2017/07/15

パリ最大の祭り

昨日はいわゆる「パリ祭」。
凱旋門前で大パレードが行われたのだ。
軍隊だけでなく、警察や消防(ポンピエ)も参加しているんだよ。
米国のトランプ大統領も来ていて大騒ぎだったのだ。
フランスでは、「Fête nationale française」と呼んでいて、「国民の祭り」といった意味なのだ。

ボクは「革命記念日」だと思っていたんだけど、実はそうではないとか。
もともと7月14日は、フランス革命のきっかけになったバスティーユ監獄の襲撃事件の日。 
なので、それを記念して革命記念日にしたと思っていたんだけど・・・。
実は、その1年後の1790年にフランス革命の締めくくりとして行われた、 建国記念祭に端を発しているようなのだ。
確かに、米国の場合は、独立宣言書に署名がなされた7月4日が独立記念日。
革命の最初の出来事の日を記念するって言うのも変な話だよね(笑)

今ではバスティーユにあるのはオペラ劇場だけど、当時は監獄があったのだ。
しかも、その監獄に収監されていたのは、国王の恣意的な拘禁令状 (lettre de cachet)で拘束された「政治犯」。
この人たちを解放することこそ、フランスの専制政治への反乱の象徴だったのだ!
今ではバスティーユ監獄の壁の一部が残るのみで、徹底的に破壊されたみたいだよ。

襲撃から1ヶ月半くらいたった後の8月26日、フランス革命の基本原則を示した「人間と市民の権利の宣言」が憲法制定国民議会で採択されるのだ。
これを起草したのは、米国独立でも活躍した「両大陸の英雄」ラファイエット。
当初は立憲君主制を前提に起草されていたなけど、実際には、その後すぐにフランスは共和制に移行したので、何度か修正されたようなのだ。
 1791年に 制定されたフランス最初の憲法のもとになっているものだよ。

バスティーユ襲撃から1年後、共和政府による大規模な国家式典が行われ、これがフランス革命の集大成と見なされたのだ。
その場所はなんとシャン・ド・マルス公園。
というわけで、 今でもエッフェル塔のまわりで花火が上がったりしているけど、このときからそうみたい(笑)
まだ凱旋門はなかったからね。
ちなみに、このときの式典には、ラファイエットのほか、ルイ16世も参加していたみたいだよ。

正式に祝日に指定されたのは、1880年になってから。
パリがナチス・ドイツの侵攻に陥落して亡命政府になってからはロンドンで開かれたこともあったようだけど、祝日に指定されてからは年に一度のフランス最大の祝賀式典が開かれる日になっているのだ。
確かに、すごい規模だよ! 

2017/07/08

いんちき高級水?

この間話していてびっくりしたのだけど、いまだに「水素水」を信じている人がいたんだよね・・・。
国民生活センターがいわゆる「水素水」について発表を行って、そのときは大きな話題になったと思ったのだけど、もう忘れられているんだね・・・。
せっかく発表した意味がない(>_<)
そして、まだ「水素水発生装置」とかにだまされる人が出てくるわけだ。

「水素水」と言われるものは、水の中に微量の水素が溶け込んだもの、と言われているのだ。
でも、正確な定義はなくて、何らかの形で水素が溶けている、というものらしいんだよね。
この時点ですでにあやしい(笑)
水素ガスを水の中に通して微量に溶かす、というのがわかりやすい方法だけど、水を電気分解することでも作ることができるのだ。
水を電気分解すると、陰極から水素ガスが発生するけど、そのガスが水の中に溶け込むというわけ。

もともとは、半導体や液晶の洗浄につかっていたんだって。
半導体などの精密工業の洗浄に使われる水と言えば、ボクとしては超純水が思い浮かぶのだけど、水素水もよいのだとか。
超純水の場合は、何も水の中に溶け込んでいないので、半導体表面についた不純物を溶かして洗い去る能力が強いと考えられているのだ。
超純水が危険なものというわけではないのだけど、少しでも水に溶けるものであれば、超純水で洗ってあげれば落ちるというわけ。

一方で、水素水の場合は、水の中にできる水素ガスの微少な泡がキャビテーションが発生して、それで洗浄力が上がるというもの。
超純水は表面に付着した汚れをはがすのに対して、水素ガスの微少な泡で汚れをこそぎ落とすイメージだよね。
半導体などの場合、洗浄液の中に洗剤を入れると、その洗剤をきれいに洗い流さなくちゃいけなくなるだけなので、できるだけ不純物のないもので洗いたいのだ。
水素水なら、洗った後に水素ガスが付着するくらいなので、問題はあまりないというわけ。
鋼材だと、金属柱に水素ガスが溶け込む「水素ぜい化」という現象で、もろくなることが知られているのだけど、半導体とか液晶ならそういうこともないのだ。

