2021/09/25

パンダの気持ち

 改めて考えてみると、メンマって不思議な食べ物だよね。
だって、原料はタケ。
パンダが食べているやつだよ。
最初に加工して食べようとした人はすごいよね。
あのかたい竹があんなしゃっきり食感に変わるんだから、相当手間がかかっているはずだよね。
こんにゃくと並ぶほどの執念の技術と思うよ。

でも、メンマの原材料は日本でよく見る孟宗竹や真竹ではなくて、亜熱帯性の麻竹(まちく)というやつなんだって。
中国南部や台湾に生えているやつで、今でも日本で売られているほとんどのメンマは中国か台湾のものだよ。
1mくらいのまだそこまで大きく育っていないのを切り出し、蒸して少し柔らかくしてから塩漬けにして、乳酸発酵させるんだって。
この過程でかたい竹の繊維があの独特のしゃきしゃきした食感に変わるのだ。
みっちり詰まっている繊維が少しゆるんで、さらに塩分の浸透圧で一部の細胞壁が破壊されるんだ。
そうして細胞の中からしみ出してくる糖分を乳酸菌が発酵させていくわけだけど、このときに風味がつくのだ。
タケを普通にかじるとさわやかな精油成分の香りがするけど、メンマはまた違う風味だよね。
この風味は発酵でできてくるのだ。
そして、あの飴色も発酵の過程で出てくるもので、メンマをメンマらしくしているのは発酵の作用だよ。

発酵させたもの葉細かく切られてから天日干しに。
これが流通する形態で、長持ちするのだ。
食べるときには、塩抜きをしてからラー油や調味液で味をつけるんだけど、そうしてできあがるのがラーメンの上に乗っているメンマ。
実は「シナチク」が本来の名前で、「ラーメンの上にのせる麻竹」だからといって「メンマ」と戦後に丸松物産創業者の松村秋水さんにより名付けられたそうだよ。
今では「シナ」という響きがいやがられることもあって、まず「シナチク」とは呼ばれなくなったけどね。
ちなみに、ラーメンにのせるのは日本だけで、本場(?)の中国では普通に炒め物などの材料に使うみたいだよ。

日本の竹で同じようなものが作れないかというと、そういうわけではないらしく、まだわかめの柔らかい竹で同じような手法で作る国産メンマというのもあるみたいだよ。
福岡県の人が開発したようなのだ。
ネットで見ると、タケノコを使ってメンマ的なものを作っているレシピもよく見かけるね。
タケノコの場合は、塩漬けから始めればいいので楽みたい。
ちょっと育ちすぎてかたくなってしまっているタケノコだとよいのかも。

ちなみに、本来のメンマはかなり長い時間乳酸発酵させるんだって。
もともと麻竹は竹の中でも糖分を多く含む種類だそうで、じっくり乳酸発酵させると、かなりの酸性(pH4くらい)になるそうな。
これにより他の雑菌が繁殖できなくなるというのがポイント。
さらに感想もさせるので、保存食品になるんだよね。
でも、現在は時間を短縮するために半発酵くらいで風味付けの調味液につけたものもあるそう。
時々酸っぱいメンマがあるけど、あれは完全に発酵させたものだったのか。
発酵させた感を出すために、酸っぱい味付けにしてしまったものなのか。
なかなか判断が難しいところだ。

2021/09/18

空中栽培

100円ショップとかでも売っているんだけど、インテリアとして「エアープランツ」がはやっているんだって。
これって、土や水がいらない観葉植物で、空気中の水分を吸収して成長するというすごいやつなのだ!
にわかには信じがたいけど、根もついてなくて、たまに霧吹きする程度で大丈夫なんだって。
世の中にはすごい生物がいるもんだね。

日本で売られている「エアープランツ」のほとんどはパイナップル科の植物で「ハナアナナス属」の仲間。
属名にもあるように、きちんと花も咲くし、実もなるんだって。
種子はものすごく小さいものらしいけど。
この手の根がついていなくて空気中の水分を吸い取って成長しているものは、南北米大陸の熱帯雨林や砂漠、岩石の多い山地などいろんなところにあるみたい。
熱帯雨林は雨が多いけど、実は土壌が薄く貧困なんだ。
その意味では、下手に土の中に根を張るより、他の植物や岩に「着生」して空気中から水分を吸収した方がよい、という生存戦略をとったわけ。

