2007/12/14

洋風雑炊?

ネットでおいしそうなチーズ・リゾットのレシピを見かけたので、自分でも作ってみたくなったのだ。
その間まんまはできなかったので少しアレンジしたんだけど、意外と簡単にできて、しかも本格的な味になったのだ(^o^)/
米国で使っているお米は日本のジャポニカ米(短粒種)よりも少し粒が長い中粒種(いわゆるカリフォルニア米)なんだけど、実はこの中粒種はリゾットに向いているんだよね。

短粒種の特徴はなんと言ってもその粘り気で、東南アジアの長粒種(タイ米とか)なんかはぱさぱさしているけど、日本のお米はもちもちしているよね。
まさにその違いなんだけど、中粒種はちょうどその中間的な感じで、ぱさぱさすぎず、粘り気も適度、ということで、リゾットのとろっとした感じだけど米の粒はとろけてしまってなくて、アルデンテの歯ごたえが残っている、という具合にできるのだ(そういう意味では雑炊とは全然違うんだよね。)。
リゾットは米(riso)と最高(ottoimo)を組み合わせた言葉らしいんだけど、リゾットと呼ばれるのはソースと米の粒がとろっと一体化したもので、米がぱさぱさすぎて分離してしまっていてもダメだし、粒がなくなっておかゆや重湯のようになっていてもダメなようなのだ。
イタリアのお米もカリフォルニア米とは種類が違うけど中粒種で、同じような性質のものなんだよね。

欧州は基本的に麦を主食とする文化なんだけど、スペインとイタリアだけはお米も栽培し、食べている地域で、スペインならパエリア、イタリアならリゾットやドリアが米料理として有名だよね。
でも、イタリアでもよく食べるのは北部の方だけにもともとは限定されていて、第二次世界大戦後に全土に普及したとか。
イタリアのお米は日本と同じように水稲で、中世のころから作っているみたい。
もともとは米をバターで炒めた後にスープとサフランを入れて煮て食べていたらしいけど、どうもこれがリゾットの原型らしいのだ。

リゾットは米をそのまま洗わずに炒め、それをスープで煮ていくんだけど、そのとき、ひたひたくらいの水位で比較的弱火で煮るのだ。
水分がなくなってきたら少しずつ足していくんだよ。
こうすると、蒸しながら炊いてふっくらさせる日本の炊き方とは違って、まわりから徐々に米粒がふやけてくる感じになるのだ。
さらに、洗っていないので米粒のまわりに米粒同士がぶつかってできる粉がついていて、それがスープに溶け出してほどよいとろみになるんだよね。
さらに、沸騰させずにとろ火で煮上げるので、ソースの中の油分と水分がうまい具合に乳化作用で渾然一体となって、混ざり合うのだ。
こうして、とろみのなかにやわらかいんだけど少し芯のあるお米があるんだけど、全体としてはソースと一体となっているという状態になるんだよ。

2007/12/13

ねばったやつら

寒いときにはちょっととろみのついたスープなんかはあたたまるよね。
今日は野菜たっぷりで激辛のペンネを作ったんだけど、オクラを入れてとろみをつけたのだ。
ボクはオクラのねばねばとかとろみがけっこう好きなんだよね。

オクラは北アフリカ原産と考えられている植物で、2000年以上前にすでにエジプトでは栽培されていたようなのだ。
ちなみに、オクラという名前はガーナで話されているトウィ語のnkramaから来ているそうだよ(アフリカの言葉って「ン」からはじまる単語がけっこうあるんだよね!)。
米国も南部ではよくオクラを食べるんだけど、それは西アフリカから連れてこられた奴隷とともにやって来たそうだよ。
そこから広がって、米国南部、中米、南米北部などのアフリカ系住民の多い地域でよく栽培され、食べられているみたい(米国北部ではあまり食べられないのだ。なので、南部のもの、というイメージなんだよ。)。
日本には明治になってからやって来たんだって。
熱帯では多年草なんだけど、とても寒さに弱い植物で、霜が降りると枯れてしまうために日本では一年草になってしまうようなのだ。