で、そういう用途で使うのなら問題ないし、実績もあるのだけど、その水素水が人体にどう影響を及ぼすかというと全く何もわかっていない、という状況に近いのだ。
っていうか、クリアカットに多っ聞く影響すればすぐにわかるわけで、あったとしても、あるかないかわからないくらいの影響しかないということなんだよね・・・。
なんだけど、水素水で体の中の活性酸素が除去されてアンチエージングになるとか、そういう効能がうたわれるのは問題というわけ。
活性酸素はガンの中で悪さをしているなんて話と合わされて、ガンに効く、とかなると、むかしからの怪しい民間療法と同じにおいがしてくるよ・・・。
「おぼれる者はわらをもすがる」につけ込むよくない商法なのだ。

国民生活センターがそもそも問題視したのは、業界においても「水素水」の定義がなくて、どの程度の溶存水素量があれば「水素水」と呼んでいいのかがはっきりしないまま、「水素水」が健康によい、的なプロモーションがなされていること。
また、すでにパッケージされて売られている水素水や、水素水発生装置で作られる水素水の溶存水素量が確認できていないこと。
本当に水素ガスが溶けているかどうかわからないのに、「水素水」と呼ばれてしまうのだ。

健康によい・悪いについては今後の研究で何かわかるかもしれないし、本当によいものである可能性も否定できないけど、そうだとしても、どれくらい水素が溶け込んでいないと効能がない、とかいうのがあるはずなんだよね。
それが生理現象に影響を及ぼすのであれば。
そういうのを置いておいて、印象論でやっているのがよくないのだ。
こういうのはやっぱり、科学リテラシーが大事なんだよね。

2017/07/01

夏にこそ温かいものを!

この前、日本酒のプロモーションのイベントを少しお手伝いしたのだ。
日本酒について簡単にレクチャーした後、試飲してもらうもの。
もちろん、来ている人たちは試飲が目的だよね。
フランスでもけっこう日本酒の人気は高まっているようで、日本食材店に買いに来るフランス人もいるくらい。
で、このとき、参加者になかなか理解されなかったのが、「燗酒」なのだ。

参加者からの質問は、「なぜ燗にするのか」や「冷や酒で飲むものと燗酒にするものの違いは何か」というもの。
なにやら、専門的には酒の中に含まれる酸味成分の違いで、クエン酸系の酸味が多いものは温めないで飲む方がよく、リンゴ酸系の酸味が多いものは温めた方がおいしいんだって。
いずれにせよ、燗をすることで揮発性の香味成分が外に出てくるので、いわゆる「香りが立つ」ということになるのだ。
これは赤ワインのデカンタージュと同じだって。

でも、科学的にはもう少し違いがあるんだよね。
実は、温度によって味覚の感じ方は変わってくるので、それも影響するのだ。
酸味の場合はほとんど影響を受けないのだけど、甘味にについては温かいと感じやすく、熱すぎるとまた感じなくなってくるという特徴があるのだ。
冷たいときも十分甘いけど、ぬるくなったコーラがより甘く感じるのはこのため。
フランスのオランジーナは常温で飲むことが多いけど、日本では冷たくして飲むので、日本のオランジーナはより甘いとか。
さらに、うまみ成分のアミノ酸や核酸も、温かいときの方が感じやすいんだよね。
冷たい味噌汁よりも温かい味噌汁の方がうまみを感じやすいのだ。
一方、渋味・苦味は単純に温められると感じにくくなるみたい。
冷たいお茶の方が渋味を感じることが多いのもこのためかな?

