2016/05/14

経歴詐称なのか?

日銀の審議委員の「経歴詐称問題」が出てきたのだ。
例の「ほらっちょ」さんとは違って、行ってもいない学校名を書いたりしていたわけではないんだよね。
問題は、「博士課程修了」という表現。
今回話題になっている有識者は、博士課程には進学したけど、博士号は持っていない人。
それで経歴に「博士課程修了」と書いていて、これが詐称に当たるのでは?、と騒がれているのだ。

日銀によると、博士号取得者の場合は、「○○博士」と経歴上明記するようにしていて、「博士課程修了」は「単位は取得したけど博士号を取得していない人」に対して使っていると弁明しているのだ。
確かに、そう表現されることもあるんだけど、多くの場合は、「単位取得退学」とか「満期退学」という言い方をして、「修了」という表現は使わないようにするのだ。
理系だと博士課程在学中に博士号を取得できる例が多いのだけど、人文系の場合は、多くの場合「満期退学」して大学教員などの研究職に就いて、定年間際に論文博士で博士号を取得する、という例が多かったんだよね・・・。
なんでそうなっているのかはよくわからないけど。

で、今回も「経済学」らしいので、上記の例に漏れず、なかなか博士号が出ない分野ではあったのだ。
なので、通常は大学院に進学しても、博士号は取得せずに就職するのがおきまりだったはず。
本人としても、別に変なことはしていない、という認識だったはず。
ただ、表現が正確かと言われると、実はまずかったようなんだよね。

学位についてはきちんと法令上の位置づけがあって、ルールの下に運用されているのだ。
まず、学校教育法(昭和23年法律第26号)の第104条第1項で、「大学(第百八条第二項の大学(以下この条において「短期大学」という。)を除く。以下この条において同じ。)は、文部科学大臣の定めるところにより、大学を卒業した者に対し学士の学位を、大学院(専門職大学院を除く。)の課程を修了した者に対し修士又は博士の学位を、専門職大学院の課程を修了した者に対し文部科学大臣の定める学位を授与するものとする。」と定められているのだ。
ここで重要なのは、「授与することができる」ではなくて「授与するものとする」と規定されていること。
すなわち、「博士課程の修了」=「博士の学位授与」ということなのだ。
これを受けて、学位規則(昭和28年文部省令第9号)第4条第1項で「法第百四条第一項の規定による博士の学位の授与は、大学院を置く大学が、当該大学院の博士課程を修了した者に対し行うものとする。 」となっているよ。

では、「博士課程の修了」とは何かと言うと、、大学院設置基準(昭和49年文部省令第28号)の第17条第1項で「博士課程の修了の要件は、大学院に五年(・・・)以上在学し、三十単位以上を修得し、かつ、必要な研究指導を受けた上、当該大学院の行う博士論文の審査及び試験に合格することとする。ただし、・・・」と規定されているのだ。
これによれば、規定数以上の単位の取得+論文審査・試験に合格の両者が必要なんだよね。
つまり、論文審査が通っていない状態で、単位取得のみの場合は、博士課程は修了していないのだ!
なので、「単位取得退学」≠「博士課程修了」ということだよ。

というわけで、ルール上は博士号を取得していない人は博士課程を修了していないことになるのだ。
というか、博士課程を修了すると自動的に博士号が授与されることになるので、博士号を取得せずして博士課程は修了できないというわけ。
ただし、上にも書いたように、俗に「「大学院博士課程の単位取得」を「博士課程修了」と表現し、「博士号取得」と「博士課程修了」を区別する表現が行われていたために起きた混乱なのだ。
なんか「退学」というネガティブな響きがあるから、「満期退学」とか「単位取得退学」とはしたくなかったんだろうけど、ギリギリを正確性を追求すると「博士課程修了】と書くのはウソになってしまうんだよね・・・。
「でき婚」を「さずかり婚」と言うみたいに「満期退学」をもう少しポジティブな表現に言い換えられれば、こういう混乱はなくなるかもしれないね。

