年末の木と言えば
年末にかざる木と言えばクリスマスツリー。
DCで感謝祭(Thanksgiving Day)を過ぎてからは飾り付けが本格化してきたのだ。
一応は12月から飾るというのがスタンダードらしいけど、日本のひな人形と同じで、こういうのは早め早めになっていってしまうんだよね(笑)
ホワイト・ハウスの前のナショナル・クリスマスツリーは昨日から点灯されてきて、いよいよワシントンDCも本格的にクリスマス・ムードなのだ。
実はこのクリスマスツリーはアダムとイブが楽園を追われる(つまり「失楽園」)原因となった知恵の木の象徴なんだって。
中世の聖夜の降誕祭の序幕でアダムとイブの舞台劇が行われるようになって、そのときに、冬に葉が落ちてしまうリンゴの木の代わりに常緑樹の木をリンゴに見立てて使ったのがはじまりなんだとか。
日本では主にもみの木を使うけど、欧州では多くの場合ドイツトウヒを使うのだ。
身近にある常緑樹と言うことで、日本ではエゾマツやトドマツなんかも使われるんだよね。
もともとリンゴの木の代用だから、この木じゃないといけない、というのはなくて、常緑樹であればいいみたいだよ。
南半球だと季節が逆だからリンゴの木が使えるけどね。
クリスマスツリーというとてっぺんに星が飾られることが多いけど、これはキリストの降誕を知らせて当方のさん博士を導いたという聖書に出てくる星を表しているようなのだ。
球形のオーナメントはもともとはリンゴを表しているようだよ。
今では赤だけじゃなく、金銀、緑、青といろいろな色があるけど。
あと、よく飾ってあるのは少し曲がった飴(これは枝をもしていて、キャンディーケインと言うらしいよ。)、ろうそく(今では豆電球や発光ダイオードなんかを使うことが多いよね。)、金銀のモールなどなのだ。
北半球では冬の行事なので雪をもした綿なんかも飾られるよね。
最近はプラスチック製のものもあるけど、ホワイト・クリスマス仕様として白いものまであるのだ。
もとは常緑樹だから、ほんとはそれじゃいけないんだろうけど。
クリスマスツリーを飾る習慣は15世紀の初めころにドイツのフライブルグで生まれたと考えられていて、16世紀の終わりにはドイツ中に広まっていたようなのだ。
これが18世紀の終わりになるとベルリンまで広まっていたみたい。
(当時ドイツは小国に分かれていたのでそんなに早く広まらなかったのだ。)
で、これがヴィクトリア女王を通して英国に伝わると、英国から米国へも伝わって、世界中に広まることになったんだよね。
ヴィクトリア女王はハノーヴァー王朝の出身だけど、ハノーヴァー王朝は神聖ローマ皇帝を選出する権利を持つハノーファー選帝侯も兼ねていたので、ドイツにも領地を持っていたのだ。
で、このハノーファー選帝侯の方は女性が王位を継承できないので、ヴィクトリア女王は英国の王位だけを継承し、ドイツから離れることになるんだよね。
ちょうどヴィクトリア女王のころは英国が栄えて、世界の海をまたにかけて活躍しているころなので、文化の伝播という観点でも大きな役割を果たしていたのだ。
日本では幕末にプロイセンの公館で飾られるようになり、1874年(明治7年)には明治学院の前身である築地大学で開催されたクリスマス・パーティにサンタ・クロースとともに登場した、という記録が残っているらしいよ。
横浜で1885年(明治18年)に開業した明治屋が、1900年(明治33年)に銀座に進出すると、銀座でもクリスマスの飾り付けが行われるようになったんだって。
神戸でもほぼ同時期にクリスマスの飾り付けが行われるようになっていたとか。
当時は積極的に西洋の文化を取り入れていたこともあるけど、1928年(昭和3年)の朝日新聞ではすっかり日本でもクリスマスの行事が浸透した、なんて記事もあるくらいらしいのだ。
戦中はさすがに少し廃れるんだけど、戦後すぐに復活し、1948年(昭和23年)には東京駅にクリスマスツリーが飾られるようになったとか。
それ以降日本でも冬のおなじみの行事になったのだ。
欧米に比べると限りなく宗教色が薄くて、ほぼ日本独自の様相を呈してきているけどね。
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