オクラと言えば表面に産毛の生えた緑色の断面が五角形になっている実を思い浮かべるけど、沖縄なんかには丸い断面の実もあるみたい。
しかも、好みはまだ未成熟なもので、完熟すると木質化してかたくなるようなのだ。
そう言えば、中に入っているタネはまだ白くてぷちぷちしていて、そのままでは芽が生えそうにないよね。
未成熟なものを食べるという点ではキュウリやヘチマなんかと一緒だね。

さらにオクラの最大の特徴といえばそのぬめり。
これが苦手な人もいるけど、このねばねばの正体はペクチンなどの食物繊維で、コレステロールを減らすといわれているのだ。
ビタミン類、カリウム、カルシウムなどのミネラルも豊富で、夏ばて防止にもよいと言われていて、なかなか優れて野菜なんだよね。
納豆でも山芋でもモロヘイヤでも、なんかたいていねばねばした食べ物は体にいいと言われているのだ(笑)

日本でオクラを食べるときは天ぷらにしたり、ゆでたものを小口切りにして鰹節とお醤油で食べたり、さらには煮物にしたりするけど、米国ではよくスープの具にされるのだ。
米国北部はねばねばを嫌ってあまり食べないんだけど、逆に南部では欠かせない食材のひとつにもなっているんだよね。
オクラが入っているだけで南部っぽさがでるようなのだ。
有名なのはケイジャン料理のガンボで、これはオクラが入ってとろみがついたスープなのだ。
これがけっこうおいしいんだよね。
基本的に野菜がたっぷりで、ごてごて名ものが多い米国料理の中ではかなりあっさりめのものなのだ。

2007/12/12

適正温度を保て!

寒くなってくるとついついあたたかいものがほしくなるよね。
でも、寒ければ寒いほどすぐに冷めてしまうのだ。
そんなときに活躍するのが魔法瓶。
最近ではマグカップ型のものもあって、数時間はコーヒーをあたたかいままにしておけるのだ。
お弁当を暖かいままに保温する魔法瓶弁当箱なんてのもあって、よく建設現場や道路工事のおじさんたちが持っているのを見かけるよね。

この魔法瓶は冷たいものは冷たいままに、あたたかいものはあたたかいままに保温する機能を持つものなんだよ。
熱の伝達や放射を抑制することにより一定の温度に保つようになっているのだ。
基本的には内層と外層からなる二重構造になっていて、その間は真空に近い極低圧状態なっているんだ。
さらに、内層の内側は鏡面になっているんだよね。
魔法瓶の中をのぞくと鏡面になっているのがよくわかるよ。

冷めたり、ぬるくなったりするのは熱伝導によって外界と熱交換をしてしまうことによって起こるんだけど、内層と外層の間に真空があると、熱が非常に伝わりにくくなるので、この熱伝導をかなりおさえることができるのだ。
でも、実際には内層と外層を完全に分離することは構造的にできなくて、どうしても内層と外層をくっつけておく支持体がいるので、そこを通して熱伝導は起こってしまうんだよね。
さらに、完全な真空は再現できないので、多少は熱伝導が起こるのだ。
なので、ずっと同じ温度に保つことはできなくて、時間が経てば冷めたり、ぬるくなったりしてしまうんだよね。

さらに、内層の内側の鏡面はあたたかいものが冷めるのを遅くさせる効果があるのだ。
まわりより温度の高い(=熱エネルギーを多く持っている)物体は熱を赤外線の形で放射してだんだんと冷めていくんだけど、鏡面はこの赤外線を反射するので、ものが冷めにくくなるのだ。
さすがに100%反射することはできず、ある程度は熱を吸収してしまうんだけど、それでもけっこう効果があるんだよね。
空がくもっていると放射冷却が弱まるのと同じような原理なのだ(放射冷却の場合は赤外線の形で放射された熱が雲に吸収されたり、雲に反射されたりすることで地球外に逃げにくくなるので、熱がこもることになるのだ。)。