もちろん、そこまで多くの水分を吸収できるわけではないので、多肉性の植物で、葉っぱが分厚いのだ(アロエのような感じの葉)。
そして、葉の表面には水分を集めやすいように細かい毛が生えていていることが多いよ。
熱帯雨林は雨が降るから表面について水滴を吸えばいいだけだけど、砂漠や山地のものは、朝方冷え込んだ時間に出る霧などから水分を吸収する必要があるので、そういう工夫がいるのだ。
表面積を大きくして、できるだけ水分に触れる部分を多くしているわけ。
そして、自分の中に水分をため込めるように多肉性になっているんだよ。

日本での観葉植物としてのエアープランツの場合、いくら湿度が高いと言ってもそれだけではさすがに足りないので、「ミスティング」といって3~5日に1回は霧吹きで水をかけてあげる必要があるみたい。
そして、月に一度くらいは「ソーキング」といってバケツに張った水の中に植物を浸してあげることもやった方がいいんだって。
サボテンと同じであんまり水をあげすぎてもダメなので、湿度にも気をつけながら適宜「水やり」はする必要があるのだ。

で、ボクが気になったのは、水分はそれでいいとして、その他の養分はどうしているんだろうってこと。
観賞用のエアープランツの場合は、肥料を非常に薄めたものを霧吹きすればいいみたいなんだけど、自然界ではどうなっているのか?
熱帯雨林にあるものは、気を伝って下りてくる水滴の中に養分が少し溶け出しているのでそれを吸収しているんだって。
熱帯雨林の場合、土壌の有機物はすぐに分解されてしまうし、雨で流れ出てしまうので、よほど広めに根を張らないと吸い取れないんだって。
なので、むしろ土壌に落ちる前、気を伝っている間に吸い取ってしまえ、ということらしいよ。
枯れ葉や枯れ枝は地面に落ちる前にもすでに微生物による分解が始まっていて、そこに雨が当たると一部の養分が溶け出すので、それを吸い取るのだ。
つまり、流し素麺のできるだけ上流ですくい取る、みたいな。

砂漠や山地の場合は、そもそも有機物が土壌中にはほとんどないわけだよね、生物も少ないから。
他の動物の排泄物や死骸がちょっとある程度だけど、元が少ないからすぐ拡散してしまうしね。
すると、ここで土の中に根を張ってその養分を吸い取ろうとすると非常に非効率。
こういうところにいる着生植物の場合、葉の付け根とかに「水だまり」があって、そこに昆虫や両生類が生息していることがあるのだ。
そうなると、そいつらから養分をもらえばいいわけだよね。
そうでない場合は、鳥の糞などの上からの落下物を受け止める、という戦略もあって、パラボラアンテナのように広がった形の葉の形状をしているものもあるそうだよ。

いずれにしても、けっこう少ない量の養分で成長できるようなのだ。
かなり省エネ型の植物でもあるんだろうね。
うらやましいような気もするけど(笑)

2021/09/11

すきまにつけこむ

 コロナ禍で家に引きこもっているから、心を病む人が増えているようなのだ。
特に一人暮らしの学生さんや若手の社会人など。
新たなコミュニティに溶け込もうとするタイミングでのステイホームで、孤独感が高まっているようなのだ。
特に、進学や就職で引っ越しをした場合なんかは、身近に知り合いもいないし、けっこうきついみたい。
ま、今はオンラインでのコミュニケーション・ツールもかなり充実しているのでさみしさは紛らわせる子tができると思うんだけど、それでも、新しい環境に対する不安はあって、かつ、その環境の中に直接飛び込めないから解消もできないんだよね。
あんまりよく知らない同級生や同僚、先輩とはオンラインだけでは表面的なやりとりしかできないだろうし。

そんなときに気をつけたいのが、こういう「心のすきま」につけこむ悪質なビジネス。
むかしから「運気がよくなるペンダント」、「富を呼び込む壺」などなどあやしい品々はあわけで、普段なら敬啓にはだまされないんだけど、不安が高まっていて正常な判断ができない状態だと、「わらにもすがる思い」で飛びついちゃうのだ。
そして、よくよく認識しておくべき琴は、この手の悪質なやつを仕掛ける側からすれば、百発百中である必要はなく、100人に一人でもカモを見つけられればそれでいいんだよね。
なので、まわりにいる冷静な人たちから見れば「なんでそんなのに」と思うようなものであっても、敵も然る者で不安をあおって正常な判断をしにくくさせる手法は心得ているので、だまされちゃう人も出てくるわけ。