というわけなので、もともとそんなに甘くない、辛口の日本酒なんかは、温めると甘味が引き立つんだ。
そういえば、冷やで飲んでほしいと言われる地酒系の日本酒には甘味が強いものが多いような。
そして、渋味や苦味のような「雑味」がある場合は、温めるとそれがやわらぐことになるよ。
なので、最近では、あまり「よくない」お酒を燗にするというように受け取られているように感じるよね。
地酒の多くが冷や酒(常温だけでなく、氷で冷やすようなものも)で飲まれていて、いわゆる大量生産系の昔ながらの灘の酒が燗にされるのでそういう受け止めになってしまうみたい。
それに、燗をすると香りが強くなるんだけど、大吟醸のようなもともと香りが強いものは、温めると強烈になり過ぎてよくなんだって。
大吟醸=高いお酒だから、高いお酒は燗にしない=安いお酒を燗にする、という構図ができてしまっているのもあるかも。

ただ、むかしのサザエさんなんかを見ていると、日本酒は燗酒で出されているんだよね。
これは、江戸時代に清酒が庶民にも流通した頃からの伝統だって。
平安時代には、秋冬シーズン(重陽の節句から桃の節句まで)にはお酒を温めて飲んでいたことがわかっているんだけど、あくまでも貴族などの上流階級でのお話。
安土桃山時代くらいに清酒の製法ができて、江戸時代に一気に広まった頃から、燗酒にされるようになったようなのだ。
当時は、醸造された酒量に対して税金がかかったので、アルコール度数がほぼ最大の20度くらいの原酒を造ってそれを出荷し、仲卸や小売りの段階で水で薄めていたんだって。
庶民の口に入る頃には4~5度とかいう話もあるから。ビール感覚だったのかも。
それを温めて飲んでいたのだ。
ちなみに、今でも日本酒の多くは20度くらいの原酒を少し薄めて、14~15度くらいにして出荷しているんだよ。
これを加水調整というのだ。

当時の日本酒は雑味が多かったのか、薄めているが故に甘味が感じにくかったのか、とにかく温めて飲むが主流。
貝原益軒さんも、日本酒は温めて飲むがよい、と書いているそうだよ。
もともと日本人はお酒にあまり強い人種じゃないから、その方がアルコールもさらに少し飛んでよかったのかも。
それに、燗酒は、吸収もよいので、飲み過ぎることがあまりないんだって。
逆に、冷酒の場合は、吸収されにくいので、ついつい飲み過ぎてしまうそうなのだ・・・。
これは気をつけないといけないね。

2017/06/24

赤い魚と言えば・・・

日本で赤い魚と言えば、何よりもまずタイが思い浮かぶよね。
なんと言っても高級魚のイメージが強いのだ。
そして、めでたい(笑)
一方で、フランスでは、それに当たるのがrouget(ルージェ)なんだよね。
和名ではヒメジ。

このヒメジという魚は、実は日本近海にもたくさん生息している魚。
数m~100mくらいの深さの砂地の海底近くにいるらしいのだ。
ほとんど海底すれすれのところを泳いでいるようで、特徴的な「あごひげ」はその海底を探るセンサーになっていて、砂の中に潜むエビなどを探し当てて、えさにするそうなのだ。
そういう生態なので、底引き網漁でひっかかるらしいのだけど、市場にはあまり流通しないんだって。
それなりの量はとれるようなんだけど、小骨が多くて食べづらいのと、傷みやすいということもあって、高級な練り製品の材料になるとか。

ただし、各地でいろんな名前で呼ばれているので、昔はよく食べたようなのだ。
ヒメジというのももともとは神奈川あたりのローカルネームで、富山ではその鮮やかな色から「オキノジョロウ」なんて呼ばれるし、東京や広島では「ヒメ」、福井や三重では「アカイオ」(「いを」は古語で「魚」を指す言葉だよ。)、関西・中国・四国では「ヒメイチ」、山口から九州にかけては「ベニサシ」などなど。
どれもやっぱり見た目から来ている名前みたいだね。

脂肪の少ない白身で、唐揚げや南蛮漬けのような、多少小骨があってもそのまま食べられる料理に向いているのだ。
特に、日本産ヒメジは小型のものが多いので、そのまま食べられるようにするんだって。
ある程度の大きさがあれば、小骨は気になるけど、塩焼きや煮付けでもよいみたい。
干物にする地方もあるようだよ。
関東では最近になって天ぷらダネとして人気が出てきているんだって。
皮に独特の風味があって、それが天ぷらに向いているとか。

フランスでは、高級な白身魚のグリエ(焼き魚)やポワレ(蒸し焼き)にはよくヒメジが使われているのだ。
やはり皮の色がきれいなのと、風味があるので、多くの場合は皮付き。
熱を通しても固くなりにくく、身離れもよいので、ナイフとフォークで食べるフランス人にも食べやすいみたい。
スズキもよく食べるんだけど、日本人的感覚から言うと「火を通しすぎ」で、ぱさついていることが多いんだよね・・・。
で、ぱさぱさなだけじゃなくて、身が崩れるので食べづらいのだ。
その点、ヒメジは食べやすい!
よく出てくるタラとかスズキは身がすぐ崩れてしまうのもあって、フォークでは食べづらい・・・。
箸だと問題なく食べられるんだけどなぁ(笑)

