2019/11/30

桜見る場所

「桜を観る会」がかなり炎上しているのだ!
報道の中にも、もっと大事な政治的な論点があるのに、という論調はあるけど、やっぱり国民から見てわかりやすいから大きな話題になってしまうのかな?
こんなに引きずるとは思わなかったよ。
で、その「桜を見る会」の開催場所としてさらに知名度が高まったのは新宿御苑。
現在は環境省が所管する施設なのだ。

もともとは、譜代大名の高遠藩内藤家の江戸屋敷があった場所。
東照大神君家康公江戸入府の際、譜代の家臣だった内藤清成に、馬で乗り回せる範囲の土地を与えると言われ、東は四谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保に及ぶ広大な範囲を白馬で回りきり、下賜されたのだ。
この白馬は回りきった後に家康公の前で息絶えたと伝えられていて、新宿の多武峯神社に「駿馬塚の碑」というのが建てられているよ。
でも、あまりにも広大すぎるので、内藤家はその土地の一部を幕府に返上し、そこに作られたのが甲州街道の最初の宿である内藤新宿なのだ。
きちんと内藤家の名前も残っているね。

御一新の後、この土地は内藤家から新政府に上納されるんだけど、政府は、隣地も買い上げた上で、こおに農業振興を目的とする内藤新宿試験場を開設するのだ。
欧米の最新式の農業技術を研究・振興するものだよ。
この試験場内に作られた農事修学所は駒場に移され、後に東大農学部の前身(駒場農学校)となるんだ。
また、ランの栽培のために我が国で初めての温室が作られるんだけど、今でも新宿御苑の名物になっているよね。
ところが、その農業振興の機能のほとんどは三田育種所に移され、この土地は皇室に献上され、皇室の御料地・農園となるのだ。
そのときの名前が新宿植物御苑だよ。

明治後半になると、この新宿植物御苑を庭園に改造する計画が持ち上がり、フランスのベルサイユ園芸学校(園芸を専門としたグランゼコール)の教授のアンリ・マルチネさんに設計を依頼。
その設計図は繊細で消失するのだけど、残っている資料(鳥瞰図)を見る限り、現在の姿はこのときにできあがったようなのだ。
そして、新たに王室の庭園である新宿御苑として生まれ変わるのだ。
そして、回遊式の日本庭園(大名屋敷のときの名残)とフランス式整形庭園、イギリス風景式庭園が組み合わされたものができあがるんだけど、大正時代にはゴルフコースももうけられたようだよ。
しかしながら、昭和20年の東京大空襲で新宿御苑はほぼ全焼してしまうんだ。
戦後、昭和22年に皇居外苑、京都御苑とともに新宿御苑を国民公園として運営する旨が閣議決定され、昭和25年から皇室の庭園だったものが一般に開放されるようになるのだ。
最初は厚生省の所管だったんだけど、環境庁発足の後は国立公園と同じく環境庁に所感が移ったよ。

新宿御苑では、戦前から皇室主催の観桜会が催されていて、戦後になってそれを総理主催の「桜を観る会」に変えたのだ。
吉田茂首相の時代。
この話は最近の炎上で有名になったよね(笑)
でも、開催時期が四月の中旬~下旬くらいなのだ、ソメイヨシノやオオシマザクラなんかは終わっていて、たいていは遅咲きのヤエザクラなのだ。
そのヤエザクラも終わりかかっていることも多いようだけど・・・。

ちなみに、11月には環境大臣主催の「菊を観る会」というのもあるんだ。
これは菊花壇展で、やはり戦前の皇室主催の観菊会を受け継ぐもの。
こちらは毎年11月1日から15日まで一般の人も自由に見られるものだよ。
功績のあった人だけを呼ぶパーティではないようなのだ(笑)
そういえば、たまたま秋に新宿御苑に行ったときに見たような気がするなぁ。

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