋谷は大変な混雑だったようなのだ。
そういう瞬間的なイベントに限らず、各行楽地にも人が戻ってきているようだね。
昨年のGoToの二の舞にならぬよう、感染対策をしっかりした上で出かけるべきだとは思うけど。
そんな中、東京では次の大きなイベントとして、「酉の市」が控えているのだ。
11月の酉に日に開かれるお祭りで、2回又は3回夜通し市が立って盛り上がるのだ。
「福をかき込む」と言われる縁起物の熊手が有名だよね。
商売繁盛を願うものだよ。
お仕事を増やしたくはないけど、ボクも浅草の鷲神社、目黒の大鳥神社、新宿の花園神社などでいただいたことがあるよ。
ちなみに、今年は11月の9日が一の酉、21日が二の酉だよ。

いわゆる「オオトリ神社」は天日鷲命(あめのひわしのみこと)をまつる神社。
この神様は、天照大神が天岩戸にお隠れになった際、天鈿女命の舞に合わせて楽器を奏でていた神様。
天手力男命が岩とを明けた際にその楽器の弦の先に大きな鷲が止まったので、この鷲こそは世の中を明るくする吉祥だということになり、「天日鷲」という名前になったんだとか。
その本じゃと言われているのが、埼玉県の鷲宮神社。
そう、らきすたのあの神社だよ。

しかしながら、酉の市の発祥は足立区花畑の大鷲(おおとり)神社と言われているよ。
もともとは、日本武尊の東征の折、埼玉の鷲宮神社で戦勝を祈願し、無事戦に勝った後、足立区の大鷲神社の地で戦勝を祝ったとか言われているんだ。
11月なのは、日本武尊が亡くなったのが11月の酉の日だったとか、先勝を祝したのが11月の酉の日だった、とかいう話になっているよ。
でも、この足立区の大鷲神社は実は平安時代の創建で、日本武尊ではなく、八幡太郎義家公の東征の折(後三年の役)、弟の新羅三郎義光公がこの地で戦勝を祈願した際に大きな鷲を見かけ、これぞ瑞祥とまつったのが始まりとされるよ。
江戸時代は「鷲明神」という名前で、どちらかというと八幡系の神社だったみたい。
なぜか明治期以降に祭神に日本武尊が加わり、ずいぶんと時代をさかのぼった戦勝祈願の話に変わったのだ。

どうも、もともとはこの土地の収穫祭として行われていたのが「酉の市」の起源で、この大鷲神社がある当たりは綾瀬川があって水運城便利でものが集まること、江戸郊外で日帰りで遊びに出かけられることなどから、江戸庶民の行楽先として人気が出て盛り上がったようなのだ。
江戸名所図会にも紹介されているほどなので、かなり有名な遊楽地だよ。
でも、江戸中期の安永年間のころ、辻賭博が盛大に開かれたことが幕府に問題視され、禁止令が出たので徐々に衰退していくのだ・・・。
どうしても人が集まると治安が悪くなるんだよね(>_<)

この足立の酉の市では、近隣王民が神社に生きた鶏を奉納し、祭が終わった後に浅草観音堂前で放つ、という行事があったのだ。
そのつながりがあったからなのか、江戸後期になると酉の市の中心は浅草に移っていくよ。
浅草の鷲神社はちょうど新吉原遊郭の裏手。
もともと人出が多いところなので、治安もこれ以上悪くなりようがないんだよね(笑)
何もなくても人の集まるところなのでここが一大メッカとなり、それにあやかろうと江戸周辺のオオトリ神社でも同じような酉の市が立つことになったようだよ。
新宿の花園神社は内藤新宿のそう鎮守で、やはり岡場所で有名なところ。
常に人が集まるので、ここも大きな酉の市になるのだ。
目黒は、「目黒のサンマ」で将軍が鷹狩りをしていたように当時は農村地帯。
でも、目黒不動瀧泉寺はやはり人気のある行楽地だったんだよね。
自然と人が集まるので、いつしかその近くにある大鳥神社の酉の市も賑わうようになるのだ。
こうして、足立で始まった酉の市が浅草で大きくなり、江戸周辺に広がっていったというわけ。

去年はコロナの影響もあってひっそりしたものだったけど、例年浅草や新宿の酉の市はすっごい人出なんだよね。
周辺の道は大渋滞!
はてさて、今年はどうなるやら。
楽しいのは楽しいけど、まだちょっとこわいよなぁ。

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