2016/05/07

めぐる庭

連休期間中、浅草の浅草寺の本坊である伝法院の庭園が特別公開されていたので、見てきたんだよね。
国指定の特別名勝で、作庭の名手と言われる小堀遠州さんの作と伝えられているお庭だよ。
いわゆる「池泉回遊式庭園」で大名庭園のようなものなのだ。
天気もよかったし、春の緑も鮮やかで、目の保養になったよ。

この「回遊式」というのは、「庭の中を歩いて散策する」という意味。
多くの場合は中央に池を配し、その周りに園路をめぐらして、築山、橋、名石などで景観を整えたもの。
中央に池があるものと特に「池泉回遊式」というのだけど、現在残っている多くの回遊式庭園は池泉回遊式庭園だよ。
東京でいつでも見られる回遊式庭園と言えば、駒込の六義園、小石川の後楽園、深川の清澄庭園などなど。
徳川将軍家から天皇家に所有が移って、後に一般に開放された浜離宮や芝離宮もそうだよ。
ちなみに、両国の旧安田庭園、早稲田の甘泉園、江戸川橋の新江戸川公園、五反田の池田山公園なんかは無料で見られるのだ。
東大の本郷キャンパス内にある三四郎池は夏目漱石さんの小説から名前がとられているけど、もともとは加賀藩邸の回遊式庭園の心字池という池だったのだ。

これらの庭園は今でも池の周りを回るように散策できるように整備されているんだけど、実はコレは江戸時代に日本庭園の様式が集大成された結果のようなのだ!
屋敷のそばに庭を造ること自体はむかしからなされていて、平安時代には寝殿造りの邸宅のまわりに大きな池を持つ庭園を造ったりしていたようなのだ。
平安時代の書物にも、庭の池に船を浮かべて遊ぶ、なんて描写が残っているから、大貴族の邸宅にはそうした自然をもした庭園があったようなのだ。
さすがにその頃の庭園はありありとは残っていないので、遺構を調べるしかないのだけど。

少し時代が下って、浄土教が大陸から伝わってくると、この庭に浄土趣味が加わるんだよね。
つまり、庭の中に極楽浄土の風景を再現しようとするのだ。
有名なのは、宇治の平等院鳳凰堂や平泉の毛越寺。
お経などに出てくる極楽浄土の風景を再現するものなので、自然景観をデフォルメして邸宅内に持ってくるというそれまでの発想とは異なるものだったようなのだ。
おそらく、当時は金や朱できらびやかに飾り、蓮の花などを咲かせていたと思われるんだよね。

これが武家の社会に入ってくると様子が打って変わるのだ。
武家社会の書院造りの場合、窓から見える切り取られた景色が重要になるんだよね。
季節の移り変わりとともに変わっていく絵のように扱うのだ。
なので、必然的に庭はコンパクトになっていくんだけど、木や石の配置、光源方向など精緻な計算がなされるようなるんだ。
さらに、禅宗が入ってくると、水を使わずに水の流れを表現しようとする「枯山水」も出てくるのだ。
竜安寺なんかが有名だけど、京都の禅寺のお庭には石と砂だけで表現された庭があるよね。
これらの庭はあくまでも建物の中から眺めるものとしてできあがっているものなのだ。

これが江戸時代になって、天下太平の時代に大名たちが庭を造り始めると、様子ががらっと変わるのだ。
それが、「歩いて楽しむ庭」の登場。
広大な敷地がないとできないわけだけど、じつは、江戸市中で大名に割り当てられていた屋敷地はどれもかなりの広さだったし、もともと地元の居城には広大な敷地があるしで、場所には困らなかったのだ。