ヒメジは地中海沿岸地域では重要な食材で、それこそ古代ローマの時代からおいしい魚として親しまれてきたんだそうだよ。
フランスでは、マトウダイ(サン・ピエール)やカサゴ(ラスカス)もよく見るけど、これらもわりと高級魚。
やっぱり火を通してもぱさつきにくいからね。
その点、タラやボラはいろいろと種類があるけど、たいていはリーズナブルで、庶民の魚なのだ。
でも、よほどおいしいところでない限りは、たいていはぱさついているよ。
少量の脂肪分があるかどうかで違うものだねぇ。
それにしても、肉には火を通したがらないくせに、魚は焼きすぎなんだよなぁ・・・。
においが気になるのかな?

2017/06/17

国にも男女の別あり

フランスに来てからも仕事は英語がメインなんだけど、さすがに多少は仏語を話さないといけない機会があるんだよね。
で、学生時代に第二外国語として習ったときの知識を最大限活用するんだけど・・・。
すっかり忘却の彼方だ(笑)
それでも、ぎりぎり覚えている単語を並べてなんとかするしかないわけで。

そんなとき、改めて面倒だなぁ、と思うのは、仏語の名詞には男女の性があること。
おおもとのラテン語だとさらに中性名詞もあるのでさらにややこしいのだけど。
でも、一つのというときも談攻め意思なら「アン(un)」、女性名詞なら「ユンヌ(une)」と使い分けないといけないし、男性名詞につく冠詞は前置詞と一体化して「au(à+le)」とか「du(de+le)」とかになるのでややこしいのだ。
そして、もっとややこしいのは、「~へ行く」というときに、その行き先が国名になる場合、男性名詞の国、例えば日本なら、「au Japon」なんだけど、女性名詞の国、例えばフランスなら、「en France」となって、前置詞すら変わってしまうのだ。
これから夏のバカンスが来るけど、よその国に遊びに行くなんて話をフランス語でするときには注意をしないといけないんだよね。

仏語の場合、国の名前はひとつに限られるので、必ず定冠詞がつくのだ。
これは英語との大きな違い。
なので、「le」とか「la」と一緒に覚えてしまうと、男女のどちらかかも同時に覚えられそうなものなんだけど・・・。
母音で始まる国、例えばドイツ(Allemagne)なんかは、エリジオンが起こってしまって「l'Allemagne」となるので、どっちかわからない(笑)
ま、たいていの欧州の国は女性名詞なんだけど。

で、つらつらと仏語の国名を見ていくと、いくつかおもしろいものがあるのだ。
まずは米国と英国。
日本ではすぐに「アメリカ」というけど、米国人は自分たちでは「the United States (of America)」と呼ぶんだよね。
これは仏語も同じで、「les États-Unis (d'Amerique)」と言うのだ。
音で言うと「レゼタジュニ(ダメリック)」なので、全く米国っぽさがないのだ。
もっと複雑なのが英国。
日本では「イギリス」と言ってしまうけど、これはもともと「イングランド」のポルトガル語名の「イングレス」に由来しているので、英国全体を指していないのだ。
通常は英語で「United Kingdom (of Great Britain and Northern Ireland)」で、「UK」と呼ばれるよね。
フランスでも全く同じなんだけど、仏語にすると、「le Royaume-Uni (de Grande-Bretagne et d'Irlande du Nord)」となるのだ。
やっぱり英国の面影がない(笑)
最初はどこの国のことを言っているのかわからなかったくらいだよ。
ロンドンも「Londre」で綴りが違うし、日本人には英国関係の地名はわかりづらいようなのだ。

米国・英国以上にわかりづらいのがオランダ。
オランダはホラント州を指す「Holland」のポルトガル語「Holanda」に由来していて、英国と同じように欧米の国名とは大きく異なっているのだ。
オランダの英語名称は「the Netherlands」なんだけど、これはオランダ語の「Nederland」から来たもの。
このネーデルラントはもともと「低地」を意味する言葉なのだ!
このため、仏語では、「les Pays-Bas」と言うのだけど、「pays」は「国」、「bas」は「低い」という意味なので、ドストレートな名前なんだ。
ネーデルラントに近い音だったらわかるけど、これは想像もつかないよね・・・。