で、詐欺とまではいかなくても、大なり小なりカモにされている場合はあるんだよね。
これは身を持ち崩すほどの被害はないんだけど、「ぼったくり」程度には被害を受けているようなもの。
効果があるかどうかよくわからないアロマやパワーストーンにそこそこお金を払ってしまうなどなど。
そういう場合は、「スピリチュアル」というキーワードがあるのだ。
マスコミがあおっていることもあるのが残念なんだけど・・・。

もともと、「スピリチュアル」というのは、肉体の世界ではなく、精神的、霊的な世界に属することを指すような形容詞。
西洋世界では古代から二元論的な世界の解釈が行われていて、ユダヤ教が元々魂と肉体を分けて考えていたのもあって、キリスト教にもそういう二元論的なとらえ方が浸透しているのだ。
そこで、身体的な外部から観察可能な部分と、それとは逆に、精神的な害府から観察不可能な部分という概念が出てきて、この精神的な部分が「スピリチュアル」の世界になるわけ。

世界保健機関(WHO)が定義するように、人間の健康は心身の健全な状態を指すわけで、身体・肉体だけでなく、心・精神も健全であることが大事なのだ。
で、古代からこの部分をケアしてきたのが宗教やまじないで、不安を取り除くような機能を持ってきたのだ。
お祓いとか祈祷、お守りなどなどがそれ。
社会的に認められたシステムがありさえすれば、あとは「信じるものは救われる」の言葉どおりなわけ。
不安というのは気の持ちようだから。

ところが、近代になって宗教の力の限界が見えてくると、そこまで「盲目的」にはすがれなくなってきたのだ・・・。
特に「科学的根拠がない」とか合理主義的な考えが合わさると、まじないとかって意味のないものと見なされてしまうんだよね。
信じるからこそ救われていたのに、信じ切れないから救われないのだ。
そんなすきまに入り込んできているのが「スピリチュアル」。
多くの場合、現代の科学では解明できていない「超常的な力」とか科学の言葉だけ借りた「エセ科学」の理論により解決される、みたいなスタイルで、宗教とはまた違う、という体をとることが多いよ。
それがオーラとかパワーストーン、レメディ/ホメオパシーなどなどのスピリチュアル・ビジネス。

宗教やまじないは社会的な背景があって、みんながそう信じているから効果があるんだけど、こういうのはそういうのがないので、以外と「お金を出すこと」自体が「きっと効果がある」と信じる根拠になることもあるのだ。
これだけ払ったんだから効くでしょ、ということなんだけど、実は本末転倒なんだよね・・・。
でも、現実的にはそれがよりどころになってしまって、かつ、不安が完全には払拭しきれなくて、ずるずるとはまっていってしまうのだ。
だます方はそういうはめる手法も心得ているわけだけどね。

というわけで、趣味・趣向の範囲で占いとか、パワースポットにはまるのはよいのだけど、高価なものには気をつけなきゃなんだよね。
不安なときに全く見ず知らずの人から優しい言葉をかけられたりするとふらふらっと行っちゃうものだけど、ちょっと一歩立ち止まって考えるべきなんだよね。

2021/09/04

大人も、子供も

 最近、なぜか「カルパス」が気に入っているのだ。
あの、小さなサラミみたいなおつまみ。
ボクはお酒はほとんど飲まないので、駄菓子で売っている「おやつカルパス」のようにそのまま食べるんだけど、ちょっと口ざみしいとき、あの塩辛さ脂っぽさがなんとも言えないのだ。
そういえば、まえからサラミとかけっこう好きだったなぁ。

「カルパス」は北海道帝大にいた化学者・佐々木酉二さんが道内の食肉加工業者のために考案した名称だったんだって。
国内でドライソーセージを販売するに当たって、最初は北海道とは縁も深いロシア語の「ソーセージ」にあたる「カルパサー」を提案したんだけど、五缶があまりよくないのと、ぱさぱさしているかのような印象を与える音なので、少し変えて「カルパス」にしたんだって。
もともとは商品名だったんだけど、商標登録をお粉わかったために、人気に火がついてからみんなまねするようになり、「カルパス」が一般名称化したようなのだ。
ホッチキスなんかもそうだよね。
英語ではstaplerで、このステープラーというのが本来的な一般名称なんだけど、日本ではホッチキス社のものが圧倒的にメジャーだったのでこれが普通名詞のように扱われているのだ。