江戸時代にはお城の新築は基本的にダメで、改修も幕府の許可がいるような状態なので、お城の立派さで自分の権力を誇示することはできないんだよ。
すると、書や画、陶磁器などの持ち物や、庭園などでアピールすることになるんだよね。
持ち物の場合、わかる人が見ないと価値が変わらないことがあるのに対し、庭は誰が見てもすごさは直感でわかるので、ちょうどよいものだったんだろうと思うんだよね。
で、競い合うと技術も高まっていくわけで、江戸時代は各大名がこぞって庭に凝って、すばらしい庭園がたくさんできたのだ。

明治に入ると大名はその財力を維持できなくなるので、庭園の中には廃れていくものも出てくるんだけど、いいものはいいので、明治の元勲や財閥に買い取られ、賓客をもてなしたりする用に使われることになるんだよね。
例えば、三菱財閥の岩崎家は庭園が好きで、国分寺の殿ヶ谷戸庭園や清澄庭園などは岩崎家の別邸として使われていたのだ。
明治の元勲では、山縣有朋さんが特に庭好きで有名で、江戸川橋の椿山荘は明治になって作られた庭園なのだ!
西ヶ原の旧古河庭園は陸奥宗光さんの邸宅跡なんだけど、ジョサイア・コンドルさん背系の洋館と、洋風庭園・日本庭園が一度に楽しめるスポットなのだ。
というわけで、明治くらいまでは伝統が引き継がれ、新宿御苑を作り上げるくらいまで続くのだ。

でも、さすがに戦後になるとこういう庭趣味の人が少なくなったようで、個人で回遊式庭園を大々的に造るというのはなくなってきているよね・・・。
今でもお大尽のイメージで、庭に池があって錦鯉を飼っている、というのはあるけど、歩いて回れるほどの庭を持つというのはなかなか想像しづらいのだ。
でも、海外にも注目されているすばらしいものなので、ぜひぜひ残していきたいものだよね。

2016/04/30

近世流行の発信源

2020年の東京五輪のロゴマークが正式に決まったのだ。
4案あったうち、本命と言われていた「市松模様」のやつになったんだよね。
伝統的な日本の柄でありつつ、モノトーンでおしゃれだからなんだとか。
一般から4万件近く意見が寄せられ、「それを踏まえ」審査員が票を入れて決めたそうな。
って、一般からの意見でもこれが一番だったのかな?

この市松模様だけど、海外で言えばチェック柄。
二色の正方形を組み合わせたシンプルな柄なので、洋の東西を問わず、むかしから使われてきているものなのだ。
日本でも古墳時代にはすでに柄としてあったみたい。
正倉院にもこの柄のものが収められているらしいよ。
でも、その当時は「石畳」と呼ばれていたんだって。
確かに、そっちの方が名前としてはしっくりくるよね。

では、なぜ「市松」になったのか。
それは、18世紀前半の享保期に活躍した歌舞伎役者「初代佐野川市松」さんに由来しているのだ。
つまりは人名。
「心中万年草(高野山心中)」という演目で白と紺の正方形の格子模様の袴をはいたところ好評で、別の演目でも使うようになったそうな。
このときはまだ「石畳」という柄として使っていたんだけど、市松の代名詞ともなった結果、模様自体が「市松」と呼ばれるようになったのだ。
「トレードマーク」ということだね。

でも、実は歌舞伎役者の名前に由来するものはこれだけじゃないのだ。
他にも「芝翫縞」、「亀蔵小紋」、「半四郎鹿子」、「小六染」などなどいろんな柄があるよ。
てぬぐいなんかで有名になっているけど、「鎌○奴(かまわぬ)」や「斧琴菊(よきこときく)」なんかも歌舞伎発祥だって。
当時芝居は最高の娯楽で、歌舞伎役者を見てかっこいいと思った人々がまねたのだ。
これは90年代の「アムラー」と同じ感覚だよね(笑)

しかも、歌舞伎の流行の発信基地としての機能は、着物の柄にとどまらないのだ。
例えば、着物の「色」。
江戸時代は茶や紺、灰などにも様々な微妙な色合いがあるんだけど、歌舞伎役者が舞台で使ったりする色がはやると、役者や芝居の登場人物の名前がついたのだ。
「梅幸茶」や「路考茶」、「団十郎茶」などが有名。
さらに、着物の帯の結び方、髷の結い方なんかも。
つまり、流行の最前線となっていたんだよね。