最後に、前に出てきた「ドイツ」。
仏語の「アルマーニュ」の由来は、ゲルマ系民族の一つの「アレマン人」の地というところから来ているんだって。
英語の「German」はそのまま「ゲルマン」から。
日本語の「ドイツ」はドイツ語の「Deutschland(ドイチュラント)」から来ているので、実は一番ドイツ自身の呼び方をリスペクトしているんだよ。

逆に、「オーストリア」が「Autriche(オートリシュ)」で、「オーストラリア」が「Australie(オーストラリー)」で、けっこう音が変わるので、むしろこっちは区別しやすくなっていたりもするよ。
朝鮮は「Corée」になってしまうので、英語の時とアルファベット順の並びが大きく異なってくるから注意が必要なのだ。
これはドイツもそうだけどね。

というわけで、国名って英語と仏語ではけっこう違うのだ。
もちろん、国だけじゃなくて都市名も違うんだよね・・・。
なので、日本語・英語・仏語の対応関係はかなりややこしいよ(>_<)

2017/06/10

ついつい買ってしまう通り

日本出張で東京と福岡に行ってきたのだ。
3泊5日なのでかなりの強行スケジュール(>_<)
いやあ、タイトだった。
でも、そんな中で唯一楽しめたのは、太宰府天満宮の仲見世の見学。
名物の焼きたて梅ヶ枝餅も食べられたよ♪

「仲見世」というのは、寺院の門前町にある古い商店街の形態で、社寺の境内、特に表参道に並んでいるお店のことだよ。
特に東京の浅草寺のものが有名なのだ。
雷門からずっと続いていて、いつも賑わっているよね。
でも、同じように、大きな寺院、神社の参道には同じような感じで商店が並んでいるよ。


 織田信長さんや豊臣秀吉さんが楽市楽座で商業・経済を活性化するまでは、自由に商売ができなかったみたいなんだよね。
いわゆる「座」と呼ばれる商工業者の組合に入らないといけなかったんだって。
その組合には独占販売権や非課税特権が認められていたんだけど、これを廃して、誰もが自由に商売ができるようにしたのが「楽市楽座」だよ。
これにより、城下町や寺社の門前町のような人の賑わうところに商店が集まるようになったのだ。

こうして日本で商店街が形成されていくんだけど、 このうち、仲見世には、寺社に参拝する人目当ての商売が行われるわけ。
もう江戸時代にはおみやげものが売られていて、太宰府天満宮では梅ヶ枝餅もあったのだ!
京都の古いお寺の参道沿いなんかは、創業が平安時代にまでさかのぼるような甘味の店もあるよね。
○○団子とか△△餅とか。
その他、寺社ゆかりの縁起物、おみくじ、軽食などなど。
実は今とあまり変わらないのかも(笑)

でも、太宰府に行って気づいたけど、様相がちょっと変わってきているんだよね。
 むかしながらの民芸品やお菓子を売る店も多いのだけど、増えつつある外国人観光客目当てのお店が増えているんだよね。
漢字Tシャツとか、歌舞伎や力士のキャラクターグッズとか。
浅草なんかはだいぶ前からそうだけど、他の観光地でも似たような感じになってきているみたいだよ。
実際、太宰府に来ている観光客の人は中国人だったみたいだし(言葉からの判断だから、なんとなくだけ)。

 でも、歴史的に見れば、これは正しい方向の変化なんだよね。
もともと自由に商売が認められるようになって、売れるものを売る店が残っていって、そういうおみやげもの屋と食べ物屋主体の商店街になったはずなのだ。
それが参拝客がもとめていたものだから、
今度はそのニーズが、いわゆる「外国人から見て日本的なもの」に変わっただけなんだよね。

おそらく、仲見世が形成されつつある時代には、今のような仲見世も奇妙に移ったはずなんだよね。
その前までは、生活必需品を売るようなお店が多かっただろうから。
そういう意味では、ちょっと経済的に余裕を持った参拝客におみやげや軽食を売るというのは新たな形態で、ボクが外国人観光客目当てのお店に感じている違和感と同じようなものを感じたんじゃないかと思うのだ。

そういう意味では、これからも仲見世は進化し続けるのかもね。
日本のことがもっと海外に知られるようになって理解が進めば、今のような俗な「日本的」なものじゃなくて、また違うものを求めるようになるから。
そうなると、原点回帰でむかしのようになるのかな?