一般に販売されている「カルパス」はドライソーセージ又はセミドライソーセージで、細身割と短く切られたものを指すんだよね。
ドライソーセージやセミドライソーセージは日本農林規格(JAS)で定義が決まっていて、畜類の肉を主原料とするソーセージを乾燥させたもので、水分が55%以下のものをセミドライソーセージ、35%以下のものをドライソーセージとしているんだって。
内蔵系のソーセージもあるけど、これはドライソーセージにはならないのだ(おそらく、乾燥させて、という工程が事実上不可能なんじゃないかと思うけど。)。
作り方としては、ブタやトリなどのひき肉に塩と香辛料やつなぎを加えて腸などにつめてケーシングし、これを乾燥させるのだ。
豚肉はそのままでは生で食べられないけど、生ハムと同じで、乾燥させながら熟成させることで食べられるようになるのだ。

イタリアのサラミや、米国式ピザにのっているペパロニなんかが代表的なドライソーセージ。
水分が少なめで硬いので、基本は薄くスライスして食べるのだ。
このため、サラミ=薄くスライスするもの、という図式になっていて、ちょっとずつ切り出していくようなイメージのものにサラミの名称をつけることがあるよ。
例えば、サラミ法というのは、ばれないようにちょっとずつ金銭や物品を窃盗していく手法なんだって。
これと逆なのがパンケーキ。
こっちは積み重ねるので、重層的なものを比喩するときによく使われるのだ。

このサラミやカルパスって、どうしても不健康なイメージがつきまとうよね。
それもそのはずで、塩分や脂肪分がとにかく多いのだ。
サラミなんかは薄切りにして食べるもので、もともとそんなに多く食べるものじゃないのだろうけど。
カルパスもどんぶりいっぱい食べるようなものではないよね(笑)
ただ、この塩と油は重要で、塩をきかせることで腐らせずに乾燥・熟成させることができるわけだし、脂肪分の多いひき肉を材四両とすることで乾燥させても硬くなりすぎないのだ。
脂肪分が少ない赤身でやっちゃうと、棒状にまるめたジャーキーみたいになっちゃうはずなんだよね。
それはそれで削りながら食べたらいいのかもしれないけど、水分を飛ばしてもしっとりしているのはやはり脂肪分のおかげなのだ。
あと、やっぱり人間は塩と脂肪が大好きなんだよね。
これがジャンクフードは体に悪いとわかりつつ、やめられない要因だから。

というわけで、ドライソーセージ自体は西洋世界の先人の知恵なんだけど、それを大人も子供も楽しめるカルパスにしたのは日本だったのだ。
薄くスライスするのって大変だから、細いものを食べやすい長さにあらかじめ切ってあるって便利だよね。
そのままつまめるし。
日本式のこういう食に対する改良はいつ

2021/08/28

正体不明

今は科学がかなり発達しているので、多くの現象が科学的に説明できるよね。
でも、むかしはそうではなかったので、不思議なことが世の中にあふれていたのだ。
それでも、当時の人々は「なんだかわからない」ままなのは不安なので、なにがしかの説明をつけようとしたんだよね。
そのときの社会や文化的背景から合理的と思われる範囲で。

その一つの表れが各地に残る神話や伝説。
日食・月食はなぜ起こるのか、なぜ海水は塩辛いのか、蛇はなぜ脱皮するかなどは有名なもの。
身近な自然現象でも、原理がよくわからないながら、妖怪のせいにして警戒したりしたものなんだよね。
あの淵に入るとカッパに足をひっぱられておぼれるみたいな。
そして、特に害とかはないんだけど、なんだかわからないような現象も妖怪のせいにされたのだ。
山の中で聞こえる大きな音は「天狗倒し」と呼ばれるし、おそらく神経が病んでしまって異常な行動が目立つようになる「〔狐憑き」と言ったり。