平安時代は支配階層である貴族が文化の担い手で、海外から仏教文化などを輸入するとともに、国風文化も育てたのだ。
この構図は武家社会になっても同じで、今度は武士がパトロンとなって文化を支えたのだ。
でも、やはり支配層が担い手。

ところが、江戸時代になると、都市住民も文化の担い手になってくるのだ。
もちろん、武家や公家が支えた文化もあるのだけど、庶民発の文化も出てくるわけ。
その代表例が歌舞伎由来のこうした文化だったりするんだよね。
浮世絵なんかもそうだけど、市井の中から文化が出てくるのだ。
こうして、古代より貴族社会で用いられていた「石畳」模様は、庶民の手により「市松」模様として展開されたというわけ。
そう考えると、なかなか感慨深いね。

2016/04/23

暗いと不平を言うよりも・・・

春になってだいぶ日が長くなってきたのだ。
麻も早い時間から明るいし、何より、夕方が明るいよね。
冬だと5時前にはもう真っ暗だったけど、今は6時前までは明るいよね。
むかしの人はそれこそ日が昇ってから起床し、日が沈むとともに就寝というのだから、こういう季節の変動に合わせて日中の活動時間も変わったんだろうね。

というのも、照明器具が貧弱だったから。
今は電気のおかげでだいぶ明るいけど、江戸時代でも照明と言えば行灯のようなものしかないわけで。
蛍光灯やLEDだとかなり明るいけど、昭和の時代のトイレにあった10Wのオレンジ色の電球なんて暗かったよね・・・。
でも、行灯はさらにその7分の1くらいの明るさだというのだ!
ということは、明かりがあっても真っ暗に近い?
農村部だと、行灯すらなく、いろりの火くらい。
でも、そんな微弱な明かりで、夜の内でも針仕事をしたり、縄やわらじを編んだりしていたというんだからすごいよ。
「蛍の光、窓の雪」なんて、そんな暗さじゃ無理でしょ、と思うけど、意外と当時の認識ではいけるのかもね。

むかしから松を燃やすと明るいということがよく知られていて、松を燃やすたいまつが証明に使われていたのだ。
確かに漢字で「松明」と書くよね。
で、野外だったら松明でももう少し大きくしたかがり火でもよいのだけど、室内だと火事になってしまうわけで。
そんなとき、奈良時代に仏教とともにやってきたのがろうそく。
当時のものは、蜂の巣から集めたワックス成分である蜜蝋を使ったものだったと考えられているよ。
でも、これは100%輸入品で超高級品で、頻繁に使えるようなものではなかったのだ。

もう少し時代が下って平安時代になると、松からとった松脂を固めてろうそくが作られるようになり、国産品も出回るようになるのだ。
もっと時代が下って武家社会になると、ハゼノキなどからとった木蝋を使った和ろうそくが登場するよ。
木蝋というのは、ハゼノキの果実を蒸してから圧搾してとれる脂肪分を固めたもの。
これは中性脂肪を主成分とするものなんだって!
これをい草と和紙で作った芯に塗り重ねて作るのが和ろうそく。
でも、これも作るのがなかなか大変で、高級品であることには変わりなかったのだ・・・。
石油パラフィンから安価に蝋が作られるまで、ろうそくは高価なものだったんだよ。

庶民は当然ろうそくなんて使えないので、行灯に使うのは灯油。
多くは菜種油が使われたんだけど、中にはもっと安い魚油を使うことも。
これは鰯などの青魚をゆでた後に圧搾し、その圧搾駅の上澄みに出てくる油を集めたもの。
とってすぐはいいのだけど、時間がたつと徐々に参加されて生臭くなるんだよね・・・。
なので、燃やしても臭いのだけど、安いからといって庶民の間では行灯にも使われたのだ。
俗に化け猫が行灯の油をなめるというのも、魚油を使っていたことから来ているみたい。