2017/06/03

今でも境界線

パリ市内を出てシャルル・ド・ゴール空港に行く場合、「ペリフェリク」という環状高速道路を通るのだ。
ここがまさに渋滞ポイントなんだよね。
この環状高速道路の内側がパリ市、外側はパリ郊外(イル・ド・フランス圏だけどパリじゃない。)ということになっているんだよね。
※実際には、ブーローニュのmoriとヴァンセンヌの森もパリ市なので、ちょっとはみ出ているところはあるんだけど(笑)
実は、この環状道路こそが、かつてパリを囲っていた城壁の跡なんだよね。

日本の都市の場合、城郭の周りにはお堀が作られるけど、城下町を囲むような城壁は作られないので、開放的なのだ。
自由に城下町に入れるし、町が発展していけば徐々に市街地を広げていくことができるのだ。
江戸の街がまさにそうで、どんどん拡張していったわけだよね。
明暦の大火の後には、かつては下総国だった隅田川の向こう側(本所・深川)も併合して、巨大な街になったんだよね。
ところが、欧州の都市の多くは、城塞として、街全体が城壁に囲まれていることが多いのだ。
今でも城壁が残っているところは少ないのだけど、かつて城壁で囲まれていた部分を「旧市街」と呼ぶことが多いよ。

パリもまさにそうで、第一次大戦後の1919年から1929年にかけて城壁が取り払われ、その跡地に公園やらスポーツ施設やら新興住宅地やらを整備してらしいのだ。
ちょうど城壁の外縁部に当たるところに環状の高速道路が整備され、それが今でもパリの境界になっているんだ。
この城壁こそがティエールの城壁で、19世紀、再び王制にもどっていたフランスで、ルイ・フィリップがプロイセンやロシアからの侵攻に備えるために築いたものなのだ。
ナポレオンが失脚したのはまさにこの両国が相手だったから、当時のフランスには脅威だったみたい。

この城壁の跡はほとんど残っていないのだけど、地名には残っているよ。
ペリフェリクに面しているところには、「Porte de ~」という地名が多いのだ。
これはそこに城門があったということを示しているんだ。
国際見本市会場があって、世界的に有名な「サロン・デュ・ショコラ」の会場でもある「Porte de Versailles」なんかもそうだよ。
東京でも、江戸城のお堀沿いには「~橋」、「~門」、「~見附」って地名が多いけど、これも江戸城に続く橋、城門、櫓がそこにあったからなんだよね。
虎ノ門の文部科学省の所では外堀の遺構が見られるようになっているよ。

パリはもともとローマ時代のルテティアというガリア人が築いた街、というか村。
最初はノートルダム寺院があるシテ島周辺だったのだ。
それが徐々に拡大していくんだけど、ブルボン王朝によって絶対王政が確立されると、城壁の必要性がなくなってきて、いったんなくなったんだって。
ところが、18世紀のフランス革命直前のころ、パリ市内で商売を行う承認から徴税しようと、もう一度巴里の中心地が城壁で囲まれたのだ。
これがフェルミエー・ジェネローの城壁。
「徴税請負人の壁」ということらしいよ。
今でもパリ市内のこのときの関税徴収所が残っているようなのだ。

で、フランス革命後、もう一回り大きな城壁として作られたのが、最後のティエールの城壁。
これは原点回帰で城塞の防壁なのだ。
でも、第一次世界大戦ではそもそも戦闘方法が大きく変わってしまって、城壁があることにあまり意味がなくなってきたので、取り壊されることとなったんだ。
引き続き歩兵による戦闘がメインだったのでけど、銃器が発達し、射程の長いライフル銃などが実装された結果、騎兵による突撃があまり意味をなさなくなったのだ。
城壁はこの騎兵の突撃に対して有効だったんだけど、それが主役じゃなくなれば、あまり意味がなくなってしまったんだよね。
これも時代の流れ。

でも、そのおかげで、日本の都市のように街を外縁部へと自由に広げていけるようになったのだ。
これが、パリを中心とするイル・ド・フランス圏だよ。
城壁があるうちは、となりの都市とは物理的に隔絶されていたわけで、一つの都市圏とはならないのだけど、壁がなくなって地続きになると、大きな都市圏が形成できるのだ。
パリ自体は山手線の内側より少し広いくらいの、そんなに大きくない街なんだけど、イル・ド・フランス圏で見ると巨大な経済都市になるのだ。
それでも、東京はもっと大きいんだよね・・・。
城壁のような物理的制約がなかったおかげで明治以降もどんどんと都市圏が広がっていったからね。
ま、広いからいいというわけでもないんだけど(笑)