最近は火を使わずにとろ火料理ができる、なんていう鍋もあるけど、あれも構造的には魔法瓶と同じで、内層と外層の間の真空層や内側の鏡面によって熱が逃げにくくなっているので、加熱し続けなくても一定の温度が長時間保てるようになっているんだ。
とろ火料理の場合はぐつぐつと煮立てるよりも、むしろ沸騰しないくらいの火加減でじっくり煮ることが大事だったりするので、まさにうってつけというわけ。
しかも、基本的にはものに味がしみこむのは冷めていくときなので(2日目のおでんやカレーがおいしい、と言われるのはこのためだよ。)、じっくりと時間をかけて冷めていくこの調理器の場合はぐつぐつと煮るよりも味がしみこみやすいんだよ。
ちなみに、普通の魔法瓶でも、お湯と生卵を入れておいて温泉卵を作る、なんて使い方もできるのだ。

最近では節電タイプで魔法瓶の原理を使って保温するようなポットもあるよね。
これから地球温暖化を防ぐためにも省エネ技術は必要になってくるけど、そういう身近なところから省エネできるというのはなかなかよいことだと思うのだ。
これからはもっと魔法瓶の活躍の場が広がるのかもね。

2007/12/11

静かなる刺客

米国も冬が近づきかなり乾燥してきたので、「例のやつ」がふたたび現れるようになったのだ。
それは静電気。
乾燥度合いが半端じゃないので、日本にいたときと比べてバチバチ度が段違いだよ!
これからは気をつけないと、手が痛いだけじゃなくてパソコンなどの精密機械にも影響があるかもしれないのだ。

この静電気といわれるのは正確にはたまった静電気が火花とともに放電する現象のことなのだ。
誘電体(絶縁体)同士がこすれて摩擦が生じると、そのときに電子のやりとりが起こって、表面に正や負の電荷がたまるんだよね。
これが静電気の正体で、雲の中の粒子同士の摩擦による静電気は雷のもとなのだ。
表面にたまる電荷の正負はこすれ合う誘電体の関係で決まって、より電子をためやすいものが負に帯電するんだよ。
特に化学繊維や羊毛などは静電気をためやすい性質で、皮膚との摩擦や他の服との摩擦で簡単に静電気がたまるのだ。
で、一定程度の静電気がたまったところで金属のような電気をよく流す性質のものにさわろうとすると、指先などから火花を伴う放電現象が起こって、バチっとなるわけなのだ。
これは自分の指先から電気が放電されているのであって、指が外から刺激を受けるわけじゃないんだよね。

電位差(電圧)が高いとやけどの後が残るくらいになるので、けっこうおそろしいものなのだ。
ドアノブや窓のサッシ、電気のスイッチなんかが危険なんだけど、そういうときは鍵などの金属製のものでまずドアノブなどに触れて電気を逃がしてやるとバチっと放電しないのだ。
最近では静電気を逃がすグッズなんかもあるし、静電気の帯電を防止するようなスプレーなんかもあるよね。
静電気がたまりづらい服というのもあって、ガソリンスタンドの制服なんかがまさにそういう素材なんだよ。
さすがにガソリンスタンドでバチっといったらしゃれにならないからね。

ガソリンスタンドだけじゃなくて、火薬や爆発物を扱う場所、ICや半導体などの精密機械・部品を扱う場所でも静電気は大敵なので、防止する工夫が撮られているのだ。
腰から鎖を地面まで垂れ下げてアースにしたり、静電気のたまりにくい導電性の高い素材の靴や服を身につけたりするのだ(金属が織り込んであったりするのだ。)。
入室する際もまず金属板に触れて静電気を逃がしてから入る、なんて工夫もされているんだよね。
さすがにに日常生活ではなかなかマネできないけど、静電気を逃がしてからものにさわるようにする、というのは参考になる方法なのだ。