いずれも「前近代的」な響きがあるけど、実のところ、科学の世界でも似たようなことをしているのだ。
古い例で言えば、そのむかし光の媒質として想定されていた「エーテル」。
波が水が媒質になって伝える、音は空気が媒質になって伝える、じゃあ、光は?、となって、真空だと音は伝わらないけど光は伝わるので、そこに何か光を伝播するものがあるはずだ、という考えで出てきたのが「エーテル」の概念。
ながらく、その正体を突き止めるべくいろいろな実験や研究が行われたんだけど、結論から言うと、光には媒質はなかったのだ!
ところが、それだと伝統的な波動の理論とうまく整合しないので、まだ見つけられていないはずで何かあるはずだ、と「エーテル」の存在が信じられてきたんだよね。
で、光の持つ様々な性質から、光の媒質で「エーテル」はこういう性質を持っているはず、なんて理論までできあがっていたのだ。
これは19世紀以前の物理学の話だけど、やっていることは、「やまびこ」のげんりがよくわからず、山の中に溶解「やまびこ」がいてオウム返しに言葉を返している、と考えるのとそんなに変わらないんだよね(笑)

古典力学の多くの理論が、相対性理論、量子力学の登場で必ずしも正確ではなかったことが判明していくわけだけど、この期に及んでもまだこういうことが行われているのだ。
主に宇宙論や素粒子論の世界だけど、理論の世界ではこうなっているんじゃないか、と仮説を立てられるけど、実験的に確かめられないことが多くて、こういうものや現象が存在するはずだ、と仮置きさるのだ。
歴史的なものは、アインシュタイン博士が一般相対性理論を打ち立てたときに重力場方程式に導入した宇宙項。
一般相対性理論にそのまま従うと宇宙が自らの重力で収縮してしまうので、宇宙の大きさが不変であると考えた博士が時空にまんべんなく働いている斥力として入れたもの。
しかし、ハッブル博士による精密な宇宙の観測結果から、実際には宇宙は膨張していることがわかったので、今ではこの宇宙項はアインシュタイン博士が当時想定していたものより大きなものになっているよ。
ちなみに、この宇宙項が現実世界で何を表しているかは未だわかっていないんだけど、とりあえず「ダークエナジー」と呼ばれているんだよね。
この辺は妖怪のせいにするのと同じ(笑)
これとほぼ同じ頃、様々な天文学的な観測結果を基に宇宙の質量を見積もったところ、光学的に「見える」星々を積み上げただけではたりないことがわかったのだ。
そこで、何か観測でかいけど重量を持ったものがあるに違いない、ということで想定されたのが「ダークマター」。
現在では、全宇宙の質量とエネルギーに占める割合は、原子等の通常の物質は4.9%弱、ダークマターが26.8%、ダークエナジーが68.3%と推定されているんだけど、95%以上が未知のものということになるね・・・。

この分野で日本が頑張っているのは、「陽子崩壊」という現象の観測。
すでにノーベル賞を2回も出しているカミオカンデ、スーパーカミオカンデはもともと理論的に想定されている「陽子崩壊」を観測するための実験装置だったのだ。
ところが、「陽子崩壊」はまだ観測できず、代わりに、ニュートリノの観測で2回ノーベル賞が出ているんだよね。
「陽子崩壊」は非常にレアな現象(少なくとも陽子の寿命は10の34乗年以上と見積もられているよ・・・)なので、超純水を貯めておくタンクが大きければ大きいほど観測しやすくするはずなので、現在はさらに大きなハイパーカミオカンデが計画されているのだ。
もちろん、もはや日本の十八番にもなっているニュートリノの観測も行うみたいだけど。

2021/08/21

下からのぞけば

 またのしたからのぞくときれいと言われるのは、日本三景の一つの天橋立。
でも、ボクは先日、またの間から中身をのぞかれたのだ!
そう、人生で初めての大腸内視鏡検査を受けたんだよね。
それなりの年齢になるとポリープとかできている人も多いので、一度は受けた方がよいとずっとすすめっれていたんだよね。
なので、今回の人間ドックでは、上からの胃カメラ(上部消化管内視鏡)と下からの大腸内視鏡の両方を受けたのだ。
いやあ、大変だった。

胃カメラは独国で発達したものなんだけど、大腸内視鏡は主に日本で発達したものなんだって。
内視鏡の機器を開発したのも日本、直腸=>S状結腸=>下行結腸=>横行結腸=>上行結腸と盲腸の手前まで挿入する技術を確立したのも日本。
そして、現在行われているような、検査しながら見つけた小さなポリープを切除する手術法を完成させたのも日本!
日本は庁が好きなんだなぁ(笑)