行灯は、油を張って芯を浸した火皿を紙で覆った構造。
いくら和紙が光を透かすとは言え、これでは余計に暗くなるよね。
江戸耳朶より前は火皿のまま使っていたらしいんだけど、火皿のまま使うと、少しの風で油が波打ち、火が消えてしまうことが多かったようなのだ。
そこで、少し暗くなってもいいからと紙で覆って風の影響がないようにしたわけ。
でも、この紙の覆いはずらして外せるようにもなっていて、強い光がほしいときはそうするのだ。
ただし、紙で透かすと参考されて麺として明るくなるのに対し、裸火にしてしまうと多少明るいけど点の光源なので、それぞれ長所短所があるのだ。
それにしても、ろうそくくらいの明かりがあればまだましなんだろうけど、本当に暗かったろうね。
いわゆる百物語に使うという青い紙を張った行灯なんて、ほぼ明かりがないんじゃないかと思うよ。

現代の時代劇ではけっこう夜でも明るいような描写だけど、実際はあっても行灯くらいなわけで、夜は相当暗かったのだ。
なので、月明かりは非常に重要で、「月の出ている夜ばかりじゃないぞ」なんていう脅しも意味があるわけ。
都市部でも周りが真っ暗だから、もっと星もよく見えていたんだろうね。
今はスマホの明かりのせいで体内時計がくるって夜に眠れなくなる、なんて話もあるけど、夜になったら暗いから寝るという方が自然ではあるよね。
江戸時代の人が現代に来たら明るすぎてびっくりするだろうなぁ。

2016/04/16

春の装い

やっと暖かくなってきたと思ったら、突然の冷え込み・・・。
むかしから「花冷え」と呼ばれるものはあるけど、まだあなどれないね。
春先は天候が不安定なのだ。
着るものも困っちゃうよね。
特に、コートをいつしまうかとか。

江戸時代は天候に関係なく決まりがあって、旧暦の卯月朔日(4月1日)が衣替えの日だったのだ。
今年で言うと5月7日にあたるから、もうかなりあたたかいころだよね。
武士の場合は、旧暦皐月までの1ヶ月間と旧暦長月の1ヶ月間の計2ヶ月が「袷(あわあせ)」と呼ばれる裏地付の着物。
夏の間は麻でできた裏地のない(=単衣の)「帷子(かたびら)」で、冬の間は表地と裏地の間に綿の入った「綿入れ」を着ていたのだ。
一般庶民も同じように衣替えをしていて、旧暦の4月1日になると綿入れの綿を抜いて袷にするので、「四月一日」と書いて「わたぬき」と読む名字があるんだよ。

なので、むかしの春の衣替えは、冬用のセーターやダウンをしまって春物の薄手のシャツを出す、といった福の出し入れではなく、着物を解いて表地と裏地の間に入れていた綿を抜く、という作業だったのだ。
もちろん、余裕があるのなら、綿が入ったままのものをしまい、綿が入っていないものを出してもよいのだけど、そんなに余裕がある人はいなかったんだよね(笑)
実際、江戸時代はお殿様でもない限り、家はせまいし、収納スペースもないわけで。
押し入れは布団を入れれば終わりだし、衣服などは柳行李に入れていたので、今で言うカラーボックス大がひとつあるくらい。
よって、春と秋にはかなりのお裁縫量があったはずなんだよね。
もともと着物は洗い張りなんかもするから、裁縫は極めて日常的な作業だったようだけど。

この衣替えの習慣自体は、平安時代に中国から伝わったものが貴族社会で定着したもののようで、4月と10月にいふくどころか、調度品まで変えていたとか・・・。
お大尽はいつの時代もやることが違うわけです。
で、この頃の女性の正装は絹でできた裏地のない単衣を重ね着するもの。
当時の絹織物は今より薄かったようで、透けるものだったのだ。
なので、その単衣を重ねると、下の布地の色が透けて、色がグラデーションになるんだよね。
これを楽しむのがおしゃれだったのだ。