静電気の存在自体は紀元前600年ころにタレスさんがすでに発見していて、その後もずっと研究されているんだけど、まだわからないことが多いみたい。
これだけ電磁気学が進んでいるように見えても、日常的な静電気の問題にもまだ未解明なところが残っているというのはなかなかおもしろいのだ。
実は、こういうところの問題の方が深遠な問題を含んでいるのかもね。
とりあえず有効な静電気防止技術はいろいろと考案されているのでよいのだけど。

2007/12/10

掛けて見る

今日はDCの美術館で日本の掛け軸をたくさん見てきたのだ。
江戸期から明治期にかけてのものだけど、やっぱりいいねぇ。
ボクは浮世絵とか掛け軸とかの絵がけっこう好きなんだよね。
シンプルなデザイン、淡い色づかい、雄々しいタッチなんかがお気に入りなのだ。

この掛け軸というのは中国の北宋時代に壁に絵などを掛けるものとして生まれたようで、はじめは礼拝の意味合いが強いと考えられているんだって。
西洋でもキリストやマリア、諸聖人の絵を壁に掛けたりしているけど、それと同じなんだろうね。
掛け軸は比較的複数生産することも容易で、丸めると持ち運びも便利なので、仏画を中心に普及していったんだって。
日本にも飛鳥時代には仏画の掛け軸がすでに入ってきていたみたいだよ。

日本ではもっぱら仏画を中心としていたんだけど、鎌倉時代になって禅宗が入ってくると、仏画だけじゃなくて水墨画や書、禅絵(ただの○を描いた円相図や禅宗の公案を絵にしたもの、達磨禅師などの絵など)なども飾られるようになったんだって。
これに茶の湯の文化が加わると、一気に掛け軸の文化が花開いて、花鳥風月をテーマにしたものや一般の人物を描いたもの、風景画なども登場してくるのだ。
これで一気に床の間に飾る芸術品としての地位をかためることになるんだよね。
今の掛け軸の表層(いわゆる絵をはってある布の部分)の様式や寸法も、床の間に飾って美しく見えるように、という配慮で茶道の中で確立したらしいよ。

江戸時代になると日本に明朝式表具が普及し、大きな家では茶室がなくても床の間が作られるようになったので、さらにある程度裕福な層に普及していくのだ。
表層の生地などにもこり始めて、日本を代表する美術品へと昇華していったようなのだ。
明治・大正期は日本画の隆盛期でもあったので掛け軸も発展・普及していったらしいんだけど、昭和になって戦争をはさむとそれどころじゃなくなってしまい、戦後は家の西洋化が進んで床の間も消えていっているのでだんだん存在感が薄れてきているのだ。
今ではまたむかしのように一部の裕福な人のもの、というイメージが強いよね。
アニメのサザエさんは庶民を描いたアニメだけど、古き良き昭和の時代の生活を描いているので、床の間と掛け軸があるのだ。
現代では好意状況はあまり見られなくなって残念だよね(そもそも日本間自体が消えてきているのは悲しいことだよ。日本までこたつに入りながらみかん、なんてのはなかなか日本らしくてよいと思うんだけど。)。

掛け軸として飾られる絵にはいくつか種類があって、むかしながらの仏画(お釈迦様や観音菩薩が多いよね。憤怒の形相の明王なんかもあるのだ。)、山水画(いわゆる中国式の大和川を題材にした風景画だよね。)、花鳥画(いわゆる花鳥風月の絵だけど、これが一番掛け軸っぽいイメージだよね。)、墨跡(禅僧の書で、一休禅師なんかが有名だよね。)、古筆(平安から鎌倉時代にかけての字のうまい人の書で、小野道風さんや橘逸勢なんかが有名だよね。)、色紙(武者小路実篤さんの「仲良きことは美しき哉」はよく見かけるのだ。)、短冊(俳句や和歌を書いたものが多いのだ。)、画賛(絵の上の方に漢詩や和歌などが添えられているものだよ。)、消息(いわゆる手紙のことで、有名人の達筆な手紙などを飾るのだ。)、断簡(巻物の一部だけを切り出して掛け軸にしたもので、よく伊勢物語や源氏物語なんかの絵物語の一部が使われるんだよね。)などが代表的なんだって。
掛けっぱなしではなくて、来客に応じて変えたり、季節や朝昼夜に応じて変えたりするものらしいよ。
さすがに庶民はそこまで多くの掛け軸は持っていないから万年掛け軸だろうけど。

