2021/11/27

アゲアゲ↑

 「マツコの知らない世界」で油揚げを取り上げていたのだ。
ボクはむかしから豆腐が好きなんだけど、揚げも好きなんだよねぇ。
汁物の具にしてもよいし、かりっと焼いてもおいしいし。
何より、いなり寿司は子供の時から好物なのだ。
で、そこで知ったんだけど、油揚げは豆腐の薄切りをただ揚げたものではないのだ!

水分が多い豆腐をそのまま油で揚げると、いわゆる「厚揚げ」のようになるんだよね。
つまり、中心に豆腐的なしっとりした部分が残るのだ。
油揚げのようなスポンジ状にはならないわけ。
厚揚げは逆にそこがよいのだけど、どんなに薄く切っても、普通の豆腐を揚げている限りは薄い厚揚げ(?)になってしまうみたいだよ。
では、油揚げは何を揚げているのか?

答えは、よく水を切ってかたくした特別な豆腐。
豆腐屋さんでも油揚げ用に別に作っているんだって。
かために作った豆腐に重しをしてさらに水気を絞り、原料大豆の2倍くらいの重さにするらしいよ。
普通に食べている豆腐は水分量が80~90%くらいらしいので、相当水抜きをしているよね。
で、こうして硬く作った原料豆腐を薄切りにし、低温と高温の油で二度揚げするのだ。
はじめは低温の油で膨らませ、それを高温の油に移して表面をかりっとさせるんだって。
低温の油の中では、原料豆腐の中野水分が蒸発するときに細かい空隙ができてスポンジ状、軽石のような多孔質の構造になるのだ。
そのままにしておくとしぼんでしまうので、高温の油で揚げることで表面のタンパク質を熱変性させて穴をふさぎ、しぼまないようにするそうだよ。
なかなか理にかなっている製法なのだ。

もともとはがんもどき・飛竜頭と同じように、室町時代に精進料理の中で生み出された食材のようなんだけど、まだその当時は食用油が高級品なので、庶民が食べるようなものではなかったんだって。
油揚げや厚揚げが一般的になるのは江戸中期くらいから。
この頃には菜種油やごま油が比較的安価に手に入るようになったので、「揚げる」という調理法が一般化するのだ。
宗教上の理由で肉食がおおっぴらにできず、かといって、近海・沿海でしか漁業はできないので魚もそこまで多くとれないので、大豆食品は江戸庶民にとって非常に貴重なタンパク源だったのだ。
豆腐や納豆はそれこそ毎日のように食べられていて、そこに、バリエーションとしてあげたものである油揚げや厚揚げが加わるわけ。

厚揚げは煮物なんかの具材に使われていたようだけど、当時の居酒屋では七輪で表面を改めて焼いて、ネギを添えて出す「竹虎」、大根おろしを添えて出す「雪虎」として手軽なおつまみになっていたようだよ。
焼いたときに網目の焦げがつくところが虎縞になるから。
油揚げの方は汁物の具にするほか、スポンジ状の内部構造を生かし、中を開いて袋状にし、そこに具を詰める、という調理法も生まれたのだ。
その代表例がいなり寿司。
もともと飛竜頭は豆腐をつぶして作った記事で具材をまんじゅうのように包んで揚げた料理だったそうで、そういうところにもヒントがあったのかも。

そして、油揚げにつきものなのキツネ。
濃い味付けで甘辛くにた油揚げののったうどんやそばは「きつね」だよね。
油揚げとネギを卵でとじて白飯の上にのせたものを信太(しのだ)丼と言うけど、これは「葛の葉」伝説にもとづくもの。
阿倍保名(あべのやすな)が信太の森で白虎である葛の葉と夫婦になってできた子供こそが安倍晴明その人、という伝説で、人形浄瑠璃や歌舞伎の「芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)」はこの伝説を下敷きにしたものなのだ。
なので、やっぱりキツネが関係しているんだよね。

なぜキツネと油揚げが結びつけられるかには諸説あるようだけど、キツネは収穫した米を荒らすネズミを食べてくれる動物なので神聖視されていて、稲荷神の神使とも考えられているのだ。
で、キツネの好物はネズミ、しかも、油で揚げたネズミという話になっていくのだけど、ネズミをそのまま備えるわけにもいかないので、代わりに油揚げにしたとか言われているのだ。
ちなみに、本物のキツネは油揚げが好きなわけではないし、あげれば食べないことはないんだろうけど、喜ぶわけでもないようなのだ。

稲荷神は密教の「荼枳尼天(だきにてん)」と同一視されるけど、多くの場合、この荼枳尼天は白虎にのった姿で描かれるのだ。
本場のインドではジャッカル(野干)と一緒に描かれるのだけど、中国にはジャッカルがいないので、代わりに似ているキツネになったみたい。
それが日本にも伝わっているのだ。
この荼枳尼天はもともと死肉を食べると言われる鬼女で、同じように屍肉をあさるジャッカルと関連づけられたところから一緒に描かれるようになったみたい。
それがキツネに変わったおかげで、米をネズミから守ってくれる農耕の神様になっているのだ。

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