さらに、この色の重ね方にはパターンがあって、季節ごとに変えていたんだよね。
年に二度の衣替え以上に頻繁に変えていたようなのだ。
これは有職故実にもなっていて、伝統的に貴族社会で受け継がれていたみたいだよ。
「襲(かさね)の色目」というんだけど、すごいこだわりだよ。
今のようにデザインに凝ることがないから、色、それもグラデーションで勝負だったんだろうね。

ちなみに、江戸時代の着物も色にこだわっていたのだ。
ただし、江戸も後期になると、それは派手な色でなく、茶や紺、グレーなどの地味目な色・・・。
何度か倹約令が出されていた栄光があるのかもしれないけど、これらの色にものすごいバリエーションがあって、微妙な色の違い、風合いを楽しむのがおしゃれだったんだとか。
時は変われど、おしゃれへのこだわりっていうのはすごいものがあるね・・・。

そんなわけで、季節の進行に合わせて、着るものを変える、色味を変えるというのは伝統的に行われてきたことのようなのだ。
そう考えると、めんどくさがらずに楽しんだ方がよいのだろうね。
正直、あんまりそっち方面は苦手なんだけど(笑)

2016/04/09

節税は合法的に

パナマ文書というのが出てきて、世界中が大騒ぎになっているのだ!
日本はそうでもないのだけど・・・。
これは、パナマの法律事務所に蓄積されていた文書が流出したものらしいんだけど、そこに出てくる名前がすごいんだよね。
サッカーのメッシや映画俳優のジャッキー・チェンなどの一般の人もよく知っているような名前もあるんだけど、それ以上に衝撃的だったのが、各国の権力中枢にいる人たちにつながる名前。
アイスランドは首相の名前が、英国は首相のお父さんの名前が、中国は国家主席の親戚の名前が・・・。
本当の意味でのビッグネーム。

では、なぜ中米の小国であるパナマの法律事務所にこういう人の名前が出てくるのか、ということなんだけど、そのキーワードが「タックス・ヘイヴン」なのだ。
日本語では「租税回避地」とも呼ばれるよ。
英語の「haven」は「避難所」の意味。
仏語では、「paradis fiscal」で「財政の天国」という名称なので、英語名も「天国(heaven)」と間違えガチだけど、「ヘイヴン(haven)」なのだ。
ま、一言で言うと、税率の低い地域にペーパーカンパニーを作って、あたかも事業収益がその会社によって上げられているようにすることで、租税負担を軽減しようとすることなのだ。

もともとは英国の首都、ロンドンの中心地であるシティ・オブ・ロンドンの金融特区で一定の租税軽減や外国法人の場合は法人税が免税などの優遇措置をとっていたんだけど、これが広まったものとか。
もともとは金融センターにするための措置なんだけど、主要産業と呼べるようなものがない国では、これをやることで外国資本を呼び込むことができるのだ!
パナマは中南米の金融センターになっているんだけど、こういう優遇措置があることも大きいんだよね。
国際社会で活躍するグローバル企業にとっては、本社がある創業地は事業上は必ずしも重要拠点でなかったりするし、国際取引なんかをしているわけなので、一番税金が安くてすむ方法で済ませたいと思うよね。
それで、タックス・ヘイヴンと呼ばれる地域に会社を興し、そこが収益を上げているように経理をするのだ。

タックス・ヘイヴンの一形態として、「船籍貸し」というのがあるんだよね。
日本企業の船のはずなのに、船籍がリベリアとかパナマだったりすることがあるのだ。
これは「便宜置籍船」と呼ばれるもので、船主は船籍という形に国に所有船を登録し、権利と義務が発生するのだけど、この義務の中には納税義務もあるのだ。
で、外航海運なんかをしている場合は、別に日本に船籍がある必要性がなかったりするので、税金が安い国に船の管理会社を設立し、そこで船籍をとるのだ。
これが事業所得全体に係る税に対して行われているのが、今回問題視されている租税回避だよ。