2007/12/09

師走の輪

日本では年末の時期に飾られる輪と言えば、年越しの祓えの茅の輪なのだ。
神社に行くとたいてい茅の輪が置いてあって、右回りで何回くぐって、左回りで何回くぐって、っていう説明がしてあるよね。
これはその年の「けがれ」を除き去って、清らかな空で新年を迎えるためのものなのだ。

で、これに対して欧米で12月に飾られる輪と言えばクリスマス・リース。
日本ではクリスマスツリーだけを飾って、電飾でさらにきらびやかにすることもあるけど、まだまだリースまで飾っている家は少ないよね。
でも、米国に来てみると、ほとんどの家のドアにクリスマス・リースが飾ってあるんだよね。
日本の正月のしめ縄飾りや門松と同じようなものなのかもね。
日本ではこういう古式由来の風習は廃れつつあって残念だけど。

リース自体はローマ帝国時代までさかのぼるもので、もともとは飾るんじゃなくて祭事の際の冠として身につけられるものだったんだって。
女性はリースを身につけ、男性は冠を身につけたらしいよ。
よくローマ時代の象徴で出てくる月桂樹の冠などもリースのおおもとみたい。
で、古代ローマには葬儀用の飾りとして石棺リースを入れる風習もあったようで、そこから飾りとしての役割も出てきているようだよ。
で、時代が下るとともにかぶられるものから飾られるものに変遷してきて、花や葉で作った輪状の飾りを指すようになったのだ。
リース自体はお墓や祈念碑なんかにも飾られるし、結婚式などの祝祭時にも飾りで使われるのだ。

で、これがクリスマス・リースになると、一般に常緑樹で作って、そこに松ぼっくりや赤いリボンをつけるんだよね。
常緑樹で作るのは繁栄の象徴で、寒い冬でも緑を保つ常緑樹の生命力の強さで揺るぎない繁栄を表しているのだ。
日本のヒイラギとは実は種類が違うセイヨウヒイラギはこの時期に赤い実(holly berry)をつけるので、それが飾られることも多いんだよね。
日本の節分の飾りのヒイラギは魔除けだけど、欧米のセイヨウヒイラギは常緑樹としての繁栄の象徴なのだ。
この時期に実をつけるというのもポイントが高いのかもね。
でも、「縁起がよい」ということで選ばれている天では洋の東西を問わず発想は同じなんだけど。

西洋では降臨節(Advent)というキリストの降誕を待つという行事がこの時期にあるんだけど、このときにろうそくを4本用意し、1日経つごとにろうそくに火をともしていくという風習があるらしいのだ。
これはドイツで始まった風習といわれているらしいけど、このときに常緑樹で作った輪にろうそくを立てるアドベント・リースというのを作るそうで(これはろうそくを立てるので寝かして使うんだよ。)、どうもこれもクリスマス・リースと関係ありそうなんだよね。
祭事にリースを飾るという風習から発生しているんだろうけど、ひとつはもうひとつのアドベントのろうそくの風習と結びついて寝かせて使われるようになり、もうひとつは従来の祝祭時の飾りとして普通に飾られるようになっているようなのだ。

2007/12/08

年末の木と言えば

年末にかざる木と言えばクリスマスツリー。
DCで感謝祭(Thanksgiving Day)を過ぎてからは飾り付けが本格化してきたのだ。
一応は12月から飾るというのがスタンダードらしいけど、日本のひな人形と同じで、こういうのは早め早めになっていってしまうんだよね(笑)
ホワイト・ハウスの前のナショナル・クリスマスツリーは昨日から点灯されてきて、いよいよワシントンDCも本格的にクリスマス・ムードなのだ。