胃カメラの場合は、わりとまっすぐ下ろしていけるので、そこまでぐりぐりと曲げる必要なないんだよね。
一方、大腸は、4回大きく湾曲したところがあるので、そこでは内視鏡自体を大きく曲げる必要があるのだ。
なので、かなり柔軟に曲げられるものが必要だったわけ。
最初期は光ファイバーを使っていたけど、光ファイバーはちょっとかたくて曲げるのにも限界があるので、けっこう苦労したはずなのだ。
逆に、今は電子スコープで先端に小型のCCDカメラがついていて、その先はいわゆる「電線」でいいので、曲げるのはかなり楽になっているはずなのだ。


曲げられると言っても、その人その人に合わせて曲げながら入れるのは大変そうだよね。
実際、ボクが自分で受けたときも、大きく曲げなくちゃいけないところでは横向きにされたり、また仰向けにもどったりと自分でも動かないといけなかったのだ。
こういう挿入法をきちんと確立して、小腸の出口まで検査できるようになっているわけ。
ボクが受けたときは、消化管の運動を押さえるブチルスコポラミン臭化物製剤(ブスコパン)を服用した上で、挿入直前に潤滑油ゼリーを肛門付近にぬられたのだ。
これがなんだか冷たくって変な感じ。
むかしはこのゼリーの中に局所麻酔のキシロカインが入っていたそうなんだけど、現在は入ってないものを使うことが多いそうだよ。
ボクは特に説明を受けなかったから、おそらく滑りをよくするためだけのゼリーかな?

そして、大腸内視鏡の場合は、中を観察して終わりではなくて、小さなポリープの場合はその場で切除するのだ。
大木なのは別途開腹手術がいるのだけど、早期発見できれば検査と同時に治療もできるわけ。
ボクははさみみたいなのでちょん切るのかと思っていたんだけど、実際はループ状になっているワイヤーに引っかけ、根元を絞った後にそのワイヤーに高周波電流を流して焼き切るのだ。
そのままだと血が止まらないので、ラジオペンチの先端のようなクリップで傷口を挟んで止血。
そのクリップはトカゲのしっぽ切りのようにその場で切り離すことが可能で、そのまましばらく体内に残留した後、数日すると自然に脱落するらしい。
なので、ポリープの切除などをした場合は、刺激物やアルコールの摂取は1週間は避けてください、と言われるよ。
ボクは幸いそう言うのはなく、見ただけで終わったよ。

胃カメラの時も検査前は絶食が必要なんだけど、大腸内視鏡の場合はもう少し前準備が必要なのだ!
まず、前日から繊維質のものは食べちゃだめ。
そして、寝る前に強力な下剤を飲んでできるだけ腸の中をからっぽにする。
検査当日、腸管洗浄剤というのを飲まされて、腸の中に残ったかすなどをさらに洗い流すのだ。
大腸では主に水分吸収をしているけど、この腸管洗浄剤はポリエチレングリコールに塩化ナトリウム、塩化カリウムなどが加えられている薬剤で、腸管における水分吸収を妨げるので腸管の内側を洗い流すことができるようなものなのだ。
大腸では、イオン濃度勾配を使って陽イオン(ナトリウムやカリウムのイオン)を体内に取り込むときに一緒に水分を取り込むメカニズムなのだ。
ところが、この陽イオンの取り込みには物理的な限界があるんだよね。
なので、等張液に近い成分の液剤を大量に飲んだ場合、ほぼ陽イオンの取り込みができなくなって、かつ、ポリエチレングリコールはもともと水分子を抱え込む性質があって水の吸収を妨げるので、ほぼほぼ水分の吸収ができなくなるんだ。
そうなると、飲んだ分だけ洗浄液が出て行くことになるのだ!
それでかすが出なくなるまでゆっくりとこの腸管洗浄液を飲んで腸の中を本当に空っぽにするんだよ。
これが変な甘さで飲みにくいんだよなぁ・・・。

そんなわけで、人生で初めての大腸内視鏡を体験してきたよ。
前準備は大変だし、当日も何度もトイレに行かされて苦労するけど、大腸の中でちゃんと検査できるのはありがたいよね。
日本では大腸がんが増えていると言うし、検査する意義は高いのだ。