各国も対抗措置はそれぞれ考えていて、日本の場合は、日本より法人税率が低い地域で租税回避が行われる場合、一定の条件を満たす日本企業(内国法人)の子会社となる外国企業(外国法人)には、両国の税率の差額分だけ課税したりするようなのだ。
でも、こういう対応はいたちごっこで、次々といろんな手法で回避がなされるので、万全の対応ができているわけじゃないんだって・・・。
日本の場合は、累積赤字の企業は法人税免除になるので、経理上収益が上がっていないように工夫する、という節税のやり方も・・・。
いろいろと税金を払わなくてすむようにする方法を考える人が多いんだよなぁ。

で、民間企業や一部のお金持ちが脱法まがいの「節税」でタックス・ヘイヴンを使うのはまだよいのだけど、問題はそれだけじゃないんだよね。
実は、この方法はマネーロンダリングにも使えて、国家の監視を外れて資産を形成することにも使えるので、マフィアやテロ組織などのよからぬ団体・組織にも使われている可能性があるのだ・・・。
そうなると、できるだけ事前に取り締まって、取りこぼしを見つけたら追徴課税で対応、というだけではすまないんだよね。
しかも、今回リークされた文書の中にあるのは、政治家の名前。
国民に対しては増税を求めたりするくせに、よからぬ団体の闇金と同じ手法で隠れ資産を築いているということ!
これは大問題だよね。
実際、アイスランドの首相は辞意を表明したのだ。

日本の政治家はもともと英語が苦手だからなのか名前が出てこないけど、世界各地の政情に大きなインパクトを与えている事件なんだよ。
ものすごい大量の文書なのでまだ見切れていないだけで、詳しく調べると日本にもスキャンダルがある可能性も・・・。
この世界的な疑獄事件で、国際情勢はどう変わることやら・・・。

2016/04/02

みんなのでんわ

女子中学生が行方不明になっていた事件で、改めて公衆電話の役割が見直されたよね。
東日本大震災の時に一度話題になっていたけど、そこからもう5年たっていて、また忘れた頃に、という感じ。
正直、公衆電話事業は「赤字」なので、今回の件も含め、何かの時に役立つ!、ということがわかるのが重要なんだよね。
昭和の終わり頃の最盛期に比べると設置数は10分の1以下になっているそうだけど、やっぱり必要なのだ。

公衆電話は、電話やインターネットなどの「電気通信事業」におけるユニバーサルサービスとして位置づけられているんだよね。
電話や電気、ガス、郵便などの国民が社会生活をする上で不可欠なサービスは、日本中のどこにいても、誰であっても、平等に公平に享受できるように供給することが求められるんだよね。
それが「ユニバーサルサービス」という考え方で、供給者のうち最低でも誰か1者はどのような条件であってもサービスの提供をしなくちゃいけないことが法令上義務づけられるんだよね。
これは「最終保障」や「ラストリゾート」と呼ばれるもので、南極の昭和基地にもちゃんと郵便物が届くのはこのおかげ(笑)

電気通信事業においては、電気通信事業法において「基礎的電気通信役務」という概念があって、それがユニバーサルサービスになっているのだ。
離島であっても電話が使えるというのも入るんだけど、この中に公衆電話による電気通信サービスの提供が含まれているんだよね。
電気通信事業法施行規則で細かいことを規定していて、公衆電話については、都市部では500m2ごとに、それ以外の地域では1km2ごとに1台設置が求められているんだ。
どうも、会計検査院の指摘だと、必ずしもそこまでの台数が設置されていないのではないか、という話もあるんだけど・・・。