実はこのクリスマスツリーはアダムとイブが楽園を追われる(つまり「失楽園」)原因となった知恵の木の象徴なんだって。
中世の聖夜の降誕祭の序幕でアダムとイブの舞台劇が行われるようになって、そのときに、冬に葉が落ちてしまうリンゴの木の代わりに常緑樹の木をリンゴに見立てて使ったのがはじまりなんだとか。
日本では主にもみの木を使うけど、欧州では多くの場合ドイツトウヒを使うのだ。
身近にある常緑樹と言うことで、日本ではエゾマツやトドマツなんかも使われるんだよね。
もともとリンゴの木の代用だから、この木じゃないといけない、というのはなくて、常緑樹であればいいみたいだよ。
南半球だと季節が逆だからリンゴの木が使えるけどね。

クリスマスツリーというとてっぺんに星が飾られることが多いけど、これはキリストの降誕を知らせて当方のさん博士を導いたという聖書に出てくる星を表しているようなのだ。
球形のオーナメントはもともとはリンゴを表しているようだよ。
今では赤だけじゃなく、金銀、緑、青といろいろな色があるけど。
あと、よく飾ってあるのは少し曲がった飴(これは枝をもしていて、キャンディーケインと言うらしいよ。)、ろうそく(今では豆電球や発光ダイオードなんかを使うことが多いよね。)、金銀のモールなどなのだ。
北半球では冬の行事なので雪をもした綿なんかも飾られるよね。
最近はプラスチック製のものもあるけど、ホワイト・クリスマス仕様として白いものまであるのだ。
もとは常緑樹だから、ほんとはそれじゃいけないんだろうけど。

クリスマスツリーを飾る習慣は15世紀の初めころにドイツのフライブルグで生まれたと考えられていて、16世紀の終わりにはドイツ中に広まっていたようなのだ。
これが18世紀の終わりになるとベルリンまで広まっていたみたい。
(当時ドイツは小国に分かれていたのでそんなに早く広まらなかったのだ。)
で、これがヴィクトリア女王を通して英国に伝わると、英国から米国へも伝わって、世界中に広まることになったんだよね。
ヴィクトリア女王はハノーヴァー王朝の出身だけど、ハノーヴァー王朝は神聖ローマ皇帝を選出する権利を持つハノーファー選帝侯も兼ねていたので、ドイツにも領地を持っていたのだ。
で、このハノーファー選帝侯の方は女性が王位を継承できないので、ヴィクトリア女王は英国の王位だけを継承し、ドイツから離れることになるんだよね。
ちょうどヴィクトリア女王のころは英国が栄えて、世界の海をまたにかけて活躍しているころなので、文化の伝播という観点でも大きな役割を果たしていたのだ。

日本では幕末にプロイセンの公館で飾られるようになり、1874年(明治7年)には明治学院の前身である築地大学で開催されたクリスマス・パーティにサンタ・クロースとともに登場した、という記録が残っているらしいよ。
横浜で1885年(明治18年)に開業した明治屋が、1900年(明治33年)に銀座に進出すると、銀座でもクリスマスの飾り付けが行われるようになったんだって。
神戸でもほぼ同時期にクリスマスの飾り付けが行われるようになっていたとか。
当時は積極的に西洋の文化を取り入れていたこともあるけど、1928年(昭和3年)の朝日新聞ではすっかり日本でもクリスマスの行事が浸透した、なんて記事もあるくらいらしいのだ。
戦中はさすがに少し廃れるんだけど、戦後すぐに復活し、1948年(昭和23年)には東京駅にクリスマスツリーが飾られるようになったとか。
それ以降日本でも冬のおなじみの行事になったのだ。
欧米に比べると限りなく宗教色が薄くて、ほぼ日本独自の様相を呈してきているけどね。