2021/08/14

Bon 盆

 世間的にはお盆休み。
今年は山の日がオリンピックの閉会にあわせて前倒しになった関係で、早めに夏休みをとる人が多いのだ。
年末年始と並んで、この時期は休みを取る人が多いから、公共交通機関は混雑するし、高速道路は渋滞するしで、毎年大騒ぎだよね、
コロナ禍2年目となった今年はもう自粛につかれたのか、例年よりは少ないにしても、けっこうな人の移動があったようなのだ・・・。
休みを分散化しようとする動きもあるけど、けっきょくみんなが一斉に休んでいる時期の方が休みやすいんだよね(笑)

そんなお盆。
年末年始と違って、正式に休みに指定されたことはないのだ。
明治になってから、年末と年始は正式に太政官布告で連休になったのに対し、お盆はあくまでも実行上の連休だったようなのだ。
お盆の時期に仕事を休むのはすでに江戸時代には確立していた習俗のようなので不思議だけど、おそらく、国家神道政策と関係していると思うんだよね。
年末は、「年越しの大祓」として神道行事でも重要な位置づけ。
年始については、天皇が六合(天地と四方)の天神地祇(天津神と国津神、すなわちすべての神様)を廃して五穀豊穣を祈る「四方拝」というのが重要な宮中行事として行われていたのだ。
どちらも神道としては重要な行事なので、国家神道確立を目指す上ではプレイアップしたいのだ。
実際、「年越しの大祓」と並ぶ、6月末の「夏越の大祓」も連休になっているので、神道で重要な行事を休みにしているのだ。
紀元節(今の建国記念日)や新嘗祭(今の勤労感謝の日)なんかも同じだよね。

一方で、お盆は仏教とそれ進行が複合的に混ざったものなんだけど、あいにく神社はあんまり関係ないのだ・・・。
もともとは仏教の盂蘭盆会・施餓鬼会(釈迦の十大弟子の一人、神通第一の目連尊者が神通力により実母が餓鬼道に出していることを知り、釈尊に相談し、安吾の最後の日にすべての比丘に施しをすると救われると聞き、そのとおりにして実母を救った伝説に由来するもの)が、中国で祖先祭祀信仰と習合し、それが日本に渡ってきたもの。
日本でも中国から輸入したものそのものではなく、日本独自の民俗信仰や祖霊信仰とさらに混じり合って現在のような形になったのだ。
精霊馬(キュウリやナスに足をつけてウマや牛に見立てたもの)を作って送り火・迎え火で祖先の霊を送り迎えしたり、盆踊りを奉納して祖先の霊を慰めたり。
多くの人が旧暦七月半ばのこの時期に墓参りをし、祖先の霊を偲ぶ、という風習はあったし、近代化以降はこのタイミングで都会に出ていた人たちも帰省する、ということになっていて、みんなが休む時期にはなっていたのだ。

明治になってからも、正式な休みにはならなくとも、深く浸透している習俗だったのでそのまま続くかと思ったんだけど・・・。
ここで混乱が起きるのだ。
そのきっかけは太陽暦の採用。
春分・秋分を含む二十四節気は太陽と地球の位置関係で決まるものなので旧暦から新暦に移る際は新たな日付にすればよかったのだ。
ところが、もともと日付指定の日は問題が大ありなんだよね。
そもそも元日がずれる、七夕を含む五節句がずれる。
そのまま日付を固定してしまうと、約1ヶ月前倒しになるのだ。
このせいで新暦の七夕は梅雨が明けきらない時期になってしまった・・・。

お盆も同様で、旧暦の七月中旬であればさほど問題なかったんだけど、新暦の7月中旬はちょうど稲作の農繁期に当たるんだよね。
そうすると、お盆の諸行事をやっている場合ではないわけで。
太陽暦を採用した太政官布告ではお盆はそのまま新暦に移行することになっていたんだけど、それでは支障があるので、お盆は旧暦に近い時期で行われるようになたのだ。
これが旧盆。
別に旧暦の日付に合わせているわけではなくて、単純に1ヶ月遅らせて8月中旬にやるだけなんだよね。
で、現在のお盆休みはこの旧盆が基本なのだ。
というのも、k生と言うことを考えると、地方の予定が重視されるわけで、そうなるとどうしても旧盆にならざるを得なかったから。

というわけで、けっこう紆余曲折あって今の盆休みがあるのだ。
最近は8月11日が「山の日」になったから、曜日の並びによっては連休にできるので、盆休みの時期はちょっと前倒しになっていくかもね。
子供たちはずーっと夏休みだけど、大人はやっぱり休日かどうかに影響されやすいから。