もともとこうしたユニバーサルサービスは、公益事業が公的枠組みの下で供給独占が行われていた時代からの名残で、電話ならNTT、電気なら各電力会社といった感じで担当が決まっているのだ。
電話については、ほとんどNTTなんだけど、空港にある国際電話専用の公衆電話は第二電電だったKDDIが設置しているものもあるよ。
いずれにしても、規制されていた時代の、供給独占をするが故の義務だったのだ。
規制改革の流れで、三公社の民営化が決まり、電電公社がNTTになるとき、電気通信事業の民間参入が可能になるんだけど、このときはまだ、自分で電線を敷設した上でサービスを提供することが求められたので、日本テレコムのような新規参入者にもこの義務はかかったのだ。
なので、旧国鉄駅には青電話と言って、日本テレコムの公衆電話が置いてあった時代もあるんだよ。

さらに改革が進むと、各事業者が個別に電線を敷設するのは社会全体に見て非効率なので、既設の電線を借り受けて電気通信サービスを提供することが認められるようになるのだ。
このときは、電話事業というよりは、ISDNとかADSLとか、電線を使ったプロバイダサービスが出てくるんだよね。
で、自分で電線を保有して電気通信事業を行うのが第一種電気通信事業者、他社の電線を借りて電気通信事業者を行うのが第二種電気通信事業者になるのだ。
この時代は、ユニバーサルサービスや電線の保守管理は第一種電気通信事業者の義務になり、また、電線をかすに当たって、サービスの提供者としては競合相手になる第二種電気通信事業者を差別的に扱ってはならないなどの規制も追加されることに。

現在では、電気通信事業者の区別はなくなり、どのような業務を行うのかあらかじめ総務大臣に届け出て登録する制度になっているのだ。
一方で、ユニバーサルサービスの提供は必要なので、法律上「基礎的電気通信役務」を規定し、この業務を行うに当たっては、「基礎的電気通信役務支援機関」から補助が行われる仕組みになっているんだ。
この支援機関は、各電気通信事業者からお金を徴収して基金を積み上げ、ユニバーサルサービスを提供している電気通信事業者に補助を行うんだ。
というのも、ユニバーサルサービスは赤字事業になるので、独占供給でもないのに特定の事業者に全部背負わせるのでは持続可能性がないから。

で、現在その担い手は東西のNTTになっているわけ。
でも、この仕組みがまたちょっと変わっていて、流れ的には、NTTからユニバ^-サルサービスの提供をするので補助をしてほしい、という申請が支援機関にあって、それが認められたとき、NTTが「適格電気通信事業者」に位置づけられて補助が行われる、ということになっているんだ。
正直「?」という感じだよね。
じゃあ、NTTはユニバーサルサービスを提供することが義務づけられているわけじゃなくて、あくまでも任意でやっているの?、ということになるよね。

ここにもからくりがあるんだ。
NTTは今でも政府が株式の一部を保有している特殊会社で、完全な民間企業ではないのだ。
なので、その業務や形態は法律で縛られているんだよ。
その法律が「日本電信電話株式会社等に関する法律」。
もともと電電公社の民営化の際に作られた法律だよ。
この法律の第3条で、NTTの責務が規定されていて、その中に、「国民生活に不可欠な電話の役務のあまねく日本全国における適切、公平かつ安定的な提供の確保に寄与する」ということが明確に規定されているのだ。
つまり、法律により、ユニバーサルサービスを提供することがNTTのレゾンデートルになっているわけ。
なので、別にNTTだけがユニバーサルサービスの提供者になる必要はないのだけど、少なくとも、NTTはユニバーサルサービスの担い手として確保できている状況になっているのだ。

総務省のHPとかを見ても「法令上定められています」なんて素っ気なく書いてあるだけなんだけど、実態はそんな簡単なものじゃないみたい。
今回自分で調べてみて、改めて複雑さがわかったのだ(笑)
とにもかくにも、NTTは、人の住んでいる地域においては、国民の誰もが電話を使えるように公衆電話を設置するというユニバーサルサービスを提供する義務があるんだよね。
今回の事件のように、いざというときに役に立つので、NTTに感謝しないといけないね。