2010/02/06

今年もしっかり予習しよう♪

去年の今ごろも予習をしていたけど(笑)、今年も来週のバレンタインデーに備えてチョコレートについて予習をしておくのだ!
だからと言って何があるわけじゃないんだけど・・・。
こういう機会でもないとよくわからないまま過ごしてしまうしね。
というわけで、まだまだ奥が深いチョコレートについて調査をしたのだ。

チョコレートの主原料であるカカオは中南米の原産で、紀元前から中央アメリカの文明では薬用や滋養強壮に飲まれてきたのだ。
このころは単純に乾燥させたカカオ豆を粉砕して粉にし、お湯にといただけのもの。
そのままではかなり苦いので、タバコと同じような嗜好品という扱いだったみたい。
コロンブスさんによって米大陸が「発見」されると、じゃがいもやトマト、トウモロコシのような新大陸野菜、唐辛子のような香辛料、タバコの葉のような嗜好品とともに欧州はスペインに伝わったのだ。
ここで西洋にカカオが伝わったわけ。

これが16世紀で、最初は現地と同じように苦いまま飲まれていたらしいんだけど、しばらくすると、メキシコにいた宣教師によって砂糖を入れて飲みやすくする工夫が考案されたのだ。
これでかなり飲みやすくなったわけだけど、スペインが中南米を征服してカカオが手に入りやすくなるとスペイン国内で爆発的に普及したようなのだ。
王族・貴族だけでなく、庶民の間にも広まっていったみたい。
でも、このころはスペインから門外不出(?)になっていて、今ではチョコレートで有名なフランスやベルギー、オーストリアには伝わっていなかったのだ!

転機はフランス王ルイ13世がスペイン王家から王女を后として迎え入れたこと。
嫁いできたアナ・マリーア・マウリシアさんは大のチョコレート好きで、チョコレートを飲む道具とチョコレート職人(ショコラティエ)をフランスにもたらしたのだ。
当時の欧州では各国の王族は婚姻関係を結んでいたので、これを皮切りに欧州の王族・貴族などの上流階級の間でチョコレートが広まっていったそうだよ。

19世紀になると、オランダのバンホーテンさんがチョコレートを粉末にする特許を取得するのだ。
これはチョコレートをココアパウダーとカカオバターに効率的に分離する技術。
ココアのバンホーテンはここで生まれたんだよ!
で、それまでのチョコレートは生のカカオを粉末にしてお湯でといたもので水がないと濃厚すぎて飲めないようなものだったらしいんだけど、この発明のおかげでぐんと飲みやすくなったのだ。
これが現在のホットチョコレートだよ。

さらに、19世紀も中盤にさしかかると、英国で固形の食べるチョコレートが発明されたのだ。
これは砂糖しか入っていなくてまだまだ苦く、普及しなかったらしいんだけど(カカオ85%以上のチョコレートを思い浮かべればわかるよね。)、スイスで粉乳を混ぜたミルクチョコレートができると、かなり今のチョコレートに近いものとなったのだ。
当時は舌触りがざらざらしたものだったらしいけど、なめらかにする工夫がなされ、今のチョコレートの原型ができたのだ。

ここから今のようなバリエーション豊かなチョコレート文化が花開くんだけど、チョコレートに生クリームや洋酒、果物由来の香料などを混ぜてよりなめらかに、やわらかくしたのが生チョコレート(チョコレートガナッシュ)。
一口大のガナッシュをクーベルチュールと言われる製菓用のチョコレートでコーティングするとフランス名物のボンボンショコラになるのだ。
ボンボン菓子は殻でナッツやフルーツを包むお菓子のことで、砂糖の殻でウイスキーを包んだウイスキーボンボンが日本ではメジャーだよね。
チョコレートで包んでいるのでボンボンショコラなのだ。

一方、ナッツなどを砕いて砂糖と混ぜ、カラメル化させたものがプラリネ。
米国ではそのまま固めてキャラメルのように食べるけど、欧州ではこれをチョコレートでコーティングして食べたり、ケーキの飾りにしていたのだ。
で、いつしかチョコレートコーティングのものがメジャーとなり、ベルギーやドイツで売られているチョコレートプラリネになったわけ。
今ではナッツでなくてもプラリネと言うことがあるけど、本来的にはヘーゼルナッツとかを包んであるものがプラリネなのだ。
ちなみに、最初にプラリネをチョコレートでコーティングしてプラリンを作り出したのが、ベルギーの名店・ノイハウスなんだって。

オーストリアのホテル・ザッハでは濃厚なチョコレートをたっぷり使いながら、あんずジャムの酸味でさわやかを加えたザッハトルテが考案され、チョコレートケーキの王様となるのだ。
もともと門外不出の味とされたんだけど、ホテル・ザッハが経営難に陥ったとき、ウィーン王室御用達だったケーキ店のデメルからお嫁さんをもらい、財政援助をしてもらう際、レシピが流出。
ここからザッハトルテの商標をめぐるホテル・ザッハとデメルの「甘い戦争」が始まったのだ。
それにしても、商標をめぐって争いが起きるほどすでにザッハトルテのブランド力はすごかったということだよね。

こうして欧州では上流階級を中心にいろんなチョコレート菓子が作られていくことになったのだ。
日本ではついこの間まで普通のお菓子として売っているチョコレートが主流だったけど、海外のおしゃれなチョコレートが多く入ってくるようになってかなり様相が変わってきたよね。
もはや進駐軍にギブミーチョコレートといって甘くてくどいむかしながらのハーシーズの板チョコをもらう時代ではないのだ!
数十年前からそうだけど(笑)

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